はじめに
クロサナです。
なんか最近Pokémon Championsのダメージ計算ツールに関する議論が日夜活発ですね。
僕も一応シングル/ダブル/その他過去作のオフ大会やオフ会の運営をしているので議論の流れはある程度興味を持ってみていたりします。
その議論を見ていく中で、一つ興味深いというか、
「議論」という行為そのものに通ずるところがあるなぁと思った内容があったので紹介しようと思います。
おことわり
僕は諸々の大会運営をしていますが、真面目なプレイヤーとしてはポケモンGOしかやっていません。
嗜む程度にしか遊んでいないのでこのダメージ計算ツール自体の議論に挟める口は残念ながら持ち合わせていません。
よって、特にどの立場に立っているものでもないという前提の上で読んでいただければと思います。
是非はプレイヤーじゃないから判別つかないけど、技術や知識として、どういう方向に向かうのか単純に興味がある、くらいの立ち位置です。
きっかけ
わざわざ記事書いてまで取り上げたい内容の発端はこれ。
Q.ダメージ計算ツールは使うな!!
A.ランクマでめっちゃ強くなってから言えよ
このやりとりを見て、僕は
よく見る強さ主義の話だけど、実際強い人が言っていると信じてしまうし、やっぱり大きな発言権を持つというのは世界を作る上で大事だよな。
と最初思っていました。
強さ至上主義自体の是非はプレイヤーでないので分かりませんでしたが、少なくとも論理の飛躍とかは感じていなかったわけです。
が、僕が(一方的に)議論の手腕においてかなり信頼しているとある方が
ダメージ計算が明確に規制されていない環境においてのダメージ計算は有りという派閥ではあるが、強くなってから言えという反論をするのは暴論すぎて嫌だ
という旨の発言をしていました。
これを見て、僕は論理に飛躍がないと思っているがこの人は論理に飛躍があるという認識をしている、なぜだ?
となりました。
なぜ暴論かどうかの判断が食い違ったのか?
しばらくモヤモヤしていたんですが、少し考えて建てた仮説が
「両者の議論の目的が違うのではないか?」
というもの。
少し具体的に言うと、
ダメージ計算ツールに関して、
ランクマ至上主義の人は「界隈全体としてどうあるべきか」の議論だと思っていて
暴論だと言っていた人は「個人としてどうあるべきか」の議論だと思っているのではないかと。
なぜこの仮説に至ったかなんですが、
当然ながらランクマが強いこととダメ計の是非に関連は全くないです。
にもかかわらずなぜ僕が当初論理に飛躍がないと思ったか、というのが糸口になります。
なぜかというと、
僕も世界を変えるにはまず発言権を得ないと始まらないと思っているからです。
日本を変えたいと思った時、政治家になるか大企業を立てるか、有名YouTuberになるか、とにかくなんらかの活動をして人の支持を得なければないけません。
同じような理論をポケモン対戦界隈で組み立てるとするなら、政治家に近い立ち位置はランクマ上位勢になるだろう。
というのが僕の中の当時の思考。
なので、恐らくランクマ至上主義を今改めて提示している人は
「俺はAだと思うけどBなんじゃないかと思うならそれもあり、ただ今の潮流はAだから流れをBに変えるためには発言権を得るしかない、そのための方法としてランクマで好成績をとるがあげられるのではないか」
という結論なんだと思う。
しかしこれは、個人の意見を変えるためには意味を持ちません。
自分がタバコを吸い続けるかやめるべきかを決めるために政治家になる必要は微塵もない。
同じように、ダメ計を自分が使うか使わないかを決めるためにランクマで良成績を残す必要はない。
多分暴論だと言った人は、潮流の変え方なんかどうでもよくて、純粋に自分にとってAかBどちらかがいいかを考えたいんだと思う。
そりゃ純粋にどちらが論理的に正しいかを考えるうえでは発言権の是非は関係ないので。
(当たり前ですが、僕が見た意見を出していた二人が本当にこういう思考だったかは知らないです、僕の勝手な推測)
微妙にわかりづらいかもしれないので繰り返しますが、
「界隈の流れとその変え方」の議論には、ダメ計が是か非かは関係ない。
ということです。
ので、ランクマ至上主義というのはつまり
ダメ計を全体として規制しなければならない→界隈自体に警鐘を鳴らして変えようとしている→界隈の変化に関する議論であるなら、是非は置いといてゲームに参加するためにまず発言権を得るべきでは?
