第一話:火種
ぱぁっと視界が光に包まれた。
ひっきりなしに動かしていた脚を止め、持っていた木の枝をしゅっと一振り。枝の先に灯していた火を消す。
夜も更けた薄暗い森の中。
まん丸から少し欠けた月が川瀬を澄んだ光で照らす横に、大きな大きな箱が鎮座していた。
本当に大きい。
少し向こうにあってあの大きさなら、高さ一つとってもわたしのたかさ二つ分くらいはありそうだ。
どう考えても森の中に自然発生するものではないし、側面の不自然なほどの白さは森のポケモンが作りあげるようなものでもなかった。
——ニンゲンかな。
どくり、鼓動が早まる。
住処からこんなに離れたところまで走ってきた甲斐もあったなと、ついつい口元が緩んだ。
しかも、この大きさならばもしかするとニンゲンの住処の跡かもしれない。
ニンゲンのことを知る手がかりが、あるかも、しれない。
鼓動が早まるほどに、進める足は慎重になっていく。
一歩、二歩、真っ白な箱が近づく。
こつんと足に何かが当たった。
形はそれほど鋭い形状でもないけれどシュバルゴの槍のような、でも色は何かを警告するような真っ黄色。
槍の根元が広がって四角になっているのは、立てておくためかな。
周りを見れば同じ黄色の槍がいくつも落ちている。
槍と槍は槍の先端についている紐で繋がれていた。
これもニンゲンが作ったものなのかな。形を見るに、バリケードか何かだったのかもしれない。
足元にも注意しながら歩を進めて、ニンゲンの住処らしき箱にたどり着いた。
箱の側面、白い壁を恐る恐る触る。
ぴとり。冷たい。
手の熱がどんどん奪われていくのを感じる。
手を離して、見上げる。
上の方は枯れてしまったツタの残骸がいくつも残っていた。
壁沿いをまた慎重に歩く。
一つ角を曲がると——これが入口かな。
なるべく体を出さないように、中を覗き込む。
方向が悪いのか月明かりもほとんど差し込んでいない内部は、真っ暗で全然よく見えなかった。
変に燃えるものが中にあっても困るし、安全を確認するまでは枝に火を灯すことはできない。
真っ暗なまま住処の中に足を踏み入れた。
一歩、二歩、三歩。
ボッ。
前方に真朱色の光が弾けた。
思考が止まる。
火だ。
自分が出したものではないだとかそういうことを考えるよりも先に、反射的に炎から距離を取るように跳ぶ。
すぐ横には壁があって、腕と頭をぶつけてしまった。
「いたっ……」
バン、と鈍い音が響いて思わず声が出る。
「だ、だいじょうぶ⁉︎」
頭上からの声。
弾かれるように見上げるが天は暗がりが広がっていた。
間違いなく何かがいる。
「驚かせちゃってごめんなさい」
高いとも低いとも言い難い妖しげな声と共に小さな橙の炎が次々灯る。
ぶわっ、空気を焼いて一際大きな炎が真ん中に燃え上がった。
少し潰れた球のような形の体は中に淡く暖かい橙色の燭光がゆらめいていた。
ぶつけた壁にそのまま背中を押しつけて、揺れる炎を睨みつける。
「怖がらないで。食べたり、しないから」
不思議と耳に馴染む声に、一瞬警戒を解きそうになってしまった。
枝を正中線に構え、勢いよく炎を発射する。
わたしの炎は謎のポケモンをパクリと飲み込んだ。
「わっ……」
天井の声が跳ねる。
一瞬効果があったかと思うもしかし、謎のポケモンの頭の炎はわたしの火炎を全て平らげてしまった。
頭の炎がより一層強く燃え上がった。
「……びっくりした。キミ、炎が出せるんだ。じゃあボクの火は消させてもらうね」
そう言うとたちまち朱の光が全部消えて、辺りは元の暗闇に戻った。
代わるようにわたしは枝の先に灯りをつける。
相手の思惑通りなのは納得いかないけれど、暗闇の中では何をされるのかわからないから仕方がない。
でも一方で、このポケモンは敵ではないような、そんな気もしていた。
「ありがとう」
わたしの灯りに照らされたそのポケモンは、なぜかお礼を口にした。
一体なんなんだろう。
「ボクはシャンデラ。キミは?」
「……テールナー」
「それで、どうしてこんなところに入ってきたの?」
わたしを見つめるその瞳は、子供のような、満月のような、まん丸で濁りがない。
急に入ってきたわたしのことを警戒したりはしないのかな。
「この箱はなんなの?」
「箱……? この建物のこと?」
「タテモノ……?」
知らない言葉だった。
「えっと、住処、かな」
「それは……ニンゲンの?」
シャンデラの頭から火柱が立った。
シャンデラのまん丸の目は、大きく開かれていた。
咄嗟に手の枝を構える。
「あ、その、ごめん」
シャンデラは恥ずかしそうに両腕を揺らした。
「……キミは、ニンゲンのことどう思ってるの?」
「わたしは、ニンゲンのことをもっと知りたいの」
「もっと知りたい? 嫌いじゃなくて?」
手の枝を構えたまま、ゆっくりと頷く。
「ここのポケモンたち、ニンゲンのことを話すとすぐに怒るから少し悲しかったんだ」
びくりと頭が勝手に跳ねて、わたしはシャンデラを凝視した。
シャンデラはそんなわたしにびっくりしたのか、わたしをまっすぐ見つめてくる。
「あなたもニンゲンのことを知ってるの? どうして?」
シャンデラの言い草は、まるで自分がニンゲンのことをよく知っているみたいだった。
それこそ前にニンゲンと関わったことがあるみたいに。
「どうしてって、ボクは元々ニンゲンと一緒に暮らしてたんだ」
でんきわざを受けた時のように、全身に電流が流れた気がした。
シャンデラは間違いなくニンゲンと親密に関わっている。
願ってもないことだった。
ニンゲンを敵視するポケモンがほとんどを占めるこの森で、ニンゲンのことをなんとも思っていないポケモンを探すのだって難しいのに、まさかニンゲンと暮らしたことがあるだなんて。
その言葉を聞いてもなお信じられない。
話を聞きたい。なんとしても。
「ねぇ!」
自分でも思っているよりずっと大きな声が出た。
シャンデラがびくりと縮こまる。
「……急にごめんなさい。その、わたし、ニンゲンのことを知りたいの。ここに来たのもニンゲンがいた痕跡があると思ったからで……」
その先を考えていなくて、語尾が弱まってしまった。
正中線に枝を構え続けていた腕も重さに従って落ちていってしまう。
シャンデラは困惑したようにゆらゆらと体を揺らしていた。
「えっと……ボクの話を聞きたいってこと?」
すぐさま頷いて肯定した。
「うんと……いいよ」
にこりと笑って、シャンデラはわたしの目の前に落下してきた。
着地の音は思っていたよりも軽かった。
高さはわたしと同じくらい。天井に見上げていた時よりも少し小さく感じた。
「キミはどうしてニンゲンの話が聞きたいの?」
「その……ニンゲンがどんな生き物なのか、どんな生活をしてるのか、興味があるの」
「どうして嫌いじゃないの?」
「わたしにはニンゲンが嫌いっていう気持ちがわからないの。見たこともないもの。怖いかどうかなんてわからないじゃない。だから、本当に怖いのか知りたくて」
「そうなんだ。ボクもニンゲンが怖いだなんて思ったことがないな。仲間だね」
「……あなたはどうしてここにいるの? ニンゲンと住んでいたのに」
「ボク? …………ボクはたまたまニンゲンの建物を見つけたから、住処にちょうどいいやと思ってさ」
「やっぱりこの箱はニンゲンの住処なんだ」
「うん、プレハブって言うんだ」
「ぷれ、はぶ……」
「もうずっと昔のものみたいだけれどね」
「ほかにニンゲンのものはここにないの?」
「ないよ。この中にあるのはボクが住処にするために持ってきたものだけ」
「じゃあ、あの外にある槍みたいなものは?」
「あれは……名前は知らないけど、立てて使うやつだよ。あれで中に入っちゃいけない場所を決めてたと思う。工事現場とかによくあるよ」
やっぱり立てて使うものなんだ。
「コージゲンバ?」
「えっと、ニンゲンは工事っていうのをするんだよ。自分の住んでる場所がもっと住みやすくなるようにするためにね」
「もっと住みやすく……」
「例えば道を硬い岩で覆って歩きやすくしたりとか」
「そう、なんだ」
聞いてもイマイチよく分からなかったけど、このポケモンは本当にニンゲンのことをたくさん知っているらしい。
「じゃあ、ニンゲンの住処はみんなこんな箱なの?」
「ううん、そんなことないよ。ボクが住んでた家はもっと広かったし、大きかったから」
「これは狭いんだ」
「うん、それに中には色んなものが置いてあるよ」
「そうなんだ……」
住処にするには十分すぎる大きさだと思うけれど。
ニンゲンって欲張りなのかな。
枝を持っていない手を口に当ててそんなことを考えていたときだった。
ぐぅ。
シャンデラが右腕を揺らしてこちらを見た。
目を逸らして俯く。
沈黙。
…………。
「おなか減ってるの?」
「…………」
本当のことなので、小さく頷いた。
日没後間もない時に家族でご飯を食べて以来何も食べないで森を駆けていたんだし、お腹が減るのは当然なんだけど。
……はずかしい。
俯いていると、視界に紫色が飛んできた。
「これ、あげるよ」
顔を上げると、シャンデラがサイコキネシスで目の前にカシブのみを差し出していた。
「……いいの?」
「うん、食べるものは多めに取ってあるから」
そう言うもののシャンデラはカシブのみをこちらには渡さず、自分の頭上に持っていく。
少し首を傾げた。
「あ、えっと、カシブのみ、美味しい焼き方があるんだ。いつも頭の炎を使ってやってるんだけど……」
シャンデラが言葉を濁す。
「焼いてくれるの?」
「頭の炎を燃やすには誰かの生気を吸わないといけないから……嫌だよね」
「動けなくなるとかなら嫌。わたしが焼いちゃダメなの?」
「うーん、火加減と時間が難しいんだ。生気を吸うとはいっても体に支障はないくらいだと思う」
相手の生気を吸おうだなんて少し怪しい気もしていたけれど、何故かわたしは心を許しかけていた。
「じゃあ、お願いしようかな」
「わかった、焼くよ」
言葉と共にシャンデラの頭が鮮やかなオレンジ色に燃え上がる。
同時にわたしの体を少しの浮遊感が襲った。
頭が働かなくてぼーっとする。
力が入りづらくなって、自然と口が開く。
でも不思議と心地よかった。
綿に包まれているようなふわふわとした気分でチリチリと実が焦げる音を聞いた。
「——できあがり」
気づくと辺りはまたわたしの火だけで照らされていて、目の前に笠の開いたカシブのみが差し出されていた。
「あ、ありがと」
すっかり油断してしまっていた。
恥じながら木の枝を尻尾に差し、カシブのみを受け取る。
温かい。
シャンデラがじっとこちらを見るのに気づかないフリをして、小さく一口齧る。
温かくて優しい甘さが口に広がった。
「……おいしい」
そんな言葉が思わず口をついて出た。
ちらりとシャンデラの方を見やると、シャンデラはやはりわたしを見つめていた。
目の前のカシブのみに視線を戻して逃れる。
ふたくち、みくち、今まで食べたことのない美味しさで、ついつい食べ進めてしまう。
——いや。
本当にこれを食べてよかったのかな。
生気を吸い取ることもそうだし、知らないポケモンに知らない場所でもらった食べ物をそのまま食べるのはあまりにも迂闊だった。
ニンゲンのことをいきなり聞くことができた興奮でつい警戒心が薄れてたかも。
カシブのみに顔を向けながら、シャンデラの顔を盗み見る。
目が合う。
「…………おいしい?」
見つめていると、シャンデラはまた体を揺らす。
濁りのない微笑みにしか見えなかった。
それすらも図っている可能性は十分あるのに、なぜかこのポケモンはわたしには絶対に害をなさない気がした。
「…………」
ひとつ頷いて、わたしはまたもらったカシブのみを食べた。
ひとまずもう少し、気を許していても大丈夫そうかな。
せっかく見つけたニンゲンの手がかり、もう少しは話を聞き出したいし。
そんなことを考えているうちにカシブのみは最後のひとくち。
食べ切って尻尾の木の枝を手に取った。
「気に入ってもらえて嬉しいな」
「……うん、おいしかった」
「ボク以外のためにきのみを焼くなんて久しぶりだったから」
「昔は誰かのために?」
「うん、トレーナーのために」
「とれーなー?」
「えっと、ポケモンと過ごしているニンゲンのこと」
ポケモンと過ごしていないニンゲンもいるの?
それを聞こうと思いながら、ふと外に目が行った。
月明かりが直角になりつつある。
もう帰らないと、ただでさえ足りない寝る時間がなくなってしまう。
「そろそろ帰らなきゃ」
「帰るの?」
シャンデラはさっきとは打って変わって残念の気持ちが顔に現れていた。
「うん、帰らないと……」
ただ、帰る前に——
「ねぇ」「あの」
声が被った。
バツの悪い間。
わたしから間を埋めにいった。
「……また来てもいい?」
「うん、ちょうど同じことを言おうと思って」
帰る前にまだ話を聞き出せるように取り付けておかないと。
そう思っていたら、向こうも同じことを思っていたみたいだった。
「ボクの話を聞いてくれるポケモンはあんまりいないから」
シャンデラがなんでわたしと話したいのかは分からないけれど。
「うん……じゃあ、また」
一刻も早くとわたしは駆けてニンゲンの住処を去った。
第二話:火先
「おきて! おなかへった!」
体が揺らされるのを感じて、目が開いた。
ぼんやりとした意識が、眠りから覚めたという自分の状況に気づくのに数秒。
「ん……なに……?」
ぼーっとわたしの体を揺らす妹を見る。
「もうお母さんがきのみ焼いてるよ。食べる前におねえちゃん起こしてきてって」
ぺし、とわたしの手を踏んづけ、妹はお母さんの方にかけていった。
まだ進化してもいないのにわたしを真似して小枝を差した尻尾見送って、改めて真上を見て寝転がる。
シャンデラ。不思議なポケモンだった。
目を瞑ると、色鮮やかなオレンジの炎がすぐに思い出せた。
ニンゲンのことに詳しそうだし。
なんでニンゲンのこと詳しいんだろう。
…………。
もう一回眠っちゃう前に起きなきゃ。
むくりと起き上がる。
うう、寒い。
夜は夢中で走っていたから気づかなかったけれど、まだ朝晩は冷え込む。
体の芯がまだ眠っているみたいに気だるい。
昨日はいつもより寝るのが遅かった。
夜に抜け出しているせいで寝る時間はいつもあまり多くないけど、今回は話していたから余計に遅い。
「眠れなかったか?」
眠い目を擦っていると、お父さんがチラッとこちらを見た。
ニドキングなだけあって、座り方や眼光にすごく威厳がある。
夜に抜け出しているのを隠しているからか、見透かされそうなその目が少し怖く感じた。
「うん……寝付けなくて」
「そうか。何か悩んでるなら言えよ」
お父さんはまた焼きナナシのみをかじり始めた。
……言えないよ。ニンゲンに興味があるなんて。
言ったらまた怒られてしまう。
『ニンゲンは野蛮で残忍で危ないから』って。
頭上の木から漏れ出てくる日の光で暖まりたくて、妹の隣に座った。
「ほら、これ食べなさい」
お母さんがサイコキネシスでわたしの前にマゴのみを置いた。
少し焦げ目がついたマゴのみを両手で受け取る。
温かい。寒い朝には余計に温かい。
焼かれて柔らかくなった果実を一口齧ると、温かさと強すぎない優しい甘さが口に広がる。
いつもより少し甘さが物足りない気もするけれど、おいしい。
もぐもぐと咀嚼しながら、手持ち無沙汰で横を見る。
横にあった大きな草には朝露がついていて、木漏れ日を浴びて輝いていた。
雨でも降ったのかな。でもわたしたち全く濡れてないし。
わたしたちの住処は木の根元の草むらを少し囲うように残し、あとを燃やして草を敷いただけのもの。
雨が降っても木が雨を防いでくれるから寝ていてもあまり気にはならないけど、体が何も濡れてないなんてことはない。
寝る時に被る大きな葉っぱくらいはあるけれど、ヒトカゲさんちみたいに雨を完全に防ぐ必要はないから、これで十分。
雨じゃないなら、やっぱりニンゲンなら理由がわかるのかな。
なんでもニンゲンは、カガクという力を使ってこの世界の現象がなぜ起こるのかが分かると聞いたことがある。
この朝露の理由もわかるのかもしれない。
綺麗だな、とぼんやり露を眺める。
木漏れ日を浴びて光る水滴を見ていると、また昨晩のことを思い出した。
シャンデラはこの朝露の話も知ってるのかな。
流石にニンゲンじゃないからわからないかな。
もっとニンゲンのことを知りたいと思って、少しずつ探してどれくらいか。
一晩でいきなりニンゲンの住処を見つけて、しかもニンゲンのことを知ってるポケモンに会えて。
何度思い返しても、なんだかまだ現実じゃないみたいに感じてしまう。
何を聞こうかな。
すぐには思いつかなかった。
いざ聞けるとなるとニンゲンについて何を知りたかったのかあやふやだった。
黙々とマゴのみを食べすすめながら、聞きたいと思っていたことを思い出そうと記憶の海をかき分ける。
「ねぇ、もう一個いるの?」
お母さんの声が突然聞こえて、我に返った。
「え、お母さん何?」
「なんかゆっくり食べてるけど、一個でお腹いっぱいなの?」
「ううん、あるならもう一個食べたい!」
「そう、じゃあ私のと一緒に焼くね」
「うん!」
お母さんが焼くマゴのみは美味しい。
そのままだと皮が少し硬いのが、ちょうどよく柔らかくなる。
わたしだとどうしても焦がしちゃうから、もっと練習しないと。
こっそりニンゲンのことを考えながら、わたしは焼いてもらった二つ目のマゴのみもぺろりと平らげた。
「よし、食ったら今日は保存する食いモン探しに行くぞ」
「そうそう、向こうの池のところ、ブリーのみが食べ頃って聞いたわよ」
「ブリーのみー! やったー!」
妹とお父さんに続いてわたしも立ち上がった。
温かいきのみを食べて体も十分温かい。寒いと動きたくないけど、これなら動ける。
わたしたちはきのみ探しに住処をでた。
𖡬 𖡬 𖡬
ピリピリと冷気が鼻を刺激する、黒い空気の中を夢中で駆けた。
急ぎたい。少しでも多くシャンデラからニンゲンの話を聞きたい。
家族が寝静まってからゆっくりと抜け出してきて、もうしばらくが経つ。
そろそろ着くはず。
目の前に大きな倒木が暗く横たわっていた。
いつもならゆっくりジャンプするところだけど……っ!
わたしは尻尾に差した枝を引き抜いて、思いっきり跳んだ。
空中で枝にまたがって、ジャンプの頂点で、炎を発射!
