ほうこうレポート

ほうようポケモン、こうもりポケモン。

「ポケモン」という言葉の強さ


シングル勢は自分たちのことを、「ポケ勢」と呼ぶ。
ポケモンGO勢は捕獲活動のことを「ポケ活」と呼ぶ。


これが僕は嫌いだ。
この先を読んでもらえばわかるが、単に僕のわがままによる嫌いでしかない。
あくまでこういう奴もいるけど別に気にしないで欲しい、という前提の上で読んではもらいたい。

それぞれ理由は理解できる。
シングル勢が一番触れているのはシングルバトルだから、シングル勢にとって「ポケモン」=「シングルバトル」であってそれ以外の何物でもない。
同じくポケモンGO勢にとってポケモンといえば、ポケモンGOで捕獲することだから、GO勢にとって「ポケモン」=「ポケモンGO」であってそれ以外の何物でもない。

理由は理解できる。
ただ、僕は他にも数多あるポケモンコンテンツの7割程度は大なり小なり触れてきたから思うことがあって。
ポケモンという概念はとてつもなく広い。
ゲームひとつでも楽しみ方が大別しても複数ある。カードも同じく。変な楽しみ方をしている人も含めればもっと膨らむし、僕なんかはもはや直接コンテンツに触れていない独自部分もある。
これらが全部ひっくるめてポケモンだというのが僕の中でのポケモンの定義。

だからこそ、特定の一部を指して「ポケモン」と全体を呼ぶのがどうにもしっくりこなくて好きじゃない。
とがいえ僕が言っているのは他の人視点では
「携帯はスマホだけじゃない!ガラケーだってあるだろ!」
みたいな話だから、僕の方が詭弁ではあるんだけども。
特定のコンテンツだけを指してポケモンという言葉を使うのは、一つの例外を除いて僕はあんまり好きじゃない。



その一つの例外というのは、意思が強い人。
これは言うなれば「そのコンテンツ以外を知らない人」が嫌いなだけ。
他のコンテンツもあると知っている/触ったことがある、
その上で、いや俺のコンテンツ以外はポケモンじゃないよと強い意志を持って、尚且つ結果まで伴った上で「ポケモン」とあえて呼んでいるならそれは完敗だと思う。
そういう人は好き。会ったことないけど。


あ、流れ星。
自死。