注意
この物語には、一部残酷な描写や人の死に関する描写があります。
苦手な方はご注意ください。
第1話 夢語
ふわり、ふわり、と歩を進める度に全身を包むベールが揺れるのを感じる。
クレセリアをイメージした服なんて、今の俺には似合ったもんじゃない。
くるぶしまで隠すほど胴の長い、夜明けの空のようなパステルブルーの神父衣装。
月明かりのような薄い黄色のウィザードハット。
肩から下を包む薄ピンクのベール。
おおよそ成人男性が着て街を歩くような格好ではない。
俺が幼い女の子だったとしても周囲から視線を集めることは間違いない。
この服自体は好きではある。
夢見屋の人気が出てきてから、自分で注文した服だから。
メディア受けもいいし。
クレセリアになったようで、この格好で歩くのは少し楽しいし。
でも、このファンシーな格好が昔と比べて擦れてしまった自分の心に反していて、何度着ても落ち着かない。
この格好をして歩けば歩くほど、クレセリアとは違う自分の中身を強く意識してしまう。
「……り?」
「あぁ、すまん。大丈夫」
歩きながらベールの位置をいじっていたら、少し前を歩くスリーパーが振り向いてきた。
そんなしょうもないこと別に気づかなくていいのに、聡いやつ。
「……っと。ここか」
「すり」
目深に被っていたウィザードハットを上に押しやる。
真っ赤な夕焼けの中に、真っ白で四角い建物があった。
屋根もなく、壁に何かがあるでもなく、不気味なまでに真っ白の壁と窓だけがついた直方体。
何度来ても異様なオーラを纏っていて、うすら怖い。
拘置所はどこもこんな建物で困る。
とはいえ何回も来ると慣れてしまって、最初は怯え気味だったスリーパーも建物を一瞥しただけでスタスタと先に行ってしまう。
正門両脇にいる屈強そうな警官の4つの視線を感じながら、門のレールを踏んだ。
もはや拘置所に顔パスで入れるようになってしまった。
顔というよりは服装パスだけれど。
入り口を開けると、飾り気のない無機質な受付が見えた。
スリーパーより少し前に出て、受付へと足を運ぶ。
「すみません、夢見屋の者です」
「はい、お話は伺っています。少々お待ちください」
受付のお兄さんはこちらを一瞥すると、目の前にある名札を1つ取った。
「こちらをお掛けください。スリーパーにはこちらを」
「ありがとうございます」
名札を受け取って、首にかける。
一緒にもらったリストバンドをスリーパーの振り子を持っていない手につけた。
「担当の者はあちらに進んで階段を上がっていただいて、すぐ右手の職員部屋にいるかと思います」
「分かりました、どうも」
軽く頭を下げて、言われた通り目の前の階段を上がった。
かつ、かつ、かつ、自分の足音だけが反響して聞こえてくる。
夕方なのもあって、人の気配が全くない。
階段を上がるのが若干苦手なスリーパーに合わせて、ゆっくりと階段を踏み締める。
踊り場を曲がると、ぴろんぴろんぴろんじゃーん、と謎の効果音が聞こえてきた。
職員がニュース番組でも見ているらしい。
「続いてのニュースです。一昨日夜に確保された殺人ゴーゴートについて、少なくとも10人以上の事件がこのゴーゴートによるものであると警察が発表しました」
スリーパーのために階段を見ていた視線が跳ね上がる。
——そんなに殺しているのか。これから会うゴーゴートは。
「ゴーゴートは街の公園に住み着いており、モンスターボールで仮捕獲されたことからトレーナーの手持ちポケモンではないことがこれまで明らかになっています」
おそらく厳重な檻の中に入っているだろうし、どうせすぐに眠らせてしまうから、直接危険ではないだろうが。
今晩の夢は覚悟を決めなければいけないかもしれない。
スリーパーと階段を上り切る。
「警察は今後、街の監視カメラや夢見分析などからゴーゴートの行動を調べる方針を明らかにしています」
すぐ右側の扉が開いた部屋から、そのニュースは聞こえてきていた。
「すみません、夢見屋の者です」
「この事件について、ポケモン行動心理学の権威であ
「あっ、はいー! 入っちゃって大丈夫ですー!」
中で1人座っていた警官がこちらに手を振っていた。
ニュースを見ていたスマホでも止めたんだろう、アナウンサーの声がぷつりと止まった。
部屋に入ると、ずらっと机が並んだ列が3本。
どの机も電子機器や資料らしき紙で埋め尽くされていた。
人は真ん中の列、入り口に近いところに1人だけ。
茶色というよりはオレンジ色の、まとまりあるパーマの髪型。
服こそ警官のものでも、あまり警官にいそうな真面目な見た目には見えなかった。
「ども、お疲れさまっす」
さっきの呼び方といい、見た目といい、よくいえば親しみやすい人だった。
「1人なんですね」
「こんな夕方っすからね。警察ってあんま時間外手当もないんですよ?」
「申し訳ないです」
「あーいえいえ、気にしないでください! 待ってる間働いてたわけでもないんで!」
右手をブンブンと振って大声で笑うその警官は、やっぱり警官にはあまり見えない。
「ならよかったです」
「とりあえず、さっさと済ませちゃいましょうか」
警官は懐から鍵を一つ取り出して、クルクルと回してみせた。
「はい、お願いします」
スリーパーに行くぞと合図をして、警官と一緒に部屋から出る。
先導してもらおうと思っていたら、警官がぐるんとこちらを振り返った
「あっそういえば全然名乗ってないっすね! すみません!」
「いえいえ」
「改めまして、テオルザと申します。まぁ適当に呼んでください」
言いながら、テオルザは警官服の内側から名刺を取って差し出してきた。
「ありがとうございます。夢見屋のレムノです」
「レムノさん! おっけーです、行きましょう!」
なんで名乗っただけでそんなに楽しそうなんだろう。
別に楽しそうなのはいいことだけども。
いつもの警官よりも話しやすいし。
「それで、今回はゴーゴートの件ですよね」
クリアファイルを一つ脇に持って、テオルザが歩き出す。
横に並ぶと、テオルザはくいっと下から窺うように顔をこちらに向けてきた。
「えぇそうです、ちょうどニュース見てませんでしたか?」
「あ、聞いてました? そうですそうです」
「普通のニュースなら聞き流してましたけど、あまりにもタイムリーで」
「まぁここ数日話題ですからねー。十数人も殺したポケモンなんてそりゃ大ニュースっすよ」
「先に情報なんか聞いても?」
「お、はい。分かりました。えーっと……」
テオルザは歩きながら持っていたクリアファイルに挟まる紙をペラペラとめくる。
ꚸ ꚸ ꚸ
そうっすねー、事件は起こったのがここ3ヶ月くらいの話です。
この辺の公園で殺害事件が相次いでたんですよね。
公園にごろっと人の死体と首が落ちてて、周りに血がびしゃーみたいな。
そんなんがポツポツと連続発生してて。
一応画像もありますけど……見ないっすよね?
