ほうこうレポート

ほうようポケモン、こうもりポケモン。

【SS】寄り添う2つの微笑み

注:このSSは別の場所にかつて掲げたSSを整えたものです。


*******************

オカルトマニアのイノリ「突然抱きつかないで……」

キリカ「別に良いじゃない。あたしたちの仲でしょ~?」

イノリ「……苦しいんだけど」

キリカ「おっとごめんね」

イノリ「それで……私はなんで貴重な日曜日に呼び出されたの? デート?」

キリカ「ち、違うし! デパートでハロウィンフェアやってて1人は寂しいからだけだし!」

イノリ「別に照れなくても良いのよ……私たちの仲なんでしょう……?」

キリカ「そ、そうだけど違う! デートな訳ないじゃん!」

イノリ「子供みたい」

キリカ「うっさい! 怒るよ!」

イノリ「もう怒ってるじゃない……今のは可愛らしいって意味だから問題ないわ」

キリカ「そう? し、仕方ないわね……」

イノリ(ちょろい子……)


キリカ「割と早く着いたけど……どこ行こっか」

イノリ「何かプランがあるものとばかり思っていたのだけど?」

キリカ「いいじゃん? 無計画でぶらぶらするの楽しいし。全部の店でフェアやってるからさー」

イノリ「……経験したことないから分からないわ」

キリカ「引きこもりがちだからダメなんだよ~。今からあたしがみっちり楽しさを教えてしんぜよう!」

イノリ「別に、要らない……デートするならおうちデートが良かったわ」

キリカ「だからデートじゃないって言ってるじゃん! いい加減忘れてよ!」

イノリ「こんな面白いの、忘れるわけないじゃない」

キリカ「うぅ~……ふん、良いよ。そんなに言うなら彼女になってあげよか?」

イノリ「遠慮しとくわ。ずっと隣にいたら絶対うるさいもの」

キリカ「なーっ!? 酷くない!? お詫びになんか奢ってもらうからね!」

イノリ「はいはい……あまり高くないと嬉しいけど」

キリカ「じゃあ高いと普通のギリギリのラインで困らせてやろう!」

イノリ「私の高いのラインは10円から」

キリカ「何も買えないじゃん! 上げろ!」

イノリ「……2000円で良い?」

キリカ「おー、太っ腹じゃん~」

イノリ「別に太っ腹じゃないわよ。こんなこと他の人にはしないもの」

キリカ「なになに? 告白? 告白なの?」

イノリ「違うわよ……なんで私があなたに告白なんて」

キリカ「ねえそれさっきのこっちのセリフなんだけど!」

イノリ「だったらあなたもさっき言えばよかったじゃない」

キリカ「そ、そっか……じゃなくて! あーもう、デートの話終わりね!」

イノリ「はいはい。それで、無計画は分かったけど今からどこに行くのよ」

キリカ「んー、どうしよっか。……あ、じゃああの小物屋とかどう? ハロウィンのやつ売ってるでしょ」

イノリ「私はどこでもいいわよ。どうせ分からないからあなたについて行くだけだもの」

キリカ「じゃあイノリはあたしのお財布ってことでいい?」

イノリ「そんなのダメに決まってるじゃない。今の話からどうしたら私が財布になるの」

キリカ「まーまー、2000円分はあたしの財布でしょうが。黙ってついて来なよ」

イノリ「しょうがないわね……」


昼食も挟んで午前午後とあたしたちはデパートの中を遊び倒した。

既に手には大量の紙袋を提げているが、その重さも気にならない。

次はどこの店に行こうかと考えるだけで足が弾む。

すると、不意に肩に紙袋とは別の重みがのしかかった。

「ねぇ、私、もう歩き疲れたのだけど」

あたしに寄りかかってくるイノリの顔は不健康に真っ白で、疲れている様子がよくわかる。

……元からこんなだった気もするけど。

「えー? まだ4時だよ?」

「もう9時間も外出してるわ……。こんなのいつもの私じゃ考えられない……」

「全く、これだから引きこもりは~。じゃあもう帰る?」

「助かるわ。もう当分外には出たくないわね……」

仕方ない、もう十分楽しんだしいいか。

広いデパートでは下へ降りる階段を探すのも一苦労なので、まずは館内地図を探す。

辺りを見回して――あたしはあるものを発見した。

「あっ、ちょっと待って!」

「……帰るんじゃなかったの?」

イノリがいかにも嫌そうな声を出したが、あたしの意識はもう目の前に注がれている。

「ね、ちょっと行ってみたくない?」

あたしが指をさしたのは、店舗と店舗の間にある細い通路。

建物の設計図でも間違えて出来てしまったような、いかにも不自然な隙間だ。

トイレへ行く通路でさえ電気は点いているというのに、目の前の隙間は真っ暗で先を見ることができない。

廃山になった炭鉱の入り口にも似てひっそりとした寂寥感に、あたしの恐怖心と好奇心が揺れ動く。

「……帰りたい」

「えー、行こうよ」

「……でも、少し気になるかも」

「だよね!」

賛同を得られたので、後ろのイノリを引っ張って、あたしの横に並ばせた。

すーーー、はーーー。

長い長い深呼吸をし、唾を飲み込んで。

あたしたちは恐る恐る得体の知れない狭間へと足を踏み入れた。


目の前はやはり光が少しもない真っ暗闇だった。

こんなことなら懐中電灯か何か持って来ればよかったなぁ……と意味もない後悔をせざるを得ない。

イノリとお互いに腕を絡めてくっつきつつ――単純に恐怖心を紛らわすためであって、決して他意はない――、ゆっくりと歩を進める。

――不意に、真っ暗闇の中に青い炎が浮かんだ。

「ひっ!?」

思わず間の抜けた声が出る。

歯の根が合わない、という言葉が比喩なんかでなく本当に起こることをこんな所で体験させられるなんて思いもしなかった。

ギュッとイノリの腕を握る力を強くする。

すると、イノリが控えめにあたしの肩を叩いた。

「……この色はただのライトよ。揺れてないもの。鬼火とかなんかの光じゃないわ」

「……そうなの? あっ、ほんとだ」

