そろり。音を立てず、しかし素早く相手の背中に近づいて——
「そりゃっ!」
——いきなり肩を叩く!
「うわっ‼︎」
僕に思いっきり肩を叩かれたエレズンは、前につんのめってそのまま地面に倒れた。
「う〜、降参だよドラメシヤ……」
「やった、また勝った!」
これで僕とエレズンのバトルは12勝8敗。
しかも3連勝中。
僕は嬉しくてぐっと手を握った。
「大丈夫?」
少し離れた木に寄りかかっていたストリンダーさんが、いつものようにエレズンに世話を焼く。
「うん。俺もねーちゃんみたいにばーって電気出して攻撃したいな」
「ほっぺすりすりで電気を出す練習、いっつもサボってんじゃん。私だって進化する前は練習してたよ」
ストリンダーさんがボロロン、と胸を鳴らして頭の青の電気を弾けさせた。
「えーだってあれかっこよくねーもん」
座り込んだ地面に手をついて天を仰ぐエレズン。
僕は気分よくその頭上をぐるぐると回っていた。
いきなり。
僕の体がストリンダーさんの電気よりも青く光り始めた。
「え……」
漏れ出た声は光と一緒に発せられる音にかき消されてしまう。
すぐに全身がうずうずし始めた。
体がどんどん膨らんでいくような、不思議な感覚。
思いっきり力を込めてエレズンの肩を叩いた時より、もっと強い力がお腹や手や尻尾にこもる。
どうしたらいいかもわからなくて、僕は力に身を任せた。
力が体を駆け巡る感覚がしばらく続いてから、はらはらと雪が溶けていくみたいに目の前の光が溶けていった。
エレズンがさっきまでより少し下にいるのが目に入る。
エレズンも、ストリンダーさんも、目をまん丸にして驚いていた。
「進化したじゃん!」
「えー‼︎ ドラメシヤ、なにに進化したの⁉︎」
「ドロンチだね、おめでとう」
「え、え……進化?」
「そうだよ、見た目も全然違うよ!」
「え、えぇーーー……!?」
「じゃーなドロンチ!」
「うん、また明日!」
エレズンが僕の家とは反対の方向に走っていくのを見て、僕もくるりとひるがえる。
いきなり進化をしてしまってから、たくさんのことがあった。
体も太くなって、尻尾も手も大きくなっているし。
川に自分を見に行ったら、頭の形とか、全然今までの僕じゃない。
わざも新しく色々使えるようになっている。
どうやらお兄ちゃんお姉ちゃんと同じドロンチに僕もなったようだった。
「…………」
正直あんまり実感がない。
確かにお兄ちゃんみたいに木に跡がつくくらい強いでんこうせっかができるようにはなったけど。
確かにお姉ちゃんみたいに新しくりゅうのはどうが使えるようにはなったけど。
まさか自分が進化するなんて、実際に進化したのに信じられない。
それに、進化して変わるのは自分の体だけじゃない。
ドラメシヤは進化したらやらなきゃいけないことも増える。
今まではお兄ちゃんたちにお世話してもらっていたけど、ドロンチになったら今度は弟たちをお世話することになる。
多分きのみを取りに行って弟たちにあげたり、色々すると思う。
それは僕も知ってる。
でもやっぱり現実感がなかった。
もやもやとした気持ちを抱えたまま宙を進んでいたら、家に着いた。
「……ただいまー」
「おかえり……あら!」
お母さんが一番に僕に気づいた。
「カシちゃん進化したの⁉︎ すごいじゃない!」
カシブのみから名前を取ったらしい僕の名前をお母さんが僕に向かって呼ぶのさえ、なんだか変に聞こえた。
進化した僕は本当に僕なのかな。
「うん。エレズンとバトルしてたら、いきなり」
「たくさんバトルしてたもんね。進化おめでとう」
「……ありがとう」
「みんなーー! カシちゃん進化したわよーーー!」
「わーー!」
「すごーい!」
「おめでとう!」
家族たちがどんどん僕の周りに集まってくる。
「よーし、進化のお祝いに、今日はカイスのみ食べましょ!!」
「「「「「やったーーー!!!!!」」」」」
僕の進化を祝う声よりも、カイスのみを食べることがわかったときの歓声の方がずっと大きかった。