で、これがまた不自然で。
争った形跡もなければ周囲に指紋とか凶器もないし。
付近で叫び声とかを聞いたって話も一切ないし。
ホームレスにサラリーマンに、対象もバラバラだし。
財布とかも金目っぽい物も全部残ってるし。
あと、死んだ人みんな安らかな顔してるって話もありましたかね。
首は全部骨までスパーって切れてて、ポケモンを使った犯行なことくらいしか情報がない事件がいくつもあったんですよ。
現場に情報は全然ないし、その上死んだ人がなんかみんな身寄りがない人で、家族とかから情報聞くことも全部できなくて。
解決しようにもとにかくよく分からなかったんですよ。
そんなところに一昨日ですかね。
深夜に夜の公園で血まみれのゴーゴートがいたって通報があって。
夜番の当直全員出動でなんとか捕まえたってのがここまでの話です。
ポケモンがこんな長期間にわたって殺すことなんかないし、長期間にしては殺す人数も少ないですし、なんも分かってない状況ですね。
切れる技がリーフブレードくらいなんで多分リーフブレードしてたのかな? くらいしか事件に関しては今のところ分かってません。
あとは……ゴーゴートは特に外傷や病気もなく健康体ですね。
誰かトレーナーのポケモンでもなくて。
びっくりだったのが、ゴーゴート自体は目撃情報が結構あったんですよ。
街で聞いたらちょっと前にうちの子が公園でゴーゴートと遊んでたわ! みたいな家族とかも出てきて。
ヤバいですよね。子供が殺人ポケモンと遊んでたとか考えたくもないっす。
まぁそんな感じで、気性的にも人を殺す感じじゃなかったっぽいです。
ꚸ ꚸ ꚸ
受付のあった建物を出て、職員証やらパスワードやらを使って守られている建物を歩きながら、そんな話を聞いた。
不思議な話だ。
不思議に思っている人から聞いたから不思議に聞こえるだけで、実際は何が原因があるのだとは思うが。
「ふむ……子供は殺していなくて、大人は殺していたってことですか」
「そうですね。ただ、子供の周りには親もいたと思うんで、子供と大人で分けてるわけでもなさそうです」
「少なくとも何かしらを選んで殺していたってことですか。……よく分かりませんね」
「ですよねー。街のカメラとかも調べが進んでて、たまに映ってるんですけど、至って普通に公道歩いてましたね」
「普通にっていうと、昼間とかですか」
「そうっす、昼間に街中を。僕が見たカメラだと、おっちゃんにりんごもらってましたからね」
「普通に大人とも関わってたんですね……」
「もう訳わからないです。なんでまぁ、夢見屋さんの出番になったわけですね」
「それはどうも」
事件は残念だし不可解だが、こっちとしては非常にありがたい。
ポケモンの事件を調べる警察の依頼は、安定した収入源。
まさに「毎度あり」と言うべき状況だった。
「ところで気になってたんですけど、夢見屋って正式な職業なんですか?」
テオルザはくいっと首をこちらに向けて、横目で俺をちらりと見た。
「正式な……というと?」
「あー、あれです、役所とかに職業書くじゃないですか。ああいうところに夢見屋って書くんですか?」
「よく聞かれる話ですね」
「そりゃそうですよ、夢見屋なんてレムノさんしかいないじゃないですか。職業で書けるのかなって思ってました」
「役所とかで聞かれた時には夢見屋って普通に言っちゃってます」
「へー! それで通じるんですか!」
「おかげさまで一般的な知名度はそれなりになりました」
「自分だけの職業ってことですよね、かっこいいなぁ」
「一応住民票には探偵業とは書いてますけどね」
「探偵業の分類なんですね、それはそれで面白い。……っと」
仙人が髭をなぞるような仕草で顎を撫でていたテオルザが、ふと立ち止まった。
「ここですね」
テオルザの声はいくらか反響して消えていった。
独房。
中には金庫が一つ、奥に置かれているだけ。
誰もいない独房は、ひたすらに静まり返っていた。
なんとか合金の柵が、冷たい光を放っていた。
テオルザは無言で独房鍵を開けて、ガチャガチャと金庫のレバーを回す。
中から一つのモンスターボールを取り出した。
再び独房の鍵を閉めて、それから独房の中にモンスターボールを持った手を入れた。
カチリ。
ぱぁん。
青い光が独房に溢れて、独房の中央にポケモンが現れた。
キリリとした鋭い眼差しに、悪魔のようなうねった2本のツノ。
がっしりとした太い脚を少し上げて前に出すと、蹄が床に当たってカツカツと音が鳴る。
首から背中にかけて生える草は、瑞々しさのあまりない黄色がかった緑だった。
なるほど、人を殺しそうな怖い見た目ではないが、殺そうと思えば殺せてしまいそうな力はありそうだ。
「じゃあ、お願いしますね」
テオルザが俺とスリーパーをそれぞれ見た。
「はい。スリーパー、今日も頼んだよ」
「りぱ。りーぱ」
スリーパーがゴーゴートの前に立つ。
ゴーゴートは怪訝そうにスリーパーを見返した。
スリーパーは右腕を掲げてふりこを揺らし始めた。
超音波のような高い音が、鉄に囲まれた建物の中で響く。
ふりこをじっと凝視したゴーゴートは、そのうちに膝をついて横たわってしまった。
すぐにかかってくれてよかった。
ここで寝てくれないと、運動して疲れさせたりと手を尽くさなければいけなくなる。
ひとまず安心だ。
「牢を開けてもらえますか」
「分かりました」
テオルザがガチャリと鍵を差し込むと、再び独房の扉が開いた。
スリーパーは中に入って行って、ゴーゴートの頭の横に座り込んだ。
「あとはゴーゴートが夢を見て、スリーパーが食べるのを待つだけです」
「おおー……結構時間かかるんですね?」
「まぁ1時間くらいですかね」
「1時間かー、仕方ないっすね」
テオルザは眉をひそめて悲しそうな顔でこちらを見る。
「この時間ってどこかで時間潰すんですか?」
「テオルザさんは戻っていただいて大丈夫ですよ」
「え、レムノさんはどうするんです?」
「私はこのままここにいます。万一起きた時にボールで回収できないとまずいです。
「あー……そうなんですね」
「戻るならゴーゴートのボールを頂きたいです。万一の時に回収したいのはそちらなので」
「いえ、レムノさんだけここに立たせてるのも申し訳ないんで。俺もいますよ」
「いえいえ、お気遣いなく。こんな夕方に来てしまっていますから」
「うーん……ちなみに、ここでお話しても大丈夫ですか?」
テオルザがゴーゴートの方を見る。
話していてゆめくいの邪魔にならないか、という話だろうか。
メディアにも出て多少は名が売れたせいで、俺と話したがる依頼者は多い。
いつもは別に人と話したくもないから、スリーパーに集中させてあげたいので、とか言うところだ。
「大丈夫ですよ。大きな声出さなければ起きないくらいには寝てるはずなので」
気分で答えてしまった。
テオルザの話しやすさのせいで俺も少し心を開いているらしい。
歩きながら話している時にも少し崩して喋っていたし。
「じゃあお話しませんか。せっかくですし」
「構いませんよ」
とりあえず持ってきたバッグからチャック付きの小袋を取り出した。
デフォルメされたエルフーンが目を見開いた、目に明るい炎のパッケージ。
チャックを開けて、まん丸の黒いタネを一粒取り出した。
「えっ……」
テオルザが喉を詰まらせたような声を出した。
「え、どうしました?」
「いや、それあれですよね、眠れなくなるやつ」
「えぇ。エルフーン印のなやみのタネ」
「そのまま食べてる人初めて見ましたよ……」
「そんなすごいものじゃないですよ、コンビニにも売ってます」
「いやありますけど。カフェインタブレットでさえ危ないとか言われてるじゃないですか。怖くないですか?」
「体には良くないだろうなと思ってるんですけどね。やめられなくなっちゃいまして」
思わず苦笑いしてしまった。
いいものだとは思っていないが、食べていないとどうも刺激が足りない。
「やっぱりやめられなくなるんですね、それ」
「そうですねー。仕事が溜まってると一日18時間とか寝る時もありまして。そんな生活してると寝過ぎで眠くなるんですよ」
「あー、仕事ですか。大変ですね……」
「仕事ですから」
ははは、と適当な作り笑い。
正直なところ、食べ過ぎて味もちょっと気に入ってきてしまった。
最初の方は苦いと思っていたのに、今では自制と言いつつも気分転換のおやつのように食べている。
もちろん言ったことは嘘ではないが、嫌々食べているわけでもない。
ただここは本当のことを言わずに建前として大変ということにしておくと決めていた。
こうしておくとなやみのタネが仕事用の道具だと認識してもらえるらしく、たまに差し入れでもらえるようになるから都合がいい。
「それだけ大変なのに続けてるのは、何かあるんですか?」
「そうですねー……」
右手の人差し指を顎に当てながら、この先しゃべることを考えた。