わたしの体は炎の勢いに乗せられて前に急加速する。
倒木を飛び越えて着地した。
体に集まった炎の力で、わたしは今までよりも速く地面を蹴る。
ニトロチャージで早くなった足では、目的地はすぐだった。
河原のころころした石を、今度は一歩ずつ踏み締める。
もう知っている場所だから慎重にする必要はないけれど、なんとなくそろりそろりと警戒歩き。
バリケードらしい黄色の槍を跨いで、一直線に入り口へ。
……と思ったけれど、前に入った入り口はなにかで閉じてしまっていた。
入り口を塞ぐ板を押してみる。びくともしない。
板には丸くて手に持てるくらいの突起がついていた。
引っ張ればいいのかな。
何度か引っ張ってみても、ガタガタと板は揺れるだけ。
どうすればいいんだろう。他に入り口があるのかな。
突起から手を離し、どうしたものかと考えていると。
板がガチャリと音を立てて、奥側へ開いていった。
見えた住処の内部でボウッと明るい色の炎が燃え上がる。
「来てくれたんだね、ありがとう」
シャンデラはニコリとこちらに微笑みかけてきた。
「昨日、また来るって言ったから」
「うん、嬉しいよ」
なんでこんなにも嬉しそうなんだろう。話を聞きに来ているのはわたしの方なのに。
「灯り、お願いしてもいいかな」
「うん、大丈夫」
住処……ぷれはぶの中に入って、枝に火を灯す。
代わるようにシャンデラの橙色の炎が暗闇に溶けていった。
「ごめんね、今日は扉を閉じてて」
「とびら……あの板のこと?」
さっき入り口を塞いでいた板に、火のついた枝を向けてみる。
「そうそう。住処にポケモンが入ってきたりしないようにつけられてるんだよね」
「開かなかったのはどうして?」
「そういう風にニンゲンが作ってるんだよ。こっちに来てみて」
とびらに近づくシャンデラについていく。
「板の横に出っ張りがついてるでしょ? これが、こいつを、ドアノブを回すと引っ込むんだ」
「わぁ……!」
「仕組みはこれだけ。簡単だよ」
「この回すやつは、金属だよね」
「ん、そうだよ」
「ニンゲンもこんなに綺麗に金属を加工できるんだ」
「全てのニンゲンができるわけじゃないけどね」
「ポケモンもそうだもんね」
どあのぶをツンツンとひとしきりつついて、ぷれはぶの中央に戻った。
「座りなよ。これあげる」
シャンデラはサイコキネシスで後ろから大きなものを取り出す。
金属の筒でできた四本の脚を持つそれがわたしの後ろに回り込む。
青い革でできた頭は薄く平べったくて、金属の筒の脚はリククラゲのような、これは一体なんだろう。
「ニンゲンが作った椅子だよ。座った方が楽じゃない?」
「これが椅子……?」
わたしたちも住処に丸太を持ってきて椅子にしたりしているけれど、これはそんなものじゃない。
少しザラザラした青い革は押してみると柔らかいものが少し詰まっているし。
丸太と違ってグラグラ揺れないし。
まるで座るためにできたものみたい。
「切り株とかよりは座り心地もいいんじゃないかな」
試しに座ってみる。
丸太のようにゴツゴツした感触は全然なかった。
確かに丸太に座る時とはだいぶ違った。
わたしが座る分の大きさしかないから、横に手を突けないのは少し気になるけれど……。
改めて前を見る。
立っている時より少し高いくらいの目線。
なんだか落ち着かない。
「どう?」
「座ってるのに目線が高くて、変な感じ」
「そっか。ボクは座るってことがないからその感想は面白いかも」
シャンデラは楽しそうに体を揺らした。
「それで、今日は何を話そうか」
「聞きたいこと、考えてきたよ」
「ん、じゃあ教えて?」
結局いざ聞けるとなると、ニンゲン何を知りたかったんだか全然整理がつかなかった。
だから最初に聞くことは今朝のこと。
「今朝、住処の草に朝露がついてたの。でも今日もそうだけど、雨が降ってないのに朝露がつくのが不思議で。シャンデラは知ってる?」
「朝露かぁ。うーん……ボクは知らないなぁ」
「そっか」
「どうしてボクに聞いたの?」
「ニンゲンはこういう不思議なことがどうして起きるのかを知ってるって聞いたことがあるから」
「確かに、ボクは全然知らないけどニンゲンなら知ってるかもしれないね。朝露は寒いとできるから、寒さから何が起こるのか、ニンゲンならわかるのかも」
「やっぱりニンゲンなら分かるんだ」
「うん、ニンゲンは科学っていうのを使って不思議なことをするんだよね」
「カガク!」
聞いたことのある言葉が出てきて、つい声が大きくなった。
洞窟みたいに、声がぷれはぶの中に反響する。
はずかしい。
「知ってるの?」
「う、うん。わたしが小さい頃、ニンゲンのことを知ってるポケモンがいたの。そのポケモンにニンゲンの話をよく聞いてたから」
「他にもボクみたいなポケモンがいたんだ。やっぱりニンゲンといえば科学だよね」
「やっぱりそうなの?」
「うん。ボクもよく知らないけど、ニンゲンは色んなものを科学で作るんだってテレビで言ってた」
「て……び?」
「えっと、テレビはボクもよく知らないんだけど、小さい箱の中でニンゲンやポケモンが動いてて、色んなことを教えてくれるんだ」
小さい箱の中でニンゲンやポケモンが動く?
小さいのに、ニンゲンは入れるのかな。
ポケモンは小さくなれるけれど。
「不思議。それもカガクで作るの?」
「多分そう。椅子もテレビも科学の力で作ってると思う」
「炎を出したりできるし、モノも作れるんだ……。カガクって変なの」
「そうかも。でも便利だよ」
「ふーん……」
カガクのことは知りたいと思ってたけど、余計に訳がわからなくなった。
なんでもできる不思議な力としか思えない。
ニンゲンはすごいなぁ。
それから、カガクで作れるものの話をいくつか聞いた。
特別詳しいわけではないとシャンデラは言うけど、ニンゲンと一緒にいると勝手にわかるものなのかな。
話しながらそう思索を巡らせていたとき。
ぐぅ。
……さっきからお腹が減ったなぁとは思ってたけど、やっぱり鳴った。
「きのみ食べる?」
「…………たべる」
「ボクが焼いてもいい?」
目を逸らしながらシャンデラの問いに頷く。
シャンデラの頭からぼふっと明るい火が昇った。
ブンブンと頭を振ってから、わたしから目線を逸らすシャンデラ。
恥ずかしそう……?
昨日もそうだし、びっくりした時には炎が出るんだろうか。
びっくりすることもなかったと思うけど。
「そ、そうだ。キミはいつもなにを食べるの?」
「え? きのみとか、あとは小枝と葉っぱ」
シャンデラはカシブのみを焼きながら、
「小枝を食べるの?」
「フォッコ時代からずっと小枝をおやつにしてるの。多分フォッコはみんなそうだと思う」
「そうなんだ。食べてみようかな」
「わたしたち以外で美味しいって言ってるポケモンは見たことないけど」
「やってみないと……わからないよ!」
急に元気に宣言してきた。
「うーん……じゃあ、マゴの木の枝は少し甘くて好き」
「マゴの木だね、今度試してみようかな」
確かに、案外ほのおタイプならみんな美味しく食べるのかもしれない。
わたしも美味しいと思ってるし。
「シャンデラはなにを食べていたの?」
「きのみだよ。シャンデラは生命力をエネルギーにしたりもするんだけど、ボクはあんまり好きじゃないから」
「あ、えっと、ニンゲンの世界の話を聞きたかったの」
「そっちか! えっとね……」
シャンデラが喋り始めてから、ふとさっきの発言が引っかかった。
ゴーストタイプは他のポケモンを生命力にしていることは多い。
シャンデラというポケモンが生命力をエネルギーにしていることは全然不思議ではない。
じゃあなんでこのシャンデラは生命エネルギーを取らないと言ったのかが気になる。
単に味なんかが嫌いなのか、それとも何か理由があるのか。
そう言ってわたしを騙しておいて、実は生命エネルギーを吸っています、とか?
あり得るけど……そんなことはしない気がする。根拠はないけど、なんとなく。
「そう、ニンゲンは色んなものを料理して食べるんだけど、ポケモンもニンゲンの作った食べ物を食べるんだ」
「ニンゲンがポケモンの食べ物を作るの?」
「うん。ニンゲンの世界にはポケモンフーズっていうのがあって。きのみも他のポケモンは食べたりしてたけど、ボクは大体ポケモンフーズだったな」
「どんなものなの?」
「うーん、ちょうどいいものはあるかな……」
シャンデラは少し困った顔で、カシブのみを焼きながらも、ぷれはぶの奥に行ってしまった。
「…………?」
「うーん、まぁこのくらいかな」
シャンデラの元からなにがか飛んできた。
手を構えて受け止めようとすると手前で止まる。
これは……何かの茎?
三股に分かれた細い茎は、サイコキネシスで器用にキュッと結ばれて、緩やかな結び目を作った。
両の手のひらを差し出すと、結び目がちょこんと乗った。
片手にも十数個乗りそうな、そのくらいの大きさ。
「これは……?」
「クラボのみの茎だよ。ポケモンフーズはそのくらいの大きさだったと思う」
クラボのみ。
だから茎が分かれてたんだ。
「結構ちっちゃいんだ」
「うん、大きさはそのくらいで、筒の形をしてた」
「こんなので足りるの?」
「小さい分というか、たくさんあったんだ。ブリーのみは房にたくさんきのみがついてるでしょ? あんな感じ」
「いっぱい食べるんだ。美味しいの?」
「うーん、美味しい時と美味しくない時があるんだよね」
「味が変わるの?」
「うん、見た目は大体同じなんだけど、すごく苦い時とか、甘い時とかがあった」
「……不思議」
「体調が悪い時は大体苦かったから、多分ニンゲンが何かを混ぜて作っていたんだと思う。体にいいものとかね」
「体調も治せるんだ……ニンゲンってすごいんだね」
「うん……すごいんだけど、あんまり苦いのばっか食べさせないでほしかったなぁ」
味を思い出したように。シャンデラは苦笑いする。
「もしかして、何か病気なの?」
苦いのばっか、なんていうから少し気になってしまった。
シャンデラの苦笑いが少し苦さ多めになる。
「あはは……昔はね。今は元気だよ」
「ふーん、そっか。それもニンゲンが治したの?」
「んー、うん、そうだよ」
「わたしも会いたいな」
クラボの茎を、つまんでくるくるともてあそぶ。
「……そろそろかな」
シャンデラの赤い炎が消えて、光がわたしの枝先の炎だけになる。
こんがりと焼き目がついたカシブのみが、ニンゲンの椅子に座ったわたしの目の前に飛んでくる。
クラボの茎を枝に差して、手を出してカシブを受け取った。
昨日と同じ温かさ。
チラリとシャンデラを見る。
「食べないの?」
「ううん、もらうね」
カシブの端を、ひとかじり。
歯を立てると果肉が柔らかく潰れて、濃厚な甘さが溢れてくる。
かじった断面から上がる湯気が、爽やかに香った。
「どう?」
「……うん、おいしい」
シャンデラからの問いかけに、飲み込んでから答える。
「そんなに美味しそうに食べられると、嬉しいな……」
シャンデラが相好を崩した。
そういえば、このきのみはどこで採ったんだろう。
カシブのみはものすごく珍しいきのみってわけではないけど、わらわらと生えているようなきのみでもない。
不思議な力を持つとも言われていて、お守りにしたりもする。
お守りはともかく、味が好きだからたくさん食べられたら結構嬉しいかも。
「ね、シャンデラ。きのみはいつもどこで採ってるの?」
「うーんと、そこに流れてる川を渡って、少し行ったところ」
「川を渡ってさらに行くの?」
今いるこのぷれはぶでも、森の中心部と比べるとニンゲンの生息地に近い。
ここからさらに川の向こうまで行ったら、もう大分ニンゲンに近い場所だ。
「うん、ポケモンがあんまりいないから」
ポケモンがあまりいないのも、同じ理由。
ニンゲンのことを嫌うポケモンは、ニンゲンが来る可能性が高いところには住まないから。
今の所ニンゲンに会ったことはないけど、わたしも何度も川の向こうへ行っている。
「どうして? そんなに気に入ってくれた?」
シャンデラがわたしの目を覗き込むように見つめてくる。
正直かなり気に入ってる。
でも、そう直接聞かれるとなぜか少し気恥ずかしかった。
「う、うん。結構好きな味」
シャンデラから目を逸らして、なんとなくとびらを見る。
「じゃあ……明日一緒に行ってみない?」
思いもよらない提案だった。
なにを考えているのだろうとシャンデラを見たが、ほのかに笑っているだけでよく分からない。
「明日って、お昼?」
「うん。いや、ただの思いつき。急だから全然断ってもらって大丈夫」
フフフ、と笑うシャンデラは、妖しげな雰囲気の中にどこか無邪気さがあった。
「んー、じゃあ」「あ、でも」
行こうかな、と言おうとしたら、シャンデラの声にかき消されてしまった。
「えと、ごめんね」
「ううん、なに?」
「いや、ボクがニンゲンのことをよく思っているのは周りも知ってるから。あまりボクと一緒にはいない方がいいかもって思って」
確かに、それは少し気になる。
『ニンゲンは野蛮で残忍で危ないから』
お母さんの声を思い出す。
森にいる全ポケモンが親ニンゲン派のポケモンを避けたりとか、そういう話では流石にないのだけど。
それでも親ニンゲン派のポケモンを疎んだり、嫌がらせを行うポケモンもいる。
シャンデラはたぶんそれを気にしているんだと思う。
「うーん、確かに他のポケモンに見つかるのはちょっと嫌なんだけど……」
「や、やっぱり嫌だよね……ごめん」
シャンデラがしょんぼりと目を細める。
そこまでしょげられるとわたしとしてもちょっと罪悪感がある。
念のためというだけで、実際はこの辺りに知り合いなんていないだろうし。
それにカシブのみも、川の向こうも、気になってはいる。
「でもお願いしようかな。明日のお昼。ここに来ればいいの?」
ぶわっとまた橙の炎が一瞬燃え上がる。
見開かれたシャンデラの目が、炎の色にキラキラ光る。
「うん、ここでいいよ!」
な、なんだか分かりやすいポケモンだなぁ。
「でも大丈夫なの? 思いつきだから全然ボクに気は使わなくていいんだけど」
「お母さんがニンゲンのこと嫌いなの。ニンゲンのこと探してるとすぐ怒るから」
「そうなんだ……」
「でもこんなところまで来ないし、多分大丈夫だと思う」
「なら、よかった」
「うん。……なんでみんなニンゲンのこと嫌いなんだろ」
ぽつりと呟いた言葉は、ぷれはぶの中で嫌に響いた。
「仕方ないよ。ニンゲンに傷つけられたポケモンだっているんだし」
シャンデラも呟いた。
それは、わかってはいる。
ニンゲンは資源を取るために棲家の木を切り倒す。
ニンゲンは従えたポケモンで森のポケモンたちを攻撃する。
ニンゲンは、面倒を見ていたポケモンを自分勝手に野山に捨てる。
それだけ聞くと、やっぱりニンゲンは悪いやつに思える。
ニンゲンから身を守るためにも、ニンゲンを嫌うのは正しいのかもしれない。
でもわたしはそれをしているニンゲンを見たことはない。
昔ニンゲンと暮らしていたポケモンから聞いた話の中のニンゲンは、優しくて楽しそうだった。
悪いニンゲンがいたとしても、いいニンゲンもいるんだと思う。
「ポケモンにいいポケモンと悪いポケモンがいるのと、同じなだけだと思うんだけどな」
「うん、ボクもそう思う。ニンゲンが嫌いなポケモンも間違ってるわけじゃないと思うけどね」
「…………」
「キミはなんでニンゲンのことが気になるの?」
「それはみんながニンゲンのことってなると口を揃えて悪くいうのがなんか嫌で」
それもあるけど、本当は子供の頃に聞いたニンゲンの話が楽しそうだったから。
シャンデラにはなぜかもうかなり心を許してしまっているところがあるけど、この話だけはまだ秘密。
「ふーん、そっか。でも、ニンゲンとポケモンが同じなんて話したの初めてだ」
あまり前向きな話はしていないのに、シャンデラは楽しそうだった。
「……そうかも」
なんかおかしくて、わたしも少し笑えてきた。
「じゃあ、明日の昼だよね」
「うん、来る」
「待ってるよ」
ふいと向こうの壁を見やる。
何でできているのか、透明で外の様子が見られる板がはめ込まれている。
月の光があまり差さなくなっていて、夜も更けてくることを教えてくれた。
「そろそろ帰ろうかな。話もちょうどいいし」
「うん、また明日」
シャンデラにひとつ頷いて、わたしはぷれはぶを出た。
河原のころころした石を踏んで歩く。
ニンゲンについて思うことなんて、話したのは初めてかもしれない。
少し、楽しかった。
なんとなく上機嫌に、わたしは森の中を駆け抜けた。
第三話:弄火
ぽかぽかと暖かい木漏れ日を浴びて、ぐいっと伸びをする。
頭上を見上げると、木々の葉が揺れて空をきらきら輝かせていた。
ひんやりした空気が鼻先を撫でても、日差しの熱には敵わない。
モモンのみとオボンのみでお腹も満たされて、いい朝だ。
あとは川の向こうへ行く準備。
といっても持っていくのは、ビアーの枝で編んだきのみカゴくらい。
さぁさっさと行こう、というところで後ろから低い声。
「どこか行くのか?」
急に話しかけるお父さんの声は一瞬心臓が跳ねてしまう怖さがある。
「うん。友達ときのみ取りにいく」
「そうか。多くなってたら夕食分でも取ってきてくれ」
本当は全然怖いわけじゃなくて、子供想いのお父さんなんだけど。
優しいことはわかっていても、ドスの聞いたこの声はやっぱり怖い。
今は隠し事があるせいかもしれない。
「どこのきのみなの?」
続けてお母さんも話しかけてきた。
またビクリと心臓が跳ねる。
今度は声が怖いわけではなくて、話題があまり思わしくない。
行く場所はできれば言いたくない。
川がニンゲンの棲家に近いのは誰でも知っている。
言えば小言が飛んでくるのは分かりきっていた。
でも、嘘を言ってもバレた時が面倒だった。
ここで嘘をついたことがバレれば、またニンゲンの手がかりを探しに行っていることは確実に分かってしまう。
ここは素直に言うしかないかな。
「……向こうの川の方。カシブが生ってるんだって」
「向こうの川?」
お母さんの声が大きくなる。
「あんたまたニンゲンのこと探してるんじゃないでしょうね?」
「違う!」
ほらやっぱり。
もう聞き飽きた話だったせいで、反射的にわたしも叫んでしまった。
お母さんは訝しむ目でわたしを見る。
「向こうの川なんてもうニンゲンの住処がすぐそこじゃない。本当に違うの?」
「違うよ、うるさいなぁ。きのみ取りに行くだけ」
「前もあっちの方からニンゲンのモノ持ってきてたから言ってるの!」
「…………」
「ニンゲンじゃなくても、ニンゲンに使われてたポケモンには近づいちゃダメだからね? 昔事件に巻き込まれたんだから……」
「…………」
あれは事件なんかじゃない。
わたしは楽しくニンゲンの話を聞いていただけなのに。
「聞いてるの? もう、やっぱりあの時誑かされたんじゃないの?」
ぼそっと呟いたお母さんの言葉はしっかりわたしの耳に入った。
「誑かされてなんかされてない! とにかくもう違うの!」
違う。わたしがおかしいんじゃない。
みんなの方がおかしいのに。
「そんなムキになって、やっぱり隠れてニンゲン探してるんでしょう!」
「ニンゲンなんか探してない!」
「ニンゲンが好きなポケモンも危ないんだからね!」
「何回も言わないで!」
「……待て」
わたしとお母さんの怒鳴り合いを一喝する低い声。
それまで黙っていたお父さんがわたしを見ていた。
「お前が心配なんだ。俺も、マフォも」
「……うん」
こうして怒られるのが心配してもらえているからなのは、頭ではわかってる。
でも……。
「俺たちが勝手に心配しているだけかもしれない。でも心配なモンは心配だ」
「…………」
口を開くことはできなかった。
眼光が怖いからというよりは、正しいことを言っているから。