冷静な指摘に、あたしの恐怖心が嘘のように霧散する。

代わりに襲ってきた恥ずかしさで、顔が少し熱を帯びるのを感じた。

今度はイノリに先導されるような形でさらに進んでいく。

歩くほどに青い光はどんどん増えていき。

ついに、この通路の最奥部に隠されているものがそのベールを脱いだ。


「……うらない、や?」

暗い森の奥の洋館のようにひっそりと佇む目の前の建物。

寂れた印象を際立たせているボロい看板にはおどろおどろしい掠れた文字で、占い屋と書かれていた。

何かが出そうな感じ満載の雰囲気に、あたしの心は恐怖に傾いていく。

こんないかにも怪しそうな店を前に、しかしイノリの瞳はキラキラと輝いている。

「電気もついてないし、やってないんじゃない?」

「まだやってないかどうかは分からないわ」

「えー、戻ろうよ」

「キリカが連れて来たんじゃない。私は行きたいわ」

「でも、なんかありそうじゃん……」

「だったら余計に行かない手はないじゃない! ほら、早く行きましょう!」

「えっ、ちょっと、待ってよ!」

あたしの控えめな帰りたいアピールは全く届いていないらしい。

パシャり、と小さなシャッター音がした。

普段写真なんて撮らないくせに、スマホを取り出してわざわざ撮ってるところを見るとよっぽど興味があるらしい。

珍しくイノリが興奮しているところを見るとこれ以上止めるのも申し訳ない気がした。

仕方ない、ついて行ってあげるか……。怖いなぁ。

イノリがあたしの腕を掴んだまま、空いている手でドアに手をかけた。

もう、なるようになっちゃえ!!

あたしが心の中で絶叫するのと同時、扉が勢いよく開け放たれる。


そこは、やはり不思議というより不気味な印象が強い場所だった。

光源は不規則に揺れるろうそくだけで、内装も紫やら黒やらあまりいいイメージの色ではない。

そして、何より最も異質なのが、目の前に座っている女性らしき人だ。

紫のフードを目深にかぶっているせいで目元は見えず、鼻も口も黒い布で覆い隠されている。

顔のすぐ下にある豊満な胸がなければ女性だとも分からなかっただろう。

初対面で失礼かもしれないが、あたしたちを殺そうとしている魔女だと言われても違和感はないような服装だった。

「……いらっしゃいませ」

独り言のような小さな声で呟いたその声は、想像に反して若さを感じるもの。

大釜で毒薬を煮詰める魔女のようなしわがれた声を想像していたあたしは、ただ声を聞いただけなのに一気に安心した。

「どうぞ、お掛けください」

言われるがまま、目の前に並んでいた3つの椅子のうちの2つにそれぞれ腰掛ける。

占い師さんは重ねた手を机に置いて、こちらに顔を向けた。

「何か、占いたいことはありますか……」

占い師さんの問いに、イノリが少し考えてだした。

オカルト系の話が大好きなイノリなので、多分色々と選択肢があって迷っているのだろう。

「……。近い未来に何が起こるか、なんてできませんか」

「出来ます。……そちらのあなたは」

「え、あたしもですか? えーっと……」

占い屋なんて初めて来たし、何を聞けば良いのかなんて全く分からない。

――1つだけあるにはあるけど……ちょっと恥ずかしいなぁ。

違うのを少し考えてはみたものの、やっぱり一つしか思いつかなかった。

「……う、運命の人、とか……」

「分かりました。では始めます……」

そう言って占い師さんが取り出したのは、サッカーボールほどもある大きな水晶玉。

確かに占いというと水晶は定番な気もするが、現実でできるのはタロットカードとかその程度だと思っていたので少し驚いた。

一切曇りのない透明な球に、占い師さんが手をかざす。

アニメなんかで見る占い師と同じような挙動は、あたしに違う世界にいるようにすら感じさせた。

本当に水晶で占えるんだ……。

感心していると、占い師さんが幾分か真剣な声音で喋り始めた。


「もうめくられることのないカレンダー」

「もう開かれることのないクローゼット」

「もう座られることのないクッション」

「もう点くことのないテレビ」

「もう鳴ることのない電話」

「もう踏まれることのない床」

「もう開けられることのない扉」

「もう変えられることのない花瓶の花」


「キキョウ……スターチス……マルベリー」





「寄り添う2つの微笑み」






「「……?」」

あたしたちは2人して首をかしげた。

占い師さんの言っていることが全く分からなかったのだ。

やがて占い師さんは水晶から目を離し、顔をこちらに向けた。

「――簡単に、説明していきたいと思います」

「まずそちらの方の近い未来についてですが……引越しの計画など立てていらっしゃったりはしませんか?」

「えぇ。と言っても住んでいるところからすぐ近くですけど」

「でしたら、引越しするのは少し後にした方がいいでしょう。前半の光景から見るに、あなたの魂は今の家にまだ残留しているようです」

「目安としてどのくらい待てばいいんでしょう?」

「ハロウィンの夜はあの世からの使者が来るとされています。その時に一旦リセットされますので、ハロウィンが終わってからなるべく早い方がいいでしょう」

「あの世からの使者……ふふ。ありがとうございます」

オカルトチックな話が自然に出てきたせいか、イノリの表情はいつになく楽しそうだ。

あたしにはあんまり分からないのだけど。

イノリの横顔を見つめていると、占い師さんの顔があたしを向いた。

「次にあなたの運命の人の話です。結論から言うと、すぐにでも見つかります」

「えっ……本当ですか!?」

「はい……ただし――最近彼氏と別れていませんか?」

「は、はい……なんで、分かったんですか……?」

「水晶は過去の思い出を示すタンスと、人との繋がりを示す電話を映していました。過去の人への未練がまだ残っているのです。ですから、運命の人と出会いたければ、前の彼氏のことは忘れるべきでしょう」