実際のところ、簡単に一言で言えるような単純な話の流れではない。
テオルザはぼーっとゴーゴートを見ながら、壁に背を預けた。
「——クレセリアーって、知ってます?」
「クレセリアって、あの三日月の神様ですか? ゲームとかによく出てくる」
「はい、そのクレセリアです。私の衣装見てもらえればわかるかもしれないんですが、クレセリアに寄せてるんです」
「そうですよね! 綺麗だなって思ってました」
「クレセリアにはちょっとした恩があるんですよ」
テオルザは不思議そうな顔で私を見て、話を促してくる。
「子供の頃、私寝付きが悪かったんですよ。あんまりにも寝られないんで、両親と一緒にまんげつじまの神社に参拝に行ったんです」
「へー。まんげつじまーってどこにあるんです?」
「シンオウの、かなり外れの方ですね。ミオシティから船に乗って」
「遠っ! すごいですね」
「そのまんげつじまの神社っていうのが、クレセリアが祀られてる神社でして。クレセリアって三日月の化身として伝えられることが多いんですけど、安眠の神様でもあるんです」
「へー! まぁ、ダークライの悪夢から守るって設定多いですもんね」
「で、その神社に安眠のお守りが売ってたんです。クレセリアの羽をイメージした弓形のお守りで」
「みかづきのはねってやつですか」
「はい、シンオウ童話だとクレセリアが飛び去った後に落ちていた三日月の形の羽を子供の枕元に置くと、子供が悪夢から覚めるっていう話がありまして。それを模したものです」
「レムノさん童話も詳しいんですね」
「クレセリアのことだけは結構調べましたから。それでですね、そのお守りを枕元に置いて寝るようになったんですけど、そうしたら本当にすぐ眠れるようになったんです」
「え、お守りってマジで効果あるんですか!?」
テオルザが目を丸くして、背を壁から離す。
「まぁ種明かしをしてしまうと、ポケモンのさいみんじゅつを応用した電波装置が中に入っていただけなんですけどね」
「なんだ、夢がないっすね」
テオルザはつまらなそうな顔をしてまた壁にもたれかかった。
「でも当時は本気でクレセリアの存在を信じてましたよ。子供の頃の私はいつかもう一回まんげつじまに行って、クレセリアを探すんだって言ってたみたいです」
「あーありましたよ俺も。俺はアルセウス様でしたけど」
「アルセウス様とはまた大きな話ですね。今はどうなんですか?」
「どうって、流石に本当にいるとは思っちゃいないですよ?」
「まぁそうですよね。私も今もクレセリアがいるとは思ってませんけど、でも、なんとなく今でもクレセリアのことは好きなんです」
「それでこの服と」
「まぁそんなところです。この衣装は、私が夢見屋としてテレビに出るようになった頃に作ったものでして。最初はテレビのイメージを崩さないようにってことで、仕事で出向く時に着るようにしたんです」
「えー、じゃあほんとは別に今日着てる理由はないんですか」
「言ってしまえばそうですね。キャラ付けなので。ただずっと着てると、段々この服がお守りのように思えてきました」
「お守り?」
「なんというか、クレセリアの代わりに夢で人を助けていたら、そのうちクレセリアが救ってくれるんじゃないかな、みたいな」
はー……、とテオルザは感心するような、驚いたような声を出して手を口元にやった。
壁に寄りかかるテオルザは妙に様になっていた。
「そう考えるようになってから、ちゃんと夢見屋をやろうって思ったんです。お金のことだけ考えるなら、タレントでも全然よかったんですけど」
「はー、なんか、いいっすね……こう、語彙がないですけど」
「なので、夢見屋を続けてる理由はクレセリアのためですね」
「やーいいですねぇ」
「まぁ実のところ、タレントなんて向いてないんですよ。人と喋るのは苦手で」
「え、今普通に喋れてるじゃないですか」
「それはテオルザさんが話しやすいだけですよ」
「そっすか? どうもどうも」
「なのでタレントって方向は元からなかったですね。ポケモンと関わってる方が楽です」
はーん……と息を吐いて、顎を触りながら、テオルザは何かを考えていた。
「どうしました?」
「やっぱりポケモンがすごく好きなんですか?」
「えぇまぁ。ニンゲンとポケモンのどちらかを助けてもう一方は殺してやる、って言われたらポケモンを助けてもらいますかね」
「また物騒な例えっすね。というかそれじゃレムノさんも死んでますよ」
「そうです。まぁそれはそれでいいかなと」
「トレーナーズスクールとかでポケモンのこと勉強したりしてたんです?」
「してましたね。私の場合はパルデアにあるアカデミーでした」
「じゃあポケモンのことは詳しいんですか」
「人並みよりは詳しいかもしれません。いきなりどうしたんです?」
「いやー、なんで夢見屋なんて思いついたのかなって」
考え込んだかと思えば質問攻めにしてきて、何か考えているのかと思っていたが、やはりそうだったらしい。
「あー、そうですね……」
この話は長くなる。
チラリとスリーパーの様子を見てみた。
スリーパーはじーっとゴーゴートを見て、鼻先ひとつ動かない。
こちらの視線に気づくと、ゆっくり首を横に振った。
どうやらあっちもまだ夢を見るまで時間がかかるらしい。
「昔の話、聞きますか? ちょっと長くなりますが」
「お、是非是非。それが聞きたかったので」
「じゃあオフレコでお願いしますね。別に秘密ではないんですが、あんまり誰かに言うことはないもので」
「了解しました」
テオルザはここぞとばかりに警察っぽく、敬礼をして見せる。
ꚸ ꚸ ꚸ
さっきも言った通り、私はアカデミーに通ってたんです。
なんで通ってたかっていうのが、スリープと一緒にいたかったからなんです。
まぁポケモンが好きっていうのもあったんですけど。
スリープとは、5歳かそのくらいの時に初めて会ったんです。
今では家での遊びもたくさんありますけど、昔はそんな遊びは少ないし、高くて。
うちは裕福じゃなかったので、子供の頃の私は夜になるまでずっと外にいたんです。
小高い丘のある公園が近くにありまして、そこでよく野生のポケモンたちと遊んでいました。
昼間っから、お昼ご飯を食べてすぐ外に飛び出たら、ポカポカ陽気の原っぱが待ってるわけで。
ある時丘で昼寝をしたんです。
起きたら目の前にスリープの顔があって、それが出会いでした。
さっきも話しましたけど、私は昔不眠症気味だったんです。
なのでちょっと寝たくらいじゃ子供の体には全然寝足りなくて。
まだ寝たいなって思いながら、結局寝られなくて起きるっていうのをよく繰り返していたんですけど、その時は寝られたんですよ。
お腹をすかしたスリープが私にさいみんじゅつをかけたみたいで。
起きたらもう夕方で、スリープだけが枕元に座っていて。
お前が寝かせてくれたのかって聞いたら、満足そうに笑っていました。
それからは、小さい頃はよくスリープのところに昼寝をしに行くようになりました。
まぁそんなこんなで私も10歳になりまして。
アカデミーの勧誘がうちにも届いたんです。
裕福じゃないもので、親もだいぶ悩んでました。
学費もそうですけど、アカデミーは実家からじゃ通えなかったのもあって、かなりキツかったみたいで。
私は仲良くなったスリープともっと一緒にいたくて、親に頼み込んだんです。
生活費は自分で頑張ってみる、とまで言って。
親にはそこまで言うならって生活費も含めて出してやるって言われたんですけど、申し訳なさもあったので生活費は自分で賄うことにして、それでアカデミーに行きました。
まぁなので、バイト三昧の苦学生だったんです。
アカデミーの勉強は、まぁ楽しかったですね。
ポケモンも好きだし。
バトル試験だけは苦手でしたけど。
友達もあの時はそれなりにはいて、結構充実してました。
で、ここで夢見屋のきっかけって話になります。
同じクラスで、仲の良かった女の子がいたんです。
ガラル地方の、いいとこのご令嬢だった子でした。
ポケモンもガラルのすがたのサニーゴを連れてまして、スリープと仲良くなったのがきっかけでそのことは仲良くなりました。
あちらがどうだったかは今も分からないんですが、私はその子が好きでした。
ある時その子に相談されたんです。
朝起きると、最近サニーゴがうなされてるんだと。
スリープの力でなんとかできないかって言われまして。
当時はそれはもう喜びました。
スリープの能力について色々調べました。
どんな夢を見ているかわかること、食べた夢を覚えていること、そして仲のいいトレーナーに昔食べた夢を見せた例があること。
それで、スリープがポケモンの夢を食べて、似たような夢を私に見せれば私から夢の内容を伝えられると思ったんです。
これが今の夢見屋を始めるきっかけでした。
今やっている夢見屋も大体同じ流れですね。
……その女の子ですか?
