注:このSSは別の場所にかつて掲げたSSを整えたものです。
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空を見上げたら、森の木々の間からチラチラと薄黒い雲が見えた。
大気は湿気ているというよりは乾燥していて、雨はたぶん降らない。
草タイプだから、周りから水分を取り込むこともあって大気の状態を読むのは得意。
とはいえ辺りの暗さが段々増していくことを考えると早く住処に戻りたかった。
でも、わたしは動かなかった。
なぜなら住処はすぐ目の前だから。
わたしは恨みを込めた目線を住処へ向けた。
正確にはその住処の入り口の前に陣取ってかしましくお喋りを続けている3匹のミノマダムへ。
3匹が入り口前を邪魔して、住処に入ることができない。
でもこれは昨日今日に始まったことじゃない、いつものことだ。
なんでわざわざわたしの住処の前を陣取ってお喋りするのか。
決まってる、ただの嫌がらせ。
「あ、あの……」
じっとしていても仕方ないのはもう経験して分かっていたので、わたしはミノマダムたちに声をかけた。
「あら、ドレディアさん。どうなさったの?」
いつもの高い声に少し耳が痛くなって、余計にうんざりした。
「その、通してもらえませんか?」
「ごめんなさいねぇ。私たち木の上からぶら下がっているから横に動けないのよ」
「あらやだ奥さん、なら上に退けばいいんですよ」
「それもそうですわね」
ミノマダム達がシュルシュルと上へ登っていって、一見道は簡単に開いたように見えた。
わたしは、まだ動かない。
住処の入り口がミノマダム達の糸でベトベトに汚されているから……じゃない。
このすぐに引き下がってどいてくれたのは、罠だから。
「どうなさったの? せっかくどいてさしあげたのだから、早く通ってくださいな」
ミノマダムが不思議そうな声を作って急かした。
罠だとは分かっている。
分かっているけれど、そのままじっとしていると待ちかねたミノマダムから一斉にむしのさざめきが飛んでくるのも知っている。
草タイプのわたしはむしのさざめきなんて耐えることはできない。
だから罠だと分かっていても行くしかなかった。
糸の中へ一歩踏み出す。
ぬちょ、と足がベタついた感触を踏みしめて気持ち悪い。
もう一歩。
早く拭き取ってしまいたいのを我慢して3歩目を出すために1歩目で絡みついた糸を取っている最中だった。
「きゃっ……!!」
かがめていた頭に重いものがぶつかってきた。
ドス、と鈍い音がして、わたしはバランスを崩してしまう。
慌てて手を地面について、そのネバネバの感触に後悔した。
でも手をついていなければ全身まとめて絡まっていたかもしれなかったし、仕方がない。
持っていたきのみをとっさに投げ出したおかげで糸が絡まっていないのがせめてもの幸運だ。
「いた……い……」
「ごめんなさいね、ぶつかっちゃったわ」
落ちてきたのは他でもないミノマダム。
もちろんわざとだ。
手も足も糸にくっついてしまってミノマダムの顔を見ることはできないけれど、きっと笑っているんだろう。
残り2匹も降りてきて、3匹はわたしを囲い込んだ。
「……メス1匹で住んでるからって優しくされすぎですのよ」
「恵んでもらってやっと生きられてるって分かってらっしゃるの?」
「まるで……乞食ですわよね」
口々に言いたい放題の言葉をわたしに浴びせかける。
さっきまでの外用の甲高い声なんか影もない、ストレートな声。
身動きをうまく取れないわたしはただただ耐えるしかない。
といっても、もう言われ慣れてしまったのかもしれないけれど。
そうしてそのうちに言うだけでは物足りなくなったミノマダム達が体を揺らし始めた。
わたしに体当たりをしようとする動きだ。
来るであろう衝撃に、せめて顔にぶつかられないように俯いて備えた。
数秒後には全体重を乗せた攻撃が何度もわたしを襲う……はずだった。
衝撃の代わりは、しゃらん、と鋼鉄が鋭く鳴る音。
しかし、その直後に猛烈な風がわたしの体を煽った。
「な、なんですの!?」
ミノマダム達の声も慌てたような感情がこもっていた。
再び風を感じる。
今度の風は吹き抜けることなく、わたしの目の前で止まった。
「……え?」
顔をあげると、見知らぬ背中が視界を占有している。
光沢のある分厚い装甲と、その隙間から引き締まった体が見えた。
ミノマダム達の声が一切聞こえないのも、この見知らぬ背中の持ち主のせいなのだろうか。
「……貴殿ら、何事だ」
声そのものに質量があるみたいな、低い声。
少なくともメスポケモンじゃなさそう。
「い、いえ~! なにもありませんよ~」
ミノマダム達の声がいつもの甲高いものに戻った。
「ここで、今! 何をしていた!」
荒げた声が背中越しにこちらにも聞こえる。
とてつもないプレッシャーを放っている声。
少なくとも話しかけられてはいないわたしでさえ少し怖かった。
「……し、失礼いたしますわ!」
「ごきげんよう~!」
甲高い声ののち、頭上でガサガサッと音がした。
ミノマダム達が木の中へ戻っていったんだと思う。
よくわからないけど、助かった……!
「貴殿、大丈夫であるか」
ミノマダムを撃退した背中が、振り向いた。
顔があがる角度にそのポケモンの顔がないせいでどんなポケモンかはわからない。
「はい……大丈夫です」
今わたしの体を拘束している糸を考えると、もう無事ではないのかもしれないけれど。
「その絡まっているものはなんだ」
「あ、えと、さっきのミノマダム達の糸……です」
「そうか」
またしゃらんと澄んだ鉄の音がした。
視界の端を一瞬通ったのは、槍……かな。
また強風が吹く。最初の風も、これと同じものかもしれない。
槍を持つポケモン……? 少なくとも知り合いにそんなポケモンはいなかったと思う。
誰だろう、と考えていたら、体にくっついている糸がぱさりと切れて落ちた。
ついでにわたしの周りの糸が細かく刻まれ吹き飛ばされていった。
まだ手や足にベタベタは残っているけれど、これで身動きが取れるようになった。
顔を上げると、助けてくれたポケモンは凛々しく佇んでいた。
「あ……」
一目見て、なぜか、声が漏れた。
胸が詰まったような感じもした。
ほとんど全身を覆っている鎧はいかにも硬そうな光沢を発している。
鋭い槍が生える腕はしなやかに細く、しかし折れてしまいそうな脆弱なイメージは一切なかった。
でも、なによりかっこよかったのは、鎧の奥で光る鋭い眼光。
正義の光が強く宿っていそうなその瞳はまっすぐこちらを見ている。
「怪我はないか」
「あ、ないです……」
声が出づらかった。
「そっ、その……ありがとうございます」
「礼は要らぬ。私はこれで失礼しよう」
助けてくれたポケモンは、もう去ろうとしているみたいだった。
真横をすれ違った瞬間、わたしは思わず手を伸ばした。
「あ、あのっ……!」
精一杯声を張ろうとしたら、無駄に大きな声になってしまった。
怒っていると思われたかもしれない。
「どうした。まだ助けることでもあるのか」
「いえ、な、名前を、教えてくださいませんか……?」
装甲のポケモンは、しばらく思案するように目を動かした。
「シュバルゴだ。だがもう会うこともない、無駄な記憶は忘れた方がいい」
もう会うこともない……?
その意味がよく飲み込めなかったのが顔にも出てしまっていたみたいで、シュバルゴさんは「不思議そうな顔をしているな」と言って続けた。
「私は……浮浪者だ。『旅をしている』と言うと聞こえはいいかもしれんが」
「どこかに住んでいるわけではない……ってことですか?」
神妙にシュバルゴさんは頷いた。
「あぁ。一回ここを出たらもうここに来ることはない」
やっぱり、ここで別れたらもう会えない……ってことみたい。
そんなの……いや。
なんでかそんなことを思ったのかはわからない。
助けてもらったから心強かったのかな。
とにかく、シュバルゴさんとお別れするのが辛かった。
いつもならこんなことをする勇気はなかっただろうけど、今回は躊躇する余裕もないくらいに必死だった。
「あの、お願いがあるんです」
「…………」
シュバルゴさんの目線が少し鋭くなった。
「わたしも、ついていっちゃダメですか……?」
「ダメだ」
即答だった。
さっきまでとは調子が違う、はっきり拒絶の意思がこもった声。
それに睨みつけるような眼差しがわたしを刺すみたいに威嚇してきて、怖い。
「お、お礼がしたいんです。助けてもらったのなんて初めてで……」
わたしは食い下がった。
どこからそんな勇気が出てくるのかわからない。
いつもならとっくにすごすご引き下がっているはずなのに。
「ダメだッ!」
シュバルゴさんが怒鳴り声をあげた。
「ひっ……」
全身が硬直して、わたしの喉から小さく声が漏れる。
シュバルゴさんはそれを見て、再び体を翻した。
もうどこかに行っちゃう……会えなくなる……っ!