「はい……」

「花ですが、キキョウは永遠の愛、スターチスは変わらぬ心、マルベリーは知恵、とそれぞれ花言葉があります。もし運命の人を見つけられたなら、きっと長く幸せになれるでしょう」

「本当ですか!? ありがとうございます!」

なんと言うか、自分の全てが見透かされているようでいわく言いがたい気分だった。

いずれにせよ、最高の運命の人はすぐに現れるのだ。

あたしはそれをワクワクしながら待つだけでいい。

あー、どんな人かなぁ。イケメンだといいな。あと性格もやっぱイケメンの方がいいよねー。


「占いは以上とさせ……いえ。少々お待ちください」

占いは終わり……かと思いきや、なにやら占い師さんが再び水晶を見つめ始めた。

どうしたのだろうか。あたしはその手の話には詳しくないのでよくわからない。

横を見ると、イノリも薄い表情の中に困惑を滲ませている。

「――失礼しました。1つ、占いの結果を訂正させてください」

占い師さんの声がさっきよりずっと深刻そうだった。

も、もしかして、死ぬ予言とかじゃないよね……?

そんなあたしの危惧は当たらなかったが、続く占い師さんの言葉はあたしたちを絶句させるには十分すぎる破壊力を秘めていた。





「――あなた方の運命の人は……隣に、います」





お店を出た後も、あたしたちの間にはもやっとした微妙な空気が流れていた。

でも、当然だ。

同性の、しかも親友が運命の人だなんて宣言されても、どんな反応をすればいいのやら。

確かにイノリのことは嫌いじゃないし、むしろすごく好きだし、服装とか髪型とかが地味なだけで地はすごい可愛いと思うし、気も合うし……でも、それは「like」であって、運命の人って言うとやっぱ「love」だから……え、でも「love」って確か親友同士ならいいんだっけ……? ……いや、問題なのはそっちじゃなくて……あたしは……イノリと…………イノリを………………。