未だにちょっとショックなので、あまり思い出したくはないんですが。
あぁいえ、お気になさらず。たまの話す機会ですから。
その……その子は、サニーゴに虐待していたんです。
夢で私はその子に何度も蹴られて踏まれました。
あんたのせいで負けたとか、お父さんに怒られるとか、ご飯あげないとか、言葉も酷いものでした。
起きてからスリープに本当に同じ夢を見せたのか聞いても、スリープが突然イタズラをしたわけでもなさそうで。
とにかくサニーゴを助けるのが先決だと思って、私はあの子には野生に返すように勧めました。
まぁそんなところです。ニンゲンがたくさんいるアカデミーの環境で悪感情を吸いすぎたと、このままだと爆発して祟られるかも、みたいなことを言った気がします。
それ以来その子とは疎遠になりました。
疎遠になったというよりは、怖くて私の方から避けていたんですけどね。
それはそれとして、ここで私はスリープの才能に気づきました。
悪夢はスリープにとって酸っぱいらしいんですが、この子はそんなに不味そうに食べなくて。
酸っぱい味も嫌いじゃないみたいで、悪夢でも全然食べてくれるんです。
スリープも無理じゃないなら、あの子にやったことは他の人にでもできそうだと思いまして。
私よくポケモンの情報雑誌をよく読んでいたんですが、そこのちょっとした読者コンテストに応募してみたんです。
まぁ苦学生だったので、賞金目当てでしたね。
そしたらすごくウケが良くて、金賞をもらいました。
雑誌にも載せるってことでインタビューしてもらって。
その時に記者さんと話していて、これはもっとサービスを広められるんじゃないかってなったんです。
インタビュー中に記者さんに教えてもらいながらSNSのアカウントをいくつか作ってましたね。今考えるとすごく変な話ですけど。
SNS上で依頼を受けているうちに話題になって、それで今に至ります。
ꚸ ꚸ ꚸ
一通り思いつくことを俺が話し終えると、テオルザは満足げに息を吐いた。
「はー、面白かったです」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
「SNS何もやってなかったんです?」
学生は大体複数のSNSを使って色んな人と話すものらしい。
テオルザもそういう意図できいているんだろう。
「えぇまぁ。あんまり性に合わなくて。今も依頼をもらうためだと思ってやってます」
「多分インタビュアーさんも困ったんでしょうね、連絡先がないの」
思わず苦笑が漏れた。
ないんですか! 教えますよ! と当時インタビュアーの雰囲気に押されて作ったのを思い出す。
確かに、雑誌に載せるのに適当なSNSがないのに困っていたのかもしれない。
「そうかもしれないです。ちょっと強引でした」
「そうそう、そういえば」
「りーぱ」
テオルザが何かを言おうとしたところで、スリーパーが俺の服をちょいと引っ張った。
夢を食べ終わったらしい。
「お疲れさま、今日もありがとう」
「あれ、早いっすね。夢ってもっとかかるもんだと思ってました」
目を丸くするテオルザに、スリーパーの頭を撫でながら返答する。
「脳ってすごくて、夢はすごく時間が加速されてることもあるみたいなんです」
「加速ですか?」
「はい、夢の体感時間で何時間もあっても、実際は数分だった、みたいなことはかなりあって。今回もそうなんだと思います」
「へー、夢って面白いっすね!」
「そうですね、予想外のことが多くて楽しいかもしれません。……ひとまず、ゴーゴートをボールに戻してもらっていいですか?」
「あ、了解です」
テオルザは壁から勢いをつけて背中を離し、ゴーゴートをボールに戻した。
牢に入っていくテオルザの背中に声をかける。
「ところで、さっき何か言いかけてませんでした?」
「あー、えっと、夢って全く同じものを見られるのか気になって」
「あぁいや、全然違いますよ」
「え、そうなんですか? あの子に蹴られたって言ってたんで、てっきり全く同じ夢なのかと」
「夢を再現するって言っても、夢は個人の記憶や知識から作られるものなので、完全な再現はできないんですよ。登場人物が見る人によって変わるんです」
「そうなんすねー」
「似たような電気信号を元に夢を再構成する、みたいな研究結果もあって。サニーゴの夢の場合は、サニーゴも僕もあの子を大事な人として意識していたから同じだったんです」
「えーっと……例えば俺が俺の両親の夢を見たら、レムノさんが見る夢にはレムノさんの両親が出るってことですか?」
「そうですそうです。行動や夢のストーリーなんかは大体同じなんですが、出てくる人は全然違います」
「そうなんですか。となると夢の分析って思ったより大変だったりします?」
「まぁそうですね。夢だけで知りたいことが全部わかるわけではないですよ」
そんなことを話しながら、テオルザはゴーゴートのモンスターボールを金庫にしまった。
ギラギラと光を跳ね返して頑丈さをアピールする牢獄を施錠して、テオルザはこちらを見た。
「さて、これで終わりですか?」
「はい。遅くまですみませんでした」
「いえいえ! お話できて良かったです。残業代には十分でしたよ」
「それは良かったです。あまり話すこともないので、私も新鮮でした」
「それで、この後はどうするんですか?」
「私は帰って夢を見ます。夢について調べたり、それを元にもう一度夢を見ることもあるので、最短だと明日、他の依頼と重なって遅くても1週間後にはまたご連絡します」
「分かりました。渡してある電話番号、勤務用のものなので勤務時間内じゃないと通じない点だけお願いします」
「テオルザさんはこの後どうするんですか?」
「俺はこの後施設の施錠があるので、レムノさんは先に帰ってください。受付の人に名札とリストバンドだけ返してくださいね」
「はい。では、お疲れ様でした」
「お疲れさまでした!」
テオルザに背を向けて、俺とスリーパーは来た道を戻った。
𖡬 𖡬 𖡬
きゅ、と手探りで見つけたハンドルをひねる。
勢いよく出た水に手をかざして、泡を取ってからシャワーを手に取る。
——久しぶりに思い出したな。
思い出したくはなかったが、仕方がない。
仕方がないとはいえ、思い出してから1人になると憂鬱だ。
上げていた首を垂れて、シャワーヘッドの向きを変える。
水を表面からかけても、なかなか髪の中の泡が取れなかった。
——ガラサ。
名前は忘れられていない。
もう夢で見た罵倒の声しか思い出せないが。
俺が好きだったのは、あんな声じゃなかった。
俺はピュアなのかもしれない。
好きだった姿と夢の姿の落差にショックを受けたくらいで、ニンゲンのことを信じられなくなった。
タレント業に片足を突っ込んでしまったせいで悪意ない悪意に触れすぎてしまったこともあるかもしれない。
誰と関わっても、裏では何をしているか分からないという不安を払拭できない。
もういいか。
シャワーのハンドルを逆に捻って髪についた余計な水分を払う。
かけておいたバスタオルで髪の水分を絞って、体を拭った。
風呂の扉を開けて、床に置いていた、ニャオハが戯れる絵のついた花柄の部屋着を手に取る。
何度見ても女性用の柄。
着ているのを人には見せられないと思いながら、今日みたいなすぐ寝る日には一枚着て終わりなのが便利で使ってしまう。
ドライヤーで髪を乾かしていると、電子レンジがぴーっと鳴る。
マラサダが3つまとめて温め終わった。
風呂に入るくらいの時間を使って低ワットでじっくりと温めるのが一番美味しい。
電子レンジに入れていた皿を持ってダイニングに入ると、寝床で寝転んでいたスリーパーがのそのそとこちらに来た。
「今日も頑張ったな。ちゃんと2つあるぞ」
「ぱーりぱ」
スリーパーはうんうんと頷いて、テーブルに置いた皿からスッパサダを手に取る。
俺も棚からZヌードルのカップ麺を一つ取り出して座った。
店主らしき男が手を差し出して「サーヴィスでございやすッ!」と言っている暑苦しいフタを取って、ポットのお湯を入れる。