わたしだって、お父さんやお母さんが嫌いだから迷惑をかけたいってわけじゃない。
お父さんがお母さんに向き直る。
「マフォも、心配なのはわかる。でもあの言い方じゃ伝わらないんじゃないか」
「……そう、ね」
「俺も同じ気持ちではある。でも、コイツは俺たちのモノじゃない」
「…………」
お母さんも言い返しはしなかった。
お父さんは再びわたしを見据える。
睨まれるような目力に、少しすくみそうになった。
「俺はお前じゃない。だからお前の気持ちは完全にはわからない。代わりに、お前がやりたいことを止めることはできない」
「…………」
「止めはしないが、心配までは俺たちにもさせてくれ」
「……うん」
「母さんも言い過ぎたし、まぁ川付近までならまだ大丈夫な範囲だろう。母さんも、いいよな?」
「……ちゃんと周りを警戒してね?」
「……うん」
「少しでも危なそうだったら、ちゃんと友達と逃げてね?」
「……うん」
「行ってこい」
「……ありがとう」
お父さんとお母さんの言葉に、絞り出すように返事をする。
走るのも逃げているように思われそうで、ゆっくり歩いて棲家を後にした。
𖡬 𖡬 𖡬
もやもやと黒い霧が頭の中に立ち込めていた。
ぷれはぶへと走る足も鈍ってしまう。
考えていたのは、ニンゲンのこと。
お母さんが心配している理由は、わかっていないわけではない。
わたしは昔、ニンゲン関連で事件に巻き込まれたことがあるから。
……あれは事件なんかじゃないんだけど。
でも、一度あったのだから神経質になるのはもちろんわかる。
わたしが嫌いなわけでもない。
それに、お父さんが言っていることはすごく正しかった。
わたしが決めることではあるけど、心配はさせてほしいという言葉。
子供の心配なんてしている場合じゃないポケモンもいる中でわたしが幸せなのはわかる。
心配をかけるようなことをするのは正しいことではないと思う。
思う、けど。
でもわたしは、ニンゲンだからと全部嫌うのは正しくないと思う。
それが本当に正しくないのかをきちんと調べることは正しいと思う。
ニンゲンを調べると、心配をかける。
正しいことをすると、正しくなくなる。
わたしは、どうすればいいんだろう。
ニンゲンのこと、調べない方がいいのかな。
「……あ」
そんなことを考えていると、視界が開けて河原に出た。
どうしよう。
一瞬迷ったけど、ここまで来ておいて帰るのもよくわからない。
約束もしているし。
逡巡の末、一歩踏み出して河原の石を踏み締めた。
木陰から出て、太陽が照りつけてくる。
から、ころ、からん。
踏みしめると河原の石が転がって音を立てる。
足が何か軽くて大きいものに当たって、がたんと音を立てた。
円錐型のバリケードだった。
黄色いシュバルゴの槍のようなそれも、ニンゲンのもの。
……やっぱりもっとニンゲンのこと知りたい。
河原の石をゆっくり踏み締めて、ぷれはぶに近づく。
入り口のあの板は——とびらはどうやって開けるんだっけ。
歩きながらそう考えていると、とびらがひとりでに開いた。
とびらの後ろから、シャンデラの細い腕が見える。
一瞬わたしの考えていることをとびらが読み取って開いたのかと思ったけど、そんなことはなかったらしい。
「おはよう」
「あ、おはよう」
シャンデラは上機嫌に微笑む。
その丸い瞳には、やっぱり邪気は感じない。
『ニンゲンが好きなポケモンも危ないんだからね!』
お母さんの言葉が聞こえた気がした。
シャンデラは危ないのかな。
でも、わたしに危害を加えるつもりなら、最初の日にカシブのみを食べた時点で十分に色々できたと思う。
危なくない、と、思うけど。
「大丈夫?」
声でハッと我に返った。
いつの間にか少し俯いていたわたしを覗き込むまん丸の瞳。
「えと、うん……」
「何かあったの?」
「あー、ちょっとだけ」
「そっか。ボクに話して楽になるなら聞くよ」
シャンデラは視線を川の方に向けて、言いたくないなら全然言わなくてもいいけど、と付け加えた。
「……お母さんと、ちょっと喧嘩して」
「お母さんと?」
「うん、川の方に行くって言ったら、またニンゲンのこと探してるじゃないかって言われて」
「ニンゲンのこと嫌いなんだっけ?」
「そう。いつも言われるから、ついつい違うよって怒っちゃって」
「うーん、口うるさく言われると嫌なことはあるよね」
「うん……お母さんもわたしのこと疑ってると思う」
「まぁでも、お母さんも心配なんだと思う。いいお母さんだね」
『心配までは俺たちにもさせてくれ』
お父さんの言葉。
「でも、わたしも間違ったことはしてないと思うんだけどな……」
走っている間に溜まった疲れがのしかかってきて、少し疲れた気がした。
くわ、とあくびを噛み殺す。
「眠い?」
シャンデラがあくびを見逃さずに聞いてきた。
「少し……最近あまり寝てなかったし」
「きのみは昼寝してからでもいいよ?」
「んー……」
正直なところは、少し眠りたい気分だった。
でも、お母さんの言葉が気にかかる。
従うのは釈然としないけど、確かに危険は森よりも大きい場所ではある。
それに、シャンデラだって寝るほどに安心していいかはまだわからない。
「ううん、大丈夫」
「そっか」
「うん……今日帰ったら、しばらくこの辺に来るのはやめておこうかな」
それはここに来る間にも考えていたことだった。
あんなにムキになったら、多分ニンゲンを探しているだろうというのは検討がついてしまう。
このまま続けていればそのうち見つかってしまうかもしれない。
一旦誤魔化すためにもしばらくは素振りを見せない方がいい。
それに、機転が効かずに怒鳴ってしまったのは寝不足も少し原因な気がする。
元を辿れば寝不足なのは夜にこのあたりをうろついているからで。
しばらくは普通に過ごした方がいいのかもしれないと思っていた。
「そっか、ここに来てて寝不足になってたならごめんね」
「別にシャンデラのために来てるわけじゃないし……大丈夫」
シャンデラは口では謝りつつも、残念な気持ちがすごく顔に出ていた。
理由はわからないけど、シャンデラもわたしと話したがっていた。
だから残念に思っているのは、不思議だけどおかしくはない。
「とりあえず今日は大丈夫。きのみ取りにいきましょ」
当初の話で、話を逸らした。
きのみカゴをシャンデラに見せつける。
「そうだね……わ、それは?」
「これ? きのみのカゴ」
「すごいね、どうやって作ってるの?」
「ビアーの枝を編んでるの。ビアーの枝はツタみたいに柔らかいから、色々作ってて」
「ビアーから作れるんだ。初めて知ったな」
「ニンゲンたちはこういうの作らないの?」
「カゴはニンゲンの世界ではよく見るよ。でも枝を編んで作ったものは、ボクは見たことないかな」
「じゃあニンゲンのカゴは何でできてるの?」
「うーん、よくわからないんだよね。名前はプラスチックって言うんだけど」
「ぷらすちっく」
「うん、硬いのに軽くて、いろんな色もあって。森の中には全くないから」
「ニンゲンのところに行かないと見られないの?」
「そうだね。あー、あれはプラスチックだよ」
そう言ってシャンデラが腕を伸ばした先には、黄色のバリケードが見えた。
「あれがぷらすちっくなんだ! 確かに軽かったかも。さっきつまずいちゃって」
「実はその音で気づいて出てきたんだ。大丈夫だった?」
「うん、怪我はしてない」
「よかった。今度片付けておこうかな」
「ううん、別にいいよ。ニンゲンのものがあった方が、ニンゲンが嫌いなポケモンも寄り付かないし」
「うーん、確かにそうかもしれない。あんまりニンゲンが嫌われてることを利用するのは好きではないけれど」
ニンゲンが嫌いなのはおかしいと思っていいながら、それを利用するのは矛盾しているのかも。
そう言われるとそんな気もしてきたけど。
でも寄って欲しくないポケモンを避けられるならわたしとしては助かるから仕方がない。
「まぁいいや、行こうか。案内するよ」
「うん、お願い」
「怖かったら言ってね」
「え……?」
謎の言葉の意味を考えるよりも先に、わたしの体が突如浮き上がった。
地面からほんのちょっとだけど、わたしの体は宙に浮いていた。
「え、え!?」
びっくりして声は出ても言葉にならない。
シャンデラを見ると、わたしと同じく宙に浮いていた。
シャンデラの目は妖しくモモン色に光っている。
「あ、ごめんね。言えばよかった」
な、なにを?
言葉が出ないまま、身構える。
「流石に川に入ると冷えちゃってまずいから、いっつもサイコキネシスで渡ってるんだ」
なんだ、渡るためだった。
いきなり攻撃をされるかと思ってしまったけど、そうではないらしい。
そうじゃ……ないよね?
体が勝手に宙を移動していく。
全身が綿に包まれたような不思議な感覚。
サイコキネシスってこんな感じなんだ。
川幅が広いわけでもないので、そんなことを考えているうちに対岸に足がついた。
「到着。いきなりごめんね」
「ううん、びっくりしただけだから」
本当のところを言うと、少し楽しかった。
少しだけね。
「よかった。じゃあ案内するね」
「うん、おねがい」
シャンデラは木々の間の踏み固められた道に入っていった。
シャンデラの後を追いかける。
シャンデラの歩みはそう早くなかった。
むしろわたしみたいに脚があるわけじゃないのに、なんであんなに動けるんだろう。
道中はぺラップが木に止まって一匹で歌っていたり、木々の間にウソッキーが直立不動でいたり、なんだか静か。
森の中央は色んなポケモンの声で騒がしいから、それと比べると少し不気味な雰囲気だった。
怖いわけじゃないけどなんとなく不安で、シャンデラの腕の一本を掴む。
シャンデラがびくんと硬直した。
「ど、どうしたの?」
「あ、えと……」
そこまで驚かれると思っていなくて、咄嗟に言葉が出てこない。
でも不安って言うのも気恥ずかしい。
「……別に何も、なんとなく。はぐれちゃうかなって」
「そっか、全然いいよ」
シャンデラはわたしの心を見透かしているんだかいないんだか、よくわからない返事。
そう言われると今度は離すのも変な感じになっちゃう。
ちょこんと右腕の火が出る腕に触れながら、シャンデラの後ろを歩いた。
ギュイイイイイン!
急に甲高い騒音が前から聞こえた。
何かを削っているような、バリバリバリという音も一緒に聞こえる。
シャンデラと目が合う。
シャンデラも困っているようだった。
「な、なんだろう」
「わからないけど……様子だけ見に行かない?」
「わかった。ボクが先に行くね」
頷くと、シャンデラは今まで進んでいた道から折れてくさむらの中に進んで行った。
シャンデラの誘導のままにわたしもくさむらに入る。
誰かポケモンが倒れていたりしたら、助けてあげないと。
向かっていた道を外れて、もっと南。
南。ニンゲンたちの棲家の方向。
もしかしてニンゲンなんだろうか。
そう思うとワクワクもするけど、この不安を煽る騒音からは嫌な予感しかしなかった。
不快感のある騒音はどんどん大きくなっていって、もう近くに聞こえる。
「あっ!」
全身をくすんだゴクリンのような緑色のもので覆った生き物が立っていた。
わたしよりもかなり大きい。
間違いなくポケモンではない。
——ニンゲン。
何やら大きい、ブロロンに似た形のものを持っている。
大きな体は山火事の火のような、鮮やかなオレンジ色。
体から飛び出たギザギザした刃が、不快な高音を立てて高速回転していた。
ニンゲンが刃を木に押し当てる。
バリバリバリバリと大きな音を立てて、木の根元が削れていく。
バタバタとマメパトたちが大慌てで逃げていく。
——ドスン。
遂には木は倒れてしまった。
はっと我に返る。
驚きに取り憑かれて見入ってしまったが、今まで生きてきた中で一番危険な状況にあることはすぐにわかる。
木の影に隠れていたからまだ見つかってはいないだろうけれど。
シャンデラの方を見る。
シャンデラもわたしに気づいて、こちらを見た。
「戻ろう」
うん。
声が出ない。
シャンデラの小声に必死に頷いた。
来た道を足早に戻る。
音を立てないように、でも速く、足を動かすので頭はいっぱいだった。
やっと元の道に戻ってきて、二匹で息をつく。
「……何をしてたんだろう」
怖かったこと以外何も分からなくて、呟いた。
「あれは……木を切ってたんだろうね」
「あのオレンジ色のは?」
「ボクも見たのは初めてだけど、たぶん伐採機だと思う」
「……キカイ、だよね」
「機械のこと知ってるんだ」
「うん、昔聞いたことがあって」
「そっか。ニンゲンの機械は、危ないのもあるんだよ」
「……それで、ポケモンを攻撃するの?」
「いや、そんなニンゲンはいないと思う。……いないわけではないけど、多くはないよ」
「…………」
「……とりあえず、きのみ取りに行こう」
「……うん」
先行するシャンデラを追いかける足は重かった。
ショックだった。
初めて、ニンゲンに会った。
でもそのニンゲンは、何やら怖いキカイを持っていて。
マメパトたちが住んでいる木を切り倒していて。
全部、お母さんから聞いた通りだった。
シャンデラは時々ちらりとわたしを見ながら、ゆっくりと移動する。
「……ねぇシャンデラ」
地面の草を蹴りながら、声をかけた。
「んー、どうしたの?」
「ニンゲンは、やっぱり悪いやつなのかな」
シャンデラが移動を止めた。
視線を上げると、ちょうど振り向いたシャンデラと目が合った。
どう言えばいいかわからない、困惑した目だった。
「うーん……」
視線を泳がせて、シャンデラは考えていた。
じっとシャンデラを見つめて返答を待つ。
「ボクは、悪いやつじゃないと思う」
「どうして?」
「というか、ニンゲンだから悪い、じゃないと思うんだ」
それは、もしかしたらわたしが欲しかった答えそのものだったかもしれない。
わたしが考えていた、考えたいことと、全く同じ。
「でも、あのニンゲンは……」
「木を切ってたね。マメパトの棲家がなくなった、のかな」
「……うん」
「でもポケモンだって、縄張りを争って棲家を取り合う。ポケモン同士だって、悪いポケモンといいポケモンがいるから。ニンゲンだって、ポケモンにとって悪いニンゲンもいれば、いいニンゲンもいると思う」
「……うん。わたしも」
嬉しかった。
わたしが知りたかったニンゲンは、全部があんなのじゃない。
でも見てしまった以上自分で言い聞かせるのは難しくて、だから。
「まぁこれは、ボクが一緒に暮らしていたニンゲンがたまたま優しかったからそう思うだけかもしれない」
「そう、なの?」
「うん。実はあんまりたくさんのニンゲンと会ったことはなくて」
「そっか……」
でも、優しいニンゲンもやっぱりいるんだ。
わたしが昔聞いた、楽しそうなニンゲンとの生活も。
「うん。そうだよ、木を切るって話なら、ストライクだって切ってるからね」
「そう、だよね」
「ストライクは自分の縄張りを示すために木を切る。でもニンゲンは木を利用して色々なものを作るんだ」
「どっちも、必要だから」
「うん。だからボクはニンゲンが悪いわけじゃないと思う。悪いニンゲンもいないわけではないと思うけど」
やっぱりニンゲンとポケモンはそう変わらないのかもしれない。
すこし心がスッキリした。
「……ありがとう」
「うん! じゃあ、気を取り直して」
シャンデラがくるんとわたしに背を向ける。
先を行くシャンデラの移動は、さっきよりも早い。
気を遣ってくれていたのかな。
少なくとも、ニンゲンが好きなポケモンは悪いポケモンばかりではなさそうだ。
もちろん悪いポケモンだっているのかもしれないけれど。
ポケモン同士だって縄張りを争ったりして敵対しているんだから、それと同じ。
ニンゲンだから悪い、ではない。
「ここだよ」
シャンデラの背中だけを追いかけながら考え事をしていたら、急にシャンデラが止まった。
ニンゲン目撃した時点で、既に近くまで来ていたみたいだ。
ぼーっと遠くを眺めていた視線をシャンデラに映す。
シャンデラがわたしを振り返った。
「ほら、上を見て」
「おぉー……!」
すぐ頭上では木々の緑色に混じって、妖しげな紫が自分の存在を誇っていた。
いつもあまり食べられないカシブが、こんなにたくさん。
下ばかり見ていたから、歩いている時には全然気が付かなかった。
自然と口角が上がってしまう。
改めて視線を下ろすと、またシャンデラと目が合った。
シャンデラがまた優しく微笑む。
「よかった」
「……? なにが?」
「ううん、早く取ろう」
「うん!」
早速わたしは木に登った。
一つの木から採りすぎないように、いくつも木を登っては熟れているカシブのみを探す。
カゴもそんなに大きいわけじゃないから、十個も採れない。
食べ頃のカシブのみをじっくりと選んだ。
ふと思い出して、シャンデラの姿を探してみる。
少し奥に歩いた先で、細い葉っぱで編んだカゴを持つシャンデラが見えた。
サイコキネシスで、何やら落ち葉を集めては腕に下げたカゴに次々と入れていく。
「ねぇシャンデラ」
「……ん?」
「何してるの?」
「えっと、落ち葉集め?」
「それくらいわかるよ。なんで集めてるのかなって」
「あーそっか。これは頭の炎を燃やす燃料に使うんだよ」
「頭の炎? 落ち葉がなくても出せるじゃない」
きのみを焼くときの、鮮やかなオレンジ色が脳裏に焼き付いている。
わたしと初めて会った時にも、シャンデラは頭から炎を出していた。
「その、頭の炎はポケモンの生命力を吸って燃やしてるのは知ってるよね?」
「うん、きのみ焼いてもらってるし」
「落ち葉は生命力の代わりなんだよ。ポケモンの生命力を取らなくても燃やせるように」
落ち葉で炎をつけられるってことはもちろんわかる。
でもなんだか納得がいかない。
そもそも炎を出す理由が分からないから。
「炎を出さなきゃいけないの? いつもわたしと会う時は消してない?」
「う、うん。出さなきゃいけないというか、ずっと消してると体調が悪くなるから」
「へ、そうなんだ」
「ニンゲンが『シャンデラは頭の炎を燃やすことで、体の中の要らないものを出しているんです』って言ってた」
「ふーん……?」
イマイチよく分からなかったが、とにかく燃やさないと体調が悪くなるらしい。
「というか、ニンゲンはそんなことも知ってるんだ」
なんでニンゲンは「要らないものを出してる」なんて知ってるんだろう。
シャンデラの体の構造なんて、シャンデラ自身も知らないのに。
「すごいよね。ボクも分からないのに」
同じこと考えてた。
「それも科学なの?」
「うん、多分そうだと思う。ボクも詳しいわけじゃないけどね」
やっぱりニンゲンはすごいんだなぁ。
「話戻るけど……シャンデラはみんなそうやって落ち葉を集めるんだ」
それは知らなかった。
他にシャンデラの知り合いがいるわけでもないから知りようはないけど。
落ち葉を集めないと体調が悪くなるなんて、なんだか大変そうだ。
燃えればなんでもいいのかな。
「えと、いや……みんながやってるわけじゃないよ。これはボクだけ」
「え、そうなんだ。どうして?」
「なんというか、勝手にポケモンから生命力を取るのって嫌じゃない?」
「わたしは勝手に取られたことはないから分からないけど……そうかも?」
「生命力を取られたら、そのいきものは弱っちゃう。ポケモンも、ニンゲンも」
「わたしは?」
きのみを焼く時にわたしの生命力を取ったのは大丈夫なんだろうか。
「あ、きのみは大丈夫。ずっと燃やすわけじゃなければ、もらう生命力は少ないから」
わからないけど、実際に体調は崩していないし、そんなものかもしれない。
「そっか、よかった」
「うん……それに、生命力を取ってもいいよって言ってるポケモンならともかく、知らないポケモンから勝手に取りたくないなって」
確かに言われてみれば、泥棒みたいなものなのかも?