いろいろ考えることばかりで、ごちゃ混ぜの感情のスープは頭から今にも溢れそう。

不意に、ガサッと何かが落ちるような音がして、あたしは沈んでいた意識を浮上させた。

「……おっと」

手に持っていた紙袋が落ちてしまったらしい。

……さっきまでしっかり握っていたはずなのに。

ともかく、落ちたものはもう落ちたのだ。仕方がない。

拾うべく屈もうとすると、何故か紙袋の方からあたしの手に滑り込んできた。

「……大丈夫 ボーッとしているみたいだけれど」

そして、私の手にイノリの手が触れた。

それは触るにも満たないような一瞬。

でも、その一瞬であたしの心臓は爆発的に跳ね上がる。

「え、え? あ、えっと、大丈夫……多分」

「多分って……適当ね」

あたしだってできるなら大丈夫だと思いたい。

でも、今のあたしはどう考えても普通じゃない。

別に、たかが占いなのに。


今度こそ落とすまいと紙袋の紐をギュッと握りしめる。

「ねぇ……」

「……な、なに?」

唐突に話しかけられて、あたしは思わず背筋を強張らせた。

イノリは俯き加減に、しかし横目でこちらを見ながら聞いてくる。

「……さっきの占い、どう思う?」

「どうって、何個かあったじゃない。どの話?」

なんのことを聞いているのかなんて、分かりきっていた。

「そんなの、私とあなたが運命の人だっていう話に決まっているでしょう?」

「っっ……!!!」

思考が、一瞬で散り散りになってしまう。

「そ、それは、その……でも、やっぱり……」

もごもごと喋っていると、それを遮るように、イノリが珍しく声を張り上げた。

「私、あなたが運命の人でも、悪くないなって思ったのよ」

「……え?」

「ね、おかしいでしょう? 引くかもしれないけど……あなたといるとすごく安心するもの。私、あなたが初めての友達だったから」

「……っ~~!?」

色々な感情が――甘いような、酸っぱいような、よく分からない――あたしの心から勝手に湧き出てくる。

心臓の加速が止まらない。

「だから、私はあの占い……あんまり気にしてないわ。あなたは、どう思う?」

じっと2つの藍色の瞳がこちらを見据える。

やっと冷静さを取り戻して再び集合し始めた思考をもって、あたしは答えを考えた。


「…………あたしも、割と嬉しいかも。恋人……とかいうのまではアレだけどさ」

「……そう。なら、今まで通り友達でいいんじゃないかしら。…………もしくは、親友、とか」

ボソッと恥ずかしそうに最後に付け足すイノリがおかしくて、あたしはそれまで暗いムードで悩んでいたことなんて忘れて笑い出した。

「ふふっ……あは、あははは!」

「な、なんなのよ……」

「ううん、なんでもない。ありがとね!」

「もう……」

不服そうな顔のイノリは、お返しとばかり私の手をきゅっと握った。

イノリの体温は基本的にあたしより低い。

だから、普通は冷たいはずなのに――何故か、とても温かかった。

「っ……! ちょ、ちょっと!?」

「親友なら、これくらい良いじゃない。それとも、抱きついたほうがいい?」

してやったりと不気味な笑顔を見せられた。

笑うのが下手なとこ、嫌いじゃないけどね。

「い、要らないし! さっさと帰ろ?」

「……まぁ、いいわ」

ちゃっかり手は握ったまま、あたしたちはゆっくり歩いて帰り道をたどった。


キリカ「そういえばイノリさ」

イノリ「何……? もうお金は出てこないわよ?」

キリカ「あたし別に金の亡者じゃないんですけど。そうじゃなくてさ、イノリも占い出来たりしないの?」

イノリ「私が……?」

キリカ「そうそう。オカルト系好きだしさ、あとなんか出来そうな雰囲気あるじゃん」

イノリ「雰囲気があるってどういうことよ……」

キリカ「まぁまぁ。それで、どうなの?」

イノリ「出来ないこともないんじゃないかしら。なにかしらやってみるわ」

キリカ「おぉー! じゃ、楽しみにしてるよ!」

イノリ「素人だもの、どうせ上手くいかないわよ。あまり期待しないでちょうだい」

キリカ「予防線張らなくても別にがっかりしたりなんかしないよ?」

イノリ「そう? まぁ……やるだけやってみるわ」


家に帰ると、私はお風呂へ直行した。

色々と変な汗をかいてしまって体がベトベトだったのだ。

お湯を張るために湯船を洗う気力もなくて、シャワーだけでさっと済ませてお風呂を出る。

そして、晩御飯のことを考えるよりも先に、ベッドへ体を放り込んだ。

「はぁー……」

横向きに寝転がった瞬間、どっと疲れが吹き出して、思わずため息が漏れる。

……まぁ、色々あったしね。

ほとんど買い物しかしてない気もするけど。

一方向に圧力がかかるせいで体が痛くなってきたので、ごろんと真反対に寝返りを打つ。