不思議なほどにそれが嫌で、わたしは強く目を瞑った。
体のこわばりが解けた。
去っていくシュバルゴさんの背中を追いかける。
思ったよりシュバルゴさんの動きはずっと早い。
まるでわたしを振り切るみたいに急いでいた。
足に未だ絡みつくネバつく糸のせいもあるけれど、元々走るのは苦手だから全然追いつけそうもない。
「シュバルゴさん……っ!」
呼びかけた。
シュバルゴさんの顔がこちらを向いた。
止まってくれる……! と思った。
でも、違った。
びゅぅん、シュバルゴの槍がわたしの目の前を薙ぐ。
「俺に、ついてくるなッ!!」
拒絶の言葉が、槍なんかよりずっと鋭くわたしを切りつけた。
脚がすくんで、立ち止まる。
その間にシュバルゴさんは猛スピードで木々の中へ消えて行ってしまった。
「あ……」
もう、会えない。
なんで今日初めて会ったポケモンと別れるのがこんなに辛いんだろう。
助けてもらったからかな。また助けてほしかったのかも。
……違う気がする。でも、なんでかはわからない。
ネバついて地面に張り付いた足は重くて、もう動きたくもない。
冷たい風が背中に吹き付けきて、ただ寒かった。
「何をしているの?」
後ろからかけられた声は涼やかで透き通るよう。
「グレイシアさん……?」
振り返ると立っていたのは、この辺りだと唯一の友達。
しなやかな脚で堂々と立っている姿、それだけでもカッコよくて、友達ではあるけど憧れでもあった。
「久しぶりね。今日は長く散歩する気分で」
それよりも、とグレイシアさんは語尾を強めて言う。
「さんで呼ぶのはやめてって言ってるじゃない。こそばゆいの」
「そうだった。じゃあグレイシアちゃん」
「ちゃんはもっとやめなさい!!」
ここまでで一連のいつもの流れ。
呼び方1つでムキになるグレイシアを見ていたらなんだか笑えてきた。
「何を笑ってるのよ」
「ううん、なんでもない」
そう言いつつも笑いは止まらない。
また元気をもらったみたいだ。
グレイシアには助けてもらってばかり。ありがたいけど少し申し訳ない。
「……まぁいいわ。それで、なんでこんな夕方に地面で倒れてるのよ」
「あ、これはその……色々あって?」
「そう。それで?」
詳しく、ってことなのかな。
状況を見てもらった方がいいと思って、グレイシアを住処の前まで引っ張っていった。
「相変わらずね……またミノマダム?」
「うん……やっぱり毎日だよ」
「ほんと変わらないわね。あいつら私が丸ごと凍らせたこともあるのに」
「えぇ!? グレイシアそんなことしてたの!?」
「その時はここに来てまだ日も浅かったししょうがないわ」
こともなげに話しているけど、ポケモン1匹を丸ごと凍らせるなんてよっぽど怒ったりしない限り普通はしない。
行動力の化身……! と驚いた方がよかったかもしれない。
「私のことはいいのよ。とりあえずここは歩けるようにしとくわね」
わたしを下がらせ、グレイシアは口に構えたれいとうビームを発射する。
水色の光線は住処の前にこびりついた糸を次々と氷で覆っていった。
「とりあえず、ね。冷たいのは我慢してちょうだい」
「ありがと……いつもありがとね」
グレイシアに助けてもらったのは今日が初めてじゃない。
グレイシアはフラッとこっちまで散歩と言って来てはわたしをこうして助けてくれる。
流石にミノマダム3体を追い払うのは無理みたいだけれど。
グレイシアだってかなりバトルは強い方だけれど、それでも多勢に無勢だと厳しいって言ってた。
なのに攻撃もしないで呆気なくミノマダムたちを追い返したシュバルゴさんは一体何者なんだろう。
少なくともすごいポケモンなんだと思う。
……本当にもう会えないのかな。
「別に考え込むことないじゃない。そんな必死そうに言わなくても助けるわよ」
グレイシアは自分のことで考え込んでると勘違いしたみたいだった。
安心させてくれるような優しい笑みを向けてくれる。
要らない心配をさせてしまってちょっと申し訳なかった。
「あ、ごめん。考えてたのはそのことじゃないの」
「あら、違うの?」
小首をかしげるグレイシアに、わたしはこれまでの顛末を聞かせた。
「……泣いているの?」
思い出すだけでも悲しかった。
本当にシュバルゴさんにはもう会えないのかな。
せっかくグレイシアのお陰で気分も晴れてきていたけれど、しかたない。
「シュバルゴさん……ね」
グレイシアは何かを思い出すように空を仰いだ。
も、もしかして……。
「あのポケモ「知ってるの!?」
思わずグレイシアに飛びついてしまった。
「ちょっと、いきなり飛びついて……」
「いいから、教えて!」
会えるかもしれない。
「飛びつかなくても話すわよ……」
シュバルゴさんに、会えるかもしれない……!
「私が住んでる洞窟の近くに来たのよ、槍持ったポケモン。ドレディアが言ってるポケモンかはわからないけれどね」
「ほ、本当に!?」
「ゆ、揺さぶらないで! 落ち着いてってば!」
グレイシアの声ではっと我に返る。
わたしはグレイシアを地面に押し倒さんばかりの勢いで揺さぶっていたのだった。
「あ……ご、ごめん」
「まったく……」とため息気味に呟きながら、グレイシアはもう一度笑った。
「そんなに落ち込まなくても大丈夫よ。それより、シュバルゴさんと会ってどうするつもりなの?」
……考えてなかった。
ただもう会えないのが嫌で必死になっていたけれど、このままだと会ってもどうすればいいかわからないところだった。
「えっと、ど、どうすればいいんだろう……」
グレイシアは一瞬目を見開いて、それから苦笑した。
その苦笑の意味はわたしにはよくわからなかったけれど。
「考えてなかったの? ……その気持ちはわかるけど」
わたしは、どうしたいんだろう。
わたし、あの時、「連れて行ってください」って言ったんだよね。
やっぱり、一回会って満足はできなそう。
「シュバルゴさん、旅してるって言ってた。……わたし、お供したい」
「一回断られてるのに大丈夫なの?」
「わかんない。でも、ここにいるよりシュバルゴさんと一緒に色々なとこに行きたいの」
こんなところ、いるところが他にないからここにいるだけ。
悪い場所ではないのはわかっているけれど、あんまりいい思い出もないし。
もう心は決まった。
木々の間から夕陽の光線が一本差し込んできた。
わたしの頭の花が紅く照らされる。
グレイシアは小さくなんども頷いた。
「じゃあ、とりあえず私の家に行きましょ。シュバルゴさんの場所は知らないけれど、近くだと思うわ」
「わかった。準備してくるからちょっと待ってて!」
「急がなくてもいいわよー」
凍った糸の上を走って住処に駆け込んだ。
早く、準備しなきゃ。
この住処に帰ってくるのも最後かもしれない。
そう思って、何か使えそうなものは全部持ってきた。
葉っぱに包めば持つのはそう苦じゃない。
住処を出るときは少し寂しい気持ちもあったけど、今はそれ以上に緊張していた。
わたしの歩き方は、緊張のせいで変だったと思う。
グレイシアからみたらかなりおかしく見えていたかもしれない。
そんな調子でしばらく真っ赤な夕暮れから宵闇の藍色がかる空の下を歩いた。
木々の並びが切れて、視界がひらけてきた。
グレイシアが住む洞窟は行ったことがなかったけど、案外近かったみたい。
「おう、今日は遅かったな」
洞窟の暗がりの中からぬぅっと現れる大きな影。
ゴツゴツとしたフォルムのその影は、わたしたちと比べるとわたしたちなんて食べられてしまいそうなほどの体格差があった。
「ひゃぁっ!?」
驚いて変な声が出た。
一切怖がる様子のないグレイシアの後ろに隠れてしまう。
「やっぱり怖がられてる。ま、仕方ないわね。暗い中にこんなゴツい影が出てきたら誰だって怖いわよ」
「……慣れてるから別にいい。光なら今つけてやんよ」
ぼうっ、と何かが燃える音がした。
辺りが橙色の光に照らされる。
同時に、さっきの影の正体も見ることができるようになった。
グレイシアがくるんとこちらを振り返る。
ちら、と大きなポケモンを見て、それから紹介してくれた。
「あいつがバンギラス。何回か話はしたことあったでしょう? 怖いのは見た目だけだから気にしないであげてね」
あのポケモンが!?
グレイシアの話を聞いていた限りだとこんな怖いポケモンのイメージは全くなかった。
「見た目云々は余計だ」
「事実じゃない。それに……」
グレイシアは忍び寄るようにバンギラスさんの背中に近づいて。
「わたしはカッコいいと思ってるわよ?」
囁くように語りかける。
ぴとりと背中にくっついて。
「う、うるせぇよ。お前の意見なんざ聞いてねぇ……」
バンギラスさんは明らかに狼狽えてる。
それに、言葉こそキツイけど口調といい態度といい多分グレイシアに気を許しているのはすぐにわかる。
確かに見た目は少し怖いけど、なんだか親近感が湧いた。
……同時に、ちょっと羨ましくもあったけど。
「俺のことはどうでもいい。そいつはどうした」
バンギラスさんがふいっと首を振った。
そいつ、はわたしのことらしい。
「ドレディアよ。話したことあるじゃない」
「なんで来たんだって話なんだがな」
バンギラスさんはため息をついていたけれど、どうもグレイシアに呆れたとかそういうわけではなさそうだった。
グレイシアに向けるバンギラスさんの目はとても優しいものだから。
「そう。ドレディアはシュバルゴさん? を探しに来たの。あなたは知ってる?」
グレイシアが代わりに話してくれるのはありがたかった。
もうバンギラスさんが怖くないことはわかっていたけれど、話せと言われるとまだ自信はなかったし。
バンギラスは聞くなり「あぁ」と頷いた。
「シュバルゴならちょうどさっき話したな。この付近の洞窟の壁に穴空けて住処にしてるみたいだ」
「ほ、本当ですか!?」
ついつい叫んでしまって、声が洞窟の中で反響した。
バンギラスは再び力強く頷く。
「あぁ。詳しい場所は知らんがな」
「だ、大丈夫です! ありがとうございました!! グレイシアも、ありがと!」
ぺこんと頭だけ下げて、矢も楯もたまらずわたしは洞窟を飛び出した。
「頑張ってね!」
グレイシアの声が背中を押してくれるのが心強い。
洞窟の壁を伝って歩いていく間も頭の中はシュバルゴさんのことでいっぱいだった。
会ったらまずなにを言おう、とか。
もし一緒に旅するのを断られたらなんて言おう、とか。
会った時シュバルゴさんはどんな顔するのかな、とか……。
そんな風に考え事が浮かんでは消えてを繰り返した。
穴一つない岩壁が続く光景を見ながら歩いている時間はとても長かった。
「……あっ」
いきなりのことでびっくりした。
心がぴょんと飛び跳ねるくらい。
ざらりとした岩壁を触りながら歩いている矢先にぽっかり穴が空いていた。
多分これがシュバルゴさんの住処。
もう少し歩けば、わたしの姿はシュバルゴさんに見られちゃう。
(落ち着いて、わたし……)
両手を重ねて胸の前へ。葉脈の鼓動がいつもよりもずっと大きい。
緊張する。
断られたら、話を聞いてもらえなかったら、追い出されたら……。
色々な不安が頭をよぎって、最後の一歩が踏み出せなくなる。
……ここまで来ちゃったんだし。行かなきゃ。
自分の心に言い聞かせて、最後の一歩を踏み出した。
シュバルゴさんは、洞窟の入口、すぐ目の前にいた。
目が合う。
わたしはもちろん固まっちゃったんだけど、シュバルゴさんもかなり驚いているみたいだった。
お互いが硬直して見つめ合う、嬉しいような、でも気まずい時間が流れる。
「……何故来た」
シュバルゴさんが、さっきの別れ際での言葉と同じ冷たい声を発した。
「……あっ、え、その……」
急には言葉が出てこない。
言う言葉はさっきからたくさん用意してあったはずなのに、ひとつも思い浮かばない。
どうしよう、どうしよう。
「何をしに来たと聞いている」
急かすようにシュバルゴさんがもう一度聞いてきた。
早く何か答えないと……!
「……お、お願いがあるんです!」
目もつぶって、やけっぱちのように声を絞り出した。
恐る恐る目を開けたけど、シュバルゴさんの表情は変わらない。
「同行なら拒んだはずだ。何度来ても変わらない」
夜の闇に冷やされた鋼のような、冷たく突き放す声。
でも、わたしだってここまで来たら引き下がれなかった。
「もう、ここにはいたくないんです……でも一人でどこかに行くのも勇気が出なくて……お願い、しますっ!」
シュバルゴの突き刺すような瞳が、少し丸みを帯びた。
「……先ほどの件といい、何があったんだ」
話を、聞いてもらえた……!
