注:このSSはかつて別の場所に掲げたお話をあとから整えたものです。
登場ポケモン:クロバット、サーナイト
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こうこうと街は輝いていた。
所狭しと整列している地上の光が目を灼く。
いい加減目が痛い。そろそろ一旦目を休ませたいところだ。
そんなことを考えていた矢先、整然と並ぶ光点の一つが欠けているのを発見した。
立ち並ぶ明るい住処の中に、一つだけ光を放たない暗い住処。
ちょうどいい。
俺はゆっくりと降下してそのニンゲンの住処の様子を窺った。
壁に真四角の穴が開いていて、中まで見通せた。ニンゲンは住んでいない。
誰も住んでいないとは都合がいい。
俺は真っ暗な住処に忍び込んだ。
大きな住処だった。洞窟とまでは行かないくても、ニンゲンでも1人や2人じゃ広すぎる。
住処の天井を這うように飛んで、超音波を飛ばして中を確認する。
地上には大きな物体、金属の塊が乱雑に置かれているようだ。
だが人もポケモンもいない。
……いや。一匹いる。
何かにくるまって、住処の端っこに一匹。
ここを出て別の休む場所を見つけるか、そのままここにいるか。
逡巡の末、俺は気づかれないように地面に着地した。
多分寝ているだろうし、気づかれないようにしばらく休んで、そのまま出て行けばいいだろう。
何かがいる端とは反対側に、足で歩いて行く。不本意だが、二本の羽では静かに低空飛行することはかなわない。
『だれ……ですか?』
頭の中に声が響く。
足から羽の先まで、全身が凍った。
寝ていなかったのか。どうする? 攻撃を受ける前に逃げる、しかないか。
そんなことを考えるよりも前に、体が勝手に飛び立った。
『待ってください』
やはりどこからともなく声が聞こえてくる。
この声が怒鳴り声だったら、俺も素直に従いはしなかった。
しかし今の声は、怒鳴り声とは真逆な、細く力ない声。
誰かの助けを求めているような、そんな声だった。
『攻撃したりしませんから』
俺は空中に留まった。
『だれ、ですか』
誰、とは種族名を言えばいいのだろうか。
「俺は、ゴルバット」
「ゴルバットさん……」
今度は明確に部屋の端から声がした。
「お前は誰なんだ」
「……サーナイトです」
サーナイト。聞いたことはあるが、森で会ったことはない。
サーナイトというポケモンはほとんどがニンゲンと過ごしている種族なのだと聞いた。
ニンゲンの住処に住んでいるから、森で見かけることはまずない。
「何をしているんだ?」
「…………」
寝ようとしているとか、何もしてないとか、何かを言うでもなくサーナイトは黙り込む。
俺はサーナイトの近くまで飛んだ。
「ニンゲンはいないのか?」
「…………なんでもないのです」
わざわざ呼び止めておいて、なんでもないことはないだろうに。
「サーナイトってニンゲンと住んでいるものじゃないのか」
「ニンゲンと住んでいなくては、いけないのですか……?」
「ダメじゃないが……ここはどこなんだ?」
「廃工場です」
ハイコウジョウ、という言葉に聞き覚えはなかった。
とはいえ、金属の塊がこんなに落ちている場所にニンゲンが住んでいるとも思えない。多分住処とは違う場所なのだろう。
「ゴルバットさん……この辺りにはいないポケモンですよね」
「……あぁ。よく分かるな」
確かに俺は森を出て、遠く離れたニンゲンたちの住処に来た。
被っていたものを押し除けて、ゆらっとサーナイトは立ち上がった。
空中で羽ばたく俺をサーナイトは見上げる。
薄暗闇の中でもわかる、真っ白な体。
床にあたる微かな星の明かりを反射してきらめく赤の瞳が、もの悲しげに揺れている。
「ゴルバット。こうもりポケモン。生き物の血液が大好物。特に真夜中活動することが多く生き血を求めて夜空を飛び回る。……血を吸うなら、構いませんよ」
血。
遠くまで来て、聞きたくなかった。
「いきなりだな。……俺は血を飲まないんだ」
「そう、なのですか」
「生きる分にはきのみで十分だろう」
「……それはそうですが」
「血なんか吸われたら痛いだろ」
「……あなたは、優しいのですね」
「…………」
なんなんだこいつは。
俺が優しいかどうかなんて、誰にも、俺にも分からない。
「あの。床に降りてもらえませんか」
言われた通り、俺は飛ぶのをやめて降下した。
足が地面を掴んで、俺は地面に立った。