ちょっと冷めてるか。まぁぬるいくらいでもいいか。
置いた皿から、アマサダを手に取る。
一口食べると、表面についた砂糖がざりっと音を立てた。
表面だけで既に甘いのに、中のカスタードクリームはさらに甘い。
気が遠くなるほど甘い。
これがいい。
半分ほど食べ進めて、Zヌードルをフォークでつつく。
ちょっと早いがいいだろう。
さっぱりとしたスープを口に含むと、さっきまでの甘さが流されていった。
不健康な食生活だと思いながら、もうマラサダZヌードルの生活も長くなってしまった。
食べるもの以前に、本当は寝る前の食事も良くない。
胃が活動していては睡眠の質を下げてしまう。
まぁ眠りが浅い方が夢は見やすいし、いいだろう。
塩気を払うようにマラサダを食べて、また麺を啜って。
俺が食べ終わる頃にはスリーパーも2つめのマラサダを食べ終わっていた。
「……寝るか」
「りーすり」
皿を流しに放り出す。
簡素な部屋には不釣り合いの大きく柔らかいベッドに向かう。
大事な仕事道具への投資を惜しまなかった結果、豪邸のようなベッドになってしまった。
16時間も1日に寝ると、普通の寝具では腰が痛くなってしまうから仕方がない。
ベッドの横でたった一枚の部屋着を脱ぎ去った。
どうせ起きたら着るし、適当に置いておけばいい。
ベッドに膝を乗せると、膝がぐっとベッドに沈んでいった。
アロマポットの電気をつけると、しっとりと控えめな香りがあたりに広がった。
キュワワーの花のアロマはもう何年も使い続けている。
枕元のリモコンで電気を完全に消して、俺はベッドに身を任せた。
「スリーパー、今日もよろしくな」
「ぱぱーり」
かちゃりと一回スリーパーの振り子の音が聞こえた。
すぐにまぶたが落ちて、俺はベッドの中に沈んでいった。
第2話 夢現
𖡬 𖡬 𖡬
つんつんとおでこを温かい切先がつついてきた。
目を開けると、透き通る紫色の瞳がこちらを見つめていた。
鮮やかで優しい黄色の顔。
「しぇあ」
寝転んだまま見つめていると、またおでこを鼻先でつつかれた。
つぶらな紫の瞳がじっと俺を見つめていたと思えば、俺の上に回り込んできた。
夜明けの空のようなパステルブルーの体。
月明かりのような薄い黄色のラインが体の中央に通っている。
背中から手にかけて、薄ピンクのベールを纏っていた。
花の色のような落ち着いた紫色の手が俺に差し出される。
俺はその手を取って、立ち上がった。
柔らかく吹く風が、あたりに生い茂る背の短い草を水面のように揺らす。
空は白、ピンク、紫が曖昧に混じり合って焼けていた。
夕焼けか朝焼けかはわからないけど、綺麗だ。
そんな中、起こしてくれたポケモンはスーパームーンの日の満月のような存在感で俺の前に佇んでいた。
ふわりふわりと浮いて、自分の手をなでたりしながら、こちらを見ている。
浮いているのを抜きにしても、俺より少し大きいかもしれない。
「……きみは?」
そのポケモンは両手と背中のピンクのベールをひらひらとはためかせてみせた。
「れぃりあ」
ポケモンの言葉じゃよくわからない。
「…………」
「くぁりあ?」
「クレ、セリア」
口を突いて出た言葉。
クレセリア。
そんな名前な気がしてきた。
「せれ!」
クレセリアは嬉しそうに俺の周りをくるくると浮遊した。
ねんりきで袖口を引っ張られる。
「遊びたいのか?」
「しぇーり」
クレセリアは目の前に来て俺を覗き込んだ。
頭を撫でてほしいのかと思って、桃色の部分を軽く撫でた。
「れぃあ!」
クレセリアは頭をぐりぐりと左肩に押し当てて、それから一目散に逃げていく。
「あっ、まてクレセリア!」
とんだイタズラ好きみたいだ。
俺は草を踏みしめて、飛んで行くクレセリアを追いかけた。
階段をかけ降りると、クレセリアが左に曲がっていくのが見えた。
クレセリアの動きはそう早くない。
左に曲がって、右に曲がって、ベーカリーオルノの香ばしいパンの匂いが漂ってきた。
もう一度左に曲がると、丸い花壇が見えてきた。
黄色と赤の花がモンスターボールの形に植えられている、テーブルシティの役場が管理する大きな花壇。
黄色の花畑の上でクレセリアはくるんと宙返り。
クレセリアの体は月明かりに照らされて幻想的な輝きを放っていた。
目が奪われる、という表現がそのまま似合っていた。
走っていた足を動かすのを忘れ、俺はゆっくりと減速して花壇の前で止まった。
クレセリアは俺の顔の高さくらいに浮いて佇んでいる。
月明かりの逆光で見えづらいが、クレセリアはじっとこちらを見つめている。
どうしたんだろう。
一歩クレセリアに近づく。
クレセリアがそっと手を差し出して俺の頭を撫でてきた。
温かい。
ゆっくりと撫でられると、力が抜けるような安堵を覚えた。
クレセリアはくすくすと笑う。
クレセリアはボールを手に持って俺に見せてきた。
これは……ヒューマンボール?
「しぇーあ。くあ。くーりあ。せれ?」
クレセリアは俺を真剣な眼差しで見つめながら何かを訴える。
何を言っているのかはわからないが、多分入れということなんだろう。
俺はぎゅっとクレセリアの手の上を転がるヒューマンボールを握りしめた。
しゅぴん。軽快な電子音。
人肌のような優しい温かさが俺を包んだ。
膝を抱えて丸くなり、じっと目を瞑る。
暗い。
でも、温度のおかげか、安心できる暗闇だった。
うとうととまどろむ。
寝ていたような寝ていないような、分からない。
不意に声がした。
「せーくあ!」
クレセリアに呼ばれて、俺はボールから出た。
「せあ! くぅりあ!」
「はは、よしよし」
クレセリアがまた顔をぐりぐりと押し付けてくる。
俺はそっとクレセリアを撫でた。
「しぇん」
クレセリアはふわりと俺から顔を離して、背中側に回った。
振り向くよりも先に、背中にぽふっと確かな重み。
「おんぶか? いいよ」
「れぃりあ」
上機嫌に鼻歌を歌うクレセリアをおぶって、俺はさっき走った道を帰った。
アカデミーの部屋まで戻ると、クレセリアは俺の背中から離れて目の前にきた。
「れぃあ」
ふわりと花笑みをこぼし、俺に手をのばす。
クレセリアはゆっくりと、俺の頭をなでた。
俺の存在を確かめるように何度も。
撫でられていると、無性に嬉しい気持ちになった。
口角が上がるのを感じる。
クレセリアはしばらく俺を撫でて、気が済んだのかベッドに飛び込んだ。
すぐにすぅすぅとささやかな息遣いが聞こえてくる。
窓から差す月光でクレセリアのベールはキラキラと輝いていた。
はっと自分がクレセリアに目を奪われていたことに気づく。
……俺も寝ようか。
机に置かれてボールを触ると、しゅぴんと軽快な電子音。
俺はボールに吸い込まれた。
温かな暗闇の中で、足を曲げて丸くなる。
ゆらゆらと体が揺れている感覚が心地いい。
すぐにまぶたが降りてきた。
……………………。
……………………。
「ッ……ウゥッ……」
どれくらい寝たのかも分からない。
不意に声が聞こえてきて、俺は目が覚めた。
くぐもった苦悶の声。
どうしたんだろう。
俺は体を思いっきり伸ばした。
ボールの外に出て、目を開ける。
月明かりの全くない暗い部屋。
クレセリアがベッドでうずくまっていた。
寝ているのとは明らかに違う。
顔をベッドに押し付けて、両手で枕をギュッと握っている。
「ァア……ッゥア……」
どこか痛むのか? 病気か? それとも誰かに? まさか死には……?
色んな不安が洪水のように押し寄せてくる。
俺はクレセリアの枕元に駆け寄った。
顔色を見ようと、俺も枕に顔を寄せた。
クレセリアの冷え切った手が伸びてきて、俺の頭を撫でた。
イヤダイヤダイヤダシゴトシゴトオコラレルオコラレルオコラレルオコラレルオコラレルシゴトシゴトシゴトイヤダイヤダイヤダナンデナンデナンデナンデオコラレタクナイオコラレタクナイモウイヤダモウイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダ
咄嗟に枕から顔を離してのけぞった。
息が詰まる。
今のは?