「シャンデラってそういうポケモンだから、しょうがないんじゃないの?」
「うーん……ボクは、ボクのせいで体調を崩したりしてほしくないから」
シャンデラの目は、どこか遠いところを見ていて。
なんだかこれ以上聞いてはいけなさそうな雰囲気だった。
「……別の話してもいい?」
「ん? いいよ」
「そのカゴはどうやって作ったの?」
シャンデラの腕にさがっている、落ち葉が入った緑色のカゴ。
何か葉っぱを編んでいるみたいで、わたしが持つビアーの枝を使ったものとはまた違った。
「これはシーヤの葉っぱ。ほら、細長いでしょ?」
「シーヤなんだ! 編み方綺麗だね」
「うん、落ち葉集める時は毎回作ってて。最後にカゴごと燃やすから」
「燃やしちゃうんだ。なんかもったいない」
「何回でも作れるからね」
話しながらもシャンデラは落ち葉をカゴに入れていって、半分くらいに溜まった。
「こんなもんかな。きのみも集めなきゃ」
「こっちの方は熟れてるの大体採っちゃった」
「まだ奥の方にもあるよ」
シャンデラと一緒に、来た方からさらに奥に向かった。
奥にはもっと木が茂っている。
きのみもそれだけ生っていて、わたしは夢中で採るきのみを見繕った。
程なくしてカゴはいっぱいになった。
「本当にいっぱい取れたね」
んーっと腕を上に伸ばして、大きく背伸びする。
太陽も真上からはかなり傾いて、住処までの遠さを考えればもう帰り時だ。
「満足そうだね、よかった」
「うん。本当はもっとほしいけどね、美味しいし」
つい思っていたことをそのまま漏らしてしまった。
シャンデラは、ふふと控えめに笑う。
「またいつでも取りに来ればいいよ」
「その時はまたお願いするかも」
「待ってるよ」
シャンデラはふわりとした綿のような微笑みを浮かべる。
「帰りましょ」
「そうだね」
先を移動し始めたシャンデラの背中について行った。
たわいもない話をしながらだったからか、シャンデラの移動は行きよりもゆっくりだった。
急いでいるわけじゃないから、全然いいんだけど。
ぷれはぶに着く頃には、冷たそうな青空は端からだんだん燃え上がり始めていた。
川を渡るサイコキネシスは、少し楽しかった。
「ありがとう」
「うん、川は冷えるから」
「じゃあ、帰るね。来た時も言ったけど、しばらくは来ないと思う」
「ざんねん。また話に来てね」
「うん、来ると思う」
「ニンゲンのこと、思い出しておくね」
「楽しみにしてる」
くるりと踵を返して、シャンデラに背を向ける。
「……あ、まって」
走り出そうとしたところで、シャンデラに引き止められた。
「え、なに?」
「えっと……夜食じゃないけど、最後にカシブのみ食べてく?」
なんだ、思い出したように言うから何か大事な用かと思った。
どうしようか。
一瞬迷ったところで、はじめにもらったカシブのみの味が口の中に思い出された。
美味しかったな。
「……じゃあ、食べてく」
「わかった、ちょっと待っててね」
シャンデラが下げたカゴからカシブを一つ取り出した。
自分の頭上にカシブを持っていくと、シャンデラの頭から夕焼け色の炎が立ち上がった。
ふわりと宙に浮いたように錯覚する、生命力を吸われる感覚。
思考が止まって、この包まれるような感覚に身を委ねてしまいたくなる。
ぼーっとシャンデラの炎を眺める。
「はい、できた」
「……あ、ありがと」
両手を差し出すと、カシブのみが目の前に飛んできて、手の器に収まった。
ひとかじり。
じゅわりと甘い果汁が溢れた。
「……おいしい」
やっぱり、焼き加減が絶妙だった。
とはいえ、そうゆっくりしてもいられない。
「ありがと。それじゃ、帰るね」
「うん、またね」
シャンデラがわたしに腕を振った。
わたしも軽く手を振って返す。
シャンデラに背を向けて、走り出した。
少し離れたところでちらりとぷれはぶを見てみる。
木に隠れた太陽の逆光で、ぷれはぶはシャンデラの色に燃え上がっていた。
第四話:熾火
ふわり、と体が浮き上がるような感覚がした。
目が半ば勝手に開く。
木々が風に揺れて、浅い角度の木漏れ日がキラキラと輝いていた。
「……んぅー!」
大きく伸びをして、上半身を起こす。
なんだか今日はスッキリした気分で起きられた。
なんとなく気分も明るい気がする。
ここ数日は夜に活動していないからかもしれない。
ちゃんと寝るのは大事なんだなぁ。
程なくしてお母さんもお父さんも目を覚ました。
お母さんの焼いたマゴのみにホズのみをぺろりと平らげる。
今日もきのみ取り。
最近はだんだん寒さも和らいで、春になってきた。
春は、冬を過ごした木々がきのみをたくさん付ける時期。
熟れ頃を考えると春にしか食べられないきのみもあるから、少し遠くまで行って採りに行く予定を立てていた。
行きには空っぽだったはずのきのみカゴも、帰りにはいっぱい。
隣を歩くお父さんの腕には、大きなカイスのみまで。
途中で別行動をしていたお母さんと妹も、多分たくさん採っているだろう。
上機嫌で少し早めに帰路に着いた、昼下がり。
ガヤガヤと、なにやら左の方から騒がしい声が聞こえた。
特に子供たちがキャーキャーと騒ぐ声が強い。
歩きながら、何があるかをじっと見てみた。
遠くの少し開けた場所でなにやらポケモンたちが集まっている。
何かやってるんだろうか。
「ちょっと見てくるね」
帰る方向から折れて、前方に伸びる小道に入った。
あまり時間をかけるつもりもないから、小走りで。
「あっちょっと待て!」
お父さんが声を上げる。
ちょっと見るだけだし、大丈夫。
走っていくと、子供たちが何やら喜んでいるのが見えた。
子供たちが見つめる先には、数匹のユキカブリ。
なるほど、ユキカブリが山から降りてきたんだ。
ユキカブリは冬の時期だけ森で暮らして、この時期になると冷たい場所を求めて山に登る。
山に登っていく前に、関わったポケモンたちへ体に実るきのみを振る舞ってくれる。
ユキカブリのきのみは、春に食べるには少し冷たいけど、さっぱりした甘さでとても美味しい。
あまり食べたことはないけど、わたしも好きだった。
「おい」
背後から、地面を揺らすような低い声。
「ユキカブリがいるよお父さん」
言いながら振り返ると、そこにはいつになく厳しい顔が待っていた。
嬉しかった気持ちが一瞬で吹き飛んだ。
「だめだ。見てみろ」
そうお父さんが指差した先には、大きく傷がつけられた木。
ニド族の縄張りだった。
「もう入っちまってる。ここだってもうあんまりいたくない。帰るぞ」
「…………」
冷たく、重い声。
お父さんはいつもそう。
縄張りを避けてばっかり。
……ちょっとくらいならバレないんじゃないかな。
縄張りだって広いんだし、ニド族もそう数がいるわけではない。
お父さんが後ろを振り向いた瞬間に、わたしは駆け出した。
一歩、二歩、素早く足を動かそうとした瞬間。
ドスン!と後ろから鈍く強い音がした。
直後、轟音を立ててわたしの目の前に岩の壁が勢いよく迫り上がった。
「行くな」
思わず後ろにのけぞって、倒れそうになるのをなんとかこらえる。
振り向くと、お父さんがこちらを睨んでいた。
目の前に突き出たストーンエッジの障壁に、あんな突き刺す視線まで受けて、まだ反抗できるほどわたしの肝は据わっていなかった。
俯いて、渋々お父さんの元に戻る。
足を早めるお父さんの横に小走りで並んだ。
「……ごめんな」
ポツリと低い声。
「…………」
本当はわたしが悪いのに、何も言えなかった。
「フォッコにはユキカブリのことは黙っといてくれ。食べたいって騒ぎそうだから」
「……うん」
「あと、俺が見てなきゃ良いわけじゃねえ。コソコソすんなよ」
ぎくりと一瞬身構えてしまった。
まさか、数日前まで夜に抜け出していたこともバレているんだろうか。
いや、あればみんなが寝たのを確認しているし……。
今回のことについてだと思う、多分。
チラリとお父さんの様子を伺う。
お父さんはそれ以上何も言わずに、どこか遠くを見ていた。
しばらく沈黙が横たわった。
お父さんは今何を考えているんだろう。
やっぱり、昔のことかな。
前に一度だけ教えてもらった、お父さんとお母さんの過去の話を思い出す。
お父さんは元々ニド族を治めるトップニドキングの跡取りだった。
本当だったらあの縄張り全部がお父さんの縄張りだったかもしれない。
トップニドキングは代々ニドクインをつがいに迎えて、たくさんの子供からまた跡取りを決めるんだそうだ。
でもお父さんは、お母さん、マフォクシーに恋をしてしまった。
お母さんも、お父さんのことが好きになって。
周りのニド族には必死に隠していたけれど、ある時バレてしまった。
お母さんが危険に晒されそうになって、お父さんはニド族の群れを出て行かざるを得なかった。
族を捨てて、駆け落ちしたんだと言っていた。
今のお父さんとお母さんも、愛しあっているような雰囲気こそ見たことないけど、喧嘩しているところも見たことがない。
昔にそんな情熱的なことがあったなんてあまり信じられないけれど、そう言われても不思議ではなかった。
追い出された群れからは、探したり干渉したりはもうしないが、顔は見せるなと言われているらしい。
だからお父さんは今日のようにニド族の縄張りを避けている。
形としてお父さんが出ていくことになったけど、群れが悪いわけでもお父さんが悪いわけでもない、とお父さんは言っていた。
仕方がない気もするけれど、納得がいかなかった。
つがいくらい自由にすればいいのに。
ここのポケモンたちは、ニンゲンと暮らすポケモンを囚われているとよく言うけれど、ポケモン同士のしがらみに囚われているのだって同じくらい自由じゃない。
わたしは悪くない。お父さんも悪くない。悪いのは、そんなことで自由を奪うニド族の風習だと思う。
だからわたしはニド族が嫌いだった。
「あら、おかえり」
俯きながらお父さんの横を歩いていたら、声がかけられた。
お母さんが小さく手を振っている。
枝をもてあそびながら、ミノマダムさんと話していたようだった。
「テールナーちゃん、お久しぶり」
「あ、お久しぶりです」
ミノマダムさんは前にわたしたちの棲家の近くに住んでいたポケモン。
お世話になった、というほどでもないけれど、顔見知りだ。
「大きくなったわね〜」
「んー、そうかもです」
「ちょっと前までフォッコだったのにね〜」
「進化したのもだいぶ前ですけどね」
「あらそう? 若いわね〜」
なんでみんな遠い昔のことをちょっと前って言うんだろう。
最終進化まで来ると時間が経つのが早いってお母さんもよく言ってるけど、それなのかな。
横ではお父さんとお母さんが目を合わせた。
「おかえりお父さん」
「おう」
「帰ります?」
「他に何もなければな」
「じゃあフォッコ呼んできてもらってもいい? 向こうで遊んでて」
「あぁ、わかった」
お父さんが来た道から先の方へと歩いて行った。
ミノマダムさんがまたお母さんに声をかける。
「いや本当に、真ん中の子も大きくなったね〜」
「そうね〜。気づいたらね」
「一番上の子は元気?」
「多分元気にやってるわよ」
「多分?」
「ちょっと前につがい作って、離れちゃったから」
「えー! そうだったの! お相手は?」
「オオタチさんとこの、真ん中の子よ。あの子ならいい子だし、任せられるわ」
わたしの友達のオオタチも、オオタチさんちの一番下。
小さい頃からよくみんなで遊んでいたから、それでどんどん仲良くなったと聞いた。
「そうだったの! 確かにいい子よね〜」
「うちの真ん中にはそんな話もないけどね〜」
お母さんが憐れみの目でわたしを見てくる。
「うるさいなぁ」
「テールナーちゃんも、いいポケモン探しなね」
「うーん……気が向いたら探します」
つがいなんて言われても、いまいちよく分からない。
わたしは別に、相手なんていなくても今に満足しているし。
なんでみんな、そんなにつがいを作りたがるんだろう。
そりゃ子供がいないと族が続いていかないかもしれないけどさ。
「それより、聞いた? 最近ニンゲンがうろついてる話」
わたしの体どころか、空間自体がどくりと振動した気がした。
ニンゲン。
わたしは、川の向こうでニンゲンを見た。
「え、そうなの? まだ知らないわ」
「なんでも、上から下まで真っ白のニンゲンがポケモンを誘拐するって噂よ」
白い?
わたしが見たのは、全身緑色だった。
「真っ白? ヤルキモノと見間違えたんじゃないの?」
「まさか。私が見たわけじゃないけど、カイリューを引き連れてるらしくて」
「カイリューですって⁉︎」
「ええ、カイリューに指示を出して、ポケモンをさらっているって聞いたわ」
わたしが見たニンゲンは、大きなオレンジ色のもので木を切っていたけれど。
カイリューは連れていなかった気がする。
「あんな怖いポケモンには近づけないわよね……」
「ポケモンがカイリューを連れているわけないから、ニンゲンだろうって言われてるのよ」
「怖いわね……出たのはどの辺の話なの?」
「森の中央って話もあるけれど、あっちの川の辺りで見たってポケモンは多いわね」
「川の向こう!」
背筋に嫌な予感が走る。
「ちょっとテールナー聞いた?」
やっぱり。
「川の向こうは危ないのよ。もう行っちゃダメだからね!!」
「…………」
「聞いてるの?」
「……はーい」
「もう……」
「テールナーちゃん、川の方で遊んでいるの?」
「そうなのよ。きのみが取れるとか言って。お父さんも行かせちゃうし……」
「まぁ! 川の方はニンゲンじゃなくても、ニンゲンが好きなシャンデラが住んでるらしいし」
手慰みにいじっていた小枝を思わず落としそうになる。
さっきから、思い当たることが多くて具合が悪くなりそうだった。
「もう……ニンゲンも、ニンゲンのポケモンもいるのね」
「怖いわよね〜」
「そうよ。ニンゲンなんて、野蛮で残忍で、危ないんだから」
そんなことない……。
そう思いたかったけれど、そうも言い切れなかった。
轟音を立てる刃で木を切り裂く様子が嫌でも思い浮かぶ。
……でも。
いいニンゲンだっているはず。
昔聞いた話のニンゲンは、ずっと優しそうだった。
このミノマダムさんだって、ニンゲンのことは見たことないはずなのに。
ニンゲンが全部悪いなんて分からないのに。
でも、わたしが見た唯一のニンゲンは、マメパトの住処を……。
でも…………。
「おう、来たぞ」
向こうから、地を揺らす低い声。
考えているうちに、いつの間にかお父さんが来ていた。
「あら、じゃあそろそろ帰りましょうか」
お母さんが帰り道の方を見る。
「また話しましょ。それじゃね」
ミノマダムさんはピヨヨンと跳ねて、木の中に戻って行った。
お父さんとお母さんが、並んで前を歩き始める。
フォッコがそれに続いて、お父さんとお母さんの間に顔を出した。
立ち止まって考え込んでいても帰れないから、仕方なくわたしも足を出す。
行きと同じ道のはずなのに、帰り道はひどく長かった。
𖡬 𖡬 𖡬
あれから二、三日が経った。
相変わらずシャンデラの元へは行っていない。
本当は、ミノマダムさんに聞いた話も含めて、ニンゲンの話をもっと聞きたいけれど。
身の回りでは話に上がったニンゲンを見ることもなかった。
そして、今。
昼の食卓はなんだか神妙な雰囲気だった。
お父さんもお母さんも何やら難しい顔をしていて。
フォッコもそれを感じてか、顔色を窺うような仕草をする。
一体なんなんだろう。
何が起こっているのかわからないので、わたしも渡されたカシブのみをかじる。
……お母さんのも美味しいけど、シャンデラが焼いてくれた方が美味しいな。
何が違うんだろう。火の温度とかなのかな。
「住処を、移そうと思う」
「え……?」
わたしのどうでもいい思考は、重苦しい声に吹き飛ばされてしまった。
「なんでー?」
フォッコが聞いてくれた。
「最近ニド一族が縄張りを広げているみたいでな」
「…………!」
またその話。
これまでも何回か、二度一族から逃げるように住処を変えたことがあった。
「お前は見たよな。ニドの縄張りが前よりこっちに来ていること」
お父さんがわたしをじっと見た。
殴りつけるような眼光に怯みかけた。
「……見たけど。でも、まだここからは遠かったよ」
「あぁ。遠いうちに、まだ何もないうちに手を打っておくんだ」
それは、わかるけど。
でも理由が気に入らない。
「まだこっちに来るって決まったわけじゃないよ」
「いや、来る可能性があるからな」
どうにかして止めたい。
お父さんが納得するような理由なんてわたしは持ち合わせていない。
次の言葉を探していると、お母さんが口を開いた。
「ニド族の話だけじゃないの。最近ニンゲンがうろついてるみたいだし……」
「なんで」
思わず言葉が漏れてしまった。
「なんで逃げなくちゃいけないの?」
言ってしまった。
お母さんが呆れたようにわたしの方を見る。
お父さんの目つきも鋭くなった気がする。
「あんたねぇ。ニンゲンは危ないって……」
「危ないかなんて分からないじゃん」
いつもの口ぶりに、なんだかいつもよりカチンと来て。
わたしは言い返す。
「危ないわよ。ポケモンの住処を奪って、服従させたポケモンで攻撃だってするのよ?」
「そんなことするニンゲンばっかりじゃない!」
「あんたニンゲン見たことなんかないでしょう。ニンゲンは危ないの」
「危なくない!」
不機嫌な目でわたしを見るお母さんに、必死に反駁する。
お父さんが左腕を伸ばして、わたしたちを止めた。
「……ニンゲンがどうかは置いておくとしても、住処は変えにゃならん」
「お父さんだって! なんでそんなに避けなきゃいけないの?」
「……話しただろう。昔にあったことを」
「だって、お父さんは悪くないじゃん!」
「あぁ。でも、ニド族も悪いわけじゃねえ」
「悪いよ! つがいなんて自由にすればいいのに!」
「アレだって別に理由がないわけじゃねえんだ。方向性が違うだけ」
「でもお父さんがずっと逃げなきゃいけないなんておかしいよ!」
「……まぁ出て行ったのは俺だからな。とにかく、移動するのは決まりだ」
有無を言わさない視線に貫かれる。
「…………」
本当は何か言い返したかった。
この場を飛び出してもよかったかもしれない。
でもその勇気はなかった。
「行ってくる」
どしん、と地面に足を突いて、お父さんが立ち上がる。
「私も行くわ」
お父さんとお母さんは連れ立ってどこかに行ってしまった。
多分次の住処を探すのだろう。
フォッコも誰かと遊ぶ約束でもしていたのか、いつの間にかいなくなっていた。
先程まで騒々しかった辺りは、一気に静まり返っていた。
ぶわっと風が一陣吹いて、わたしの耳を弄ぶ。
沈黙も風も、まるでわたしを責めているみたいだった。
お父さんの言っていることもお母さんの言っていることも、間違ってはいなかった。
危ないものから逃げるのは当然だし、ニド族から逃げるのはお父さんだって納得している。
合っているのに、でもわたしの考えも間違っている気がしない。
悪くないのに逃げなきゃいけないなんて、おかしいのに。
ニンゲンだって危ないニンゲンばっかりじゃないかもしれないのに。
…………。
カッとなっちゃったのは良くなかったな。
びゅおおとまた風が吹いて、わたしの顔の熱を取っていった。
空も分厚い雲に覆われて、体が冷える一方だった。
𖡬 𖡬 𖡬
どんよりと辺り一体は暗闇に包まれている。
火を灯した枝を前に突き出しながら、木々の間を駆け抜ける。
向かう先はシャンデラのいるぷれはぶ。