ぴったりと真正面。目が合う。背丈は俺とほぼ同じだった。
サーナイトはゆっくりと俺に近づいてくる。
1歩分の間隔を空けて立ち止まった。
「あの、触れても、いいですか」
「あ、あぁ」
予想外の質問に、うまく返答できなかった。
肯定ととったらしいサーナイトは腕を伸ばして俺の羽に触った。
ふわり。
夜の空気を打ち続けて冷えた俺の羽に温かい手が触れた。
「何か、悲しいことがあったのですか?」
ドキリとした。全身が脈打った。
『血を吸えないのは、子供が生まれてから困るから……ごめん』
アイツの声がした。
幻聴だ。
「いきなり、なんで」
「サーナイトという種族は、相手の感情が読み取れるんです。触れると、もっと強く感じますから、わかります」
「…………」
どうしていいのか分からなかった。
言いたくない気もするし、言ってしまいたい気もした。
「お前は最初、ゴルバットは生き血が好物、なんて言っていたな」
「はい、ロトム図鑑さんが言っていました」
「ズカンはわからんが……何故好物なのか、知ってるか?」
「……? いえ。知らないです」
「ズバットとして生まれてからしばらくは、親が吸ってきた血を飲んで育つんだ。そうすればよく育つって言われてる。生まれて最初に口にしたものだから、好きなんだろうな」
「そうだったんですね」
「だから、親になって間もないゴルバットもクロバットも、必死に血を吸う。もちろん親になっていなければ好物として吸血することもあるだろうがな」
「……あまりにたくさん血を吸って飛べなくなることもある。…………そういうことだったのですね」
だったら、とサーナイトは続けた。
「余計に、わたしの血でよければ」
「俺は親じゃない」
サーナイトの声を遮って言い放つ。
居心地の悪い沈黙が横たわった。
「お前こそ。なんで、こんなところを住処にしてるんだ」
サーナイトの手が俺の羽から滑り落ちた。
手が落ちるのにつられるように、サーナイトの視線も落ちていく。
「わたしには家はありませんから」
「イエ?」
「ポケモンたちでいう住処をニンゲンはそう呼ぶのです」
また、何一つ音のしない時間が流れた。
「……お暇でしたら。わたしのお話、聞いていただけませんか」
「あぁ。どうせ、暗い場所で目を休めるためにここに来ただけだからな」
「ありがとうございます。その辺りの機械にでも座りましょう」
サーナイトに連れられるまま、床に落ちている大きな金属の上に座った。
細い道一つを挟んで向かいにサーナイトが座っている。
ꚸ ꚸ ꚸ
ニンゲンの世界には、『結婚』というものがあるのです。ポケモンがつがいを作るように、ニンゲンもまた、特別に想いあったニンゲン同士、共に生活します。子供も生まれます。
またニンゲンの世界には、「お金」というものがあります。野生のポケモンたちは互いに採った食べ物などを交換するそうですが、それと同じように、ニンゲンはほぼ全てのものをお金と交換することで手に入れています。お金がなければ、食べ物を得ることもできません。ニンゲンの食べ物も、ニンゲンと共に暮らすポケモンの食べ物も。
ニンゲンが結婚をして、子供を育てるにもまたお金が要ります。
……そうしてたくさんのニンゲンとポケモンが生活すると、お金は足りなくなってしまうのです。
ꚸ ꚸ ꚸ
「……あの。あなたは多分、ニンゲンの世界のことを知らないでしょうから。大丈夫でしょうか」
「あぁ。理解はできる」
「よかったです」
「ニンゲンも、大変なんだな」
「はい。それは野生のポケモンも変わりませんけれど」
サーナイトは近くに置いてあった、透明で歪な形の板を手に持った。
「それはなんだ?」
「これはガラスって言います。ほら、上を見てください」
サーナイトが指したのは、俺が入ってきた穴だった。
「あなたが入ってきたのは窓っていうんです。ガラスはそこにつけるもので。透明な壁になるから、外が見えるようになるんです」
「ひかりのかべみたいなもんか」
「まぁ、そうですね。似ています。ポケモンの技を受けられるほど強くないので、こうして割れてしまっていますが」
サーナイトはガラスとやらの破片を顔の前に持ってきて、ガラスを通して俺を見た。
ガラス越しのサーナイトの顔は少し歪んでいた。
「話、続けますね」
ガラスをまた側に置いて、サーナイトはまた話し始めた。
ꚸ ꚸ ꚸ
わたしは1人のニンゲンと一緒に住んでいました。