まだ連れて行ってくれるとも言っていないのに、おかしなくらいに嬉しい。
体に入っていた力が少し抜けた。
「その、特別最近ってわけじゃないんですけど、嫌がらせ……を受けてて。毎日住処に帰ってくるとミノマダムさんたちが今日みたいに邪魔しているんです……」
緊張が少し解けたからだろうか、思ったよりも上手に説明できた。
シュバルゴさんはしばらくの間目を瞑っていた。
寝てる……ってことは多分ないし、何か考えてるのかな。
いい加減待つのが焦れったくなってくる頃、シュバルゴさんはやっと口を開く。
「……貴殿にも事情はあったのだな。理由も聞かず断ったことは詫びよう」
シュバルゴさんが、謝ってくれた。
ってことは、いいってこと……なのかな!?
「それじゃあ、いいんですか!?」
さっきまでのたくさんの不安が全部期待に変わったみたいに心がほんのり暖かくなる。
「いや……ダメだ」
言われた直後は気づかなかったけれど、シュバルゴの表情は最初からずっと冷たいままだった。
さっきまでの期待は絶望に変わって、その落差が余計に辛い。
「っ……ど、どうして、ですか?」
「貴殿に事情があるのはわかっている。助けられるのであれば助けたい。……だが、私には私の事情がある。これは貴殿のためなのだ」
さっき助けてもらった後の、あの冷たい声と同じ声音がシュバルゴの考えに変わりはないことを教えてくれていた。
わたしのため……?
全く意味がわからなかった。もうここにいたくないわたしを連れていかないのがなんでわたしのためになるんだろう。
「どういうことなんですか? わたし、もうこんなところにいたくないんです……」
シュバルゴさんの瞳の鋭い眼光が揺れ動く。
なにかを言うか言わないか迷ってるみたい。
しばらくして、シュバルゴさんは1つ大きくため息をついた。
「いや。貴殿は言わねば引き下がらんだろう」
「……はい」
「私は——」
(ここで更新切る)
わたしが固唾を呑んで聞いている中でシュバルゴさんが何かを言いかけた時だった。
「おい。シュバルゴだったか」
後ろから乱入してきた聞いたことのある声。
「——バンギラス」
シュバルゴさんは一瞬しかめっ面をしつつも、文句を言ったりはしなかった。
「やっぱり断ってるみたいだな。なんとなくそんな気がしたんだ」
「……貴殿には関係なかろう」
「んなこたねぇよ。生き方のアドバイスだ」
にやりとバンギラスさんは意味ありげに笑う。
「一応聞いてはおこう」
なんだかバンギラスさんがシュバルゴさんと話すみたい。
……わたしの話はどこに行ったんだろう。
とりあえず脇に逸れてバンギラスさんの話を聞くことにした。
「なんで助けたかわからない、って言ってたな。知りたきゃ連れて行ってやればいいじゃねえか」
「……だが」
シュバルゴさんは渋い顔をしている。
でもバンギラスさんは引きもしない。
「詳しい事情なんざ聞いてねぇけどよ。困った時に横に誰かしらいるのは心強いもんだぜ?」
「あら、実体験だから説得力があるわね」
グレイシアもついてきてたみたい。
それにしても自信ありげにバンギラスさんが話してるの茶化さなくてもいいのに。
思わずちょっとだけ笑っちゃった。
「……ましてや本人から一緒についてきたいって言ってもらってんだからありがたいもんだろ。……こいつなんか最初は可愛げもなく渋々だったんだしな」
バンギラスさんが顎で下を指した。
「ちょっと、それどういう意味よ」
グレイシアは頰を膨らませていた。
「とにかくよ。ついてくっていうからには相応の覚悟はしてるんだろうさ。な?」
「え、あ、は、はいっ!!」
唐突に話を振られたせいで、上ずった声が出た。
うぅ……恥ずかしい。
「……その、もうここを出たら帰るところもないし……どこでも、ついていきますっ!!」
シュバルゴさんの目が見開かれている。
必死で興奮してたからちょっと声が大きくなっちゃったせいなんだと思う。
「ここまで言ってくれてるんだ。それを押し切って一匹孤独に戦うこともないんじゃねえか?」
バンギラスさんとグレイシアが、二匹同時にこちらに微笑んだ。
話に割り込みにきたんじゃなくて、わたしを助けにきてくれたんだ……。
あとはシュバルゴさんの返事を待つだけ。
果たして——シュバルゴさんは苦笑して見せた。
まるで「負けた」と言わんばかり。
「……貴殿の言葉に一理あろう」
バンギラスへ一言言い放った。
その言葉で全部を理解したのだろう2匹は、わたしに目線を送ってさっさと帰っていった。
方向を変えて、シュバルゴさんはわたしを見据える。
そんなに見られると、なんだか恥ずかしいな……。
「……ドレディア。俺についてきてどうなっても、後悔するなよ」
『貴殿』じゃなくてちゃんと名前を呼んでもらえた。
ただ呼び名が変わっただけ。
でも、それだけのことがすごく嬉しかった。
だって、一緒に旅をする仲間だって認めてくれたみたいだから。
「はい!」
思わず口の端がつり上がったのを感じたけど、我慢する必要もないかな。
「やっこー!」
木々がざわめいているのも、1つ聞こえたヤヤコマの鳴き声も、わたしを応援しているように聞こえた。
シュバルゴさんの住処に入れてもらうことができた。
しばらくはそれだけで気持ちの高揚もギャラドス登り。
けれど、そのうちに居づらさの方が増してきて。
……だって、シュバルゴさんとどんなこと喋ればいいかなんて何一つ思いつかない。
「……オレンのみ、お好きなんですか?」
何故か壁の端に並べて置いてあったオレンのみを話のタネにしてみた。
「いや。干したオレンが長持ちするから常備しているだけだ」
「そ、そうなんですか……」
あぁ、話終わっちゃった。
昔から喋るの苦手だったけど、こんなに困ったのは今が初めてかもしれない。
「あの、きのみ持ってきたんです。……食べませんか?」
持ってきた葉っぱの包みの中からマゴのみを取り出してシュバルゴさんに見せる。
シュバルゴさんはわたしとマゴのみを交互に見た。
「俺はもう食べた。食いたければ食っていても構わん」
「……ありがとう、ございます」
ほんとはシュバルゴさんと一緒に食べたかったんだけどな……。
夕ご飯を食べもせずに支度をしたせいで、わたしはかなりお腹が空いていた。
近くの壁にもたれかかって座り、マゴのみのおしりにかじりつく。
優しい甘さが口に広がるけれど、なんだかいつもよりも味気ない。
「…………」
気づいたら、シュバルゴさんが無言でわたしを見ていた。
どうしたんだろう。わたし、何か変だったかな。
「…………」
シュバルゴさんは目をそらすことなくじぃっとわたしを見続ける。
なんだか食べづらい。
かじりついたポーズのまま止まっていたら、不意に顔が熱くなった。
その熱さに自分でもびっくりしたのは、理由がわからなかったから。
「その、わたし何かしちゃいましたか?」
「……いや。お前は何もしていない」
シュバルゴさんはささっと目線を逸らしてしまった。
一体何だったんだろう。
「お前が来た途端香りが華やかになった、と思っただけだ」
「んぐっ……!?」
予想外の言葉に驚いて、わたしは口の中のマゴのみを養分を吸収しないまま飲み込んじゃった。
だって、いきなり褒められるなんて思ってもなかったし。
「大丈夫か!?」
シュバルゴさんが近づいてくる。
精一杯首を振って大丈夫なことをアピールした。
「むぐ、んぐぐ! ……んくっ」
やっと飲み込めた……もう、びっくりしたのシュバルゴさんのせいだよ。
……突然、あんなこと言うから。
「ゆっくり食え。敵地でもあるまいし」
例えがよくわからなくて、ついつい聞き返す。
「敵地、ですか?」
「あぁ……いや、なんでもない」
シュバルゴさんの顔が一瞬陰ったように見えた。
気のせいかな。
それとも、前に何かあったりしたのかな。
そんなことを考えてるうちに、マゴのみちっちゃいからすぐに食べ終わっちゃった。
敵地のことは考えてても答えなんか出ないし一回忘れよう。
口に残るマゴのみの果汁のほのかな甘さを味わう。
「食ったな? であればもう寝るぞ」
さっさと地面に倒れこもうとするシュバルゴさん。
わたしはそんなシュバルゴさんを制止した。
「あ、ちょっとだけお時間いただけませんか?」
「構わんが何をするつもりだ?」
ふっふっふ。
わたしは心の中でほくそ笑んだ。
何を隠そう、ちょっとした計画を用意してきたのだ!
「待っててくださいね」
わたしは葉っぱの包みの中から大きめの葉っぱをいくつか取り出した。
小さな切れ込みをたくさんいれて、それを組み合わせるだけ。
あっという間に出来上がり。
「じゃーん! ……葉っぱで布団が作れるんです。どうですか?」
「布団……ありがたくいただこう」
シュバルゴさんが微笑んだ。
「来るときに、いろいろ持ってきてるんです」
多分わたしも今笑っていると思う。
だって嬉しいから。
力になれて嬉しい、なんて口に出す勇気はなかったけれど。
壁に寄りかかるようにして寝る体勢のシュバルゴさんに、葉っぱをかけてあげる。
そこから少し離れた場所にわたしも寝転がった。
すぐ横から声が聞こえてくる。
「確かに温かいな」
「ほんとですか? よかったです!」
シュバルゴさんの感想も聞いたし、もう寝るだけ。
「おやすみなさい〜」
「あぁ……おやすみ」
そっと、目を閉じる。
……寝られない。
いつもならすぐに眠気がやってきてわたしをさらっていくはずなのに。
たった1日で色々あったからかな……。
シュバルゴさん起こしちゃうのは嫌だし、なるべく動かない方がいいよね。
体を動かせないで暇を持て余すと、ついつい頭の中で色々なことを考え始めてしまう。
明日から何をするのかな、とか。
足手まといにならないかな、とか。
不安と期待とで、半分半分。
ふい、と横を向いてみた。
シュバルゴさんはもう寝ちゃったみたい。
葉っぱの布団から露出しているのは顔だけ。
目を閉じていても、やっぱりその顔は凛々しい。
でも、半開きの口とか……なんか可愛い気もする。
シュバルゴさんがこんな表情するなんて、会ったときには思いもしなかった。
ううん、それを言うなら会ったときにはこんなに近くで寝てることだって考えもしなかった。
そもそも朝のわたしはシュバルゴさんと会うことだって知らなかったわけだし。
なんていうか、たった数時間で色々な運命が変わっちゃったみたいな気分。
もちろん少し不安もあるけど、それよりも期待とか楽しみの方がずっと強い。
旅をするって言ってたし、これからいろんなところに行くのかな。
まだ森の中しか住んだこともないし、どんな景色でも新鮮なんだろうな。
……やっぱり寝られない。
「おい」
体が少し揺らされた。
誰だろう……。
「そろそろ」
あれ……この声……?