今日はモヤモヤした気持ちがずっと晴れなかった。
日が沈んでみんなが寝た後も、わたしだけ寝付けなくて。
誰かに話を聞いてほしかった。
こんな話を聞いてくれるポケモンなんて、一匹しか思いつかなかった。
視界が開けて、川のせせらぎが聞こえてきた。
相変わらず空は雲に覆われているようで、月どころか星の一つも見えない。
火で足元を照らして、暗い道を慎重に進む。
ころころと丸い石を一つ蹴った。
石がぷれはぶに当たって、こつんと小さな音を立てる。
音の方向に向かって、扉の前。
シャンデラは前のように出ては来ない。
どあのぶを触る。
夜風に冷やされて、すごく冷たかった。
確か回すと扉が開いたはず。
金属をしっかり持って、手をひねる。
ひねったまま奥に押すと、ぎぃと軋む音を立てて扉は開いた。
「あ……来たんだ」
ぷれはぶの奥から、聞き慣れた声。
火を奥にかざすと、シャンデラが見えた。。
ぷれはぶの奥で、壁に寄りかかっていたようだった。
まるで生きていないみたいに、地面に置かれていた。
ふらりとシャンデラの体が持ち上がる。
「どうしたの?」
「あー、少しだけ体調が悪くて」
あはは、とシャンデラはかすれた声で笑う。
なんだか深刻そうな気がした。
「大丈夫? 来たらまずかった?」
「ううん、来てくれて嬉しいよ」
ゆるりとシャンデラは体を揺する。
「そう……?」
「うん、一匹だと気が滅入るから。それより、キミは来て大丈夫なの?」
「う、うん。その……話を聞いて欲しくて」
「聞くの? ボクが話すんじゃなくて?」
「うん……ちょっと喧嘩しちゃって」
「喧嘩……ニンゲンのこと?」
「えっと、色々」
「いいよ、聞かせて」
シャンデラは優しくわたしに微笑みかけた。
何から話せばいいか分からなかったけれど、シャンデラはわたしが言葉を見つけるまで待ってくれた。
あるいは、シャンデラが代わりに言葉にしてくれることもあった。
ここまで自分の事情を誰かに話すのは初めてだったけれど、話しやすかった。
なんとか昨日のことと、ユキカブリが来ていた時のことを話し切った。
流石にシャンデラが警戒されている話はできなかったけれど。
「……こんな感じ」
「そっか……むずかしいね」
シャンデラは困ったように目を細めていた。
間に沈黙が横たわる。
でも居心地は悪くなかった。
聞いてもらえて、少しスッキリしたのかもしれない。
「一個だけ聞いてもいい?」
シャンデラがわたしを正面から見つめる。
「うん」
頷くと、言いたくなかったら言わなくていいからね、とシャンデラは付け足した。
「お母さんは、どうしてそんなにニンゲンのことが嫌いなの? 話を聞く感じ、何かトラウマでもありそうなくらいだよね」
「あーえっと」
一瞬言おうか迷った。
あれ以来、周りのポケモンたちはそのことをなかったかのように振る舞っている。
わたしもそれを察して、なるべくその話をしないように気を付けていた。
「嫌なら大丈夫だよ!」
「ううん、いいや。今更だし」
テールナーに進化するよりもずっと遠い昔の、朧げな記憶を手繰り寄せる。
わたしがまだフォッコの時にね、フーディンさんってポケモンがいたの。
『フーディン? あの、スプーンを持ってる、エスパータイプの?』
スプーン……? は、持ってたか分からないけど。でもサイコキネシスは使ってたよ。
体は黄色いんだけど、でも真っ白なものを身に纏っていたの。ハクイって言ってた。
フーディンさんはこの森のずっと北の方に住んでたの。ニンゲンの元から来たんだって噂されててね。
その時は好奇心旺盛だったから、他に仲が良かった子三匹と一緒に、フーディンさんのところに話を聞きに行って。
そしたら、フーディンさんはいろんなことを話してくれた。
ニンゲンの世界では、キカイっていうのがあって、いろんなものを作ってくれるとか。
カガクっていう力で、炎や電気を作れることとか。
……フーディンさんと一緒にいたニンゲンが、わたしのお母さんと同じくらい優しかったこととか。
たくさん話してくれたの。
それでわたしはニンゲンって悪いやつじゃないんだって思った。
そこまでは良かったんだけど、子供だったから、お母さんに話をしちゃったの。
ニンゲンの街に行ってみたいって。
でも、親たちはニンゲンのことを危ないと思ってるから。
次の日に、周りに住んでる色んな家族の親が一斉にフーディンさんのとこに詰め寄せて。
フーディンさんは、ニンゲンもポケモンも同じなんだ、って言ってどこかに消えたの。
それが悲しくて、フーディンさんがどこかに行っちゃってから、わたしはずっと泣いてた。
わたしがニンゲンの街に行きたいなんて言っちゃったから、ってすごく後悔してて。
でもそれがお母さんは嫌だったみたいで、フーディンさんに洗脳されたんじゃないか、って未だに言うの。
わたしが事件に巻き込まれたと思ってるから、警戒してるんだと思う。
わたしはわたしで、フーディンさんが出て行かなきゃいけないなんておかしいって思って。
わたしたちがいくら違うって言っても、親はフーディンさんが悪いことを吹き込んだんだって言って聞かないし。
フーディンさんに聞いたニンゲンの話は楽しそうで、ポケモンたちの方が間違ってるんじゃないかって思うようになって。
だからニンゲンのことを探すようになったの。
誰かに知られると、またフーディンさんみたいになっちゃいけないから、こっそり。
「そっか。だからボクに話を聞こうとしたんだ」
シャンデラは遠い目で虚空を見つめていたのを、わたしに視線を戻した。
「そうね、フーディンさんみたいに、また話が聞きたかったのかもしれない」
「そのニンゲンの話が好きで、今もニンゲンのことを調べているの?」
「うーん、少し違うかも」
「違うんだ」
「うん。一緒に木を切ってるニンゲンを見たでしょ」
「あー、そうだね」
シャンデラはなんだか申し訳なさげだった。
別にそれを見たのはシャンデラのせいじゃないのに。
「あれは確かに怖くて、ニンゲンはやっぱり悪いのかなってちょっと思った。でも、あの時聞いたみたいに、ニンゲンもポケモンも同じなんだって思い出だして、やっぱりまだ分からないなって思って」
「ニンゲンもポケモンも同じ……」
「わたしだってポケモンのこと信用してるわけじゃないし。だから、ニンゲンのことも、信用はしないけど、疑ったりはしないようにしたいって思う」
「……いい考え方だね。誰が悪いって決めつけるわけじゃなくて、ボクは好きだな」
「ありがとう。まぁ、ポケモンがニンゲンの悪口とか、ニンゲンが好きなポケモンを遠ざけるのとかが気に食わないっていうのもあるんだけどね」
「あはは……それはボクにも心当たりがあるな」
ニンゲンの話をすると怒る、とは聞いていたけれど、やっぱり疎まれていることは知っているんだろうか。
ミノマダムが言っていたことは、シャンデラに言う気にはなれなかった。
ふいと外を見ても、月明かりはない。
もうこの頃だと、月が出るのは太陽が登り始める直前になる。
今日は星明かりもなく、夜がどのくらい更けたのか分からない。
結構長く喋った気がするし、今日は帰った方がいいかな。
「そろそろ帰るね」
「うん。来ても大丈夫そうだったら、また来て」
「うん」
次はいつ来ようか。
お父さんとお母さんはもう住処を見つけちゃったから、明日は引っ越しをしなければいけない。
「……そうだ。明後日の昼、来ちゃおうかな」
「明後日?」
「うん。明日はもう引っ越ししなきゃいけないから、無理なんだけど。でも今はお父さんとお母さんの近くは居心地が悪いし」
「そっか。いいよ、またl明後日の昼」
シャンデラはまた嬉しそうに腕を揺らした。
「うん、じゃあね」
小枝を持った手を振って、わたしはぷれはぶを出た。
小枝から出た火が川を照らして、水面がキラキラと光っていた。
第五話:急火
えっ。
思わず漏れた声は、ぷれはぶの中で嫌にこだました。
ぷれはぶの扉を押して、入ったその中には、シャンデラが倒れていた。
あれから、渋々引っ越しを手伝って、疲れて夜はすぐに寝てしまった。
そうして起きた後、詰め込むように朝食を食べて、ここに向かってきた。
お父さんとお母さんに顔を合わせづらくて、急いでここに来てみれば、シャンデラは倒れ伏していた。
何かがあったとしたら、この一日半の間。
改めて、シャンデラの様子を観察する。
顔から突っ伏す様子は、とてもただ寝ているようには見えない。
「シャンデラ? 大丈夫?」
声をかける。
起き上がってくれればよかったのに、ぴくりとも動かない。
周りには、緑、青、赤、色とりどりの葉っぱやツタが散らばっている。
いくらかは焼けこげていて、シャンデラがこれを燃やしたであろうことだけはわかった。
「シャンデラ? ねぇ!」
駆け寄って膝をつき、シャンデラの腕や胴を揺する。
目一杯揺すっても、起きる気配はなかった。
「え、ぇ……」
どうしよう。
どうすればいいんだろう。
——わたしだけじゃダメだ。
誰か、助けを呼ぼう。
誰を?
シャンデラは周りのポケモンにあまり好かれていない。
助けを頼んだところで、助けてはくれないだろう。
ポケモンはダメ。
じゃあ……ニンゲン?
シャンデラをそっと寝かせて、ぷれはぶを飛び出す。
思い立った瞬間には、もう体が動いていた。
ニンゲンを探そう。
ぷれはぶを出たら、すぐに横に曲がって、地面を思いっきり蹴る。
木の枝をぶんと下に振って、跨った瞬間に炎をめいっぱい発射。
決して幅の狭くない川を、ジャンプからニトロチャージで一気に飛び越えた。
上空まで飛び上がって、落ちる勢いはサイケこうせんを下に発射して相殺する。
ゆっくりと対岸に着地して、また走り出した。
そもそもニンゲンがシャンデラを助けてくれるんだろうか。
——カガクだ。
カガクは、ポケモンを治すこともできたはず。
ニンゲンを探すとして、どこにいけばいいんだろう。
ニンゲンがいる場所なんて知らない。
声を出す?
いや、森の中で大声でニンゲンを探すなんて、どんなポケモンに取り押さえられるか分からない。
この目でニンゲンを見つけなくては。
あのときニンゲンを見たところにいけば、木を切っていたあのニンゲンには会えるかもしれない。
持っていたキカイは怖かったけど、話せばわかってくれるかも。
全速力で、木が切られていた地点へと駆ける。
細い道を、ひたすらに駆け抜ける。
ふと目の脇に、木陰で暗い森の中には不自然な白い影が一瞬映った。
足を止めて振り向く。
背丈はわたしよりもかなり高い。
上から下まで、全身真っ白。ところどころに金色の飾りがぴかぴか光っていた。
ニンゲンだ。
ちりりん、と涼やかな音色が聞こえてきた。
ニンゲンらしき影の横には、大きな黄色い体。
こっちははっきりとわかる、カイリューだ。
白いニンゲンに、カイリュー。
あの時ミノマダムから聞いた、あのニンゲンだ。
ポケモンを誘拐するとか聞いたけど、今はもうなりふり構っていられない。
白いニンゲンの元へと駆け寄った。
「ねぇ!」
叫びながら近づくと、ニンゲンもわたしに気づいた。
何か訳のわからない言葉を喋っている。
ニンゲンはいきなりわたしに手を伸ばして——
「な、なに?」
頭を優しく撫でられた。
「ちょっと、そんなことしてる場合じゃ……!」
ニンゲンの手にしがみつき、ニンゲンを引っ張る。
「どうしたの?」
横から声をかけられた。
カイリューは優しげな目をしていた。
「えと、シャンデラが倒れてて! 助けたくて……!」
咄嗟のことで、うまく説明がいかない。
「倒れてる? 分かった」
でも、カイリューは少し聞いただけですぐにわたしと一緒にニンゲンを引っ張ってくれた。
ニンゲンはなんだか戸惑った様子だったが、カイリューと頷き合ってこちらを見た。
「案内して!」
「う、うん!」
カイリューに言われ、わたしは元来た道へと駆け出した。
𖡬 𖡬 𖡬
ニンゲンと一緒にカイリューに乗って川を渡り、わたしは戻ってきた。
シャンデラは来た時と腕一つ動いていない。
ニンゲンはシャンデラを見るや否や駆け寄った。
持っていた硬そうな蓋付きのカゴから、様々な道具を取り出しては、シャンデラに当てがったりしている。
わたしとカイリューは、じっとニンゲンの背中を見つめていた。
「…………」
「どうして僕たちを呼んだの?」
急に横から話しかけられた。
びくりと体が跳ねたが、見上げたカイリューの瞳は優しげに揺れていた。
「……えと、周りに住んでるポケモンじゃダメだったの」
「そうなの?」
「シャンデラはニンゲンが好きだから、周りのポケモンには嫌われてて」
「あぁ、やっぱりそうなんだ」
「やっぱり?」
「いや、この森のポケモンたちはニンゲンのことが嫌いだよねって思って」
「うん、みんなニンゲンは危ないと思ってる。住処を壊したりするから」
「まぁ、全部のニンゲンがあいつみたいに良いやつではないよね」
「うん……わたしは、良いニンゲンもいると思う」
「あいつはその良いニンゲンかもね。色んなところを巡って、傷ついたポケモンを助けてるんだ」
「ポケモンを助ける……?」
「うん。ニンゲンが嫌いなポケモンしかいないところに来たのは初めてだったから、びっくりしたけどね。でも、嫌われてるからって助けない理由はないって、あいつなら言うよ」
カイリューが目線をニンゲンの方にやった。
よくわからないが、あのニンゲンは味方だと思っていいのかもしれない。
ニンゲンは、シャンデラの周りに落ちている色とりどりの葉っぱやツタを摘んで、何かを言っている。
すると、カイリューもそちらに近づいていって、ツタを一本摘み上げた。
「あー、こりゃまずいね」
「…………?」
「ほら見て。この色、確かにロズレイドのツタだ」
「ロズレイドの……!?」
ロズレイドのツタには、猛毒が含まれている。
シャンデラが倒れていた原因は、このせいなのかな。
「うん、燃やした形跡もあるから、ロズレイドのツタを燃やしちゃって、毒の煙が出たのかな」
「だ、大丈夫なの?」
「そのままほっといたらまずかったかもしれないね。でも、僕たちなら助けられるよ」
その言葉を理解すると同時に、わたしは大きく息を吐いた。
気づかないうちに息が詰まっていたようだった。
ニンゲンがこちらを向いて、カイリューに何かを言った。
カイリューは一つ鳴いて、両手を合わせる。
ちりりん、と涼やかな音色があたりに響いた。
二回、三回。なんだか安らぐ音色だった。
「これで毒は治るかな。あとはあいつに任せて」
カイリューがまたわたしを見た。
「う、うん」
ニンゲンはまたわたしたちに背中を向けて、シャンデラに何かをしている。
何もしていないのも所在なくて、カイリューに話しかけた。
「……ねぇ」
「ん?」
「その、これはカガクで治してるの?」
カイリューは目を丸くして、驚いた様子だった。
「へー、野生なのに詳しいんだ」
「うん、ちょっとだけ」
「そう、ニンゲンの科学技術のおかげ」
「やっぱりニンゲンはカガクでなんでもできるんだ」
「別になんでもではないけどね。ポケモンにはできないこともいくつかできるかもね」
「ふーん……?」
「ポケモンたちだけでは救えないポケモンを助けるために、僕たちは旅してるんだ」
「カイリューはすごいんだね」
「僕も昔助けられたからね。恩返しだよ」
「恩返し……」
「うん。今回は、昨日伐採があったらしいから、怪我したポケモンがいるかもなって思ってここに来たんだ。伐採ではなかったけど、来て正解だったね」
バッサイ。シャンデラからも聞いた気がする。
多分木を切ることをそう言うのかな。
そんなことを考えていると、急にニンゲンが立ち上がった。
カイリューに何か話しかけている。
「お、もう大丈夫だってさ」
カイリューはわたしに微笑みかけた。
「ほんと? よかった……」
ニンゲンは持っていた荷物をささっとまとめて、わたしの方に歩いてきた。
身構えて近づくのを待つと、ニンゲンは何かを言いながらわたしの頭を撫でた。
撫でられながら見上げたニンゲンの顔は、嬉しそうに笑っていた。
少し照れくさかった。
ぱっと手を離すと、ニンゲンはぷれはぶの入り口に歩いて行く。
「じゃあね、僕たちはもう行くよ」
「あ、その、ありがとう……!」
「うん。もうじき起きると思うから、様子見てあげてね」
わたしが頷くのを見ると、ニンゲンとカイリューは一度手を振って去っていった。
もう背中しか見えなかったけれど、あのニンゲンの笑顔は脳裏に焼き付いていた。
𖡬 𖡬 𖡬
目を離すのも心配で、結局何をするでもなくぷれはぶにずっといた、
もうじき起きるとカイリューは言っていたけど、シャンデラが起きた時には太陽はだいぶ傾いていた。
そろそろ帰り時を考えようと思っていたところに、やっとシャンデラは起きた。
起きたシャンデラは記憶があまりないようで不思議そうな顔をしていた。
わたしが起こったこと説明すると、みるみる怯えた顔になって、何度も謝られた。
それから、最後に一度だけ、ありがとうと言われた。
夕暮れ時が近づいていて一旦は帰ったものの、日が沈んでも寝付けなかった。
見送る時のシャンデラのふらつきを見てしまうと、どうにも心配になる。
結局新しい住処をこっそり抜け出してきてしまった。
前の住処よりも川から遠かったから、道のりが遠い。
今日は新月の日だから、空は夜通し暗いまま。
闇の中を無心で走って、ぷれはぶに辿り着く。
シャンデラは大丈夫だろうか。
丸い石ころを蹴飛ばして進むと、ぷれはぶのとびらが勝手に開いた。
「…………」
シャンデラがしずしずと外に出てきた。
「あ、気づいてたんだ」
「うん。夜にここまで来るのはキミくらいだから」
「そっか。中入ってもいい?」
「うん、大丈夫」
ぷれはぶに入ると、目の前には既にニンゲンの作った椅子が置かれていた。
昼に来た時は何もなかったと思うけど。
わたしが来るのをわかっていたんだろうか。
ともあれ椅子に腰掛ける。
シャンデラもわたしの目の前で天井にぶら下がった。
「ずっと思ってたんだけど」
「ん、どうしたの?」
「どうやってぶら下がってるの?」
「これ? うーん、難しいな」
「…………?」
「シャドーボールみたいな感じなんだよね。念を集めて塊にするんだよ。それを、球じゃなくてヒモにしてる感じ」
「ふーん……?」
別にシャドーボールも使えるわけじゃないから、よくわからなかった。
サイケこうせんの感覚なら分かるけど、ああいう感じなんだろうか。
「それより」
シャンデラが正面に居直った。
「その、昼はごめんね」
「別にもういいよ、気にしてない」
「うん……」
またシャンデラは黙りこくってしまう。
視線は泳いでいて、何か言いたげだった。
「どうしたの?」
促すと、シャンデラはチラリとこちらを見た。
外が見える壁に近づいて、月明かりのない空を見上げている。
「その、ボクは多分もう長くないんだ」
「長く、ない? ……なにが?」
「命が」
「命……」
信じられなくて思わず聞き返してしまったけれど、シャンデラはあっさりと言い放つ。
どう反応すればいいかわからなかった。
「い、いきなりごめん。でも、助けてもらったし、事情は言っておかなくちゃって思って」
「…………」
「……いや、ボクが誰かに言いたいだけかもしれない。聞いてくれる?」
そういきなり問われて、すぐには言葉は出なかった。
ややあって、わたしは頷いた。
「うん、聞く」
「ありがとう」
シャンデラは遠くの真っ暗な空を見つめながら、ポツポツと話し始めた。
ꚸ ꚸ ꚸ
元々ボクは病弱な体質なんだ
ボクの炎、橙色でしょ?