あの人はトレーナーで、わたしはそのポケモンでした。
あの人と暮らしていた毎日はいつでも楽しかったです。
あの人が喜んでいたら一緒に喜びました。
あの人が落ち込んでいたら、励ましました。
いつでもあの人のためになるようにと思って行動しました。
だから、あの人が彼女を見つけてきた時も。その方と結婚した時も。わたしは喜びました。
でも、本当は、わたしにとっては嬉しくありませんでした。
あの人が結婚をして、家族——子供を設けて、さらにわたしと一緒に暮らすには、お金が足りなかったのです。
だから、わたしは野に逃されました。
あの人は何度も何度も、謝っていました。
決して、あの人はわたしが嫌いで追い出したわけではないのです。仕方なかったのは、わたしだってよく知っています。
だから、わたしはちゃんと納得していました。
でも、やっぱり寂しいんです。
急に野で1匹、暮らすことなんて、できなくて。
『サイコパワーで空間をねじ曲げ小さなブラックホールをつくりだす力を持つ。命懸けでトレーナーを守るポケモン。』——サーナイトという種族自体、ニンゲンと共に生活するポケモンなのです。ニンゲンと一緒に暮らして、ニンゲンに尽くすことで私はサーナイトでいられるんです。
だから、わたしはこの街に戻ってきてしまいました。
この街にわたしの住む場所なんてありません。だから、この誰も使っていない廃工場に住んでいるんです。
ꚸ ꚸ ꚸ
「わたしがここにいる理由は、この通りです」
聞いているだけで辛かった。
自ら出て行った俺とは違って、このサーナイトは追い出されたのだ。それが仕方ないとはいえ。
でも、このサーナイトはこの街に、そのニンゲンに、縛られ過ぎている。トレーナーとやらとの過去に拘りすぎている。そうも感じた。
ニンゲンといないとサーナイトでいられない、なんてそんなことはないだろう。森にもサーナイトはいた。
「聞いていただいて、ありがとうございます。初めて喋りましたけど、なんだか少し楽になりました」
そういうサーナイトの表情は、相変わらず悲しげだった。
もし俺が進化していたら、この街の外へこのサーナイトを連れ出してやることもできたのだろうか。
そうしたらこのサーナイトはこの街から、この過去から、解き放たれるだろうか。
……どっちにせよ、進化していない今の身体ではポケモンを乗せて飛ぶことはできない。
せめてこのサーナイトが過去から目を背けるきっかけくらいは作れるだろうか。
「……聞いてもいいか」
「はい。なんでもどうぞ」
「お前の、説明口調はなんなんだ?」
「……というと?」
「『命懸けでトレーナーを守るポケモン。』とか、お前目線じゃないように聞こえて」
「それは、図鑑の説明です」
「ズカン、って?」
「ニンゲンはポケモン図鑑という、どんなポケモンかをまとめたものを持っているのです」
「じゃあお前の説明口調は、ニンゲンが書いた文章なのか」
「そうです」
「じゃあ、ニンゲンに尽くすからサーナイトでいられる、っていうのも、ニンゲンが勝手に決めたことなんじゃないのか」
「! …………」
サーナイトが目を見開いた。
「それに、お前は自分がサーナイトであるためにニンゲンに優しくしたわけじゃないだろ」
「いえ。わたしはただ……」
言葉を濁して視線を泳がせるサーナイト。
やがて、ポツポツと言葉を漏らした。
「……わたしがあの人に優しくしてもらえたら嬉しかったから、わたしもあの人のために行動したんです」
「そうだよな。その理論なら別にポケモンに同じことをしてもいい。ニンゲンといなくても、お前がサーナイトなのは変わらないんじゃないか」
「…………」
サーナイトは、ずっと俯いていた。
サーナイトの言葉を俺はひたすら待った。
サーナイトが不本意にもニンゲンとの過去に縛られていたように感じたから、こんな言い方をしたが。
俺の言葉がニンゲンを否定しているように聞こえたとしたら。その時はサーナイトを傷つけたことになってしまう。
失敗しただろうか。
「あなたは、どうしてわたしに優しくしてくれるのですか」
不意に発したサーナイトの言葉がよくわからなかった。
「優しく……?」
「今会ったばかりなのに、こんなにわたしにお話してくれましたから」
俺は、ただ思ったことを言っただけだった。
もしかしたらサーナイトを傷つける可能性もあったと思う。
そう一口に優しかっただなんて言えない。