「……っひゃっ!?」

突然喉から甲高い声が出て、そのことに自分で驚いた。

……別に、何かあったわけではない。

現象的にはただ寝返りを打った時に自分の左手が自分の右手に重なっただけ。

それなのに、この脳は何故か反射的に触れた感触をイノリの手だと早とちりしたのだ。

なんでそれであんな声が出るかも、そもそもなんでそんな異常な勘違いをしたのかも謎だ。

疑問符が多すぎて、もう訳が分からない。

未だに触れた感触が残っているその手で顔を覆って、あたしは体を丸めた。


   運命のヒト  10月 23日 22:14
これを見ているあなたたちは、運命の人の存在を信じるかしら。
ロマンチックだし信じる? 非現実的だから信じない?
このブログの趣旨からして、信じた方が良さげね……
というのは。私、今日唯一の友達とフラッと外出した先に占い屋があったから入ったの。
あの怪しさ満点の外装は、思わず写真を撮ってしまうくらいには魅力的だったわ。
あなた達にもあの禍々しいオーラの片鱗を見せてあげる。

……写真からでも十分に伝わってくるでしょう? 最高ね。
外装でこれなんだから、中はもっと凄いと思うでしょう?
文章の流れ的には、「と思いきや普通?」と言うところなのだけど。いいえ、とても凄かったわよ。
建物自体は普通のありふれた感じで新鮮味はなかったのだけど……あそこの占い師さんの呪術的なオーラは圧倒的だったわね。
今思えば、あの店全体のオーラも中の占い師さんが発生源なのかもしれないわ。
席に着いた後、占い師さんに占う内容を聞かれて、私は常套句の「近い未来について」って聞いたのだけど、特別感はなかった。
そのあと、友達が運命のヒトについて聞いたの。そしたら占い師さん、なんて言ったか想像はつくかしら?

正解は――「運命のヒトは、隣にいる」よ。
隣……つまり、私のこと。
一瞬は驚いたけれど、運命っていいわよね。
なんの根拠もないのに、何故か存在は信じられる。
やっぱり前世とか、来世とか、その辺も絡んできそうで楽しいわよね。
王道のオカルトチックな話題で私はとても好きだわ。
……一応その友達も、もちろん私も女よ? ついでに、私は別に同性愛者なわけじゃない。でも、占い師さんはそう言い切ったの。
あそこまで確信を持って占える人は珍しいどころか超能力者と言っても過言じゃないわね。羨ましい限りよ。
あの体験は、本当に不思議だったわ。出来ることならあなた達にも体験してもらいたいのだけど……申し訳ないけど個人情報に近いのはあまり晒したくはないわ。

今日はなんとなく文章がまとまらなかったわね、ごめんなさい。
あなた達も、フラッと占い屋に入ってみると楽しいかもしれないわよ。

追記
あの占い師さんに感化されて、私も占いを始めてみたわ。
方法は簡単よ。私のパートナー、ヒトモシの炎を擬似的な水晶玉に見立てて、あとはいつもの水晶玉の占いと同じ。
ちょっぴり生気を使っての占いだなんて、ゾクゾクしない?
生気を吸い取るとは言っても、まだ進化はしていないからそもそも生気はそんなに扱えないし、危ないことはないの。
これからはいつもの記事と一緒に占いの結果でも上げてみようかしら。
ちなみに今日の結果は、タロットカードの節制に似た模様だったわ。
バランスに気をつけて生きないと、何か起こるかもね。


ふわりと体が浮き上がるような感触がした。

眠りから覚めたんだろうな、とはなんとなく思うものの、頭がぼんやりとして目はまだ開けられない。

……なんか、顔が暑い。

……暑い?

真っ黒ではなく、真っ白に染まっている視界。

目を開けた瞬間、強烈な閃光が目を直撃してあたしは慌てて再度目を閉じた。

暑いのと合わせて考えるに、窓から差し込む日光が顔を直撃しているのか。

いつもならこんなことないのに、なんで?

疑問が浮かぶが、寝起きの頭ではそれを処理することはできなかった。

日光から逃れるため、ベッドの上をもぞもぞとキャタピーのように移動する。

「んぅ~~っ…………んー?」

起き上がり、伸びをひとつして、それからあたしは小さく首を傾げた。

日光が当たっていたのは、あたしがいつも寝る方向でいうと足側だったのだ。

顔に当たっていたということは、反対に寝てたのか。でも、あたしはそんなに寝相は悪くない……。

昨日何かあったっけ? と思い出そうとして、あたしは気づいた。

「……あっ!」

昨日の記憶があるはずもないのだ。

何故なら――

(――そっか、あたし昨日あのまま寝ちゃったんだ)

そこから連鎖的に昨日のことを思い出しかけて、立ち上がることでなんとか思考をキャンセルする。

チラッと時計を確認し、もうしゃっきり目覚めた脳で次にやることを考える。

(とりあえず朝ごはん食べてー……割と時間あるなぁ。いいや、早めに行っちゃえ!)