という組み立て方をした論なのかな?と思っています。
一応、当然なんですがこの論の流れは
- 発言権はダメ計の是非自体に直接は関係ない
- 他人をむやみに攻撃したり喧嘩を売ってはいけない
- SNSという場は基本人に見られることを想定するものであり、これは単なる独り言だという言い訳は通用しない
- 他人は基本的に論理で直接変えられるものではない
とかその他諸々の当たり前の社会通念が前提となっているものです。
なので、「真に是非を議論したい」場合は
- 私が公式なので私はダメ計を是/非とし、これを全世界に喧伝します。
- 私は公式ではないですが、個人的に~~の理由からダメ計是/非の立場でプレイしようと思います。他の人は勝手にやっててください。
の2種類しか許されない、という認識です。僕の方は。
まぁ鍵とかで「私がこう考えているのに世界がそれと逆行するのは世界側が違うだろクソが」って言うのはいいと思います。居酒屋で日本の行く末を愚痴るのは、格好は置いといて許されはするので。
……まぁもし仮にこのダメ計に関する認識が違ったとしてもちょっと目をつぶっといてください。
僕が言いたいのはこのダメ計の是非やその議論の内容ではなくて、そこから気づいたって言う別の話なので。
ここまでプロローグ。ゆるして。
で、建設的議論のコツってのは?
抽象的な話をしたそうなタイトルで書いたので、抽象的な話に移っていきましょう。
現実にも大会運営とか、あるいは会社とかでも、議論をする場があると思います。
そういう場をイメージして、それがスムーズに進むコツを今回の知見から探っていきたい。
できる男の仕事術みたいな胡散臭い記事だと思ってください。
えー、今回は、ランクマ至上主義の人とそれを暴論だと言う人で、
お互いに健全な議論ができる能力を持っていながら食い違いが発生しました。
(すみません、別に当人同士は食い違いが起こったとか思ってないしと思うし、そもそもその二人はレスバしてたわけでもないんですけど、便宜上こういうシーンとさせてください)
多分このままだと建設的な議論にはならない。
では何をすれば建設的な議論になっていたか。
それは
「今何のために議論しているか」を互いに確認し合うこと。
です。
今回の場合、
ランクマ至上主義の人は「界隈を変えるための方法」が主眼に合って
暴論だと言う人は「ダメ計が是が非か自体」が主眼にありました。
これが噛み合っていなかったせいで、お互いに自分が正しいと主張したまま平行線だったわけです。
(さっきからの注釈の通り事実とは違うんですが、一旦ここではいがみ合っていたということにさせてください)
一旦抽象化
ちょっとわかりづらいかもしれませんが、抽象化させてください。
異なる命題AとBがあるとします。
まぁAがダメ計OK派で、Bがダメ計OUT派です。
Q. Aだと思いますか?Bだと思いますか?
ランクマ至上主義の人「ランクマ上位取れよ」
ランクマ至上主義は暴論主義の人「Aでしょ」
これらはどちらも正しいということです。
多分これだけ言われると意味わからないと思うんですが、
ランクマ至上主義の人は「世界の変え方」が主眼にあるので、
- 「発言権がある人がAの方がいいと言えば世界全体の認識はAがいいという認識になる」
- 「発言権がある人がBの方がいいと言えば世界全体の認識はBがいいという認識になる」
これらは両方成立する以上、Aも真だしBも真なんです。
AとBの是非は議論していなくて、社会の動き方はこうであるという議論なので正しい。
この命題において一番重要なのは「発言権がある人が」の部分なので、じゃあその発言権を得る手段の一つとして、「ランクマ勝つのがいいんじゃね」と言うわけです。
そこから発言権があれば何でもやっていいのかというのは違うけど、でも実際発言権がないとそもそも何かを変えること自体ができないのは揺るぎない事実だから……。みたいな議論になっていく。
しかし、ランクマ至上主義は暴論主義の人は、社会とかどうでもよくて純粋にAとBどっちがいいかを考えているので、
- 「私はAがいいと思う」
- 「私はBがいいと思う」
この二つは同時には達成されず、どちらかが真ならどちらかは偽になってしまう。
その上、これ自体にはランクマは関係ないです。
だからランクマは関係ないから暴論だと思うし、AかBかを厳密に決める必要がある。
こらそこ!