クレセリアは頭を抱えて突っ伏し。小さく震えていた。
もう一度顔を近づける。
クレセリアの手に顔が当たる。
モウイヤダモウイヤダモウイヤダイキタクナイナンデワタシガナンデナンデナンデオカシイオカシイオカシイシゴトシゴトシゴトシゴトシゴトイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダキライキラキライイヤダオコラレルオコラレルイカナイトイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダ
瘴気に押されるようにまたのけぞってしまう。
しかし、クレセリアが心配だった。
どうしたらいいのかも分からなくて、弱々しく震えるクレセリアをゆっくり撫でた。
頭を何回も撫でて、それから何度も背中をさすった。
ふっとクレセリアの頭が上がる。
目が合った。
透き通るような瞳は濡れていて、吸い込まれそうだった。
クレセリアが俺に顔を押し当ててくる。
クレセリアの首に優しく手を回して、また背中をさすった。
クレセリアは、きゅるる、と一声だけ弱々しく鳴いた。
どれくらいそうしていたか。
満月なのか、強い月明かりが差し込んでいた。
クレセリアが顔を離して、すっと浮き上がる。
「しぇる。りあーれ」
クレセリアが差し出したのは、真っ白な色のディスクだった。
これはなんだろう、とクレセリアを見つめ返す。
「しぇあ……」
何かをお願いするような、消え入る声。
ずいっと俺にディスクを差し出してくる。
どうしよう。
そう考えながら、気づけば俺はディスクを受け取っていた。
ぶわっ。
だだっ広い原っぱを思い起こすような、暖かい風が一瞬吹いた。
床が緑のエネルギーで溢れかえる。
驚いて辺りを見回していると、クレセリアはこてんとまた顔を俺に押し付けてきた。
優しく背中をさする。
床に散らばった青々としたエネルギーのうねりを見ながら、何度も、何度も。
ぐわんと黄緑のエネルギーが大きくうねった。
それは一本のツタのように形を纏って立ち上がる。
ツタがしなったと思えば、意思があるようにこちらに伸びてきた。
ツタはゆっくりと伸びて、俺の腕にいるクレセリアを包み込む。
俺はツタの上からもずっとクレセリアを撫でていた。
ツタはクレセリアを完全に包み込むと、弾けた。
一瞬だけあたりに緑のエネルギーがキラキラと散らばって、何もなかったみたいに消え去ってしまう。
ツタから解放されたクレセリアは、だらりと俺に体重を預ける。
すー、すー。
優しい吐息が聞こえてきた。
よかった。クレセリアが寝られた。
心の底から、安堵した。
安堵したし、嬉しかった。
クレセリアをベッドに横たわらせて、布団をかける。
力が抜けて、俺はベッド脇に座り込んだ。
両肘をベッドについて上半身をベッドの端に預ける。
自分の体重がずんっとのしかかってくる。
自然とまぶたが落ちていった。
ピンポーン。ピンポーン。
インターホンが鳴る。
深々と体を沈めていたベッドの中で、飛び起きた。
誰だよ……。
頭をかきながらインターホンまで歩いて、画面を覗き込んだ。
制服の女の子。
どきっと俺の心臓は跳ね上がった。
全身の細胞が一気に目覚める。
早く出なきゃ。早く出たい。
そわそわする気持ちを押さえて、洗面台に駆け込んだ。
水で急いで寝癖を治す。
いきなりどうしてガラサが来たんだろう。
考えようとしても、急いで手を動かしながらでは考えがまとまらない。
ささっと鏡を見ながら髪型だけ整えて、何食わぬ顔で扉を開けた。
「おはよう。どうしたの?」
「おはよ。レムノくんに相談したいことがあって」
「いいよ。教えて」
「見てほしいから、わたしの部屋に来てくれない?」
「うん、わかった」
はやる鼓動を感じながら、ガラサの隣に並んだ。
アカデミーの廊下を階段の方向へ歩く。
ガラサが言うには、ここのところサニーゴがうなされているらしかった。
「レムノくんならなんとかできるかも」なんて言われて。どうにかしないわけにはいかない。
ガラサの部屋は階段を一階上がって、ちょうど俺の部屋の真上。
本当は異性の部屋に入るのは禁止されているが、非常事態だ。仕方がない。
がちゃり。
ガラサが扉を開ける。
ベッドの上にはクレセリアがうずくまっていた。
心配な気持ちが一瞬にして溢れ出て、俺はベッドに駆け寄った。
そっと頭を撫でると、クレセリアも俺の頭に触れてきた。
死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたいシニタイ死にたいシニタイシニタイシニタイシニタイシニタイシニタイシニタイシニタイシニタイシニタイシニタイシニタイしにたいしニたいシニタイシニタいシニタイシニタイ
必死に撫でた。
頭を、背中を、何度も撫でた。
俺にできることはそれしかなかった。
苦しくてたまらなかった。
きゅーっと心臓が締め付けられて、息が詰まった。
全身がチクチクと痛んだ。
少しでも楽にならないかと、抱きしめて撫で続けた。
死にたい死にたいシニタイ死にたいシニタイシニタイシニタイシニタイシニタイシニタイシニタイ死ニタイシニタイシニタイシニタイシニタイしにたい死にたい死にたい死にたいシニタイ
…………。
床に緑色のエネルギーが広がった。
うねるエネルギーは、また一本のツタのを形作ってクレセリアを包んだ。
シニタイシニタイ死に、た……い……
クレセリアの声が頭に響かなくなった。
ベッドに横たわらせる。
…………。
布団をかける手が動かない。
…………。
眠っているうちなら、楽、だろうか。
…………。
……………………。
右手に持っていた包丁を、振りかぶった。
息を吸って。
勢いよく振り下ろす。
首の深くまで差し込むと、手にべっとりと血がついた。
抜く。
振り上げる。
振り下ろす。
抜く。
振り上げる。
振り下ろす。
抜く。
振り上げる。
振り下ろす。
広がった傷口から、どくりと血が流れ出た。
𖡬 𖡬 𖡬
はっと飛び起きる。
手を何度も拭った。
俺の右手は真っ赤に染まってはいなかった。
……夢か。そりゃそうだ。
ベッド脇を見ると、スリーパーが心配そうな目で俺を見ていた。
「大丈夫。ありがとな」
「りぱぱ」
「スリーパーもごめんな、あんな夢食べさせて」
「すりー……」
スリーパーもしょぼんと肩を落としていた。
あんな夢を思い出してはテンションが上がるわけもない。
にしても、ショッキングだった。
クレセリアを刺すなんて。
夢のクレセリアは、子供の頃神様図鑑で見たあの姿だった。
肉を切り裂く感触が、まだ少しだけ手に残っている気がする。
細い首だった。
忘れよう。
俺は枕元のメモ帳を手に取った。
思い出せる限り夢の内容をメモしていく。
今回の夢は鮮明だった。
最後の顛末まで書いて、メモを枕元に放り投げる。
スリーパーの頭をぽんぽんとなでた。
スリーパーは嬉しそうに耳を垂れる。
なんだかんだかわいいやつだ。
「まだ途中だよな?」
「ぱぱっぱ」
スリーパーは一つ頷いて振り子を見せつけた。
「よし。じゃあもう一回頼む」
「り〜ぱ」
ベッドに倒れ込んで、布団を持ち上げる。
かちゃりと一回スリーパーの振り子の音が聞こえた。
すぐにまぶたが落ちて、俺はベッドの中に沈んでいった。
𖡬 𖡬 𖡬
当てもなく前に進み続ける。
上には真上に近いほど見上げてやっとてっぺんが見えるビル。
目の前も横も後ろも、ニンゲンの脚が大量に動いていた。
ぶつからないように、蹴られないように、気をつけながら歩くだけで精一杯。
ニンゲンの流れに身を任せてひたすらに歩を進めた。
不意に前が開ける。
丁字路になって、ニンゲンたちは横に逸れていったようだった。
目の前には大きな公園。
真夜中だから、子供は1人もいない。
歩き続けた足を休めたくて、公園に入った。
公園内の曲がりくねった道を少し歩くと、ベンチが見えた。
少し高いベンチによじ登って座る。
全身の力を抜いて、ベンチに寝そべった。
つかれた。
目の焦点をどこにも合わせずに、だらりと重力に身を任せる。
キィ、キィ。
金属が軋む音がした。
向こうにある真っ赤なブランコが揺れている。
乗っているのは子供ではなかった。
ベンチを降りて近づいてみた。
上下とも闇夜に溶け込むような真っ黒なスーツ。
歩いている時にもたくさん見かけたサラリーマンだった。
しかし、このサラリーマンは様子が少し違った。
力なくうなだれて、ブランコのなすがままに揺れている。
なんとなく気になって、そばに立ってみた。
じーっと見ていると、サラリーマンもちらりとこちらを見た。
ブランコの揺れが止まる。
「……どうしたの?」
サラリーマンの手がこちらに伸びる。
ぽんと手が頭に置かれた。
シゴトイヤダイヤダイヤダシゴトモウダメヤメタイイヤダイヤダシゴトナクナレナクナレナクナレドウシヨウモウイヤダムイテナイイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダヤメタイヤメタイヤメタイ
びくりと背筋が伸びた。
全力で走ってサラリーマンから距離を取る。
支えをなくしたサラリーマンの手がしばらく宙に浮いて、ゆっくり落ちてまたブランコを握った。
またブランコが揺れ始める。
きこ、きこ、きこ。
サラリーマンの体は人形みたいに力なくブランコに揺られていた。
この人、困ってるんだ。
助けられないかな。
じっとサラリーマンを見つめる。
ふわっと柔らかな陽光の匂いがした。
緑色のエネルギーがあたり一体を取り巻く。
あの時と一緒だ。
緑色のエネルギーは海のようにしばらく波立って、それから大きな一本のツタを作った。
ツタはサラリーマンをゆっくりと取り囲む。
「うわっ……! な、なん……」
サラリーマンは仰け反ってツタを押し除けようとしていた。
しかしツタはゆっくりと腕に巻きついて伸び、サラリーマンを優しく包み込んだ。
サラリーマンもすぐに抵抗しなくなっていった。
サラリーマンがブランコから滑り落ちる。
ツタはサラリーマンを受け止めると、また最初からなかったみたいに消えていった。
恐る恐る地面に倒れるサラリーマンに近づく。
サラリーマンはうつ伏せで寝てしまっていた。
助けなきゃ。
右手に持っていた包丁を振り上げる。
振り下ろす。
温かい液体が手にべとりと付いた。
振り下ろす。
振り下ろす。
振り下ろす。
もうサラリーマンは動かなかった。
……これで、よかったのかな。
血だまりをちらりと見て、その場を離れた。
なんとなく公園から離れたくて、公園を出て道路を歩いた。
街には人も車もいなかった。
手の滑りが取れなくて気持ち悪い。
「ああああああああっ!!!」
後ろから耳をつんざく大きな叫び声。
思わず声の方向を振り向く。
「いたぞ!」
眩しい。
真っ白なライトが何本もこちらに向けられていた。
暴力的な赤い光を撒き散らすパトカー。
何人もニンゲンが並んで立っている。
ニンゲンたちを守るように前にいるのは、レアコイル、ウインディ、ライボルト。
警察がよく手持ちにしているポケモンたちだ。
「捕まえるぞ!」
一瞬にしてニンゲンに周りを取り囲まれた。
ニンゲンもポケモンも、ずっと背が高かった。
全方向から見下ろすような視線が突き刺さる。
怖い。
「レアコイル! 捕まえてくれ!」
「びびびびびび」
レアコイルがぐるぐると空中で回転して、電気の網を放った。
避けることもできずに網に捕まる。
網が地面に張り付いて、一緒に地面に這いつくばる。
びりっと全身に電流が走る。
網のまとう電撃が痛い。
なんでいきなり。
痛い……。
𖡬 𖡬 𖡬
はっと目が開く。
なんで攻撃を……?