ささっと方針を決めて、あたしは少し大股歩きで動き出した。





(そういえば、反対に寝てたってことは北枕になっちゃってたのかぁ。一応今日はちょっと気をつけなきゃね)


「おはよーございまーす!」

7時半、職場入り。

ジムが始まるのが9時からなのでいつもより30分ほど時間がある。

そう、一応あたしの仕事はジムトレーナーなのだ。

マーシュ様がジムリーダーのクノエジムで働いている……のだが、初めて話すと大体信じてもらえない。

すんなり分かってくれたのはイノリくらいだ。

「おはよ、キリカちゃん。早いわね」

「あ、おはようございますシオネさん! 暇だったので来ちゃいました」

紫を基調とした花柄の着物を身に纏い、ピンクの振袖をふわりと揺らしているのは、シオネさん。あたしの先輩だ。

「1日お休みは久しぶりだったけど、どうだった?」

「あー、まぁ色々ありましたけど……楽しかったです」

衝撃的過ぎて触れないわけには行かないけど、直接言うのは恥ずかしくて、結局ぼかしたような言葉になってしまった。

シオネさんがにっ、とからかうような笑みを浮かべる。

「お、色々って、彼氏とか?」

「ち、違いますよ!」

勢いよくあたしは首を振った。

左右に二つでまとめてあった自分の髪が、交互にあたしの顔を襲う。

「反応が図星にしか見えないよ?」

「本当に違います! 友達とデパート行ってただけですから!」

若干図星なのはもう仕方ないと割り切るしかない。

友達とデパートに行っていたのは事実だから問題はないはずだ。

「ふっふーん、この耳がそれは嘘だと言ってるぞ!」

突然、もぎゅっ、と耳が冷たいものに捕まった。

「か、カレン!? 別に嘘じゃないんだけど! っていうか冷たいから離して!」

突如後ろから襲撃してきたのは、カレン。あたしたちと同じくジムトレーナーだ。


あたしの視界の左右で白基調の、これまた振袖を揺らしてあたしを煽ってくる。

「別に私の手は冷たくないんだけどなー! なんで冷たく感じたんだろうなー! 不思議だなー!」

「なっ……ち、違うし! 走ってきたからちょっと暑いの!」

「ほんとかな~? ま、なんでもいいけどね。私には関係ないし」

やっと離れてくれたので振り返ると、カレンはにやにや意味ありげな笑みを浮かべていた。

うぅ、本当に何もないわけじゃないからすごく言いづらい……。

あたしが2人の対処に困っていると、ジムの奥から救世主が現れた。

「あら、今日は早くから賑やかじゃない。カレンも遅刻してないのね」

下からグラデーションになっている綺麗な青色を基調に、首元と帯に赤を入れている、これも振袖を着ているのはアサミさん。

シオネさんと同じく先輩だ。

「そ、それだと私がいつも遅刻してるみたいに聞こえますけど!?」

カレンが両手を異議ありとばかり挙げて抗議する。

「実際ほとんど毎日ギリギリじゃない。大遅刻は今まで一回もないからまだいいけどね」

「ずびしっ! ……よよよー」

しかし、涼しい笑顔で事実を突きつけられ、カレンはギャグ漫画のようにあたしの背中に倒れこんできた。

いや目の前から突きつけられたんだから倒れるの逆でしょ。


ともかく、アサミさんのおかげで話の標的があたしからカレンに移った。

これで当分ははぐらかせるだろうか。

ちなみに、なぜ全員が全員振袖を着ているかというと、その理由はジムリーダーであるマーシュ様にある。

振袖をカロスに広めた張本人なので既に有名かもしれないが、マーシュ様はジョウト地方出身なのだ。

そのジョウト地方にあった着物という服にカロスの洋服を混ぜてみた結果が今カロスにある振袖なんだとか。

マーシュ様がいなければカロスに振袖はなかった、と考えるとマーシュ様がいかにすごいかよく分かる。

ついでに言うと、あたしの振袖は黒生地に赤の帯。肩周りをズバッと切り取った大胆さがとても気に入っている。

貰った時は――もちろん今でもだけど――この振袖に見合う働きをしなきゃとすごく張り切ったものだ。

「おはようさん。楽しそうやね、何してはるん?」

噂をすれば(噂じゃないけど)本人の登場だ。

妖精をモチーフにしたという、ふわりとそよ風がなびくような柔らかい印象の衣装を揺らし、こちらへ歩いて来る。

「「「「おはようございます!」」」」

タイミングを合わせたわけではないが、自然とあたしたち4人の声が揃った。

「あら、今日はみんな、えらい気合い入ってはるなぁ~。そんで、ちょっとやることあるさかい、今日はジム早めに閉めるで?」

「どうしたんですか? やることって……」

「秘密や。楽しみにしとってえ」

何をするのかは分からないが、ジムを閉めてでもやることなんだし、きっと大事なことだろう。

それも、マーシュ様の笑顔から察するに、きっと楽しいことだ。

「「「「はい!」」」」

「そんじゃ、ちょっと早いけんど、ジム開けよか」

そんないつもより少し早く始まった1日は瞬く間に過ぎていき――


――いつもの終業時間より2時間早い、午後5時。

ジムの扉は固く閉じられ、シャッターが降ろされている。

邪魔者は入らない状態で、あたしたちがいるのはマーシュ様の部屋だった。

「ほな、今日のお楽しみ、行こか?」

「はい! 何をするのでしょう?」

アサミさんが聞くと、マーシュ様は上品に笑って、多くあるクローゼットのうち一つを自信満々に開いた。

「今日のメインイベントはなぁ、これや!」

漫画であればバーーーン!!! と集中線が入っていそうな具合の演出がされているその中身は。

黒と赤の二色マント、先端が折れ曲がったとんがり帽子、真っ黒なケープに包帯なんかも用意してある。

これは、もしかしなくても……。

「ハロウィン、ですか?」

「そうなんよ。もうすぐハロウィンやさかい、うちらも、1週間だけ仮装してなぁ、振袖じゃおまへん服でジムやろかと思たんよ」

確かに、振袖も半分コスプレみたいなものだからハロウィンバージョンにしても違和感はないかもしれない。

それにジムで仮装できるなんてとても楽しそう。

「どうや? ええアイデアとちゃう?」

「すごくいいと思います!」

「是非やりましょう!」

「チャレンジャーも楽しめるかもしれませんね!」

「振袖じゃない服にするんだんて、また大胆ですね。でもいいんじゃないでしょうか」

口々にマーシュ様の言葉を賞賛する。

もちろん持ち上げている訳ではなく、心の底から出たものだ。

「決まり、やね! ほな、うちは残りの仕事終わらせてくるかて、好きに着替えとってぇな。服の大きさでクローゼット別れとるさかい、ちゃんと見てーな?」

「はい!」

羽を模した飾りをふわりと揺らして、奥のワークデスクがある部屋に引っ込むマーシュ様を、あたしたちは笑顔で送り出した。


「ねぇねぇ、どうする~キリカー?」

カレンがいきなりあたしに飛びついてくる。

相当興奮しているらしい。

「まずはなにに仮装するのか決めないとダメよね」

「そうね。普通のお化けとかでもいいけど、ポケモンになってみようかしら?」

シオネさんたちは早速別のクローゼットを漁って楽しそうだ。

「えっと……とりあえず色々みよ!」

カレンに引っ張られて、あたしたちもクローゼットに飛び込んだ。


――までは良かったんだけど。

「うー、全然アイデア思いつかないよ」

「あたしもー……」

あたしもカレンも仮装に使えるようなお化けに関してはあんまり知識はないのだった。

この深刻な知識不足問題をどうすればいいのか……。

「ん~…………あっ!」

「どしたのキリカ?」

「あたし、その手の専門家みたいなの知ってるよ。呼んでもいいかな?」

脳内に浮かんだ人の顔を分かるように説明する。

瞬間、カレンの顔がぱぁっと輝いた。

「彼氏? ねぇ、彼氏!?」

「彼氏じゃないわ! そもそも女友達だし!」

「ちぇ、つまんないのー」

カレンは頬を膨らませるが、そんな表情をされてもあたしに彼氏なんていない。

――運命のヒトもイノリだったし、出来ないかも?