「相手を傷つけないで相手に優しくするってのは当然のことだと思う。自分がやられて、嫌なんだから」
「優しくすることを当然だと言えるのは、やっぱりすごいことです。だって、わたしにはできません」
「…………」
「優しくしてくれたら嬉しいから優しくする、ってわたし言いましたよね」
「あぁ」
「それって、最後にわたしが優しくされるために優しくしているだけ、ですから」
「…………」
「だから、やっぱりあなたはすごいと思います。自信、持ってください」
「…………」
そう褒められて悪い気はしない。
少し救われた気がした。
「今、少し嬉しそうにしました」
嬉しそうにサーナイトはこちらを見た。
なんでわかるんだ、と聞こうとして、サーナイトは感情が読み取れるのだという話を思い出した。
「あの」
今度は真剣そうな目になった。
「わたし、優しくするのは自分が優しくしてもらうためだ、なんて言っちゃいましたけど。あなたが悩んでいること、お話して、楽になってほしいです」
……こちらの気持ちがバレているのは厄介だ。
あまりこういう話をするのは得意じゃない。
「いえ。話すのは嫌でしょうから。一度床に降りてもらえませんか?」
サーナイトはすくっと立ち上がった。
俺も同じように地面に足を付ける。
道が細いせいでサーナイトは目と鼻の先だった。
地面に立つときはいつも羽を自分の体に巻きつけるようにしているから、狭いわけではない。
また羽に触れて感情を読み取るのだろうか。
サーナイトの両腕がこちらに伸びて。
俺が何かを考えるよりも先に、サーナイトの腕が俺を包んだ。
驚いて思わず声が詰まった。
柔らかく、温かい両手が背中に当てがわれる。
「こうしてプレートを当てれば、相手の記憶まで読み取ることができるんです。嫌でしたらやめますから、言ってくださいね」
サーナイトは俺の羽にぐいぐいと胸のプレートを押し当ててきた。
「……このまま俺が血を吸ったらどうするんだ」
「それでもいいんです」
同時に背中をポンポンと優しく叩かれる。
ズバットの頃に戻ったような気分だった。
ただただ温かくて、気分が落ち着いた。
目が勝手に閉じていった。
𖡬 𖡬 𖡬
暗さが心地いい新月の夜だった。
月が出ていない時間帯に、洞窟がある山のてっぺんで過ごす時間が俺は好きだった。
特にアイツと2匹で過ごす時間は特別だった。
だから、今日を選んだ。
「なぁ」
「なーに?」
「…………」
いざ言おうとすると、なかなか言葉は出てこなかった。
「どうしたの?」
「その。そろそろ……」
「…………」
「……つがいに、ならないか」
「……………………」
無言だった。
アイツの顔は、怖くて見られなかった。
木の葉が揺れる音だけを、永遠に聞いていた気がした。
「……ごめん」
これまで聞いたどんな声よりも小さくて、どんな声よりも大きかった。
やっぱりだった。
わかっていたことだった。
知ってはいた。
だろうな。
当然だ。
「血を吸えないのは、子供が生まれてから困るから……ごめん」
「…………」
「嫌いなわけじゃない。あなたが優しいのは私が一番知ってる。だから、尊敬はしてる」
「…………」
「でも、これからのこと考えたら、あなたのことが本当に好きか分からなくなって……」
「……そうか」
「……やっぱり他のポケモンの一瞬の痛みより自分の子の命の方が大切だって私は思っちゃうから」
「…………あぁ。間違い、じゃない」
「あなたの支えになれなくて、ごめんなさい」
「……あぁ。いいんだ」
俺は洞窟から飛び立った。
向かう先なんて決めていない。
𖡬 𖡬 𖡬
「……辛かったんですね」
不意に降ってきた声で我に返った。
「誰も悪いわけじゃないですよ。もちろん、あなたも」
「…………」
優しく背中を撫でながら、サーナイトは包むような優しい声で言う。
「でも、あなたはすごいです。他のゴルバットさんが当たり前のように血を吸っているのに、あなたはそれを疑ったんですから」
「……自分が吸血されたときに痛かったからってだけだ」
「でも、他のゴルバットさんが傷つけるのを当たり前だと思っている中で、あなたは吸血される側の気持ちに立ってみたんです。本当にいいことなのか考えて、ダメだって思って。他のゴルバットさんと考えが違うことをわかっていながら、自分の考えを持って……。それは、誰でもできることじゃないです。すごいことです」
嬉しかった。
他に言いようもない気持ちだった。
