はじめに
本記事は福島旅行日記のうち、震災関連施設への記載のみ抜粋したものになります。
もしかすると震災関連施設の記載のみ抜き出したら、読んでいただける人が少しでも増えないかと思い抜粋した記事になります。
普段ブログを書く際には、読みたいと思ってくれる人が少しいればいい、程度の気持ちですが
この記事だけは僕から読んでほしいと思いながら書いています。
全文はこちらからどうぞ。
全体的には楽しい旅行記です。
震災遺構 浪江町立 請戸小学校
訪れたのは「震災遺構 浪江町立 請戸小学校」。
震災で被害を受けた校舎の一部をそのまま残して地震・津波による被害を伝える施設。
入ると小学校らしい温かみのある校舎と、
それとは対照的に「エンタメではない」と断言するような、事務的な冷たさを感じさせる建物。
誰だったかが「この前の建物、津波の高さで作られてるのかな」と言ってから、薄ら寒い雰囲気が余計にした。
試しにとグラードンを前に出して取ってみたら高さが同じくらい? だった。
これが来るんだよな……。
そう思うと、目の前の真っ白い建物がそのままこちらに向かってきているような気がして怖かった。
入るとまずは、基本的な知識として請戸の地域行事なんかをあの真っ白な建物の中で紹介された。
この花火の画像然り、文化の紹介がほぼ全て過去形だったことに誰かが気づいて、また空寒くなった。
建物内の紹介を抜けると、校舎の入り口が姿を現す。
「津波浸水深ここまで」と書かれたボードが目線のずっと上にあって、圧倒されるしかなかった。
校舎との中は「廃墟」というにも荒れすぎなくらいの光景。
ファンタジーではよくある、文化ごと全て廃れてしまった荒れ果てた街の感じ。
ポケモンでいうとウルトラビルディング。
USUMでアクジキングがいる、一説には荒廃した別世界のハウオリシティとも言われている世界。
「給食室のキッチン器具などが流されて、隣の部屋で堰き止められて積み上がっている」という場所があった。
あんなに重い機材が「散らばる」を超えて「積み上がる」。そうしてしまうだけの、津波のエネルギー。
思わず納得させられてしまった。
校舎を出て教室の外部分を歩くと、建物一つない真っさらな景色。
車で移動している間は「田舎らしい光景だなぁ」なんて呑気にキタカミの里を思い出していたけれど。
また誰かが気づいた。
「これ津波で流されたからなんにもないんだ」
よく考えたら、田舎が真っさらな景色なのは田園なりが広がっているからであって。
周りの景色は田園ですらない草っ原だった。
よかったら拡大して見てみてほしい。
校舎内外の順路には、当時の請戸小学校の避難劇が国語の教科書のような文字・挿絵・文体で描かれていた。
国語の教科書の戦争関連のお話はどれも真に迫るものがあって当時も怖い思いをしていたが、その気持ちがそのまま蘇ってきた。
2階へと続く昇降口の前まで来ると、当時小学校にあった展望台が見えた。
しかし、何かがおかしい。
少し注視して気づいたのが、階段が地面まで繋がっていないこと。
恐らく下の部分は津波被害で持って行かれてしまったのだと思う。
ボロボロになった手すりと施設のために新設されたであろう手すりとが混ざる階段を昇って、2階へ。
これまた撮るのも忘れてしまったけど、
2階部分はまだ残っていたところを残しながら、新品のようなきれいな施設に変わっていた。
黒板の一つは震災後地方に避難した方々が、また訪れた際に書き残した寄せ書きで埋め尽くされていた。
元気な「〜〜来ました!」というデカ文字だったり、まさとくんが2人いるクラス全員分のひらがなの名前羅列だったり、自衛隊を応援する文字だったり。
あとは生き延びた小学生たちの10年後の手記が飾られていた。
生きていてよかった、今も頑張っています、と口々に書かれていたが、一つ違う雰囲気を纏った手記があった。