体の痺れがないことに気づく。
夢か。
当たり前だ。俺は夢見屋なんだから。
今のはあの夢の続きなはず。
「スリーパー」
「りぱ?」
スリーパーを呼ぶと、横から返事が来た。
「あの夢はあれで終わりか?」
「ぱーぱ」
スリーパーは浅く何度も頷いた。
……そうか。あれで終わりか。
ともかく記憶があるうちに書き留めないと。
俺はベッド脇のメモ帳に手を伸ばした。
第3話 夢想
𖡬 𖡬 𖡬
俺はなやみのタネをポリポリとつまみながら、メモを片手にパソコンに向かっていた。
これでも一応警察の依頼だ。
夢の内容はきちんと書類としてまとめないといけない。
夢のおおよそのあらすじはこうだ。
まず、クレセリアに会う。
そしてヒューマンボールで捕まえられる。
アカデミーに向かうと、クレセリアが苦しみ始める。
緑色のエネルギーがクレセリアを包むと、クレセリアが眠る。
そこにガラサが来て、ガラサの部屋に行くとクレセリアがまた苦しんでいる。
クレセリアの声が聞こえて、またツタでクレセリアが眠る。
そして俺は、クレセリアを刺し殺した。
場面が変わって、公園。
苦しむサラリーマンがまたツタで眠ると、俺はサラリーマンを殺した。
そして警察に捕まる。
……ショックな夢だった。
未だ手のヌメヌメした感触が取れない。
時間が経っても鮮明に覚えてしまっている。
これまでもいくらかポケモンの刑事事件にも関わってきたが、こんなに直接的な夢を見たのは初めてだった。
いや、ショックに打ちひしがれている場合じゃない。
この夢から現実を探るのが俺の仕事。
登場人物も、話の流れも、そう難しい解釈ではない。
一つだけ引っかかるのは犯行の手口だった。
凶器はテオルザの言う通り、リーフブレードでほぼ確定。
骨まで切れていたという話と、包丁という刃物が凶器だった俺の夢が合致する。
夢の中ではクレセリアにしてもサラリーマンにしても、眠っているところを刺していた。
恐らくゴーゴートは、何かしらで眠らせて、切りつけて殺していたのだろう。
「眠らせる技……?」
もう何度となく見た検索結果をもう一度出して、思わずつぶやく。
どんなポケモンの生態を解説するサイトを見ても、ゴーゴートには眠らせる技がない。
くさタイプのポケモンといえば、くさぶえやねむりごなといった眠らせる技には事欠かない印象があったのに。
調査はふりだしのまま進まなかった。
眠らせての犯行ではないのか?
だとすると夢で眠らせる意味は?
眠らせる夢の分析なんてデータはない。
夢占いを見てみても、クリエイティブな思考だの、自分の一面だの、状況には合わない解釈しか見当たらない。
やっぱり眠らせているんじゃないのか?
目を瞑って、状況を思い出す。
辺りに緑のエネルギーが充満して、それがツタを形成していた。
緑のエネルギー?
俺はパソコンの検索欄に「ゴーゴート グラスフィールド」と入力した。
トップヒットした、ゴーゴートのバトル大会での動画を開く。
トレーナーがグラスフィールドを指示すると、ゴーゴートが叫んで、緑色のエネルギーがフィールドに充満していた。
間違いなさそうだ。
しかしこれに眠りが関係あるのか。
「グラスフィールド 眠り」で検索をかける。
トップヒットしたのはある論文だった。
技『ひみつのちから』の応用可能性。
……なるほど。
夢の中にディスクが出てきたことも、これで説明がつく。
俺はデスクに置いたスマートフォンを手に取った。
電話の履歴から、テオルザに発信する。
待つこと3コールと少し。
『はい、テオルザです』
「もしもし、レムノです」
『あぁどうも! お世話になってます』
「いえいえ。頂いていた案件に関してなんですが、もう報告ができそうです」
『え、早いですね。了解しました。報告はいつ頃がいいですか?』
「すぐに資料を作成しますので、今日の夕方ごろでお願いします」
『分かりました! 場所はどうしましょう、警察署で大丈夫です?』
「そうですね、それで……いえ。機密的に問題なければ、どこか外だと助かります」
『外ですか。了解です! 行きつけのカフェがあるんで、そこで』
「分かりました」
『時間はどうします? 4時頃でいいですか?』
「はい、問題ありません」
『おっけーです! では4時に駅前で』
「お願いします」
『いえいえ! それではまた』
ぷつ、と通話を切った。
またその場の勢いでカフェにでもと言ってしまった。
警察署の応接間は仰々しくて苦手だ。
こんなにすんなり通るとは思っていなかったが、あの場所に行かなくて済むのはありがたい。
さて、3時までには報告書を仕上げなければいけない。
俺はまたパソコンに体を向けた。
𖡬 𖡬 𖡬
注文を済ませると、ウェイトレスさんは「畏まりました」と言って席を去っていった。
窓際の丸テーブル。
目の前にはテオルザが座っていた。
「それにしても、普段も報告はカフェなんですか?」
メニューを見ていた時の楽しそうな顔のまま、テオルザは俺を見た。
「個人の報告なんかだと利用することもありますね。警察の仕事の時は大体応接間です」
「あ、ですよね。俺もそう思ってました」
というのは、やはりカフェをお願いした理由が気になるのだろう。
「まぁその……署の応接間がどうも苦手でして」
「苦手っすか。まぁなんか重苦しいですよね。ソファーでっかいし」
「ですね。それで、ダメかなと思いつつ言ってみたんですが」
ははっ、と噴き出すようにテオルザが笑う。
「いや、多分ほんとはダメなんすけどね。機密情報ですし」
やっぱりダメだったのか。
「それは申し訳ないです。全然今からでも」
場所を変えましょうか、と言う前に遮られた。
「いえ大丈夫ですよ。依頼先の指定なんで。もう既に表に出てるニュースですし、多分そんな煩くはないです」
「そうですか、よかったです」
ひと段落ついたところで、俺は資料を取り出した。
それに気づいたのか、テオルザもメモ帳とペンを取り出す。
盗み見た顔つきも、真剣だった。
「じゃあ、本題の方に」
「はい」
「一通りまとめてはおいたんですが、改めて私から説明します」
「お願いします」
ꚸ ꚸ ꚸ
見た夢の概要は資料のとおりです。
まず、クレセリアに会って、遊んでいました。
テーブルシティが舞台で、ヒューマンボールで捕まえられまして。
アカデミーの部屋に帰ると、クレセリアが苦しみ始めました。
仕事が嫌だとか、怒られたくないとかそんな感じの呻きが聞こえました。
そこで緑色のエネルギーが現れまして、それがツタのようにうねっていました。
ツタがクレセリアを包むと、クレセリアが眠りまして、
そこに昔の友人——って言うのは、まぁお話しした夢見屋のきっかけの女の子ですね——が来て、相談したいと呼ばれるんです。
その子の部屋に行くとクレセリアがまた苦しんでいました。
今度は明確に、死にたいと。
クレセリアの声が聞こえたあと、またツタでクレセリアが眠ります。
そして私は、クレセリアを包丁で刺し殺しました。
ここで一度起きてしまったんですが、その後続きを見ました。
場面が変わって、公園。
クレセリアと同じように苦しむサラリーマンがいました。
同じようにツタでサラリーマンが眠りまして、同じように私はサラリーマンを殺しました。
そして警察に捕まりました。
大体こんな感じです。
この夢の解釈なんですが、まず登場人物の当てはめからですね。
まず夢での私はゴーゴートで間違いないと思います。
ボールで捕まってたので確実です。
次にクレセリアなんですが、ゴーゴートのトレーナーと考えるのがぴったりハマりそうです。
私自身クレセリアには感謝も親しさもあります。
私とクレセリアの関係に似ている関係がゴーゴートにあるなら、ポケモンにとって一番近いのはトレーナーかなと。