『うん、綺麗だよね』
綺麗……嬉しいけど、普通のシャンデラは青い色なんだ。
ニンゲンたちの中には、ポケモンの体に詳しいニンゲンがいてね。
ボクを捕まえていたトレーナーが、そのニンゲンにボクを見せたんだ。
そしたら、赤い炎はきちんと燃やせていない証拠なんだって、言ってた。
普通のシャンデラよりも体が弱くて、エネルギーが少ないから、きちんと燃やせていないんだって。
だからボクは体調を崩しやすいんだ。
それに、それだけじゃなくて。
自分で持ってるエネルギーが少ないから、周りからたくさんエネルギーを吸なわきゃいけなかった。
ボクの周りにいたポケモンやニンゲンが、ボクにエネルギーを吸われて体調を崩したんだ。
普通のシャンデラならそうたくさん吸わなくてもちゃんと頭を燃やせるんだけど、ボクはそうはいかなかった。
ボクが体調崩すだけだったらまだしも、ボクのトレーナーまで危険になるのは嫌で、家を出たんだ。
トレーナーの元を離れて、それでここに来た。
こっちではなるべく他のポケモンの生命エネルギーを吸わないようにしようと思って。
それで落ち葉を集めて頭を燃やしたり、きのみを食べたりしてた。
でもやっぱりボクはシャンデラだから、生命エネルギーを吸わないと栄養が足りないんだ。
前に今は元気だって言ったと思うんだけど、あれは嘘。
ごめんね、あんまり知り合ったばかりのポケモンに心配されるのも嫌で。
『うん……でも、その、長くないっていうのは?』
それは今日思ったこと。
今日はキミが来るのをわかってたから、少し華やかにしてみようかなって思ってハーブを燃やそうと思ってたんだ。
いい香りがするから、好きで。
ハーブは近所のロズレイドさんも好きだから、毒のツタが残ってたりすることは知ってたんだけど。
ゴーストタイプだから、今までは少しの毒くらいなら平気で。
今回もそう思ってやってみたら、倒れちゃった。
それでもう体も限界なのかもしれないって思って。
そんな顔しないで、最後に楽しかったからいいんだ。
……不思議そうな顔してるね。
キミのことだよ。
『え、わたし?』
うん。
ボクはニンゲンのことが好きなのに、ここのポケモンたちはみんなニンゲンが嫌いで少し嫌だったんだ。
このプレハブに住んでからだいぶ経って、もう流石に諦めてた。
このまま一匹で、このプレハブで朽ちるのもいいかなって、思ってた。
ちょうどあの日もそんなこと考えてたんだ。
キミが来た日。
入ってくるポケモンがいたことにもうびっくりしてたけど、ニンゲンのこと聞かれて本当にびっくりしちゃった。
今でもあの時の驚きは覚えてるよ。
でも、ニンゲンの話を聞いてくれたことも、話せたのも嬉しかったし。
……まぁあと、ボクの焼いたきのみを美味しいって言ってくれたことも。
キミと話すのはすごく楽しかった。
だから、最後にいい思い出だったなぁって。
ꚸ ꚸ ꚸ
「ねえちょっと!」
自分でもびっくりするくらいの声が出た。
シャンデラがびくりと震えて、こちらを見る。
「な、なに……?」
シャンデラは怯えたような目でわたしを見る。
思っていたより声を張ってしまったせいで、少し気まずい。
「その、なんで今から死んじゃうみたいな言い方してるの?」
「だって、もう長くないから……」
「まだ全然生きてるじゃん! わたしと喋れてるんだから」
わたしはまた叫んだ。
シャンデラの勝手に諦めてしまっている態度がもどかしい。
「……良くなったけど、今も少し苦しいんだ。体が重くて」
そう言われてしまうと、怒鳴るのもなんだか申し訳ない。
「じゃあ、わたしからエネルギー吸ってもいいよ。倒れないくらいなら」
「いや、それは……」
「シャンデラにはたくさん話を聞かせてもらったし」
「…………でも」
「わたしの生命エネルギー? でシャンデラが良くなるなら」
「いや、ダメなんだ」
わたしの言葉は遮られた。
「なんでよ」
「また、ボクのトレーナーみたいに倒れさせちゃうのが怖いから」
「…………」
「気づかないうちに取りすぎちゃうんだ。あの時はなんとか大丈夫だったけど、またそうならない保証はないし」
「じゃあ……」
なんとかして、シャンデラの諦めを否定したかった。
とは言っても、そうすぐには思いつかない。
「じゃあ、ニンゲンのところに行こうよ!」
考えるよりも先に、口が動いた。
そうだ、ニンゲンならなんとかしてくれるかもしれない。
「ニンゲンでもダメだったから、ボクは今ここにいるんだよ……」
「でも今日のニンゲンはシャンデラを助けてくれたじゃない」
「今日のは毒だったけど、体は生まれつきだから……」
そう言われてしまうと、具体的に何か反論はできなかった。
「…………」
「もう、仕方がないんだ」
もう完全に諦めてしまったようだった。
どうにか勇気づける言葉を探しても、もう何も見つからない。
重苦しい沈黙が横たわる。
わたしの枝先に灯る火だけがパチパチと弾けていた。
しばらくして、シャンデラはわたしの火から目を背けた。
壁に埋まっている透明な板越しに、空を眺める。
「外、暗いね」
「……新月だから」
「死んだ世界は、こんな感じなのかな」
どんどん進んではいけない方向に話が進んでいる。
暗い空を見ていると、わたしも気が滅入ってきそうだった。
元気付ける言葉……。
暗い空……。
「ねぇ、シャンデラ」
「……? なーに?」
「ついてきて」
「え、どうしたの?」
「いいから」
シャンデラの腕を引っ張って、半ば強引にぷれはぶの外に連れ出した。
「なにか、するの?」
わたしを見るシャンデラは、変わらず意気消沈した表情。
「ちょっと、見てて」
空を見上げる。
周りには木々もなくて、ただ真っ暗な空が広がっていた。
燃え移りもしない、大丈夫。
シャンデラの横に立った。
枝を持って、目を閉じて、少し精神統一。
最近はあんまりやってなかったけど、まだできるはず。
両手で枝を回しながら、踊るように足を一歩踏み出す。
枝に炎を灯し、枝を右手だけに持ち替えて、炎を真上に打ち上げる。
パチパチと音を立てるはじけるほのおは、上空に勢いよく登っていった。
空に登る炎に枝を向けて、狙いを定める。
ひゅんひゅんと連続で、火花に向けてサイケこうせんを打ち出した。
目に眩しい色とりどりの光線が真っ暗な夜空を切り裂いて——
ぱーーん。
はじけるほのおにサイケこうせんが当たって、小気味良い音を立てて爆発する。
赤、橙、緑、さまざまに色づいた炎が真っ黒な空を彩った。
今度は連続ではじけるほのおを打ち出す。
二個、三個、四個、打ち上げる。
火花は音も立てずに上空に放られた。
狙いすまして、サイケこうせんをいくつも放つ。
ぱーん、ぱーん、と火花がまた爆発する。
最初の火が消えて暗くなった夜空を、また炎が鮮やかに彩った。
「ほら」
声をかけると、シャンデラがこちらを見たのが横目にわかった。
火花と光線を空に送りながら、わたしは続ける。
「空。これで暗くないよ」
元々は、暗い日にお母さんが「花火」と言ってやってくれたもの。
綺麗で、カッコよくて、テールナーに進化した時にはずっと練習していた。
周りに住むポケモンたちにも披露したりして、ちょっとした得意技だった。
「……うん」
シャンデラは、気の抜けた返事。
チラリとシャンデラを横目に見る。
シャンデラはわたしをボーッと見ていた。
魂を抜かれてしまったような表情が面白くて、口角が上がった。
「綺麗でしょ。昔練習してたんだ」
「そうだね、すごく綺麗……」
「ね、シャンデラ」
最後の光線を放ってから、シャンデラに向き直る。
「ん、なに?」
「一緒にニンゲンのところに行きましょ」
ぱーん、と花火が鳴って、夜空がまた彩られる。
シャンデラの透き通る体に、花火が映った。
「……え」
「そしたら、シャンデラの体も治るかも」
手を止める前最後に上げた花火が散って、また辺りは暗闇に包まれる。
しばらくして、消え入るような細い声が聞こえた。
「一緒に?」
「わたしも行きたいから」
「……じゃあ、一緒に行こう」
「うん。すぐにでも」
「…………ありがとう」
シャンデラもそんなに長くないと言っていたし、あまり時間に猶予はなさそう。
もう明日には出るくらいの気持ちでいなきゃ。
シャンデラの話を聞いてから、シャンデラにはまだ生きていて欲しいと思った。
自分で言っておきながら、急すぎる展開だけど……。
でもいい機会だったかもしれない。
ずっとこのニンゲンがいないところでニンゲンを探していても仕方がないから。
「……あと」
シャンデラがもう一度空を見上げた。
「すごく楽しかった」
「ほんと? よかった。前はよく練習してたんだ」
「ニンゲンの世界でもね、「花火」って言って、同じようなことをするんだ」
「え、そうなの? わたしのお母さんも花火って言ってたよ」
「それはすごい偶然だね」
ニンゲンと同じことをやっていたというのは、なんだか嬉しかった。
シャンデラはまだ空を見つめたまま。
「ボクは、花火のことは知ってたけど、直接花火を見たことがなくて。……ずっと見たいって思ってた」
「そう、なんだ」
だからあんなに見惚れていたんだ。
「キミはすごいね」
「ありがと。花火はちょっと自信あるんだ」
「うん、綺麗だった」
そう次から次へ褒められると、嬉しいような、気恥ずかしいような。
「……今日はそろそろ帰るね。ニンゲンのところに行く準備も、すぐしとく」
「ありがとう……。またね」
「うん、また。明日に」
決して照れ隠しってわけじゃないけど、わたしは足早に河原を去った。
第六話:失火
ぽわーん、と鳴き声が頭上から聞こえた。
木々から垣間見える空はもう朱に染まっている。
きっと今の声はフワンテとフワライドの群れだろう。
夕方になると大群でどこかに飛んでいくのをよく見る。
昨日シャンデラと別れてから、わたしはこの森を出る準備を進めた。
といっても、何を用意すればいいのかもよくわからない。
二日三日は保つだろう分のきのみと、おやつを兼ねた杖候補の枝をカゴに入れたくらい。
この森に思い入れがないわけではないけれど、名残惜しいとはあまり思わなかった。
仲が良かったポケモンたちでも、ニンゲンのところに行くとなると事前に言えるポケモンたちは少ない。
あの時フーディンの元に一緒に行った友達、オオタチとルカリオにだけ話しておいた。
二匹とも心配しつつも応援してくれて、その時は少し泣きそうだったけれど。
あの時の仲間の最後の一匹、モノズが森を出て行くのを見送った時を思い出す。
あの時少し不安そうな表情だった気持ちが今ならよくわかる。
あとは、お父さんとお母さんと妹。
妹はともかくとして、お父さんとお母さんは何か言ったら絶対に喧嘩になっちゃうと思う。
何も言わないで出ていくつもりだけど、決して嫌いなわけじゃない。
心配もかけるだろうし、申し訳ないとは思う。
明日の朝、わたしがもう戻れないくらい歩いた後に、伝えてもらうようにオオタチには頼んでおいた。
もうこの森でやり残したことはない。
あとは寝るフリをしてから抜け出すだけ。
きのみのバッグも、寝場所の近くに置いてある。
そわそわと何をするにも落ち着かなくて、住処の周りで木のカゴを編んでいた。
「ちょっとテールナー、いるの?」
いきなりお母さんの大きな声。
ただ大きいというより、怒号だった。
「なに? いるよ」
いきなりなんなんだろう。
少しムッとしながら返事をする。
「あんた川で何やってたの!」
全身の毛が逆立つ。
「え、え……」
なんで。
いきなりのことに言葉が出ない。
「昨日の夜! 寝ないで川にいたんでしょう!」
なんで知ってるの?
どこでバレた?
頭の中にいくつもの疑問が渦巻く。
「黙ってても無駄よ。ケンホロウさんから川の方で花火を見たって聞いたんだから。あんたじゃなきゃ誰がやるの」
そういうことか。
あの花火を見ていたポケモンがいないとは思っていなかったけど、わたしのことを知っている誰かがいるとは思っていなかった。
迂闊だった。
頭の中は冷静なのに、喉は凍ったみたいに何も言えなかった。
目線を上げると、お母さんがいつになく厳しい表情でわたしを睨んでいる。
「…………」
「おい。テールナー」
前方から、岩が降ってきたような重い声。
お母さんの後ろから、お父さんもこちらに歩いてきた。
「夜に出歩いていたのか」
お父さんがお母さんの横に並ぶ。
ツノがギラリと光を反射してわたしの目に差した。
いきなり二匹から睨まれて、図星で。
言葉が出ない。
「…………」
「テールナー!」
お母さんが叱咤する。
「行ってたよ。別にいいじゃん」
絞り出した声は、自分の想像以上に小さく、低かった。
「良いわけないでしょ! 夜に出歩くなんて!」
「周りが見づらいことも、起きているポケモンが少ないことも、危険なことはわかるだろう」
「…………」
「それにちゃんと寝てないってことでしょ? 健康に悪いわよ」
「……うん」
お父さんもお母さんも、心配していたのは夜に出歩いていることだった。
これは確かにそうだ。
火をつけていても周りが完全に見えるわけじゃないし、助けも求めづらくなる。
わたしだって分かってはいるけど、それでもこう改めて言われると反論のしようがない。
「お姉ちゃんみたいに番ができて、そっちに行くっていうならともかく。そうじゃないなら夜は住処にいなさい」
「一匹で危ないことはするなよ」
「うん……」
たった今から、ここを離れようとしていたのに。
こんなことを言われてしまうと申し訳なくていられない。
でも、もうここを出るのは心に決まっている。
最後まで心配をかけるわたしは、親不孝かもしれない。
「それに」
「……?」
「行くにしても川はやめなさい! ニンゲンがいるって言ってるでしょ!」
お母さんがまた怒鳴る。
「ニンゲンの話は関係ない!」
なんでよ。
「ニンゲンなんて、野蛮で残忍で、危ないんだから!」
「ニンゲンは危なくない!」
心配してくれてると思ったのに。
「危ないわよ! 最近だってポケモンを誘拐するって話があるんだから!」
「誘拐なんかしてない!」
親不孝だったかなって思ったのに。
「あんた、川でニンゲンを見たって聞いたから。ニンゲン探してるんじゃないでしょうね?」
「探してる! もう会ったよ!!」
ここのポケモンなんていつもこう。
「なん……」
「わたしの友達を助けてくれたの! ニンゲンは悪くない!」
ニンゲンのことを悪いって決めつけて。
「……たまたまそのニンゲンが助けてくれたとしても! 危ないニンゲンだったらどうするの!」
「そんなのポケモンもニンゲンも一緒じゃん!」
ポケモンだって悪いやつらもいるのに。
「やっぱりあの時に止められたら……」
「違う!!」
意味もなく敵にしてばっかり。
「あの事件から、あなたおかしいのよ」
「おかしくない! フーディンさんは悪いポケモンじゃない!! 絶対に違う!」
もう我慢の限界だった。
ただひたすらその場を離れたくて、わたしは川へ行く方に駆け出した。
「ちょっと! 待ちなさい!」
お母さんの叫び声が聞こえる。
「待て、マフォ」
お父さんが呼び止める声もした。
でも、もう関係ない。
わたしは今日ニンゲンのいるところに行く。
こんなところになんかいられない。
怒りに任せて何度も地面を蹴り付けて走った。
𖡬 𖡬 𖡬
とぼとぼと一歩ずつ足を前に出す。
勢いに任せて走り出して、だいぶ疲れてしまった。
見上げた空はもう一欠片の光もない。
『……たまたまそのニンゲンが助けてくれたとしても! 危ないニンゲンだったらどうするの!』
お母さんの言葉を思い出す。
失敗した。
またカッとなって。
お母さんだっていっつも決めつけてくるから、わたしだけが悪いわけじゃないとは思うけど。
でも、もう少し話のやりようはあったかもしれない。
『あの事件から、あなたおかしいのよ』
……わたしはおかしいわけじゃない。
やっぱりこれで良かったんだ。
このままニンゲンのところまで行こう。
「……あ」
思わず声が出た。
準備したカゴを持って行き忘れてしまった。
せっかく準備したのに。
「……いいか」
あの時はとにかくその場を離れたかった。
今更戻るわけにもいかないし。
別にぷれはぶに行ってからでも準備はできるだろう。
「しょーがない」
不安な気持ちを抑えたくて、独り言。
『ちょっと! 待ちなさい!』
お母さんの声をまた思い出してしまった。
今頃、心配してるかな。
お母さんも、お父さんも。
『待て、マフォ』
……そういえば。
耳に残ったお父さんの声は、わたしではなく、お母さんを呼んでいた。
お母さんは多分わたしを追いかけようとしていただろう。
わたしを追いかけるお母さんを、どうして……?