その手記は震災被害によって福島を離れて、そのおかげで出会った人や出来事に感謝したもの。
震災の話だとよく「忘れるな」とか「被害者の気持ちを〜」なんて言うけれど、
その手記からは震災の記憶を忘れることもなく、さりとて過去に囚われることもなく、前向きな為人が伝わってきた。
嫌な記憶との付き合い方がすごく上手な方なのだと思う。
これで全てを見終わった。
満足感はもちろんあるものの、晴れやかではない神妙な空気のまま外に出る。
庭になんか可愛いの走ってる
自動芝刈り機らしい。
庭の一角に充電スポットがあって、芝が生えている部分をルンバみたいに走っているっぽい。
かわいい。
ピカチュウのドキドキかくれんぼの暴走芝刈り機くんじゃん! とキャッキャして少し心が和んだ。
他の観光客も芝刈り機に心を奪われている様子で、子供達も笑顔だった。
ここまで見越して芝刈り機を置いていたとしたら考えた人には脱帽だと思う。
東日本大震災・原子力災害伝承館
さて、あの日の震災被害は地震と津波の被害に終わらない。
続いて向かったのは「東日本大震災・原子力災害伝承館」。
正直あれを見た後に向かう気にはならなかったものの、「チェックインまでの時間で展望台に登ってみたい」ということで
伝承館の隣の展望台に行くことに。
どうやらこの周り一帯を「福島復興祈念公園」に改造する計画が進んでいるらしく。
めちゃくちゃ馬鹿でかい範囲が公園に改造され始めていた。
それにしても、周囲一帯が真っさら。
よく見たらポケふたがあった。
ラッキーかわいい。
アローララッタも、かわいい。
下の売店で、「FUTABAさくらリング」を買った。
紐でぶら下げるタイプのスマホリング。
福島の森林を再生するために間伐した木材を使用して作られています、とのことだった。
単純にリングが欲しかっただけだけど、いつも身につけているスマホにこれがついているのはふとしたときに思い出せていいかもしれない。
あとおだが「親父の小言」という独特ネーミングセンスのお酒を買っていた。
伝承館は時間の都合上駆け足だったので、写真はなかった。
最初に5分くらいの映像を見るシアターから入るんだけど、これがすごい。
円柱状になっている向こうの壁3枚くらいをいっぱいに使った映像。
福島出身の先日亡くなった俳優さんが語り部をされていた。
原発の廃炉処理の話で「生きてるうちには拝めねぇかもしれねえな」と語っていて、コンボダメージを受けた。
それ以降も、原発に焦点を当てての当時の対処の様子が克明に描かれていて、ニュースの情報だけではリアルな様子を知るには足りないことが身に沁みた。
言うは易く、行うは難し。
例えば「住民全員を避難させる」とニュースで聞くだけなら簡単だが、その裏には多くの手順があった。
自力で逃げられる人だけではないし、そもそも電力系統のない状況で情報を回すのも難しい。
廃炉処理にも、ニンゲンが触れたくないゴミの塊である以上複雑な要因が絡み合う。
除染作業も実態を見れば気の遠くなるような作業の数々。
一括りに原発反対と言う気はない。
エネルギー事情はそれはそれで逼迫していると思うし、基本的に行動は一部のリスクを切ってでも起こすほうが強い。
しかし気軽に賛成と言ってしまうことの残酷さは今回よくわかった。
これも、言い方を変えればトロッコ問題のようなものなのだと思う。
人数の多さ、残酷さも加味すれば、ただのトロッコ問題じゃない。
ハイパートロッコ問題。
答えはない。
にもかかわらず現実を回していくためには何かを決めるしかない。
僕には結論を出せそうもないなと思う。
よく政治家は税金から多額の給料をもらっている!という言葉を耳にする。
でも、政治家はこのハイパートロッコ問題に結論を出さなければいけない。
むしろそれ自体が仕事。
そう考えると、一般人の5倍なんかじゃ薄給すぎるんじゃないかと思う。
振り返ってみると、責任給の概念が身に沁みた。