「起きたらどうなんだ?」
寝ぼけてた頭がやっと状況を理解した。
「きゃあああっ!?」
一瞬で目が限界まで開く。
同時に体も飛び起きた。
そうだ、わたし、今までの住処を出てシュバルゴさんのところについてくことにしたんだった……。
寝ぼけてたの、恥ずかしいな。
シュバルゴさんも面食らったみたいに固まってた。
わたしが突然叫んじゃったからだけど。
「あの、ご、ごめんなさい! びっくりしちゃって……最初、寝ぼけててここに来てたこと忘れてて……!」
シュバルゴは一度目を瞑って頭を軽く振った。
もう一度目を開けた時にはもうシュバルゴさんの目は昨日と同じ凛々しい目。
「気にするな」
シュバルゴさんはナナのみの房を槍に突き刺してわたしに差し出した。
「食うといい」
「シュバルゴさんはもう食べたんですか」
「あぁ」
もしかして、わたしが寝てる間に用意してくれてたのかな。
ナナのみを房から一つもぐ。
そのまま口持っていこうとして、シュバルゴさんがこちらをじっと見ていることに気づく。
「わたし、なにかしちゃいましたか?」
「ナナは皮ごと食べるものではないだろう」
それで不思議だったから見てたのか。
確かにわたしの他に食べてるポケモンの話は聞かないけどさ。
「食べてみたら案外美味しいですよ? 栄養たっぷりです!」
「初耳だな」
「食べてみます?」
今食べているのとは別に一本シュバルゴさんへ差し出してみる。
「いや、それはお前の分だ。俺はまた今度でいい」
「わかりました……」
そういえばシュバルゴさんはもう朝ごはん食べたんだもんね。
ひとまずほかの房の上に置いて、わたしはまた食べかけのナナを頬張った。
「今から何をするんですか?」
ナナのみをひとまず食べ終わって、わたしはシュバルゴさんに聞いてみた。
「1日分の食糧を集める。あとは決めていない」
「1日分、ですか?」
そういえばこの住処にはきのみが一つも置かれていない。
普通のポケモンは何日か分貯めておくんだけど。
「あぁ。いつここを出るかわからないからな。荷物はなるべく少なくしたい」
そういうことかぁ。
貯めておいてから出てくことにして、そのまま置いてくのももったいないもんね。
じゃあきのみ集めは毎日の日課なんだ。
早速シュバルゴさんが住処の外に出て行ってしまったので、わたしもそれについて行った。
「あの!」
「なんだ?」
「きのみを探すなら、わたしに任せてもらえませんか?」
わたしにはちょっとした特技がある。
「この辺りに生えているきのみはもう把握済みだ」
「じゃあ、何が生えてるか当ててみせます!」
シュバルゴさんが感心したみたいに目を吊り上げた。
「ほう? この場でわかるというのか?」
「はい!」
シュバルゴさんも関心を持ってくれたみたい。
これは頑張らなきゃ。
最初に、地面に穴を掘る。
ある程度の深さの土を、手でしばらく触ると、すぐにわかった。
「えっと……オッカのみ、マゴのみ、フィラのみ、バンジのみ、オレンのみ、モモンのみ、チーゴのみ、パイルのみ、セシナのみ、ナナのみ……くらいでしょうか」
「確かに全部この辺りに生えていたな。何故分かるんだ?」
「土の成分からわかるんです」
きのみの木たちも、生きてる以上は何かしらの排出物を出している。
根っこから出される排出物は木ごとに違って、それは土の中のポケモンたちの移動によっていろんなところに混ぜられて散らばっていく。
その色々な成分を読み取れれば近くにある木がわかる、ってわけ。
ちょっと深めに穴を掘ったのは、地中の方が土の中のポケモンたちの移動も多いから。
土から栄養を取り込める草タイプにしかできないことだけに、シュバルゴさんの役に立てて嬉しかった。
「具体的にどこに何が生えてるかまではわからないんですけどね……」
「いや、何が近くにあるかわかるだけで充分にすごいだろう」
シュバルゴさんが褒めてくれた!
全然認めてくれなそうな雰囲気してたから、少し意外かも。
わたしは上機嫌にシュバルゴさんの背中についていった。
シュバルゴさんについていった先は、わたしの知らないきのみ林だった。
その林はかなり豊作で、わたしももっと早く知りたかったなって思う。
「シュバルゴさんは何を採るんですか?」
「実が多く成っているところから少しずつだ。その木でほかのきのみが育ちやすくなる」
きのみを採るだけでも、色々考えることはあるんだなぁ。
好き嫌いでちょっと偏って採っちゃうことも多いし、恥ずかしいや。
やっぱりシュバルゴさんはすごいな、と思いながらシュバルゴさんをしばらく見てた。
多分わたしもきのみを採ってたら気づかなかったと思う。
「……あの、オッカのみ、取りすぎじゃないですか?」
「オッカのみは別だ。致し方ない」
シュバルゴさんは、そんなに実がたくさんついているわけでもないオッカの木からいくつもオッカのみを切り落としていた。
「好き、なんですか?」
あんなに辛いのが好きなのかな。
わたしには食べられないな。
「いや、そういうわけじゃない。俺の唯一の弱点はほのおタイプだからな」
オッカのみは炎タイプの技に耐性がつくきのみ。
バトルになった時に使うためにたくさん用意してるのか。
好きなきのみはまだわからないらしい。
かといって、どんなきのみが好きなんですか?って聞く勇気は、なんか出ない。
そもそも特別好きなきのみがあるかもわからなそうだし。
「…………あ、そうだ!」
ある思いつきをしたわたしは、近くにあった木のうちマゴの木、フィラの木、ウイの木から一つずつきのみをもらった。
それを抱えて、シュバルゴさんの元へ。
「あの、聞いてもいいですか?」
「なんだ」
「この3つのうちどれなら一番好きですか?」
わたしの作戦はこう。
全部のきのみの中から好きなきのみを言おうとしても思いつかない。
だったら選択肢形式にすれば、好きなきのみの特徴もよく出るかもしれない……って寸法。
「……マゴのみだな」
次にわたしが手に取ったのは、オレンのみ、モモンのみ、チーゴのみ。
「次の3つです!」
「モモンのみ」
最後にもう一セット、パイルのみ、セシナのみ、ナナのみ。
「これだとどうですか?」
「ナナのみだな」
というわけで選ばれたのは……マゴのみ、モモンのみ、ナナのみ。
全部甘いきのみだ!
セシナのみとかフィラのみとかそのまま齧ってそうなイメージばっかあった。
カッコいいなって思ってたけど、案外可愛いところもあるなぁ。
「何を笑っている?」
「え? あ、別に何もないですよ」
「そうか」
意外な一面! なんて思ってたらついつい頰がゆるんじゃってた。いけないいけない。
そういえば、急に押しかけたのに甘いきのみをもらえたのもシュバルゴさんが好きだからだったのかな。
好きなきのみがちょっと一緒なだけだけど、なんだか嬉しい。
たくさんなってたモモンのみをもう数個取って、持ってきていた葉っぱの包みに入れる。
「……あら?」
足が何かにぶつかった。
「でぃぐ?」
足元にいたのはディグダの子だった。
ここに来たってことはきのみでも取りたいのかな。
ちょうど余っちゃったオレンのみとパイルのみ、余分に取ってモモンのみもあげちゃった。
「わーい!」
ディグダの子は嬉しそうに地中へ潜っていった。
ちょっといいことをした気分。
「帰るぞ」
オッカのみを取り終わったシュバルゴさんがわたしを呼んだ。
「はーい!」
もう帰路に着いているシュバルゴさんの背中に従って、わたしも帰り始めた。
とりあえずシュバルゴさんに従って帰ってはきたけれど。
太陽はまだ真上からさんさんと日差しを送り込んでいる。
朝は洞窟に入ってきた日の光が入ってこなくなって、洞窟の中は少しひんやりしていた。
今はまだ大丈夫だけど、ずっとここでじっとしてたら寒くなっちゃいそう。
夜に火をつける用の薪は帰って来る途中で拾ったけど、夜までは使わないだろうし。
今から夜までなにをするのかな。
シュバルゴさんを見やる。
けど、シュバルゴさんは静かに目を閉じて動かない。
いったいなにしてるんだろ。
「あの、これからはなにをするんですか?」
目を閉じている時に聞いてもいいのかな、とは思ったけれど、ほかにどうすればいいのかわからなくて結局聞いてみた。
シュバルゴさんは相変わらず目を閉じたまま答えてくれた。
「決めてはいない。やることなぞなにもないからな」
意外すぎてお口あんぐり、ついつい頭も傾いちゃう。
「え、じゃあ普段どう過ごすんですか?」
「研鑽あるのみ」
カッ!! と音がつきそうなくらい勢いよく、シュバルゴさんが目を開く。
普通にしていても凛々しい目だけど、見開いた目は力にあふれていた。
気がついたら、吸い寄せられるみたいにじっとその瞳を見つめていた。
「どうした。お前は好きにしていて構わんぞ」
「…………ぁ。えと……結局なにをするんですか?」
シュバルゴの目から目が離せなくて、一緒に頭も全然回らない。
「修行、というほど辛くはないが、鍛錬だな」
鍛錬……バトルに備えてかな。
わたし、バトルなんかできないし……。一緒に訓練はできなそう。
「その、バトルは苦手なんですけど……見ててもいいですか?」
「あぁ。好きにしてくれ」
シュバルゴさんは住処から少し外に出た。
入り口から十分に離れた場所で、シュバルゴさんは槍を構えた。
——しゃらん。
金属質の鋭利な音が鳴り響く。
槍が連続で空を薙いで、目の前の草が風圧に激しく揺れた。
一回、二回……ターンして後ろから。
敵の攻撃を弾くみたいに槍を体の前でクロスして——シザークロス、かな。
目の前にはなにもないのに、なんだか見えない敵と戦ってるみたい。
訓練のはずなのになんだか見ているわたしも緊張してきた。
両手の槍を合わせて、全力の突き。
バトルのことなんか全く知らないわたしでも、その一撃にはすさまじいパワーが込められてることがわかる。
シュバルゴさんは、その場でひたすらに槍を振り続けた。
ずっと同じことが繰り返されてるだけだけど、なぜか見飽きたりはしなかった。
不意に槍が止まって、シュバルゴさんは普通の体勢に戻った。
……え、なんでわたしを見るの?
しばらく気づかなかったけれど、シュバルゴさんはじっとわたしを見てた。
「思いつきがある。少し、手伝ってもらえるか?」
「は、はい! ……えっと、何をすればいいんですか?」
「目をつぶってる俺に適当なタイミングで葉っぱを一枚飛ばしてくれ」
どういうこと?