このままでは泥沼にハマってしまいそうだったので早めに思考を止め、あたしは電話を取り出した。

数少ない登録先一覧の一番上に表示されている番号にコールを出す。

プルルルr

『もしもし?』

ワンコールもせずに出た。やっぱり暇人だ。

「今暇だよね?」

『なによ、唐突に……暇といえば暇だけれど』

「じゃあ、ちょっとジム来てくれない? 頼みたいことあるの」

『今から? いいけど、めんどくさいわね……』

「そんなこと言わないでってー。割と大事なのだからさ、お願い!」

『別に、懇願しなくたって行くわよ。……準備するからもう切るわよ?」

「うん。じゃあ、すぐ後でね~」

ぷつっ、と音声が途切れる。

「来てくれるって?」

「うん。暇人だからね」

「やった! これでなんとかなりそうだね~」


ワープゾーンで裏玄関までひとっ飛びし、既に閉じてあるチャレンジャー用の扉の前に移動する。

恐らくイノリは裏玄関を知らないからだ。

待つこと5分ほどだろうか。

いつもの紫のゆったりした服をまとって、すぐにイノリは姿を現した。

「イノリー! こっち来て!」

「ん……分かったわ」

すたすたと、いつものマイペースな速度でイノリがこっちにやってくる。

しかし、近づくにつれはっきりと見えるその顔には少し元気がなかった。

なんというか、いつもに増してやつれている気がする。

「イノリ大丈夫? 体調悪そうだけど」

「え? そうかしら。体調はむしろいい方よ?」

「ほんとに? ならいいけどさ」

手招きして、イノリを裏玄関へと誘導する。

「……お邪魔、します」

「そうそう! これワープパネルだよ! 見たがってなかったっけ?」

瞬間、イノリの目がキランと光った。

それはもう、猛獣が自分の餌を見つけたかのようだ。

目の前からイノリが消える。

どこへ行ったかと思えば、地面に座り込んでワープパネルをぺたぺた触っているのだった。

「手だけ触れてもワープはしない……どうなってるのかしら。やっぱり分からないわね」

夢中と言う表現がこの上なく似合う様子でワープパネルの謎を探るイノリ。

お取り込み中申し訳ないが、カレンも待っているので早くしてもらわなければならない。

「あのー? 一応来てもらったのは用事あるんだけど……」

「あぁ、ごめんなさい。ついつい、ね。また後で見せてもらえるのかしら」

「ん、多分いいと思う。念のためマーシュさんの許可はとらないといけないけど」

「ありがとう。私も来たかいがあったわ」

「まだ用事済んでないのに満足しないでよ……」

いつものようにイノリにツッコみつつワープパネルに乗ろうと脚を出す。


――ぎゅっ、と背中全体が柔らかい温かさに包まれた。

「ひゃぁっ!?」

背筋がピクリと驚いて、脚が引っ込んだ。

「……別にそんなに驚かなくてもいいんじゃない?」

「驚くでしょ! と、突然抱きつかれたら!」

「ワープパネルなんて初めてだし、一緒に乗ってもらおうかと思ったのだけど。ダメ?」

あたしの振袖に顔を埋めるようにしてイノリが聞いてくる。

何故か、顔の内側から熱が噴き出してきた。

「っ……べ、別に、いいけど……」

何があったわけでもないのに、あたしの心臓はとても通常運転とは言えないハイペースで走り続けている。

イノリはただの友達……親友…………。

「キリカ、どうしたの?」

イノリの声で、はっと我に返る。

「い、行くよ。じゃあ、乗って」

2人一緒に片方の足を入れる。

「……まだワープしないのね。どうやって感知してるのかしら」

もう片方の足も同時にワープパネルにつける。

2人の全身がパネル内に入ったのを感知したワープパネルは2人一緒でも正常に作動して、あたし達の体をマーシュ様の部屋へ飛ばした。


ワープの光に包まれて真っ白だった視界が晴れると、3人が少しそわそわしながら待っているのが見えた。

あたしたちが現れた瞬間、3人は一斉に駆け寄って来る。

「こんばんはー! あなたが助っ人?」

「えぇ。まだ何をやるかも聞かされてないけれど」

「えぇ!? ちゃんといいなよキリカー!」

「言いそびれちゃったんだからしょうがないでしょ」

カレンに話の腰を折られてしまったので、あたしは一度咳払いを挟んで続けた。

「……紹介するね。この子はあたしの親友のイノリ。オカルト系が好きだから色々知ってるだろうなって思ってさ」

「私カレンね! よろしく! って、イノリって私どこかで……」

カレンがはたと首をかしげる。

カレンの言葉に、イノリも眉をひそめた。

「私を? ……私、一応ブロガーなのだけど、それで知ってるのかしら?」

「ブログ? まって、思い出す……あっ!」

珍しくカレンが何かを考え始めた。

しかも何か分かったとあれば、明日は雨かもしれない。

「私あれ見てるよ! ファンでっす! いぇーい!」

どうやらカレンはイノリのブログを見ていたらしい。

よほど嬉しかったのか、イノリの両手を取って、振り回すようにブンブンと上下に振り始める。

「わ、ちょ、ちょっと、あの……!」

「カレンー!! イノリに迷惑かけないの!」

「あ、ごめん。嬉しくてつい」

手を立てて軽く謝る仕草を見せるカレン。

若干困り顔だったイノリも毒気を抜かれたようだった。

「いえ、別に大丈夫だけど」

「って、こんなことやってる場合じゃないや。早く仮装教えて!」

「あの、引っ張らないで……!」

「だからカレン! イノリを引っ張り回すなー!」


クローゼットを物色しつつではあるが、しばらく経つともうあたしたちはいつものように雑談モードになっていた。

「そういえばイノリ、ブログに占いやるとか書いてあったよね」

「あ、昨日言ったのほんとにやってくれたの?」

「えぇ、まぁ。案外簡単に出来たわよ」

得意げに言って見せるその表情は、イノリにしてはかなり感情を表に出している方だ。

すぐに成功して、よっぽど嬉しかったのかな。

「出来たの!? すごいじゃん!」

「今ここでも出来るわよ?」

「ほんと!? やってやってー!」

あたしたちの催促を受けて、イノリは腰につけてあったボールからヒトモシを出した。

「もし? もっしー♪」

「わ、かっわいー! この子でどうするの?」

「あなたたちの生気を少し頂くわ。と言っても、一回や二回なら通常の生活には全く支障はない範囲よ」

一回や二回なら大丈夫、その言葉を聞いてあたしの脳内であることとあることが結びついた。

「……ねぇ、昨日何回それ練習してたの?」

「……十数回かしら。覚えてないけれど」

「やっぱり! イノリさ、昨日ご飯も食べずにそんなことやってたでしょ! いつもより顔死んでるし!」

びしぃっ、と指をさして、指摘する。

イノリは面倒臭そうに顔をしかめた。

「……別にいいじゃない。一食抜いたくらいで死なないわよ」

「そういう問題じゃない! ただでさえ不健康っぽそうなんだからさぁ」

「そう言われても……」


そんな具合にお互いに折れないまま言い争いを続けていると――

「なんか夫婦みたいだよねー。2人」

いきなり放られたカレン爆弾が、あたしたちをまとめて折ったのだった。

「な……なっ……!?」

「……別に夫婦みたいなことしていないと思うけれど……?」

不意打ちにあたしは思わず声が出なくなってしまったが、イノリが代わりに言い返した。