「俺は……すごいのか」
「はい。あなたは、すごいです」
一際強くサーナイトに抱きしめられた、その瞬間。
カッと俺の全身が閃光を放ち始める。
一瞬のうちに俺の視界は真っ青に染め上げられた。
エネルギーが腹の底から湧いてくる、言いようのない感覚に襲われて、俺は全身を強張らせた。
折り畳まれた羽がそのエネルギーに突き上げられて伸びるのを感じる。
横っ腹に急激に力が加わって、飛び出た。
同時に足と体が何かに引き付けられるように縮まる。
これは。ずっと前に体験した——。
体の変化が止まった。
全身にエネルギーが定着したように、しっくりとくる感触があった。
真っ青だった視界がだんだんと晴れていって、最後の光が散った。
——進化。
少し前まで、もう俺には来ないだろうと思っていた、進化。
「……あぁ」
思わず声が漏れた。
「進化、こんなに近くで見たのは初めてです」
そう言うサーナイトは、どんな表情をしているんだろうか。
「ニンゲンの世界ではゴルバットからクロバットへの進化は、トレーナーとの絆が頑強に結ばれた時、と言われてます」
「俺たちの間では、つがいを作ってしばらくしてから、って言われてる」
「今のは、どちらでもないですね」
「そうだな」
「ニンゲンたちもこんなことが起こるなんて知らないかもしれません」
サーナイトの意識が人間から外れた。
それがきっかけで、俺はさっき考えたことを思い出した。
——もし俺が進化していたら、この街の外へこのサーナイトを連れ出してやることもできたのだろうか。
——そうしたらこのサーナイトはこの街から、この過去から、解き放たれるだろうか。
「……なぁ」
「なんでしょう」
「この身体なら、ポケモン一匹乗せても空を飛べる」
「……はい」
「俺に乗って行かないか」
「……どこへ行くのですか」
「俺にも当てがない」
「……………………ふふ」
くすりと笑う声がすぐ近くに聞こえた。
「お願いしても、いいでしょうか」
「あぁ。任せろ」
少しだけ飛ぶ訓練をしてから、俺はサーナイトを背中に乗せて、ハイコウジョウのトビラから飛び出した。
「上に飛ぶから、掴まっていてくれ」
サーナイトが俺にしっかり掴まったのを感じてから、俺は急上昇をした。
ゴルバットの時はこの動きは苦手だった。
でも今なら、サーナイトを乗せた状態でも難なくこなすことができる。
「きゃっ……」
サーナイトは最初の動きに驚いたのか、一瞬だけ小さく声を漏らした。
だいぶ高くまで来た。
ハイコウジョウを見つけた時よりも、もっと高い。
ここまでくると、ニンゲンの住処の光はただの点でしかなかった。
「空を飛ぶのは初めてか?」
「はい。こんな景色見たこともなかったです」
少し途切れて、サーナイトはまた続けた。
「……こんなに。こんなに街が小さく見えるんですね」
嬉しげな声音だった。
「聞いてもいいか」
「もちろんです」
「なんで俺の過去まで見ようと思ったんだ。俺は話そうとしなかったのに」
「それはですね」とサーナイトは笑い混じりの声を出す。
「あなたが、聞いて欲しそうな顔をしていると思ったんです」
「……そうか」
「それに、わたしだったらそうしてほしいから」
「……ありがとう」
確かに、俺もそうしてほしかったのかもしれない。
ゴルバットの中では誰も分かってもらえない吸血の考えを、誰かに分かってほしかったのかもしれない。
誰にも分かってもらえなかったこの考えを初めて分かってもらえたからこそ、俺は進化できたのかもしれない。
「あなたこそ。あなたが話を聞いてくれなかったら、わたしはずっとあの暗い廃工場で過ごしていたかもしれません」
「それはよかった」
「夜空って、思ったよりも明るいんですね」
背中に乗っているサーナイトの姿は見えないが、きっと月のいない星空を仰いでいるのだろう。
「今は新月だけどな。これから満月になれば、もっと明るくなる」
本当は明るいのは少し苦手だが。
でも、ゴルバットの時のように地上の光が眩しすぎるようなことが、今はもうなかった。
進化したことで明るさも苦手ではなくなっているかもしれない。
「満月、楽しみです」
「あぁ。そうだな」
fin.
某所にてこのSSを掲げた際に絵をいただきました。
匿名掲示板なので今ではお礼を言うことも叶いませんが、この場を借りてお礼をさせていただきます。
素敵な絵をありがとうございました。
以下その時の後書き
二版:2023/10/8