何をするのかよくわからないけど……手伝えるならいっか。
少し待って、わたしはマジカルリーフをシュバルゴさんに飛ばした。
シュバルゴさんは草タイプの技に強いはずだし、どうせわたしの技なんか強くないから大丈夫だと思うけど……。
葉っぱは一直線にシュバルゴさんに飛んでいく。
シュバルゴさんの鎧の頭の部分に葉っぱがぶつかった、その瞬間。
カッ、と開いたシュバルゴさんの目が輝いた。
後ろに少し体を引いて、のけぞった。
パワーを溜めるみたいに一瞬止まって、シュバルゴさんは鋭い突きを繰り出す。
空気を裂く音がして、2つに割れた葉っぱがバラバラの方向に舞っていった。
思わず手を叩いて、それから聞いてみる。
「何の技ですか?」
「カウンターだ。普段1匹だと練習ができないからな」
カウンターなんて使えるんだ。やっぱり強そう。
「手伝えたなら嬉しいです!」
自然と口元が緩んじゃう。
シュバルゴさんと会うまでは、こんなことなかったんだけど。
シュバルゴさんの訓練は太陽が傾くまで続いた。
時々カウンターの練習の手伝いはしてたけど、基本わたしは何もしてなかった。
してたことは日光浴くらい。
自分でもびっくりだけど、シュバルゴさんの様子を見てるだけで時間が飛んでっちゃったみたい。
今更のように2匹のヤヤコマが鳴くのが聞こえてくる。
ふとこちらを向いてたシュバルゴさんが、カウンターの時みたいな速さで振り向いて後ろを見た。
くるくると周囲を見回して——何か探してるのかな。
結局何も見つからなかったみたいで、シュバルゴさんはそのまま戻ってきた。
でもなんか顔が険しい。
疲れている、とかそんな顔じゃなくて、何か嫌なことがあったみたいな表情だった。
「何かあったんですか……?」
「……何もない。気にするな」
すごく、気になる。
何もないのにあんな表情するわけない。
……けど、言わないってことはわたしには言いたくないってことだよね。
嫌われちゃった? まだ信用されてない?
……ううん、わたしのためかもしれないし、まだわからないじゃん。
「飯にしよう」
「……はい」
シュバルゴさんに言われて、今日採ったきのみを取り出した。
モモンのみを槍に刺して、空中に投げて丸々一つ口に放り込むシュバルゴさんの顔は、さっきよりも険しさが隠れてる。
大丈夫、なのかな。
心配事にちょっと余裕が出てきたら、別のことに目がいく。
……両手槍って食べにくくないのかな。
シュバルゴさんにとっては普通なのかもしれないけど。
でも槍の他に方法はないし。
「……あ」
気づいた。
今はわたしがいる。
っていうことは、その、食べさせてあげる、とか……?
自分で考えるだけでも恥ずかしい!
けど、シュバルゴさんが困ってるなら……。
「どうした」
シュバルゴさんが話しかけてきてくれた。
ちょうどいいし聞いてみようかな。
「あ、その……ど、どうぞ!」
……あ。
心の中で呟いた。
混乱して、聞く前にきのみを差し出しちゃった。
ど、どうしよう。
シュバルゴさんの表情は、あまり変わってない。
「……どうした?」
さっきと同じ言葉。
でも口調から不思議に思ってる様子はすぐにわかる。
「……食べにくいのかな、と思いまして……?」
「あぁ。進化した当時は確かに困ったな。もう慣れたものだがな」
「ありがとう」と耳に残る低い声で言って、シュバルゴさんがわたしの持つきのみを槍で刺そうとする。
そうじゃない!
予定と違うけど、もう差し出しちゃったしこのまま続けるしかないよね。
槍を避けて、ずいっとシュバルゴさんの口元にナナのみ寄せた。
シュバルゴさんはなんだか迷った後に呟くみたいに言う。
「すまないな」
少し恥ずかしそうなシュバルゴさん。
その表情を見た途端、葉脈が大きく脈打った。
よく分からない感動が全身をめぐって、思わず身震いする。
シュバルゴさんがわたしの手元に口を寄せて——
はむ。
シュバルゴさんがナナのみにかぶりついた。
それだけ、それだけなんだけど、時間が経つのがすごく遅い。
いつまでもシュバルゴさんがわたしの手元に顔を近づけているように感じて、余計に恥ずかしい。
やっとシュバルゴさんが一口かじって口を離した。
顔が熱くて、手が熱くて、頭の中がもうわけがわからない。
今すぐ手にあるナナのみを投げ出して顔を隠したくらい。
シュバルゴさんはシュバルゴさんでなんとも言えない表情してる。
やらない方が良かったかなぁ……。
ついつい不安になってきちゃう。
「おい、どうした?」
「は、はい?」
「まだ食べかけなんだが」
あ、そうだった。
シュバルゴさんまだ一口しか食べてないんだっけ。
自分だけ恥ずかしがってちゃダメじゃん。
もう一度シュバルゴさんの口元にナナのみを差し出す。
シュバルゴさんがナナのみを食べているのを見ながら、「シュバルゴさんは嫌じゃないのかな」なんて考える。
3口でシュバルゴさんはナナのみを食べきった。
「あの、どうでした?」
「どう、とは?」
「その……食べやすかった、とかでしょうか?」
「あぁ、確かに楽だった」
「本当ですか!?」
「あぁ。……進化したことには不満はない。強さを得たからな。だがその代償で少し生活しづらいのは事実だ」
本当、って言いたいのかな。
どんな言葉でも、嬉しかった。
2匹とも食べ終わって、揃って火に当たって暖をとる。
お互い無言でちょっといづらいけれど……。
「騎士さまってカッコいいですよね……」
……きゃあああああああっ!?
わ、わたし、いきなりなんてこと言ってるの!?
何か思ったことを言おうと思って、つい言わない方を口にしちゃった……。
「なんの話だ」
シュバルゴさんは訝しげな目でわたしを見る。
今更取り繕っても仕方ないし……このまま話しちゃったほうがいいのかな?
「その、騎士さまです。お姫様を守ってるみたいな」
シュバルゴさんの目がぴくりと吊り上がる。
「騎士、か。……何がそんなに良いんだ?」
あぅ、そんなに聞かれても考えてないよ!
「あ、えと…………鎧をかぶって、槍なんか持っていて、いつも側で守ってくださる……みたいな感じでしょうか?」
喋りすぎちゃったかな……。
「言いたいことは分かるが、カッコよさは今一分からんな」
「そ、そうですか? 姫……って呼ばれたり、してみたいです」
「そんなものか」
相変わらずシュバルゴさんの目は不思議そうに揺れている。
恥ずかしいな……。
でも、それをきっかけにぽつぽつと話が広がっていった。
恥ずかしかったけど、失敗しちゃって結果的に良かった。
話すうちに日は完全に落ちて、空は真っ黒に塗りつぶされた。
星が見えないのは、曇ってるのかな。
暗いからよく分からないけど。
外は寒いけど、シュバルゴさんがつけてくれた火はとても温かい。
ドリルライナーを応用して木に火をつけるのはすごかった。
もう寝る時間かな。
「光がない……ちょうどいいな」
シュバルゴさんが呟いた。
どういうこと? と考えるよりも先にシュバルゴさんに言われる。
「ここを出る。荷物は少なくしろ」
「え、真っ暗ですよ!?」
「だから今なんだ。早くしろ」
なんでわざわざ真っ暗な中移動するんだろう……?
でも、ついていくって言ったんだからつべこべ言ってちゃダメだよね。
なんだか急いでるみたいだったし、葉
っぱのお布団とかはお別れなのかな。
今まで住処を移動したことなんてほとんどないせいで、物を手放すのが少し惜しく感じる。
「行くぞ」
言うが早いがシュバルゴさんはもう住処を出ていった。
慌ててわたしもシュバルゴさんを追いかける。
歩いてじゃ到底追いつかなくて、全力疾走。
真っ暗な森の中、薄闇で唯一見えるシュバルゴさんをただ追いかける。
滑らかに低空を飛ぶシュバルゴさんは、疲れ知らず。
どんどんシュバルゴさんの背中が離れていく。
「あ、あのっ……!」
シュバルゴさんを呼び止めようと、口を開いた。
シュバルゴさんが急停止して、わたしのところに瞬時に飛んでくる。
一瞬のうちにシュバルゴさんが目の前に来て、叫びそうになる。
しかし、シュバルゴさんの槍の腹がわたしの口を押さえたせいで叫ぶことはできなかった。
「あまり喋らないでくれ」
シュバルゴさんは小声。
「は、はい……」
呼び止めようとするのもダメなんだ……。
今更のように冷たい夜の空気にわたしの体が冷やされていく。
同時に、暗闇が心も蝕んだみたいでなんだか怖くなってきた。
シュバルゴさんが再び動き出したけど、わたしは一歩を踏み出せない。
シュバルゴさんが振り向いて、わたしを見た。
心なしか睨んでいるようにも見えて、申し訳なさで心がいっぱいになる。
シュバルゴさんがまた近づいてくる。
怒られちゃうかな……?
「乗れ」
「……え?」
「早く乗れ」
有無を言わさない強い口調の小声。
乗れって、わたしが、シュバルゴさんに、しかないよね……?