いやじゃあランクマ至上主義の人は論点がおかしい変な奴じゃん。
ではないです!
抽象化の話を戻しましょう。
戻ってきて
何が言いたかったかというと、
議論目的が違うと答え自体も違ってしまうよね
という話。
多分MBTI的なそういう話も絡んでくるんだろうけど
ランクマ至上主義の人が手元にあるのは「発言しても世界が変わらなければ意味がない」みたいな思考で
暴論だと言った人の手元にあるのは「世界は置いといて自分は真偽を理解したい」みたいな思考なんでしょうね。
で、すぐ近くの手元にある思考はこういう風に違うんですけど、
A:Twitterにお気持ち
B:ランクマで強くなる
C:その他案
みたいな感じで、議論の目的を示してあげれば、二人とも議論する脳はちゃんとあるので同じ方向に考えて議論できるはずなんですよね。
逆でもよくて
A:OK
B:ダメ
これももちろん二人とも議論できるはず。
建設的議論において大事なのは、
目的を1つだけに明らかにすること
であるわけです。
同じ目的に沿えば、そこに対する最適解は一つになるはずなので。
別の視点で表現すれば、
議論というゲームは、
議論の地盤になるお互いの共通認識を早く固められたら勝ち
というのが基本ルールであるということです。
遅ければ遅いほど、なんやねんこのアホってなって仲違いしてしまうので、そうなる前に共通認識を作ろう!というゲームです。
正しい内容を導き出すというのは、このゲームの結果勝手に得られる収穫物であって、
ゲーム自体の目的ではない。
ちょっと強引な気もしますが、これくらいの気持ちを持っておいた方が建設的議論は上手くいくのかなと。
目的をより早く掲げるためには?
いや、そう簡単には言うけどさ。
そう思っていても実際には多くの人が議論で沼にはまるわけですよね。
なので、これに対して僕なりに持っているコツもついでに書いておこうかなと思います。
絶対に正しいとかではないですが、一応僕は運営として手腕が立つという評価を得られているので、最高峰ではないにしろ一定の効果はあると思います、多分。
最初に上げたダメ計の議論に対して気づいたことがあって。
ランクマ至上主義の人は「発言権を得るのが大事だ」という目標の元、「ランクマで勝つ」「YouTuberになる」という手段を示したり、「Twitterにお気持ちするのはあまり実のなる手段ではない」というように、手段(=行動)の強弱を議論しています。
それとは別にダメ計の是非自体を考えたい人は、考えた結果、是だったら使う、非だったら使わない、という風に行動が分岐します。
どちらも、思考の結果行動が発生しているんですよね。
つまり、「議論」という概念の最終終着点は「行動の決定」にあるのかなと。
というか、なくてはならない。
行動しない議論は趣味の域を出ないので、一人でやるべきものであるから。
というのが建設的な議論を重ねるうえでの僕の持論です。
(別に行動にかかわらない議論が無駄とかそういう話じゃないですけど、仕事を進めるうえで有効な会議はこれって話です。)
行動を決定するには、
今の現状からの行動の選択肢はいくつあるか、そしてその選択肢はどう選べばいいか
を決めるのが一番早いので、
議論の初手はここからやっていくといいのかなと。
建設的な議論をしたい場合は、
まず取りうる行動の選択肢を列挙するところから始めろ
というのが僕が持っているコツです。
Twitterにお気持ちしてはいけない理由
さっきちらっと話したこれあるじゃないですか。
多分MBTI的なそういう話も絡んでくるんだろうけど
ランクマ至上主義の人が手元にあるのは「発言しても世界が変わらなければ意味がない」みたいな思考で
暴論だと言った人の手元にあるのは「世界は置いといて自分は真偽を理解したい」みたいな思考なんでしょうね。
すぐ近くの手元にある思考はこういう風に違う
で、Twitterを見るときってそんな深く考えたり目的を持って考えたりしないので、