僕もカイスのみは大好きだから嬉しいけど。
でも、進化して成長したから、カイスのみみたいな甘いきのみよりも苦いきのみとかの方が好きになってたりするのかな。
お父さんのバンジのみ、ちょっともらってみようかな。
「さ、みんなごはんの準備手伝って!」
はーいと返事をして、ひとまず母さんの方に向かった。
「そろそろ寝るぞ〜」
お父さんが言うと、みんなが寝るために集まりはじめた。
僕もいつものようにお母さんの元に向かう。
——そうだった。
もう進化したから、お母さんのツノの穴で寝るわけじゃないんだ。
僕が当たり前のことに衝撃を受けている間に、みんなはもうお父さんとお母さんを中心にぎゅうぎゅうに集まって寝始めていた。
どこで寝ようかと迷って、空いているお父さんの尻尾の辺りに飛び込む。
尻尾をぺたんと背中にくっつけて、寝る準備はできた。
「みんなおやすみ」
「「「おやすみ〜」」」
みんなはもう寝るだろうから、僕も目を閉じた。
……地面が冷たい。
お母さんのツノはあんなに温かかったのに。
僕はもうドロンチになっちゃったんだ。
明日から、弟か妹のお世話が始まる。
ちゃんとお世話できるかな。
きのみはどんなの取ればいいんだろう。
エレズンと遊ぶ時間も無くなっちゃうかな。
全然わからない。
それに、ニンゲンが捕まえに来たりしたら、守って戦わなきゃいけない。
そんなの怖くて無理なのに。
結局、お父さんに分けてもらったバンジのみは苦くてとても食べられなかった。
進化しても変わったのは体の形だけなのに。
お父さんはニンゲンを追い払っててすごかったな。
……そうだ。もうお父さんに発射されることもできないんだ。
発射されるの、楽しかったのに。
…………寂しい。
不安がいくつもいくつも浮かんでは頭の中でぐるぐると回り続ける。
ついには行き場を失って、じわじわと目から溢れ出てきた。
目が熱い。
抑えきれなくて、ポロポロと涙が溢れる。
こんなのが進化なら、進化したくなかった。
明日から、嫌だな。
……………………
………………
…………
気がついたら、もう日が登っていた。
お父さんが起きてしっぽが動いたことで、僕も起きた。
「カシちゃん!」
お母さんが嬉しそうに僕を呼ぶ。
「ほら、カシちゃんはナーちゃんのお世話ね! 任せたわよ!」
「……うん」
「そんな顔しなくても、そのうち慣れるから大丈夫よ。ナーちゃんも手伝ってあげなさいね」
「はーい!」
仕方なく妹を頭に乗せる。
ナーちゃんは嬉しそうにしていたけど、僕はあんまり嬉しくない。
起きても、憂鬱な気持ちは晴れなかった。
頭が少し温かくて、なんだか慣れない感じ。
とりあえずおなかが減ったな。
「……ナーちゃんもお腹減った?」
「うん!」
「じゃあ朝ごはん食べよっか」
「うん!」
お母さんに見送られながらきのみがなっている場所まで移動した。
いつも兄弟たちに連れられていた道を、今度は自分で辿って。
えっと、どの木から取ろうかな。
まずいっぱい木になっているモモンのみを3つ。
2つは僕ので、1個はナーちゃんの。
食べやすい甘さで柔らかくて、僕も好きなきのみだ。
「はい、これ持ってて」
「ん!」
モモンのみを見て、ナーちゃんはにっこりと笑った。
あとは……。
——ちゃんとラムのみも食べなさいね。元気に育つには大事なきのみなのよ。
お母さんがいつも言っていることを思い出す。
ラムのみはたくさん栄養が詰まってるって言ってた。
ラムのみ、ラムのみ……あ、あった。
「あの木までいくからちゃんと捕まっててね」
「はーい」
早くご飯を食べたいのもあって、少し急いでラムのみの木まで駆けつける。
「えー、ラムのみやだ〜」
頭の上からナーちゃんが僕を覗き込んでくる。
「ダメだよ食べなきゃ。元気に育つには大事なきのみなんだから」
僕もそんなに好きではないけどさ。
そう付け加えるのは心の中だけで。
ラムのみを右手で掴む。