わたしに背中を向けて前傾姿勢のシュバルゴさんが目の前にいる。
全身の葉脈が激しく脈打ち始める。
まるでシュバルゴさんから熱が送られてるみたいに、シュバルゴさんと向き合っている体の前面が熱く感じる。
でもゆっくり躊躇している暇はない。
目をつぶって、シュバルゴさんの背中に抱きついた。
鎧はもっと冷たいかと思ったけど、シュバルゴさんの体温でか案外温かかった。
「落ちるなよ」
すぐ近くで聞こえた声が耳に残る間も無くシュバルゴさんが動き出す。
「〜〜〜っ!?」
あまりの速さ。
怖いのと必至にしがみつくのとで絶叫する声も出なかった。
さっきまでのドキドキなんてこのスピードに置いてかれたみたいにかけらもない。
追いかけていたときも速いとは思っていたけれど、実際に掴まってみると世界が違う。
ぎゅっと目をつぶって、体に当たる風にひたすら耐えた。
どれくらい耐えたかな。
ふっと目を開けては暗い目の前を再確認して目を閉じる、そんな繰り返しだった。
しかし、それも終わり。
目を開けた瞬間、端っこが明るみ始めた空が見えた。
気がつけばもう森の中にはいなくて、わたしたちは荒野にいた。
薄闇で地面の様子はいまいちわからないけれど、草木の類が見られない。
こんなところ見たことない。
たった一度、住処を変えた時にはこれでも数え切れないくらいの場所を探したのに。
そんなわたしでも見たことがない離れた場所へたった一晩来ることができるシュバルゴさんがとてつもない速さと持久力を持っているのは確か。
……だけど。
この晩ずっと、耐えながら色々なかんがえが頭を巡った。
そのせいで、わたしの心の中には1つの疑惑が生じている。
「……あの」
「なんだ!」
叫ぶような声。
「スピード、もう少し落としてくれませんか?」
怖かったけれど、そこは勇気を出して聞いた。
「無理だ」
ぴしゃり、とにべもなくシュバルゴさんが断る。
心なしか逆にスピードが増した気さえした。
……やっぱりそうなのかな。
「あの……っ!」
シュバルゴさんの返事はない。
単にわたしのイメージ像なのかもしれないけれど、旅って昼間に少しずつ移動するものだと思っていた。
なのにシュバルゴさんは、夜になってから、それもこんなに急いで場所を変えている。
それが不思議に思えて仕方がなかった。
何か事情があるんじゃないか、そう勘ぐってしまっても仕方ない……と思う。
「そんなに急ぐなんて、普通じゃないです!」
シュバルゴさんが、急停止した。
勢いでシュバルゴさんにぺたっとくっつく。
シュバルゴさんから降りて、目の前に回り込む。
うつむき気味で、凶器みたいな目が揺らいでいる。
「なんで、そんなに急ぐんですか?」
黙るシュバルゴさんに、さらに聞いた。
「関係ない……わけではなかったな」
言いかけて、訂正した。
これまでのシュバルゴさんっぽくない濁し方。
「…………、」
逡巡してわたしの肩越しに遠くを見るシュバルゴさんの顔を、ひたすら見つめる。
シュバルゴさんの口は固く結ばれたまま、動きそうにない。
このまま待っていても言ってはくれなさそうだなぁ。
「別に、同行しているからって秘密があっちゃいけないわけじゃないです。……それは、わかってるんですけど」
後方を映していたシュバルゴさんの瞳がわたしを捉える。
「バンギラスさんが言ってましたよね。『困った時に横に誰かしらいるのは心強いもんだぜ』って」
シュバルゴさんが困っているなら、手伝う。一緒に困る。
それがわたしがもらった役目だと思うから。
「何かに困ってるなら、教えてくれませんか? ……わたしが力になれるかなんて分からないですけど、一緒にいるのに何もできないなんて、悲しいです」
思ったままに、シュバルゴさんに言葉をぶつけた。
シュバルゴさんの口が重々しく開く。
「……だめだ。巻き込むわけにはいかん」
「わたし、もう巻き込まれてます!」
考えるよりも先に口をついて言葉が出た。
下がりかけていたシュバルゴさんの視線が跳ね上がる。
「……いえ、巻き込んでもらいました。わたしは心配しなくていいんです」
シュバルゴさんは、考え事をしているみたいに呆けてわたしを見た。
「もう巻き込んでる、か。確かにもう遅いかもしれないな」
シュバルゴさんの目はもう揺れていない。
かちゃりとシュバルゴさんの鎧が鳴った。
辺りと同じ薄闇をまとった両槍の先端が、わたしに向いている。
「逃げるなら今にしておけ」
無理矢理にでも、わたしを離そうとしている。
それくらいの考えはすぐにわかる。
「逃げないです! 話を、聞かせてください」
両槍が鋭く突き出された。
「っ……!」
反射的に目を瞑る。
恐る恐る目を開けると、槍の先端は顔のすぐ先で止まっていた。
シュバルゴさんの顔を、わたしを凝視する瞳をにらみ返す。
「……逃げないのか」
「逃げません!」
数瞬の間、わたしたちはにらみ合った。
槍の先端が、徐々に下りていく。
最後まで槍が下りきったあと、シュバルゴさんが、長く長く息をついた。
まるで、今まで溜めていた緊張を全部吐き出したみたい。
「もう一度乗れ。話せる場所を探す」
「……はい!」
話してくれる、と決まったのがただ嬉しかった。
出会った時に助けてもらった、恩返し。
わたしに何ができるかわからないけれど、お礼ができたらいいな。
やっこー、とまたヤヤコマの鳴き声が聞こえた。
喜びに浸りながらシュバルゴさんの背中に手を伸ばそうとして、ハッと気づく。
鎧があるとはいえ、またくっつくんだ。
後ろから抱きしめるみたいな、そんな妄想みたいな事態に。
腕が少し引っ込んだ。
でも、ここで躊躇してたらまた迷惑かけちゃう。
こんなにどきどきしてるのは、わたしだけなんだ。
そう言い聞かせて、目をつぶってシュバルゴさんの背中に抱きついた。
足を地面から離した途端、シュバルゴさんは急発進。
振り落とされないように必死で掴まった。
さっきは暗いし速いしで怖かったけど、明るんできたのと速さに慣れてしまったのとで少し楽しい。
怖さがなくなってくると、別のことを考える余裕が出てきちゃって。
シュバルゴさんの腕が細いけど筋張ってすごく硬いこと。シュバルゴさんの腕の暖かさ。そんなものを妙に意識してしまって。
聞こえて、ないかな。わたしの鼓動。
怖くはないけど、恥ずかしさにやっぱり早く降ろしてほしかった。
——そういえばわたし、なんでこんなにどきどきしてるんだろう。
浮かんだ疑問は、シュバルゴさんのスピードについてこれずに一瞬で置いていかれた。
たどり着いたのは、荒野を抜けた先の渓谷だった。
霧に包まれて、あたりが見にくい。
逆に言えば秘密な話をするにはもってこいだからシュバルゴさんは来たのかも。
わたしを下ろし、シュバルゴさんは適当な岩盤にドリルライナーで横穴を作った。
「ここで話すぞ」
霧の中、唯一見えるのはシュバルゴさんだけ。
わたしが奥で目の前をシュバルゴさんが塞いでいる状況。
なんでかな、頭の花が熱くてたまらない。
でも、これ以上ないくらい真剣なシュバルゴさんの目を見たら、そんなことを考えてるわたしが恥ずかしく思えた。
「何から話せばいいか……」
いざ話すとなると混乱するみたいで、シュバルゴさんは一言ずつ訥々と、喋り始めた。
シュバルゴさんにはさすらう前、とある仕事をしていたみたい。
ここよりずっとずっと西。
ある1匹のポケモンが広大な土地を縄張りにしていた。
バシャーモさん。その縄張りの主だ。
縄張りの中には主がバシャーモさんだからかほのおタイプが多く住んでいたみたい。
近くには他のポケモンの縄張りも多く、縄張りを巡っていくつものトラブルがあって。
唯一の娘、アチャモに万一のことが起こることをバシャーモさんは恐れた。
バシャーモさんは常にアチャモの身の回りで警護をするポケモンをつけた。
それが、シュバルゴさん。
ほのおタイプの苦手は、水と岩と地面。
万一に備えるなら弱点に対応できなければ困る。
シュバルゴさんは水タイプにも岩タイプにも地面タイプにも比較的強めだから選んでもらえたみたい。
……身の回りにつけるポケモンが娘に危害を与えないよう、自分たちが有利になるタイプを選んだんだろう、ってシュバルゴさんは言ってるけど。
シュバルゴさんの唯一の弱点はほのおタイプ。
たとえシュバルゴさんがアチャモに襲いかかろうとしても、周りにはたくさんのほのおタイプがいるだろうからアチャモを守れる、そんな不信も理由の1つってことなのかな。
理由はともかく、シュバルゴさんは護衛として毎日気を張り詰めてる日々だったみたい。
バシャーモさんの危惧通り、何度もアチャモを狙った襲撃があって、その全部をシュバルゴさんは払い退けた。
しかし。
ジュナイパーというポケモンが襲いにきた夜から、シュバルゴさんの生活の全てが変わった。
3体のジュナイパーが周囲の警護をかいくぐってシュバルゴさんが守るアチャモの部屋まで入ってきて。
シュバルゴさんはいつも通り押していたのだけれど、3体同時に相手をするのは流石に辛かったみたいで囲まれちゃって。
自分が守れなくてはアチャモが危ない、とアチャモに一番近いジュナイパーにシュバルゴさんはメガホーンを放った。
それを狙っていたようなジュナイパーの笑みは忘れない、とシュバルゴさんは腕に力をこめながら言った。
メガホーンが突き刺さる直前、ジュナイパーはゴーストダイブって技を使って姿を消した。
標的を失ったシュバルゴさんの槍はそのままアチャモへと一直線。
運が悪いことに、駆けつけた増援が発見したのはびしゃぁっ、とあたりに血が舞う様子だけ。
シュバルゴさんがアチャモを故意に攻撃したとみなされるのも仕方がなかった。
命からがらその場を逃げ出すことには成功しても、縄張り内の多くのほのおタイプからシュバルゴさんは追われることになる。
そして今。
逃げるように、場所を問わず転々とさすらっている……。
だから、会った時にわたしをあんなにも拒絶したんだ。
旅をしているんじゃなくて、逃げ回っている身だから、わたしにまで敵意が及ばないように。
全部聴き終わって、わたしは一言だけ、『優しいんですね』とだけ言った。
わたしだって辛い思いをしていたと思ってたけど、そんなの霞むくらいにシュバルゴさんは辛い。
それでも、自分以外のことを考えて楽に流れないのは、やっぱり優しいからなんだと思う。
シュバルゴさんは困惑してたけど。
「話すことは話した。去るなら今のうちに去れ」
シュバルゴさんは、ポケモンを寄せ付けない目でわたしを睨む。
確かに、わたしはいても役に立たないのかもしれない。
わたしはバトルなんて得意じゃないし、そもそも相手のほのおタイプはもちろんわたしも不利。
むしろ足手まといなのかもしれない。
でも。
わがままかもしれないけれど。
わたしはシュバルゴさんの側にいたい。
……最悪の場合でも、役立つことはできるし。
もう一度、シュバルゴさんを見る。
シュバルゴさんはまだわたしを睨み続けている。
けれど、その瞳の奥に、親を見失った子供みたいな寂しげな色が見えたのは気のせいなのかな。
気のせいじゃないと思う。
一歩、二歩、進む。
シュバルゴさんは、引き下がったりもせず動かなかった。
シュバルゴさんがすぐ近く。
手を伸ばさなくても簡単に触れてしまえる距離。
わたしは、両手を真っ直ぐに伸ばした。
その両手を優しく、折り曲げる。
ちょっと背伸びして、覆いかぶさるように、頭も預ける。
包み込むみたいに。
「なっ……!?」
シュバルゴさんが動揺したような声を出した。
でも、振り払いはしなかった。
わたしはひたすらシュバルゴさんを抱きしめた。
シュバルゴさんは何も言わずにわたしに少し体重を預けた。
何回も、何回も、シュバルゴさんの背中を撫でる。
シュバルゴさんの頭の鎧に顔を押し付けて、一言だけ宣言した。
「わたし、逃げません」
「……勝手にしろ」
そう言葉ではカッコつけながら、やっぱりわたしに体重を少し預けるシュバルゴさんが——
シュバルゴさんが、なんだろう。
言い表せない。
可愛いでも、いじらしいでもなくて……。
「…………さぁ。もう、出るぞ」
優しく、振りほどかれた。
くるり、と私に向けられたシュバルゴさんの背中はやっぱり力強かった。
シュバルゴさんを先頭に横穴を出て、さらに渓谷を進もうとした途端のことだった。
「待てッ!!」
鋭い叫び声に突き刺され、体が跳ねた。
「誰だ、とは聞くまでもないな……」
シュバルゴさんは、逃げるでもなくおもむろに振り向いた。
さりげなくわたしを背中に隠しながら。
「ほう……? 逃げないのだな」
呼び止めたポケモンは、霧のせいでよく姿は見えない。
けど、そのシルエットは、見るからに大きくて強そう。
「一度は逃げた。……もう、逃げぬ」
シュバルゴさんは、一歩も引かない。
「いいだろう。……ファイアロー、霧払いを頼む」
シルエットのポケモンが、別のポケモンに言う。
足元から、体ごと吹き飛ばされてしまいそうな強風が吹く。
もやは風にのってどんどん飛ばされて、薄くなっていった。
目の前には、3匹のポケモンがいた。
「……バシャーモ。久しぶりだな」
シュバルゴさんが、大きなシルエットの正体を睨みつける。
「あぁ。久しくならないほうがよかったがな。ファイアローとヤヤコマがあれだけ探しても見つからなかったのは初めてだ」
「お前たち2匹が伝達用に鳴くことは俺だって知っている。そりゃ逃げたさ」
「元仲間だからこそ手の内がバレていた、というわけか。一本取られたな」
表面上は何事もなく会話しているだけだけれど、2匹の間に穏やかならぬ火花が散っているのはわたしでもわかった。
なに食わぬ顔を装っていたバシャーモさんのオーラが、一気に膨らむ。
「ここで、取られた一本、取り返そうじゃないか!!」
「ッ……!!」
瞬間移動のように。
気づいたらバシャーモさんは、距離が空いていたはずのシュバルゴさんへ蹴りを放っていた。
それでも食らわずにおさえているシュバルゴさんも、流石なんだと思う。
シュバルゴさんはすぐさま受け止めたバシャーモさんの脚をがっちり固定した。
お互いがお互いを攻撃できない拮抗状態に陥る。
いつまでも続くのかと疑問に思いかけた刹那。
上空で静止していたファイアローさんが、炎をまとって2匹に突っ込んでいった。
瞬時にそれを察知したシュバルゴさんは、バシャーモさんを跳ね上げて後ろに回避。
一瞬後にさっきまでシュバルゴさんがいた場所をファイアローさんが通り過ぎ、火の粉が舞った。
バシャーモさんは、シュバルゴさんが引き下がった時の隙を見逃さない。
再びの蹴り。
今度はバシャーモさんの脚も炎を纏っていた。
受けられないと判断したシュバルゴさんは左に動いてよけ、蹴りのあとで隙を晒しているバシャーモさんに槍の一突き——
「ぐッ……!」
バシャーモさんを守るように、ファイアローとヤヤコマが同時に炎を纏ってシュバルゴさんに突っ込んだ。
……3対1なんて、卑怯!