Twitterに出てくる思考は自分のすぐ手元にある思考だけ
なんですよね。
言った通りこの手元にある思考は似ている人もいれば違う人もいて、
手元にある思考が違うとそもそも目的が違うから、答えが違う。
にもかかわらず当人同士は同じ議論だと思っているから、
「同じ議論のはずなのになんでこのアホは違う答えを言ってるわけ?」
と曲解しちゃうんですよね。
Twitterにお気持ちをしてはいけない理由は、
その火種となった人と、自分とで、そもそも目的が違う可能性があって不毛だからである。
ということになります。
もはやTwitter自体が建設的じゃないのでマジで当然だし当たり前だし1+1=2なんですが、
Twitterの表アカウントにおいて、どこかの勢力についていると宣言すること自体が建設的ではないということになりますね。
その勢力を宣言すると、自分と違う思考の結果自分の答えがその人にとって誤りとなってしまった人が突撃してくる。
や、建設的ではないことをやってはいけないというわけではないんですけど、
今自分はどうでもいい話に時間を使っているから本気になっちゃいけないよって言うのは自戒しなきゃいけないなって思います。
人によって答えは違うので、自分は正しい議論をできていると思ってはいけない。
お気持ちと意見書の違いというのは、
他の目的や思考もあるというのを認めたうえで、
自分はこの命題に対してこういう目的を掲げて議論した結果、この目的に対してはこういう結果が得られました!
と書くことだとおもう。
出来てるのが意見書で、できてないのがお気持ち。
たぶん。わからんけど。(保険)
おわりに
ダメ計の話をダシに僕が話したい話べらべら話してしまったことについては、大変申し訳ないと思っています。
Twitter見てたら†議論の本質†的な奴の言語化が降ってきて嬉しくなっちゃって。
普通にガチで当たり前な話過ぎてこれをどや顔で語ってるのヤバいし、僕自身も別に元から感覚として持っていたものではあるんだけど、
まぁ改めてそういう場面に直面して再発見したよという記事でした。
読んでいただいてありがとうございました。
余談1
そういえばこの話題の火種になった話って、
画像認識のツールOKなの?どうなの?みたいな話でしたよね。
これは明確に
「このツールはOKなので使ってよし」「このツールはダメなので使っちゃダメ」
っていう行動が先に見えてるので、これ単体だったら全体的には結構建設的な議論だったんだろうな。
余談2
これを見たn年来の親友から、
この記事風にいうとこの記事は、「建設的議論を行うための方法」を話しているけど肝心の「建設的議論とは何か」という、目的(スタート)部分がかかれていないと思う
(超要約)
という意見をもらった。
確かに。
僕の中で建設的議論とは「大会運営や仕事において、諍いなく、有効な手段を決定すること」という内容で、
要約すると大会運営や仕事に使うノウハウの一つとして出力していたんだけど
確かに言及が少なかった。
僕の中では当然と化してしまっていて、他の人に対してはそれを言及しなければいけないことを失念しており、普通にミスだなぁと思うなど。
指摘をくれた悪友、とてもさんきゅー。またよろしく。
余談3
見返してみて、自分でもありえないくらい予防線多いなとは思った。
けど、ネットに文章を流すというのは手元にある意見の違ういろんな人が見るということなので
建設的な議論をする、そのために認識を共有するというのは必要なことだしまぁいいかって思った。
読みづらくてすんません。
余談4
ランクマじゃなくてランクバトルな!
って言いたいキモオタの気持ちといやそんな些末な指摘を声高にするのはキモいよって常識の気持ちとがせめぎ合った結果、
今回の文章は「人に伝えること」が目的なので、より伝わりやすい=浸透している「ランクマ」表記を採用した。
これもまた建設的な議論だ(?)。
余談5
今日のはてなブログのお題

めっちゃポケモンでウケ。