ぐいっと回そうとして、ふと気づいた。
そうだ、この木にラムのみはどのくらいなっているかな。
ラムのみから手を離して、ラムの木の周囲をグルリと回る。
大きな木なのに、実はもう数個しか付いていなかった。
多分みんながラムのみを取っていったんだろう。
きのみがあまりなっていない木からはきのみを取りすぎちゃいけない、お父さんの教えを思い出す。
ラムのみは体調を悪くした時にクスリにもなる。
ここで僕がラムのみを取ってしまったら、どこかで困るポケモンがいるかもしれないから。
仕方ない、別のきのみを探そう。
僕はラムの木から離れた。
「ねー」
上からナーちゃんの声がする。
「ん? どうしたの?」
「ラムのみたべないの?」
「うん、きのみが少ない木からは取っちゃいけないんだ」
「わーい!」
ナーちゃんの嬉しそうな声が聞こえてくる。
僕も小さい頃はラムのみを食べなくて良くなったらこうやって喜んでいたかもしれない。
でもじゃあ何のきのみを取ろうか。
モモンのみだけだと流石に食べる部分が少ないし、色んなきのみを食べないとナーちゃんも強くなれない。
困ったまま木々を眺めて移動する。
「おーい!」
横から聞き馴染んだ声が飛んできた。
飛びながら声の方向を見る。
見知った紫色の2匹が草むらの向こうからこっちに手を振っていた。
「エレズン! ストリンダーさんも!」
頭に捕まっているナーちゃんを腕に抱え直して、エレズンの元に向かった。
「お、早速任されたんだ」
ストリンダーさんが早速ナーちゃんを見た。
「うん。進化したから」
ナーちゃんはエレズンとストリンダーさんを交互に見ていた。
「だれ?」
「エレズンとストリンダーさんだよ。お友達」
「えれずん。すと……?」
ナーちゃんはあんまり分かっていなさそうで、にこにこと笑ったまま。
名前を言ってもらえなかったストリンダーさんも笑った。
「はは、そのうち覚えるさ」
エレズンが右拳をこちらに突き出してきた。
「なあドロンチ! 今日もバトルしようぜ!」
「あ、いー……」
いいよ、と言いかけて、踏みとどまった。
「後でね。ナーちゃんの、ドラメシヤのお世話しなきゃいけないから」
「えー、俺暇じゃん!」
「僕まだ朝ごはん食べてないし」
「えー」
「うるせえ、お前は私と一緒に広場でほっぺすりすりの練習するぞ」
「えーやだ! もっとかっこいい技がいい!」
手をバタバタ振るエレズンを、ストリンダーさんはひょいと抱えて後ろを向いた。
「おい降ろせよ!」
ストリンダーさんはエレズンを無視して僕を見た。
「頑張りなよ、おにーちゃん」
エレズンの声はだんだん遠くなっていった。
そっか、お兄ちゃんか。
お世話、頑張らないと。
……あれ。
今、寂しくないかも。
昨日の夜はあんなに寂しかったのに、今はそんな気持ちは全然なかった。
確かにもうお父さんから発射してもらうことはないけど。
でもナーちゃんにご飯を食べさせたあとはエレズンとは一緒に遊べるし。
きのみを取るのも、案外難しくなかったし。
そうだ、ラムのみを取っちゃいけないなって判断もちゃんとできた。
なんだ意外と大丈夫じゃん。
昨日の僕、ばかだなぁ。
「にーに」
ナーちゃんに呼ばれた。
少しびっくりしたけど、「にーに」という呼び方はすんなりと心に受け入れることができた。
「おなかへった〜」
「そうだね、先にモモンのみ食べよっか」
きのみを取ることにばかり目がいっていたけど、食べてから探しても別によかった。
ナーちゃんから受け取ったモモンのみを両手でぱきりと折った。
「はい」
甘くて柔らかいモモンのみは、折って食べやすい大きさにしてあげればナーちゃんでも1人で食べられるはずだ。
しゃくりとナーちゃんがモモンのみに齧り付いた。
「おいしい!」
ナーちゃんは満面の笑みだった。
つられて僕も笑ってしまった。
僕もモモンのみにかぶりつく。
自分で取ったモモンのみはいつもよりも少し甘かった。
Fin