心の中で叫ぶけど、本当はわかっていた。
わたしが入れば少なくとも3対2にはなる。
わたしがシュバルゴさんを助けなきゃいけない。
はずなのに、わたしの足はさっきの凄まじい戦闘に圧倒されて棒のように動かなかった。
唯一の苦手な炎技を受け、流石のシュバルゴさんでも怯んでしまっていた。
バシャーモさんが全身に炎を纏って、畳み掛けるようにシュバルゴさんへ突進を繰り出す。
立て続けの攻撃では、シュバルゴさんも避けきれなかった。
シュバルゴさんの軽くない体が後ろの岩盤までいとも簡単に吹き飛ばされる。
ガゴン、と岩盤の一部が崩れる音さえした。
——シュバルゴさんが……!
バシャーモさんたちが、追撃を仕掛けるべく動き出した。
このままじゃやられちゃう……っ!
気づいたらわたしも動いていた。
手の中にエネルギーを集め、シュバルゴさんの近くの岩盤向けてエナジーボールを打ち込んだ。
思わぬ方向からの攻撃に驚いたようで、3匹が一瞬立ち止まった。
バシャーモさんがこちらを振り向いている間に、シュバルゴさんが起き上がったのをわたしは見た。
ファイアローさんへ向けて捨て身タックル、ヤヤコマへ向けてはたき落とすを立て続けに食らわせて、2匹を一撃でノックアウトしてしまった。
一応、貢献できたのかな……?
しかし、まだバシャーモさんが残っている。
攻撃した後のシュバルゴさんを、容赦のない火炎放射が飲み込んだ。
シュバルゴさんは間一髪で横に移動して、クリーンヒットを免れた。
決して当たらなかったわけではなく、シュバルゴさんの槍は凄まじい温度によって赤熱している。
じりじりと、バシャーモさんが逃げるシュバルゴさんを追い詰める。
わたしは、何かを考えるよりも先に2匹の間に割り込んでいた。
ギロリと、闘争本能に満ちたバシャーモさんの眼球がわたしを捉える。
「貴様は先程からなんのつもりだ」
体がすくんで、体の葉緑素の一個一個が震え上がる。
……シュバルゴさんが後ろにいるんだ。
今更、怖気付いても仕方ない。
「わ、わたしは……シュバルゴさんについていくって、決めたんです!!」
「連れに罪はない、と攻撃はしなかったものを、先程から邪魔しおって……!」
バシャーモさんは、怒りが一触即発だとすぐわかる顔でわたしを睨み続ける。
バシャーモさんには到底及ばないわたしと、相当な攻撃を受けて疲弊しきったシュバルゴさん。
この状況で、バシャーモさんを倒すだなんて。
——ううん。ひとつだけ、方法がある。
わたしが普通に生きてきたポケモンじゃなかったからこそ持っている、あの技が。
たった一回きりの、わたしの必殺技。
バシャーモさんが攻撃するより先に、わたしは二つの手を胸の前で一つに合わせる。
——シュバルゴさん。
——シュバルゴさん、元気になって。
頭の中で、シュバルゴさんの姿を思い描く。
鍛錬している時の、力漲るシュバルゴさん。
体に力を込めて、頭の中のシュバルゴさんへイメージを送る。
一瞬だけ、わたしの体がフラっとよろついた。
……そろそろかな。
目を開ける。
わたしの体からはいくつもの光の玉が溢れては天に飛んでいく。
そう、これは、「いやしのねがい」。
自らの体力を天に捧げて、味方を回復する技。
戦うのが苦手なわたしでも、役立てないわけじゃないんだ。
ふっ、と体から力が抜けて、わたしはその場に崩れ落ちる。
体力の全てを出し切ったおかげで、体がカビゴンにのしかかられているみたいに重い。
残る体力を振り絞って、周りを見渡した。
バシャーモさんはなにが起こっているのかわからないみたいで、不意をつかれたように呆然としている。
シュバルゴさんはわたしが捧げた光に包まれている。
光がシュバルゴさんの鎧に染み込んだ時には、シュバルゴさんは傷ひとつない健康体になっていた。
「ありがとう。……ドレディア」
ありがとう、は普通に、ドレディア、だけをささやき声でシュバルゴさんが言う。
わたしが一番シュバルゴさんの役に立てた瞬間だった。
顔にも力が入らかったはずなのに、自然に口角が上がる。
「いやしのねがいッ……瀕死になってまでこいつを……?」
バシャーモさんはさっきから微動だもしないで呟いた。
「終わってはいなかったみたいだな」
シュバルゴさんの、少し自信づいた声。
「回復しようが結果は同じだ……ッ!」
バシャーモさんもすぐに我に返った。
倒れたわたしの目の前には、脚を軽くあげて攻撃体制のバシャーモさん。
シュバルゴさんは、回り込んだりなんてしないで正面から、両槍をつきだしてバシャーモさんに襲いかかる。
バシャーモさんは両脚を地面にしっかりつけて、シュバルゴさんの体重の乗った槍を手で押さえ込んでしまった。
しかし、シュバルゴさんは不敵に笑う。
合わさった2つの槍、そしてシュバルゴさん自体が回転をし始めた。
「なっ……!?」
ドリルライナー。
押さえられて突くことはできなくても発動できるし、何よりバシャーモさんには効果抜群の地面タイプの技。
回転の摩擦が痛かったのか、バシャーモさんは手を離してしまう。
そのままシュバルゴさんがバシャーモさんに突き刺さる。
「ぐっ……」
バシャーモさんの顔が痛みに歪んだ。
これでシュバルゴさんも一方的に不利じゃなくなる。
バシャーモさんもすぐさま至近距離からの火炎放射を放とうとした。
シュバルゴさんはそれを察知して距離を取る。
しかし、バシャーモさんの口から放たれた火柱は、さっきよりもずっと太く燃えたぎっていた。
火の勢いが予想外に強かったせいで、シュバルゴでさえ避けきれない。
竜のようにうねる炎は、シュバルゴさんの頭をがぶりと丸呑みにしてしまった。
シュバルゴさんは倒れこそしなかったものの、片槍を地面についてしまうくらいにはダメージを負ってしまう。
「やはり相性には敵わないようだな……」
不敵な笑い。
バシャーモさんがゆっくりゆっくり、追い詰めるようにシュバルゴさんに近づく。
シュバルゴさんも地面から槍を離して戦闘態勢を作る。
——作ろうとした時だった。
「させるかッ!」
バシャーモさんの鋭い声。
同時にバシャーモさんが炎を吐き出した。
その炎は今までとは違って、アーボのようにうねりながら進んで、シュバルゴさんに巻きついた。
「っ……っ……!?」
シュバルゴさんの力でさえ、炎の束縛は解けなかった。
チリチリと少しずつ焼けていく、残酷な音が聞こえる。
「貴様は娘の仇だ……楽に死ねると、思うなよ?」
怒りを燃料にして燃え上がる拳が、振り下ろされる。
炎に押さえつけられて無抵抗なシュバルゴさんは、それを受け入れるしかない。
ゴスッ、鈍い音が谷に響く。
「ぐッ……ぁ、ァ……」
「声も出ないか。まだ死ねないがな」
再びバシャーモさんが拳を振り上げる。
全力であろう力を振りしぼって、叩きつける。
——やめて。シュバルゴさんを、傷つけないで。
わたしは、ほとんど言うことを聞かない腕を地面に突き立てる。
「貴様には信頼を置いていたんだ。過去の話だがなッ!」
シュバルゴさんの鎧が拳の熱を受け取って赤熱する。
——やめて。シュバルゴさんは、今でも頼れるんだから。
わたしは、両腕をついて体をゆっくりと起こし始める。
「貴様が、アチャモを突き刺した光景……忘れないッ!」
シュバルゴさんの腕に、深い火傷の跡が刻まれる。
わたしは、地べたに這うように動いて立ち上がる。
「貴様のようなッ! 軽はずみに裏切るポケモンがッ! 同じ世界で生きていることが腹立たしいッ!!」
拳の3連打に耐え切れず、シュバルゴさんの兜が折れる。
——やめて。シュバルゴさんは、軽はずみに行動するようなポケモンじゃないんだから。
脚なんて少しも動かなくて、全身を使って跳ねるように一歩ずつ近づく。
「その血にまみれた槍……へし折るッ!!」
シュバルゴさんの両槍がバシャーモさんのオーバーヒートによって焼けただれ、中程から重力に従って垂れてしまう。
——やめて。その槍は、わたしを守ってくれたんだから。
最後の、一歩。
「これで、終わり……」
全霊の力がこもっているであろうバシャーモさんの右手が振り下ろされるよりも先に、わたしはシュバルゴさんとバシャーモさんの間に割って入った。
「貴様は……貴様は、いやしのねがい で瀕死になったはず……」
怒りから呆気にとられた表情に変わるとともに、拳にまとっていた紅蓮に輝く炎が一旦消えた。
「シュバルゴさんを、守りたいんです……っ!」
「……どうしてだ。どうして、娘の仇に、味方するッ!!」
「シュバルゴさんは、最後までアチャモさんを守ろうとしました!!」
「虚言もいい加減にしろッ! 此奴は、確かにアチャモをその槍で突き刺したのだ!!」
「確かにそうです。でもそれは、襲ってきたジュナイパーの策略だったんです!」
「何……?」
「ジュナイパーがシュバルゴさんの攻撃を誘導したんです!」
「……捕らえたジュナイパーのあの不気味な笑み、はっきり覚えている。…………まさ、か」
「シュバルゴさんは悪いポケモンなんかじゃありません。嫌がらせを受けていたわたしを、助けてくれました。あの森を出たかったわたしを、連れ出してくれました。わたしの価値を、認めてくれました。たった数日付き添っただけのわたしに、過去まで打ち明けてくれました」
「……絶対に。絶対にシュバルゴさんは悪いポケモンなんかじゃないですっっ!!!」
意識は朦朧として、すぐにでも手放してしまいそう。
それでもわたしは、夢中で喋った。
バシャーモさんを説得するために。
焼かれたっていい。シュバルゴさんが 許してもらえるなら。
バシャーモさんの顔を、ぼやける視界のまま、キッと睨む。
果たして——バシャーモさんは、糸が切れたみたいに振り上げていた腕を下ろした。
くるり、とわたしたちに背中を向ける。
「……もう二度と目の前に現れるな。俺たちの縄張りに近づきもするな。お前がアチャモを刺した事実は、変わらない」
ファイアローとヤヤコマを抱え上げて去っていく。
「……お前を許したわけではない。そこのドレディアに免じてでしかないぞ」
バシャーモさんの姿は、再びかかりかけてきたもやの中に消えた。
ぷつんと緊張の糸が切れて、わたしは地面にへたり込んだ。
なんでさっき立ち上がれたのかわからないくらいに力が入らなくて、地面に体が押さえつけられているみたいに身動きが取れない。
大丈夫か、と叫ぶシュバルゴさんの声を遠くに聴きながら、わたしの意識は薄れていく。
倒れたわたしの薄い視界にシュバルゴさんが映る。
体が揺らされるリズムが、心地いい。
ぽっ、と何か、体の中から湧き上がるものがあった。
温かくて、優しい気持ち。
なんだか物足りなくて、もっと近づいてほしい。
きゅぅ、と体の中に綿が詰まるような感じがして、息が苦しくなる。
葉脈もざわざわとどよめく。
……どこかで、同じようになった話を聞いた気がする。
その時誰かは、なんて言ってたっけ。
————好き。
視界は閉じて、意識もさらに薄れていった。
ふっと意識が急浮上する。
体は、重くない。
たっぷり寝て起きた朝みたいに体力満タンだった。
うっすらと目を開ける。
シュバルゴさんと目があった。
びっくりして目を見開くと、視界のうちシュバルゴさん以外は真っ青に突き抜ける空。
わたし、寝てるんだ。
それで、シュバルゴさんがのぞきこんでいて。
シュバルゴさん、すごく近い。
寝ている状況で、半分上から覆い被さるようにシュバルゴさんが見ている。
「あ、あの……」
「……あぁ。すまない、つい」
つい?