夢でクレセリアにボールで捕まったところからもそう言えそうです。
私がゴーゴートで、クレセリアがゴーゴートのトレーナーと。
そう考えて夢をもう一度振り返ると、多少過去がわかりました。
まずゴーゴートはトレーナーと出会って、そのうち捕まって一緒に暮らし始めます。
場所がアカデミーかどうかに関しては、私自身も通っていたので判定できないですが。
トレーナー自身もアカデミーに通っていた可能性もありますが、もしくはトレーナーの通っていたところに相当するところが私にとってアカデミーだっただけの可能性もあります。
夢は見る人やポケモンによって、同じような存在という共通点を残して変わるのは、昨日お話しした通りです。
同じ理由で、私が例の女の子に呼ばれたところも情報としては怪しいでしょうか。
逆に、クレセリアが苦しむところは人によって変わりようがないので、恐らくあったのだと思います。
仕事が嫌だ、怒られたくない、というのは、トレーナーが社会人になってからの家での様子ではないかと。
ゴーゴートの生態を調べてみたんですが、「ツノを握るわずかな違いからトレーナーの気持ちを読み取っていた」という報告があるそうです。
トレーナーの気持ちがゴーゴートにも伝わっていて、それが夢に現れていると考えるのが自然でした。
トレーナーが死にたいと言うのも、本当にあったのだと思います。
トレーナーが死にたいと思うのを見ていられずに、殺した。
これがゴーゴートのニンゲンを殺す理由ではないかと私は思っています。
確保されたときゴーゴートが誰のポケモンでもなかったのも、もうトレーナーがこの世にいないからだと考えると納得できます。
動機は、ここまでの話の通り優しさです。
夢での私自身の感覚ですが、クレセリアの声を聞いた時も、サラリーマンの声を聞いた時も、不安や心配の感情でした。
夢の中の、眠らせて意識のないうちに殺すというのも、相手が楽に死ぬことを考えているなら納得できます。
最後に手口なんですが、割り出すのに少々苦労しました。
夢の中では相手を眠らせてから刺していたんですが、ゴーゴートは眠らせる技を一見覚えないんです。
なんですが、「グラスフィールド」中の「ひみつのちから」にねむりを誘発する効果があることが調べると分かりました。
グラスフィールド中のひみつのちからの、ツタを作り出して攻撃するというのも、夢の中の描写に合います。
と、こんな感じでしょうか。
実際の事件の話と擦り合わせつつ、まとめますね。
まずゴーゴートはひみつのちからで眠らせた後にリーフブレードなどで殺していたと思います。
最初の犯行は手持ちのトレーナーで、原因はトレーナーを苦しみから助けるため。
トレーナーがいなくなって以降は野生のポケモンとして公園などに暮らしていて。
たまに公園で黄昏れるサラリーマンを、同じように優しさから殺していた。
そして何人も殺すうちに、捕まった。
これが夢から読み取れたことです。
ꚸ ꚸ ꚸ
出てきたコーヒーとショートケーキをつつきながら、俺は資料の内容を話した。
「ありがとうございました」
仕事へのお礼を形式的に言うテオルザは、どこか浮かない顔だった。
「どうしました?」
「いや、ままならないなと」
「今回の事件が、ですか」
「はい、なんていうか、誰も悪くないじゃないですか」
「それは私も思っていました。私の夢が全部本当だとすればですが」
「実際殺されたサラリーマンたちも、偶然か身寄りのないような人しかいなかったわけで。ゴーゴートの優しさだったと思うと、悪いとはとても言えなくて」
涙ぐむテオルザに、この夢を分析してから思っていたことを聞いた。
「……ゴーゴートはどうなるんですか?」
これが本当なら、ゴーゴートは決していたずらに人を傷つけていたわけじゃない。
この優しさはもっと何かに使えるはず。
「言いにくいんですが……多分保健所ですかね……」
意図的にニンゲンを傷つけたりするポケモンは、少なくない数いる。
こうしたポケモンたちは基本的には保健所が保護をするはずだ。
保健所の人手にも限度があるから、一定期間引き取り手が見つからなければ、野生に返すことになる。
……というのは理想的な話で。実際は野生に返すよりも薬などで安楽死させる方が多いとも言われている。
ニンゲンに危害を加えたポケモンなんて引き取り手が見つかることは少ないし、野生に返してもまた事件が発生するかもしれない。
保健所に流れつけば、ほぼ確実に安楽死させることになる。
「私の話では、何か扱いが変わるわけでもないですよね」
「ですね。目の前で言うのも申し訳ないんですが、流石に事件の証拠としては……」
少なくとも現状の方法では、ポケモンが見た夢をそのまま同じ夢で見られるわけでもない。
そもそもポケモンが見ている夢自体事実と断定できるわけでもない。
夢見屋の情報は、法的に効力を持たない。
見た夢が信憑性に欠けることは、俺自身よく知っていた。
「あくまで再発防止の措置ですからね……」
ゴーゴートがこのまま幸せに生きることは、多分ないのだろう。
あんなにも優しいのに。
「仕方ないっすよ。優しいかもとはいえ、殺しの経歴があるポケモンなんて言われるとやっぱり怖いっす」
じゃあ俺が手元に置けるかと言われれば、やっぱりそうもいかない。
誰だって自分が大事だ。
「ままならない、ですね」
「仕方ないっす」
さっきまでと打って変わって明るい声で言うテオルザも、どこか自分に言い聞かせているように見えた。
「…………」
「…………」
お互い喋ることがなくなって、かといって急な方向転換をして出すような明るい話題もなく。
ひとまず俺はケーキの最後のひとかけを口に入れた。
味わって飲み込んだら、続けて残りのコーヒーも飲み干す。
「ケーキ、美味しいですね」
テオルザが顔をばっと上げた。
まだ口にものが少し入っているのか、口を手で押さえながら喋り出す。
「でしょう! そうなんすよ。よく通ってて」
「私も個人依頼の報告なんかで適当なカフェに入ることはあるんですが、ここのは本当に美味しいです。また来たいくらいに」
「お、もしかしてまたお誘いしても?」
「本当ですか。ぜひまた」
「お、じゃあ今度は完全にプライベートでっすね!」
「そう遠いわけでもないので、お気軽に」
「やったー! 面白い話たくさん持ってるし、仲良くなりたいなーって思ってたんですよ」
「面白いかは分かりませんが……守秘義務に触れない限りでお話ししますよ」
「そりゃもちろん。楽しみにしてますよ」
本当に嬉しそうな笑みでテオルザもコーヒーを飲み干した。
「食べちゃいましたし、話も済んでますし。出ます?」
「私の方は大丈夫ですよ」
「じゃあ出ましょうか。お会計は警察の雑費で出ますんで」
がらっと椅子を引いて、同時に席を立った。
𖡬 𖡬 𖡬
ガタゴトと電車が揺れる振動を感じながら、窓の外を眺める。
夜になる気配を感じさせない、鮮やかな夕焼け。
……悲しい事件だった。
誰も悪くないのに、噛み合いが悪すぎた。
ゴーゴートには、せめて夢でくらいいい思いをしてほしい。
あんな殺す夢ではなく。
そういえば何かを殺す夢は、夢占いでは自分が変わろうとしていることの暗示だと言われる。
そして俺は大事な存在でありながら、自分自身にも等しいようなクレセリアを殺した。
見方を変えれば、あれは自分自身を殺す夢とも言えるのかもしれない。
現実を思い出す夢を見せているはずだから、自分が2人現れるなんてありえない以上考察結果が崩れることはないが。
……案外楽しかったな。いつも喋るのは面倒だったのに。
俺にもまた、なにか変化があるのかもしれない。
fin