今更気づいても、もう真実は分からない。
心に整理をつけて早足に森を抜けた。
木々が頭上からなくなって、開けた視界には星空が広がっていた。
月がない分、星がよく見える。
川は相変わらず静かに流れていた。
出発するにはいい天気かもしれない。
歩を緩めてぷれはぶに近づいた。
がちゃ、と音がしてとびらが開いた。
シャンデラが体の半分だけを外に覗かせた。
「きたよ」
「うん……いらっしゃい」
再びぷれはぶに戻るシャンデラの後を追って、わたしもぷれはぶに入った。
いつものように置かれている椅子に座った。
シャンデラはいつものように正面ではなくて、ドアと反対の横に来た。
「それで、その、行く準備は、どう?」
「うん。もう行くつもりで来た」
「そっか。お父さんとお母さんは大丈夫?」
「あー、えっと。大丈夫……ではないんだけど」
どう言ったものか。
自分自身完璧な行動ではなかったと思うからこそ、言いづらかった。
「大丈夫じゃないの?」
「ちょっと、言い争いして」
「それは……本当にもうここを出ていいの?」
「……うん。いいの」
「そういうなら、まぁ。とは言っても暗いうちには出られないから、明日起きたらになると思うけどね」
「うん。なるべく早くお願い」
明日にはこの森を出る。
あまりにも唐突な話で、しかもさっきは住処を飛び出して、お母さんとも喧嘩しっぱなし。
頭ではこれでいいと分かっている。
これが正しいんだ。
それでも、漠然とした不安がくろいきりのようにわたしを包んでいた。
拭おうとしても霧は一向に晴れそうにない。
「大丈夫?」
「……あ、なに?」
「大丈夫? って。ちょっと怖い顔してるよ」
「え、……うん」
顔に出てたんだ。
見逃されなかった。
「やっぱり大丈夫じゃなかったりしない?」
「えっと……」
「何か気掛かりがあるなら聞くよ。ボクなんかに何ができるかはわからないけど」
「その……うん」
戸惑った気持ちを感じながらも、一つ頷いた。
自分自身よく分かっていないから、何を言えばいいのかもよくわからない。
でも何かが不安なのは事実で。
それに気づいてもらえたのは嬉しかった。
わたしの言葉を待つシャンデラの瞳は、わたしが出す炎を映してゆっくり揺れている。
「その、また喧嘩して」
「お母さんと?」
「……うん」
「わたしがここにいたの、バレちゃって。それで怒られたの」
「それは……ごめんね」
花火で、とは言っていないけれど、多分シャンデラは分かっているんだろう。
「ううん、いいの。それで、夜に出歩くなって言われたんだけどね。その時一緒に、ニンゲンなんか探すなーって言われて」
「そのことも、お母さん分かってたんだ」
「そうじゃないんだけど、でもこの辺りでニンゲンを見たっていう話はいくつもあったの。全身白いって言われてたから、多分シャンデラを助けてくれたニンゲンだと思う」
「そうだったんだ……そんなニンゲンが」
「それで……それで、やっぱりフーディンさんのせいって言われて。飛び出してきちゃった」
「キミも嫌だったよね」
「うん。でも、お母さんはやっぱり心配してくれてたなって、後から思って」
今の素直な気持ちを、全部言った。
シャンデラはしばらく困った顔をして、それから伏目がちに話し出す。
「その、全然戻ってもいいよ。ボクに付き合って、森を離れるなんてしなくても」
「ううん、いいの」
「ほら、行くにしても、今日じゃなくてもいいわけだし」
「いいの。友達にね、伝言頼んであって。最後まで心配かけちゃってごめんって、言ってあったんだ」
「そっか。後悔してないならいいんだけど……」
「なんとなく、ニンゲンのところに行くなら今しかないって思ってるの」
「今しかない……?」
「うん。今まで何度も森を抜け出そうかなって思ってたけど、結局やって来なくて。それが初めてわたし以外の理由ができたから。行くなら今だって思う。今戻ったら、もうニンゲンの街には行かない気がして」
「……そっか。ありがとう」
シャンデラは、申し訳なさ半分の笑みをわたしに向けた。
「ん、なんか話したらスッキリした」
自分で言葉にして改めて、わたしは今日この森を出るんだと実感できた。
不安もあるけど、今しかない。
「ほんと? よかったよ」
なんとなく椅子から立ち上がって、外が見られる透明な板に近づいた。
触るとひんやりと冷たい。
「これはなんて言うの?」
「それは窓。外が見られるんだけど、扉みたいに開けられるよ」
「ふーん……やっぱりすごいね」
まどの木の枠に手をかけて、外を見やる。
そとは星明かりのわずかな光を川が反射して煌めかせていた。
月がないから暗いけど、綺麗だった。
ふいと、お母さんの言葉を思い出した。
『お姉ちゃんみたいに番ができて、そっちに行くっていうならともかく。そうじゃないなら夜は住処にいなさい』
お姉ちゃんもこんな感じで夜に出歩いてたのかな。
「あーあ。番がいたらなぁ」
「……つがい?」
「お母さんが、お姉ちゃんみたいに番がいるなら出歩いても危なくないけど、って言ってて」
「…………」
「わたしにも番がいれば、お母さんも説得できたのにって」
「……………………」
「そうだ、ニンゲン達の住処で探そうかな」
そしたら、ニンゲンのところにずっと居られる。
そう言おうとして、シャンデラがじっとこっちを見ているのに気づいた。
まどの外からシャンデラに視線を映す。
「……? どうしたの?」
「……その」
「また体調悪いの?」
「あ、ううん! そうじゃなくて」
「??」
「……えと、あの……………………」
「ボクじゃ……だめかな」
……え。
お腹に力が入って、掠れた声も出なかった。
それまで考えていたことが全部吹き飛んで、何も考えられない。
「あ……その、キミと話すの、すごく居心地が良くて」
「……ダメって、番のこと?」
無理やり声を絞り出す。
シャンデラは少し目を逸らしたあと、またわたしを正面から見つめた。
「……うん。キミと一緒にいたいって、思うから……」
「それは、これからニンゲンのところに一緒に行くけど……」
「番なら、探さなくても、って」
わたしの中に渦巻く気持ちはなんだろう。
シャンデラはまだ知り合ったばっかり。
……でも、もう色んなことを話して、川の向こうにも出かけて、決してもう怪しんでいるわけじゃない。
「その……花火に元気もらったんだ」
「花火?」
「あの花火のおかげで、まだもう少し生きててもいいかなって、ここにきて初めて思えて。だから、キミには返しきれないくらい恩がある」
そう言われると、わたしの花火で本当に勇気づけられたなら、嬉しい。
けど。
「ニンゲン達のところでも見られなかったものを、キミは見せてくれたから」
けど。
そうだ。
「……でも、わたしたち、タマゴはできない、よね」
そうだ。
ポケモンには色々な種類がいても、誰も彼もが番になってタマゴができるわけじゃない。
ニドキングのお父さんとマフォクシーのお母さんみたいに、別種でも体の作りなんかが近ければタマゴはできるとされているけれど。
でも、わたしとシャンデラは、多分違う。
体の作りも、何もかも。
「……タマゴがなくちゃ、ダメかな」
「ダメ、ってことは……」
確かに子供がいない番もいる。
ダメではない、のだろうか。
わからない。
「ボクはただ、一緒にいたいから……」
どうして?
わたしの考えに、一片の疑念が生まれた。
どうしてシャンデラはそこまで食い下がってくるんだろう。
何か、企んでいるんだろうか。
シャンデラと最初に会った時の警戒心が蘇ってくる。
「…………っ!」
シャンデラを前に突き飛ばす。
「なっ……」
突然押し返されて、シャンデラは体勢を崩して倒れ込む。
倒れるシャンデラの、その横を駆け抜けて、わたしはぷれはぶを飛び出した。
第七話:烈火
きりりと冷えた空気が顔に打ちつける。
部屋はわたしの炎で温まっていたけれど、外は温まってはいなかった。
地面を蹴る。
また冷えた空気が頬を撫でる。
コロコロとした角の取れた石を蹴って、河原を駆け抜ける。
……なんで?
地面を蹴る。
シャンデラから逃げるため。
地面を蹴る。
なんで逃げるの?
丸い石に足が取られて、バランスを崩す。
……シャンデラが、何か怪しいから?
すんでのところで、もう片方の足を前に出して、体勢を戻す。
シャンデラは本当に怪しかっただろうか。
もしかしたら、考えた通りシャンデラは何か怪しいかもしれない。そうだったらわたしの選択は間違っていない。
また、走り続ける。
シャンデラはわたしと話すのは居心地がいいと言ってくれた。
シャンデラはわたしと一緒にいたいと言ってくれた。
シャンデラは、わたしの花火で元気をもらったと言ってくれた。
……シャンデラがわたしに危害を加えようとしているのなら、今までにも十分隙はあったはず。
やっぱり、シャンデラが何か企んでいるわけ、ないのに。
自責の念が急に押し寄せる。
すぐこうやって、根拠もなく疑ってしてしまう。
ニンゲンを探していたのだって、理由もなく周りのポケモンの言葉を信じたくないと思っただけ。
ニンゲンのことは、結果的に助けてくれたニンゲンがいたから合っていたけど。
でもシャンデラを突き飛ばした被害妄想は大間違いだった。
不安だったから、と言い訳することはできても、シャンデラを傷つけたのは変わらない。
戻ろうか、と一瞬思った。
そう思いながらも、わたしは木の枝に跨って、進行方向と逆に炎を出した。
……お母さんの時だって、こうやって素直になれなかったのに。
いつも、自分が悪かったと思っていながら、戻って謝るだけのことができない。
わたしの一番悪いところ。
ばつが悪くて、自分に腹が立って、もやを追い払うようにもう一度ニトロチャージを発動する。
さらに河原から離れていく。
あそこじゃないか!?
地が震える。
「炎が見えた! 行くぞ!」
再びの重低音。
聞き覚えがないはずのない声。
ここまで来ていたんだ。
わたしを探して。
迂闊にニトロチャージなんかするんじゃなかった。
何もかもが裏目に出ている。
踵を返して一目散に来た道を戻る。
これ以上情報を与えないように、ニトロチャージは使わずに。
ひたすらに走る。
走っている、はずなのに。
そのうちに後ろから、ざっざっと地面を蹴る速い足音。
「待ちなさい!」
チラリと後ろを振り返る。
暗がりの森の中に、真っ赤な影が見えた。
全身が淡く炎に包まれているのは、多分お母さんもニトロチャージを使っているから。
表情こそまだ遠くて見えないけれど、とても見られないような形相をしていると思う。
見つかっているならもう急がない理由はない。
尻尾から枝を抜き取って、跨った瞬間に炎を噴射する。
噴射した炎がわたしの体を包んで、体が軽くなるのを感じた。
脇目も降らすに走っているのに、足音はどんどん近づいてくる。
後ろを見る余裕もないものの、もう少しでも立ち止まれば追いつかれてしまうほどに近い。
河原がすぐそこに見えてきた。
このままの勢いで、川を越えよう。
その先は——考えていないけど。
いっそそのままニンゲン達の住処まで向かってしまおう。
そこまでは追って来ないはず。
視界が開けて、河原に足を踏み入れる。
ニトロチャージで加速する。
「テールナー!」
後ろから聞き覚えのある高さの、しかし聞いたことのない音量の声。
驚いて足がもつれる。
体がつんのめって、勢いを殺しきれずに体が宙に浮いた。
上下の方向がわからなくなる。
今自分がどうなっているのかを考えるよりも先に、背中に強い衝撃が走った。
遅れて夜空が目に飛び込んできて、自分が倒れたことを悟る。
休む間もなく手を地面について飛び上がった。
背中がビリリと痛む。
痛みに一瞬ふらついた足を踏ん張って、もう一度走り出そうと前を向く。
ドン、ドン、ドン、ドン、ガンッ!
足が地面を蹴る前に、轟音と共に地面が揺れた。
音に気を取られて一瞬怯んだだけなのに、次の瞬間には目の前に高い岩の壁がそびえ立っていた。
——逃げられない。
お父さんのストーンエッジの壁が壊せるような脆さじゃないのは、よく知っている。
逃げられないことを感じて、背筋が震える。
観念して後ろを向くしか、もうわたしにできることはなかった。
「テールナー……」
お母さんが逃げ道を塞ぐようにわたしの少し前で立ち止まった。
少し遅れて、お父さんも隣に並ぶ。
「あなた、やっぱりここに……」
お母さんが息混じりの声を出す。
お母さんは目一杯眉をひそめて、いつになく険しい顔だった。
お父さんの視線は、いつもとそう変わらない。
何も言わずに、ただこちらを見ていた。
右腕に何かを抱えているが、その正体もわからない。
「帰るわよ」
「……嫌だ」
お母さんが一歩、二歩、わたしに近づいてくる。
同じだけ、わたしは後ずさった。
「ここは危ないから。帰りましょ」
「嫌だ」
お母さんはどんどん距離を詰めてくる。
どん。
背中が岩壁に当たる。
もう引き下がることはできない。
「帰ってきなさい!」
「嫌だっ……!」
わたしの叫びは虚しく河原に響き渡る。
——だけではなかった。
ごう、と太陽のような橙の炎が目の前を一直線に吹き抜ける。
同時に、ガシャン! と轟音を立てて、岩壁の一部が破壊された。
お父さんのストーンエッジの壁が、粉々になった。
ぼぼぼぼぼっ、立て続けに火が燃える音がする。
次の瞬間には河原一面を橙色の炎が覆い尽くしていた。
囲って踊るように、炎の塊はお母さんの周りを揺らめいて回る。
「動くなマフォ!」
ドン!ガン!ガン!ガン!
地揺れとともに、幾つもの岩が突き上がってくる。
お母さんの周りに炎を全部消して、岩は勝手に崩れ去った。
すかさずお母さんは後ろに飛んで、お父さんと並ぶ。
一体誰が護ってくれたんだろう。
そんなこと、あの炎の色を見ればすぐにわかった。
さっきの色と同じ、大きな炎が視界の左に映る。
シャンデラがわたしの方に腕を伸ばしながらゆっくり近づいてくる。
いつもと違って、腕にも頭にも真朱の灯火が燃え盛っていた。
シャンデラは私の左前方でピタリと止まった。
わたしを護るように腕を伸ばしたまま、お父さんとお母さんを見た。
牽制し合うようにお互い喋らない。
後ろからは背中しか見えなくて、シャンデラの表情はわからない。
でも、お父さんとお母さんの顔はみるみる険しい表情に変わる。
「お前」
風の音だけがする中、お父さんが口を開いた。
「シャンデラか」
「ええ」
「ニンゲンと暮らしていたことがあるっていう、シャンデラだな」
「はい。ボクがそうです」
お父さんが重苦しく口を閉じて、代わりにお母さんが声を荒げた。
「うちの子に何をしたッ!」
「っ……何とは」
「お前がうちの子をニンゲンと引き合わせていたんでしょう!」
「ニンゲンと……? そんなこと」
「お前が周りのポケモンにニンゲンの話をしていたのは知ってるのよ! ここに住んでるポケモンが言ってるんだから!」
「っ……それは」
「うちの子を返しなさい!」
シャンデラが何かを言うよりも先に、お母さんがシャンデラにだいもんじを放つ。
炎は河原の石を焼いて、シャンデラを包み込む。
しかし、シャンデラの頭と腕の炎がだいもんじを全て飲み込んでしまった。
最初にわたしの炎を吸収した時と同じだ。
「なっ……」
お母さんの顔が驚きに染まる。
シャンデラはだいもんじを受けるために交差した腕を前に突き出した。
シャンデラの手の中にどす黒い塊が作られていく。
シャンデラが腕を解放するとシャドーボールは一直線に飛んでいった。
お父さんが前に躍り出る。
毒々しい紫色に染まった腕が影の塊を上から押しつぶした。
真っ黒な爆発が起こる。
その勢いを利用するように、お父さんがシャンデラに向かって突撃する。
しかし、その目の前にずらっと朱色の炎が列を成した。
一度はおにびの列を避けたものの、次々と生み出されるおにびの壁を進みながらは避けきれず、お父さんは後ろに飛んで引いていく。
間髪を入れずに、シャンデラの頭がキラキラと光を放ち始める。
シャンデラが頭を振り下ろすと、ギラギラと凶悪に光る炎の束が発射された。
かえんほうしゃよりももっと太いれんごくの炎が、両側に飛び退いたお父さんとお母さんの間を飛び去る。
後方の河原の石に当たって爆発が起こった。
シャンデラの斜め前でお母さんが杖を振る。
いくつもの極彩色の光線が暗闇を切り裂いて生まれた。
自分めがけて飛んでくるサイケこうせんを見て、シャンデラが飛び上がる。
光線一つは避けられても、このままじゃ全部避けられない。
シャンデラの頭がふっと燃え上がって、天に昇った。
すると、天井に固定されたかのようにシャンデラが宙に止まった。
頭の炎が虚空を掴んでいる。
七色の光線はシャンデラの下を駆け抜けていった。
シャンデラが体を揺らすと、頭の炎はムチのようにしなってシャンデラをさらに揺らす。
左右に触れた勢いで跳んで、シャンデラはさらに距離を取る。
シャンデラが空中にいる間に、お父さんが手の中に毒々しい塊を作り始めた。
シャンデラの着地した隙を狙って、太い腕が振り下ろされる。
一直線に飛んでくるヘドロばくだんを、ギリギリのところでひらりとシャンデラはかわす。
あらぬ方向へ飛んでいったヘドロばくだんは、しかし空中で静止した。
薄ピンクのオーラをまとって、意思を持ったようにヘドロばくだんが再びシャンデラへと飛んでいく。
飛来する毒の塊とシャンデラの間に、パッと橙の炎が咲いた。
一点に生まれた炎は分身するみたいに四方に分かれて丸い壁を作る。
お母さんのサイコキネシスを使った奇襲ヘドロばくだんは、おにびの壁にぶつかって爆発した。
休む間もなく、お父さんが地面を揺らしながらシャンデラめがけて突撃する。
右腕がどす黒いオーラを纏った。
おにびを放った直後のシャンデラが振り向く。
シャンデラの目の前に、パッと3つの炎が生まれる。
3つの火はゆらゆらと大きさを変えながら、ゆっくりと丸を描いて動く。
見ていると頭がぼやっとしてきて、わたしは反射的に目を背けた。
地面を揺らすような足音が弱まっていく。
顔を上げると、お父さんが後ろに大きく飛んで下がるのが見えた。
お父さんの頭の周りには小さなおにびがくるくると回っている。
大きな腕がおにびを打ち払う。
顔の周囲を振り払うためにあげた両腕が、そのまま地面に突き立てられた。
ドン!ガン!ガン!ガン!