浮かびかけた疑問は、そのままシュバルゴさんが話し始めたことでかき消される。
「体はどうだ」
「なんだか、すごく元気です」
「ふっかつそうは効いているようだな」
そっか、シュバルゴさんがふっかつそうをくれたんだ。
……くれた?
どうやって?
も、もしかして……。
顔を手で覆って、悶える。
顔が熱い。
口が熱を帯びて冷めない。
別のことかんがえなきゃ。
わたしはいやしのねがいで体力を使っちゃっただけだから、ふっかつそうで回復したらもう元気なんだ。
あれ、じゃあダメージ受けてたシュバルゴさんは……?
顔なんか覆っている場合ではなくて、シュバルゴさんを確認した。
戦っていた時と変わらない消耗した姿だった。
「シュバルゴさんこそ大丈夫なんですか!?」
「俺は戦闘慣れしているからな。炎技は少々効いたが」
「わたしじゃなくてシュバルゴさんが寝ていないとダメですよ!!」
「……そうか」
起き上がったわたしの後ろに回って——
「借りるぞ」
わたしの背中にもたれかかった。
やっぱり鎧越しだけど、とても温かい。
その温かさは単純な熱量以上の温かさを持っていた。
そのまま意識していたら頭がパンクしてしまいそうで、辺りを見回す。
一面ほとんどが草原で、なにもない。
別のことを考える余地もなくて、こっそり途方に暮れる。
「お前に1つ聞いておきたいことがある」
背中越しのシュバルゴさんの声。
不意打ちにびっくりして背筋を正した。
「な、なんでしょうか?」
「いやしのねがいは、普通ドレディア族が使えるものではなかったと思うが。違ったか?」
その質問は、あまりされたくなかった。
自然と正した背中が丸まって俯いたのも背中合わせではシュバルゴさんには確認できない。
「……はい」
追求されるのが怖い。
あまり思い出したくはないから。
でも、シュバルゴさんの言葉はわたしの予想なんか少しも当たっていないものだった。
「……俺は、いやしのねがいが使えるドレディア、いやチュリネを知っている」
「……え?」
わたし以外にも、同じような境遇のチュリネがいるんだ。
「俺は物心ついた時から親なんていなかった。親代わりならいたがな」
それって、わたしと同じ……?
シュバルゴさんと違って、わたしには小さい頃だけ親がいた。
お母さんはわたしと同じドレディア。
でも、お父さんは、お母さんで遊ぶだけ遊んでお母さんを捨ててしまった。
このいやしのねがいは、そんなお父さんから受け継いだものみたい。
遊んで捨てるような親から受け継いだ技がいやしのねがい、だなんていい皮肉。
お母さんはしばらく面倒を見てくれた。
けれど、心の中で何があったのか、わたしは唐突に森の中に捨てられた。
さまよい歩いたわたしがたどり着いた先は——
「ニンフィア。あのポケモンのもとで俺は育つことができたんだ」
わたしの心の中を、シュバルゴさんが言葉にした。
何が起こったのかわからなかった。
心の中が見透かされただけか、それとも。
「いやしのねがいが使えるチュリネは、同じように親がいなくてニンフィアのもとに来たポケモンだった。あそこはそういうポケモンが集まっているからな」
ニンフィアさんは、優しかった。
親がいない子を拾ってきては、みんなを養って。
住んでいるみんなが満足する量のきのみを用意するための手段は選ばなかった、ということはあとから知った。
自分の身を粉にしてわたし達を育ててくれたポケモンだった。
……でも、今考えるのはそんなことじゃない。
「もしかして……あの時の、カブルモ?」
「もしやとは思うが……あの時の、チュリネか?」
2匹の声が完全に重なった。
シュバルゴさんに会ってから一番の衝撃だった。
「やはり、そうか」
シュバルゴさんは納得したように3回も頷く。
ちょっと前初めて助けてもらったと思っていたのに、実はずっと前に一緒に暮らしていただなんて。
運命的、としか言いようがない。
「一回だけ、あったな。外から別の子供が食糧庫を荒らしに来たのに立ち向かおうとして、返り討ちにされて。そんな俺をチュリネが、お前が。いやしのねがいで助けてくれたんだ」
「あ、あの時は、必死でしたから。あとでニンフィアさんに『あんな危ない技使っちゃダメ』って怒られちゃいましたけど」
「ニンフィアは心配性だからな」
背中越しの笑い声に、わたしもくすりと少し笑った。
シュバルゴさんの鎧が、わたしの背中から離れる。
もう行っちゃった、と思ったのもつかの間。
わたしが何かするよりも早くシュバルゴさんはわたしの目の前に回り込んだ。
そうして、さっき笑ってたとは思えないくらい真剣な表情でわたしを見つめる。
「あの時も、今回もだ。——何故そこまでして助けてくれるんだ」
「え、えと……うーん……?」
なぜ……?
そんなこと急に聞かれたって、わからない。
あの時だって、さっきだって、ただ必死だった。
気づいたら飛び出ていたし、気づいたら技も使ってた。
……あの時は。
昔のわたしはカブルモくんのことどう思ってたのかな。
いじめにはならないくらいの、今となってはかわいい意地悪を受けて泣いてたわたしをいつも助けてくれたっけ。
守ってくれる背中を眺めて、よくわからない感覚に襲われてた。
体の内側が綿でいっぱいになったみたいな胸の圧迫感を、今でも覚えてる。
あの時の気持ちを心の中で反芻して、はたと気づいた。
——その、綿の感じって、わたしがさっき倒れる前に感じたやつかもしれない。
グレイシアにバンギラスさんのこと聞いたら、グレイシアはいつも言ってた。
『見てると、胸が綿でいっぱいになるの。……好きなのよ』
好き。
好きだって思ってるのは、わたし。
誰が?
1人しかいない。
わたしはシュバルゴさんが好きなんだ。
心の中で明確に言葉にした。
胸のうちにつかえた綿はまだ取れない。
けれど、かかっていたもやを払って綿の正体がわかった。
綿はどんどん膨らんでいって、もう喉まで出かけてる。
言ったら迷惑かもしれない。
けど、言わずにはいられなかった。
考えながら泳がせていた視線をシュバルゴさんにしっかり向ける。
シュバルゴさんは相変わらず何も言わない。
「あ、あの! 迷惑かも、しれない、んですけど……」
「構わん。言ってくれ」
もう戻れない、言うしかない。
そう意識しながら、口が動く。
「……わ、わたし。シュバルゴさんが、
好き……なんだと思います」
シュバルゴさんの眉がぴくりと動く。
「に、ニンフィアさんのもとにいた時から、そうだったんです。助けてくれて、カッコよくて……たぶん、その時から、好きでした」
ふふっとシュバルゴさんは我慢しきれなかったように笑った。
困惑半分、でも心なしか嬉しそうに見える。
「奇遇、だな」
「……はい?」
「さっきの戦闘で助けてもらってから、お前に使うふっかつそうを探して駆け回った。お前を助けたかったんだ。……これも、好き、と言うんだろう?」
言葉が、出なかった。
シュバルゴさんの声は聞こえているし、言葉の意味も理解できてる。
けど、まるで夢としか言いようがなくて、状況の理解が追いついていなかった。
シュバルゴさんがわたしの手を取った。
地面に体を突いて、わたしの前に跪いたような格好。
「生涯を賭けて、お守りしよう」
「我が、姫……」
「え……っ!?」
姫。
……姫。
——姫。
頭の中で、たった一言が延々とこだまする。
姫。お守りしよう。————
つー、と頰がくすぐったくなった。
涙。
わたし、泣いてる。
「だ、大丈夫か? 騎士が好きだ、と言っていたのを思い出してみたんだが……」
シュバルゴさんは少し恥ずかしそうにわたしを見る。
かっこいいけど、なんだかかわいい。
「その、嬉しくて……嬉し涙なんて、初めてです」
「そうか。なら、よかった」
お互いの安堵の息が重なって、わたし達は笑い出した。
それから、どちらからともなく近寄って、腕を相手の背中に回した。
温かい。
朝に比べて高くなった気温のおかげか、同じくらい暖かくて優しい草原の風が一陣吹いていった。
fin