轟音を立てて地面から岩が突き上がる。
しかし岩はシャンデラの幅一つ分横を通り過ぎていった。
岩はシャンデラに外してなおも地面を突き破ってわたしの方に進んでくる。
わたしの方に。
「「テールナー!」」
お父さんの声とお母さんの声が重なって聞こえた。
岩の列がわたしに向かって進んでいることに気づいた時には、もう岩の壁はすぐそこに突き出ていた。
ぶわり。
横から熱い風が殴りつけるように吹いた。
体が勝手に浮いて、わたしは真横に吹き飛ばされる。
体が宙を舞う。
鼻先を掠めるかと思うほど目の前を岩が突き抜けていった。
なんとか手を付いて着地する。
風が吹きつけた面と地面に着いた手がひりりと痛んだ。
でも、あれを食らっていたら命はなかったと思う。
突き出た岩が砕けて、あたりが静寂に包まれる。
しばらくして、お父さんが鈍重な声を出した。
「テールナー、怪我は」
「ちょっと擦りむいただけ。大丈夫」
チラリと首だけこちらを見ていたお父さんは、体ごとシャンデラの方へ直った。
「お前が護ってくれたんだな」
「はい。ねっぷうで突き飛ばす形になってしまいましたが……」
シャンデラはチラリとこちらを見た。
ドスン。
お父さんが左膝と右腕を地面につく。
「すまない。……ありがとう」
「お父さん……!?」
お母さんが驚きの声をあげる。
しかし、お父さんは頭を垂れて動かない。
「ちょっと、こいつはテールナーを」
「いや」
納得行っていない様子のお母さんの声を、お父さんが遮った。
「テールナーを助けてもらったのは事実だ。そこに関して俺たちが言えることは何もない」
「……そうだけど!」
「……シャンデラ。なぜ俺たちの娘を護る」
お母さんの抗議を無視して、お父さんは膝をついたままシャンデラを見やる。
「なぜ? え、っと……少し話を聞いていただけますか?」
「あぁ」
「どうしてテールナーと知り合ったのか、お話しします。……いいよね?」
シャンデラがチラリとこちらを見る。
一瞬ニンゲンを探していたことがバレてしまうと身構えたが、そもそももうバレているのだった。
ニンゲンに合ったことも含めて、自分から大体言ってしまっている。
「……うん。大丈夫」
「わかった」
シャンデラはまたお父さんの方へ居直った。
「声を張り続けるのもなんですし、少し近づいていただけませんか。ボクから攻撃する意思はありません」
お父さんとお母さんが目線を交わす。
お互い頷いて、シャンデラにゆっくり近づいていった。
わたしも遅れないように、シャンデラの方へ近づく。
全員がシャンデラの元に集まると、シャンデラはしずしずと喋り始めた。
第八話:送火
ꚸ ꚸ ꚸ
この炎を見てください。
シャンデラ一族は本来炎は青いはずなんです。
ボクは体が弱くて、炎の勢いが弱いから、こんな色をしています。
一度消しますね。
先程からずっと、あなた方の生命エネルギーを頂戴していました。すみません。
代わりに誰か火をつけていただけると——ありがとうございます。
……ご存知の通り、ボクは元々ニンゲンと暮らしていました。
でも、ニンゲンの元を離れなければいけなかったんです。
体が弱くて、一緒に暮らしていたニンゲンから生命エネルギーを多く吸わないとボクは生きられなくて。
ニンゲンを殺してしまわないように、ボクはニンゲンの元を離れてここに来ました。
そうして、あのニンゲンが作った住処で暮らしていたんです。
ある時いきなりやってきたのがテールナーでした。
テールナーはニンゲンのことを嫌っていなくて。
知っての通りここのポケモンたちはほとんどニンゲンが嫌いですよね。
ここに来たばかりの頃のボクはほとんどニンゲンのことしか知りませんでした。
色んなポケモンにニンゲンの話をしてしまって、嫌われてしまっていて。
ここでもボクは孤独でした。
それなのに、テールナーはニンゲンの話を聞いてくれます。
それが嬉しくて。
それで、夜にテールナーがここに来て、ボクがニンゲンの話をするようになったんです。
ꚸ ꚸ ꚸ
シャンデラが話し終えたと言うようにお父さんとお母さんをそれぞれ見た。
途中何度もお母さんが怒りに叫んでいたが、その度にお父さんは宥めていた。
ほとんどわたしは知っている内容だったけど、改めて他のポケモンの口から聞くのはなんだか新鮮だった。
シャンデラがわたしに何を思っていたのかを聞くのも、初めて。
「お前の話は分かった」
お父さんがこちらに向いた。
「テールナー」
「……え、何?」
「お前が夜に抜け出しているのは、俺は気づいていたんだ」
「「えっ?」」
お母さんとわたしの声が重なった。
気づかれていないと思っていたけれど、お母さんには気づかれていなかったらしかった。
「ちょっと、なんで言ってくれなかったの⁉︎」
「……わざわざ眠る時間を削ってまで抜け出してるんだ。何も考えていない行動じゃない」
「でも……」
「お前は、何をしたいんだ?」
「……わたしは」
言っていいのだろうか。
お父さんの鋭い視線はわたしを丸ごと貫いている。
隠そうとして隠し通せる気もしなかった。
それに、ここまでバレてもう今更。
背中にジリジリと焼けるような感覚を覚えながら、精一杯口を開いた。
「わたしは、ニンゲンの暮らす場所に行きたい」
「何をしに」
被せるようにお父さんが再び聞いてきた。
その答えは、ちゃんとある。
「ニンゲンは悪いやつばっかじゃないって思うから、それを確かめる。カガクの力も見てみたい。それに……」
チラリとシャンデラを見た。
シャンデラは不思議そうに腕を揺らした。
「シャンデラがもっと生きられる方法もニンゲンなら知ってるかもしれないから」
口を突いて出た言葉。
言ってみて、内心自分でびっくりした。
確かにニンゲンのところに行けば治るかもとシャンデラには言ったけど。
でも、不思議とその目的に違和感はなかった。
シャンデラにはまだ生きていてほしいと思う。
「ダメよ!」
お母さんが怒号というよりは悲鳴に近い声を出す。
「危ないところに行って、テールナーが不幸な目に遭って、いいわけないじゃない!」
キッとシャンデラを睨みつけて、それからお母さんはお父さんの肩を掴んだ。
「貴方だって! なんで止めないの⁉︎」
「……俺も本当は止めたい。でも」
「でもじゃないわよ! 貴方だって心配してるじゃない!」
「俺は。親の言い分を切って捨てたから今ここにいる」
「私たちのこととニンゲンのところに行くのは全然状況が違うじゃない!」
「親が縛っているのは同じだ」
「いいえ。貴方の親は族のために言ってて、私たちはテールナーのためなのよ?」
「確かにそこは違うが……」
お父さんが言い淀んでいる姿は久しぶりに見た。
それほどにお母さんは怒っているし、わたしを心配してくれていた。
「あの」
夫婦の言い合いに、横槍が入った。
「一緒に行こうっていうボクの立場で言うのは違うかもしれませんが、一つだけ言わせてもらえませんか」
「あなたが? ……なによ」
「ボクは体が弱いせいで色んなことを諦めてきました。ニンゲンといる時も、ニンゲンと離れたことも、ここに来てからでも、やりたいことができたことがほとんどないんです」
「……それで?」
「やりたいことが不幸になる可能性があるから避ける、というのはもちろんわかります。でも」
だから、と置いて、シャンデラは丸い目でお母さんを見つめる。
「やりたいことが、やりたいのにできない方が、不幸だと思うんです」
怪訝な目でシャンデラを見ていたお母さんの目が、丸く見開かれた。
なぜかお父さんも、驚いたように目が吊り上がっていた。
「テールナーには、やりたいことを諦めて欲しくないんです」
「…………」
「もしかしたら、ボクにはなかった自由を代わりにやってもらおうとしているだけかもしれません。でも、そのために応援したくて」
そこまでシャンデラがしゃべると、お母さんが大きく息を吸って、ふーっと長く息を吐いた。
「なんで知ってるのよ……」
「……はい?」
「確かに……そうね」
どうしていきなり納得したんだろう。
思わず首を傾げながらお母さんを見ると、目が合った。
「……お父さんに全く同じことを言ったの。私。それで駆け落ちしたのよ」
「あぁ」
お母さんはどこか諦めたような目をしていた。
お父さんが頷く。
「族に縛られてやりたいことができない方が不幸だ! って。全く同じでしょ」
「……うん」
「何か、そういう超能力なの?」
シャンデラを見やるお母さんの目は、さっきまでと違って穏やかだった。
「え、いえ! たまたまです」
「そう……そうなのね」
お母さんは遠くの空を見上げた。
「……俺は、お前を止めに来たんじゃないんだ」
「……えっ?」
「っと、あっちに置いてあったか」
お父さんは足音を響かせて、河原の入り口の方へと歩いて行った。
戻ってくるお父さんの手には、葉っぱのカゴがひとつ。
「それ……!」
わたしが今日準備をして置いてきてしまった、きのみカゴだった。
「言い争ってる間に気づいたんだ。寝る場所にこんな準備をするのは、何かあるだろうと思って届けに来た」
よく見たら、一つだけきのみが増えていた。
カシブのみを干した、お守り。
お父さんは全部気づいていて、それでも見守っていてくれたんだ。
心配もかけていたはずなのに。
嬉しさ、申し訳なさ、温かさ、色んな気持ちがごちゃ混ぜになる。
「一匹で行くんだと思っていたから心配だったが、そいつがいるなら少しは安心できる」
シャンデラを一瞥して、お父さんはわたしにカゴを差し出した。
「テールナー。お前が思う正しいことをしろ」
ずっと不安だった。
わたしの考えていることが正しいのか。
それを、こう言われて。
視界がぼやける。
焼けるように目が熱い。
水滴がいくつも流れて止まらない。
勝手に嗚咽が漏れる。
こんなに泣くの、いつ以来かな。
泣きながら、そんなことを考えていた。
𖡬 𖡬 𖡬
泣き止んでから、お父さんとお母さんとまた少し話した。
ここで夜を明かそうとしていたのも、お父さんにはバレていた。
『ニンゲンたちの住処へはここの方が近いから、ここで寝なさい。朝になったらフォッコも連れてまた見送りに来る』
それだけお父さんが言って、二匹は帰っていった。
二匹が森の向こうの暗闇に消えると、シャンデラの体がふらりとぐらついた。
後ろから地面に吸い寄せられるシャンデラをとっさに受け止めた。
「だ、だいじょうぶ⁉」
「気が緩んじゃって……ありがとう」
受け止め続ける体力はなくて、ゆっくりと河原に寝かす。
「炎をくれない? ちょっとエネルギー使いすぎたみたい」
「えっと、そのまま当てればいいの?」
「うん、それで大丈夫」
シャンデラから少し離れて、枝を取り出してシャンデラに向けた。
枝の先から炎が噴き出て、シャンデラを包み込む。
シャンデラの体がほのかに光って、炎は全て飲み込まれてしまった。
「これでいい?」
「ありがとう。あと、申し訳ないんだけど……少し生命エネルギーももらってもいいかな」
「うん、もちろん」
どうせシャンデラが助けてくれなかったら、わたしはどうなっていたかわからない。
シャンデラの腕に、小さな炎が宿る。
ゆっくりとシャンデラが体を起こすと、シャンデラの頭から炎が立ち昇った。
体がふわふわとした心地よい気だるさに包まれる。
揺れるシャンデラの頭の炎に視線が吸い込まれる。
パチパチと何かが焼ける音だけが河原に響いた。
ややあって、パッと炎が消えた。
辺りが暗闇に包まれる。
はっと我に返って、わたしはまた枝に炎を灯した。
「ありがとう。もう動けそう」
「よかった」
なんとなくシャンデラを見つめていたら、シャンデラも何も言わずにわたしに視線を向けてきた。
「……シャンデラ、強いんだね」
「うん。ボクのトレーナーは戦うポケモンを育ててたんだ」
「戦うポケモン?」
「うん。ポケモン同士が戦うのがニンゲンに人気なんだ」
「シャンデラも?」
「ボクも戦う訓練をしてたよ。体が弱いのが分かってからはあまりやらなくなっちゃったけどね。弟が強かったんだ。今も色んなポケモンと戦ってるのかなぁ」
「一緒に練習してたんだ」
「うん。無駄だったと思ってたけど、役に立って良かった」
「その、ありがと。助けてくれて。言いそびれちゃってた」
そういえば言っていなかったと思い出して、改めて今伝えた。
気にしないで、とシャンデラは体を揺らして笑う。
もう一つ、思い出した。
『ボクじゃ……だめかな』
番の話。
いきなり飛び出してきちゃったのに、シャンデラは助けに来てくれた。
シャンデラがいなかったら、多分このまま帰っていたと思う。
ずっとモヤモヤしたまま生きていた気がする。
あの時は驚いて警戒してしまった。
もう警戒する理由がないことは分かっている。
「どうしたの?」
黙りこくってしまったわたしを、シャンデラが覗き込む。
「えっと、その」
いざ言い出そうとすると、言葉がつかえた。
言いたい言葉はもう出来上がっているのに、喉の奥でぐるぐると回り続けて出てこない。
「…………?」
「あっと……」
「…………」
「………いいよ」
「その……なにが?」
「……つ、番」
シャンデラの頭から火柱が立った。
シャンデラのまん丸の目は、最初に会った時のように大きく開かれていた。
「……いいの?」
「うん……いきなり飛び出しちゃってごめん」
「いいよ、気にしなくて。ボクもいきなり言っちゃってごめんね」
「ううん、その、最初はシャンデラのこと疑ってたの」
「疑う?」
「何かはわからないけど、もしかしたら何かに利用されるかもしれないって。あんまりポケモンのこと信用しないようにしてたから、つい」
「そっか、しょうがないよ」
「でもシャンデラは、色んなこと教えてくれたし、助けてくれたから。疑う理由なんかない」
シャンデラは気恥ずかしそうに体を揺らしていた。
「番って言うとやっぱりちょっと違う気もするけど。でも、また今日みたいに護ってほしい」
シャンデラと一瞬目が合った。
すぐにお互い目線を逸らす。
「うん。体が保つかわからないけど、任せて」
シャンデラが腕を差し出してきた。
くるりと巻かれた部分を両手できゅっと掴む。
シャンデラの腕はぽかぽかと温かかった。
「プレハブ入ろっか」
「うん」
腕を掴んだまま、わたしたちはぷれはぶに戻った。
𖡬 𖡬 𖡬
ひんやりとした気持ちいい風が一陣吹き抜ける。
朝日が頭上の葉を煌めかせている。
わたしたちは昨日戦った場所でお父さんたちを待っていた。
河原から森へと続く道をじっと見つめていると、ポケモンの影が3つ。
大きな影と、中くらいの影と、小さな影。
「ボク、川の前で待ってるから。ゆっくり話してね」
シャンデラはわたしの横から離れて、後ろの方に行ってしまった。
しれっとカゴをわたしの手から取って、持っていってくれた。
影がどんどん近づいてくる。
わたしも3匹に駆け寄った。
一番に声を出したのは、フォッコだった。
「お姉ちゃん、どこいくの?」
純真な疑問だった。
「あーえっと」
わたしは認めてもらったけど、フォッコに言っていいものか。
悩んでお母さんを見た。
「お姉ちゃんは冒険に行くのよ」
お母さんは杖をそっと自分の口に当てた。
「えーすごい! がんばって!」
一応隠しているみたいだ。
「うん、頑張るね」
膝を折ってフォッコと目線を合わせる。
フォッコのキラキラした目に、思わず微笑んだ。
フォッコの頭を撫でて、立ち上がる。
お母さんは昨日と同じ、心配そうな表情だった。
「……本当に行くのね」
「うん……ごめんなさい」
「私の方こそ。今まで怒鳴ったりしてて、ごめんね」
「ううん。わたしも心配してくれてたのは分かってたのに」
「謝らないで。本当のこと言うなら、心配だけど……ね?」
「あぁ。まだ行ってほしいとは思っちゃいない」
お母さんがお父さんと視線を交わす。
あの後も二ひきで色々喋ったのかもしれない。
「言った通りだ。お前が思う正しいことをしろ。気が済まなきゃ戻ってこなくていい」
相変わらず強い眼光だった。
でも、瞳の奥に優しさがあるのはよく知っている。
「もう! よく言うわ」
「……なんだ」
「寝る前。もう一回会えるか一番気にしてたのは私より貴方じゃない」
「……言うな」
お父さんは右手で自分のツノを触った。
手で隠れて表情が見えない。
「待たせてるんだろう。早くしないと、夜にならないうちに森を抜けられん」
「……うん。じゃあ、行くね」
一歩、二歩、後ろに足を進めた。
「がんばって!」
「気が向いたら、戻ってきてね」
「元気でな」
「……うん!」
少し声が震えた。
くるりと川の方を向いて、シャンデラの方に走った。
シャンデラのすぐ向こうで、川の水面が陽の光を跳ね返してキラキラと輝いていた。
fin.
巻末:ゴーストタイプポケモンの死とは?
最後までお読みいただきまして、本当にありがとうございました。
ここから少々、ポケモンたちの視点では不自然で描ききれなかったポケモン世界への夢想を書き留めておこうかと思います。
物語の枠を超えて作者の口から語ることは私自身好ましくないと思っていますが、どうかご容赦ください。
ゴーストタイプのポケモンは死を迎えるのか。
私自身書き進めながら疑問に思い、色々と考えてみました。
このお話のそもそものきっかけは、ポケモン世界でも色が違うことに意味があって欲しいという考えでした。
ここから、元の色が完全燃焼の青であり、色違いが不完全燃焼の橙であるシャンデラに的が立ち、不完全燃焼であるならば代謝が十分でなく体が弱いだろう、という流れでこの物語が始まりました。
他はともかくシャンデラ族に限っては、色違いは皆体が弱いのではないか、という推測です。
これらは科学屋でもない私のただの似非科学理論ですので、本当に現実に基づいているのか確証があるわけではないのですが。
それでもポケモンの世界が本当に存在しそうな説得力が少しでも出ていたらいいなと思います。
話は戻って、ゴーストタイプの死について。
私は一度死んだ魂が霊体を持ったというタイプのポケモンも含めて、全てのポケモンに死があると考えています。
これはポケモンが本当にリアリティを持って存在しうるならそうだろうという、半ば私の空想になります。
まず一つ、ポケモンは“ふしぎなふしぎないきもの”です。
体の構造はニンゲンと違っても、生き物としての原則は変わりないと思っています。
タマゴで生殖をし、物を食べるなら、私たちのいる世界の生き物と同様に死があってほしい。
伝説のポケモンなどはタマゴを産まない、生殖をしない点で生き物から少々離れている気がするので置いておくとして。
死まで含めて生き物、ポケモンも生き物である、だからポケモンも等しくいつか死ぬ、というのが考え方の一つめです。
もう一つ、ポケモンがなぜ生き物として動いているのかという点でもやはり死はあると思っています。
ポケモンの世界に存在するかは怪しいですが、私個人としてはエネルギー保存則は絶対だと思っています。
というより、エネルギーがきちんと保存する世界=現実味のある世界として考えている節があります。
私たちの住む世界では発生し得ない事象も、私たちの世界にはない物質が作用しているだけで、世界の仕組み自体は変わっていないという仮定です。これに則って考えていきます。
ポケモンにはこちら側の生物のように有機物で動いているポケモンもいれば、無機物で体が構成されているポケモンもいます。
特に無機物のポケモンは有機物を摂取する必要がないので、メンテナンスをすれば無限に生きられると考えています。
これはポケモンの体を構成する特徴なので、覆すことができません。
例えばこちらの世界にはない生命エネルギーという存在があちらの世界にはあり、それによってシャンデラは無機物でも生きて動いています。
この生命エネルギーを周りから摂取し続ければ、何か起こらない限りはシャンデラは無限に生きられていてもおかしくないと感じています。
ただ、作中のシャンデラのように生命エネルギーの摂取をやめれば、きちんと死は訪れるのではないかというのが考え方の2つめ。
こちらの世界でもロボットは電力供給や部品交換があれば永遠に生き続けますが、それらがなくなれば実質的に死ぬのと同じことがポケモンにも起こるのではないかと思っています。
ゴーストタイプのポケモンの死とは? という最初の問いに答えるならば、
ゴーストタイプポケモンの体を動かしている何かしらのエネルギーが欠乏すれば死ぬ、というのが私の考えです。
要約すると、ポケモンたちもこちらの世界の生き物と同じように、要因があれば死ぬ存在であって欲しいという妄想でした。
こういった面倒なことをぐちゃぐちゃと考える、現実の面倒な部分を意識した世界観は、公式のポケモンコンテンツがあまり好んでいない分野だと勝手ながら思っています。
お好きではない方もいることは存じていますが、もしこの世界観がお口に合えば、ぜひまたお読みください。
改めまして、ここまでお読みいただいてありがとうございました。