しかし、カレンはなおも食い下がる。

「えー、そうかなぁ。キリカのお節介な感じ、完全に新婚妻っぽかったと思うけど~?」

やっと復活したあたしも、急いで弁明を始める。

「カレンの目がおかしいだけだって」

「えー! 酷い! 私の目はおかしくないし!」

もー、私激おこなんですけど! とカレンが夫婦だのという話題を忘れたところで、

「そんなことより、占いやってみるの?」

イノリが無理やり話題を軌道修正。

完璧なコンビネーションだ。

「ん、やろやろー!」

「分かったわ。ヒトモシ、お願いできる?」

イノリに言われ、ヒトモシはもっしっ! と元気な返事を返した。

そして、とてて、とこちらに走り寄ってくる様子がまたとても可愛いのだ。

「じゃあ、始めるわよ」


占いは2人合わせても10分程度ですぐに済んでしまった。

ヒトモシが生気を吸い取って燃やした炎をイノリが読み取る、という簡単なものだったからだ。

「イノリすごいじゃん。様になってたよ」

「そうかしら。ありがとう」

褒められ慣れていないイノリは、髪で顔を隠すように顔をうつ向けた。

するとカレンが更に強烈に勧め始める。

「イノリもお店出せちゃうんじゃない?」

「流石にそこまでじゃないわよ」

「そんなことないって! 一回やってみなよ~」

「……ブログに載せてみようかしら」

褒めちぎられて流石に悪い気はしなかったのか、少しイノリがなびいた。

チャンスとばかりカレンが畳み掛ける。

「絶対いいよそれ! 場所とか決めてさ、人集めなよ!」

「分かったわ……。やるだけやってみる」

ついにイノリが折れた、というか乗せられた、というか、とにかくやる気になった。

ついにとは言ったものの、こんなに時間をかけずにイノリが納得したことはあまりない。

いつもあたしじゃあまり上手くいかないのに、今回はカレンの話術が巧みだったのだろうか。

――何故か。

本当に何故かは分からないけれど、胸の中にわだかまる気持ちは、「悔しさ」と表現するのが一番正しい気がした。


   占い屋開業  10月 24日 21:38
昨日言ってあったヒトモシ占いなのだけど、思った以上に調子が良かったわ。
そこで、知り合いから勧められたの。占い屋やればいいのに、ってね。
そんなわけで。
明日、フウジョタウンで一日だけ占いをやるの。
私の占いを受けたい暇人の方々は是非フウジョタウンのポケモンセンターまで来るといいわ。
もちろんお金を取るなんて無粋な真似はしないから安心してちょうだい。

今日は他に書くものもないわね。
開業なんて大げさだけど、占い屋の話が他の話で埋まるのも嫌だし、今日は少なめで終わることにするわ。
明日私と会う人は、また明日。


「……はわ、ふわぁ……」

突然襲ってきた眠気に、あたしは思わず伸びをしながら欠伸を出した。

仮装の準備から日付が一つ進んだ25日も、もう既に夜。

夕ご飯も、お風呂も終わってあとは寝るだけだ。

「――あ、そうだ」

ベッドにダイビーング! ……とする前に、一つやることがあるのだった。

あたしはさっき棚の上に放ったスマホを取り直して、電話をかけた。

あたしが持つ数少ない電話番号の中で、夜でも遠慮なくかけられるのは一つだけだ。

プルルr

『もしもし? どうしたの?』

やはりイノリはワンコールもしないうちに出た。

それも、昨日よりも少し早く。

「んあ、ちょっとねー♪」

『もう、どうしたのよ。片手でキーボード打つの、割と辛いのよ?」

言われてみれば、BGMのようにカタカタと音がしていた。

どうやらスマホ片手に通話しつつ、何やらパソコンに打ち込んでいるらしい。

仕方ない、さっさと要件を済ませないと。


「えっと、明日ね、マーシュ様が別の地方行ってるからジムお休みなんだよね」

『そうなの? 最近休みが多くて良かったわね』

「うん。ありがたいよね。それでさ、明日、イノリは暇?」

『ごめんなさい、私、明日もフウジョタウンに行くの。占いが結構好評だったから……』

「そっかー。イノリが人気者になるなんて、想像つかないな」

『何よ、日陰者で悪かったわね』

「そういう意味で言ったんじゃないよ! っていうかイノリの場合日陰者は単なる文字通りってだけじゃん」

『そうかしら。文字通りっていうのは確かにあるのだけど……。私、人を呪い殺す方法とか研究したことあるわよ?』

「え、聞いたことないんだけど? なんで急にそんな研究したの?」

『なんとなく、興味があっただけよ。実験台がいなくて机上論で終わってるしね』

「そ、そっか……よかった。あ、話し込んでごめんね! 珍しく忙しそうなのに」

「珍しく、は余計よ? それじゃ、おやすみ」

「おやすみー」

あたしが言い終わった瞬間、ぷつんと通信は途切れてしまった。

こんなに余裕がなさそうなイノリは初めてかもしれない。

いつもなら、暇を持て余しているのに。

もちろん、親友が認められるのはあたしとしてももちろん嬉しい。

だから、別に問題はないのだ。

(明日は家でダラーってしてればいっか)

方針とも言えないような計画を固めて、私はベッドにダイブした。

夜が冷える季節になって来ているのか、潜った布団はしばらくとても冷たかった。


  占い屋・初日   10月 25日 23:19
昨日も書いたけれど、今日は1日限定占い屋を開いたわ。
来てくれた人、今日はわざわざありがとう。
思ったより人が集まって本当に驚いたわ。
予想以上の量で少し疲れたわね……。
でも、楽しんでくれたようだし、悪いものでもないとも思ったの。
…………そういうわけで。
タイトルで薄々勘付いている人もいるかもしれないけれど、明日、もう一回やるわ。
時間は今日と同じよ。
今日来れなかった人、リピーターさん、誰でも歓迎だから、暇なら来てちょうだい。

それでは、おやすみなさい。
明日会う人は、また明日。


カレン「……うくっ……うあ、うぁああん……」

キリカ「カレン? どしたの?」

カレン「……ひくっ……っく……うえぇぅ……」

キリカ「……ねぇ、カレン? なんで泣いてるの?」

カレン「うぐっ……うぇぇ……」

キリカ「ねぇってば……」

カレン「うぇぇぇん……ふぇぇうぅ……」

キリカ「ねぇ、どうしたのってば!」

カレン「…………」

キリカ「…………」


突如、体が重みを感じ取った。

全身にびっちりとくっついた布団が、あたしをベッドに押し付けているような感覚。

ベッドに沈まされそうな、そんな重さ。

たまらずあたしは目を開けて飛び起きた。

布団がバサァッ、派手にめくれ上がる。

「…………」

独り言を呟くほど何かあったわけでもないので口には特に出さなかったが、その実脳はグルグルと思考を巡らせ続けていた。

――今のあの夢は、なんだったのか。

いつも夢なんて起きて5秒も経てば忘れていたのに。

そこで、あたしは考えるのをスッパリとやめた。

考えれば考えるほど謎が深くて、これ以上考えると何か別の深みにハマってしまいそうだったからだ。

簡単に言うと、訳が分からなかったから、となる。

思考を止めたついでに、体への指示も止めることにした。

重力に引っ張られ、あたしは手に持つ布団とともにベッドへ倒れ込んだ。


太陽が真っ赤な光を撒き散らして存在感を放ちながら、向こうの家の屋根へ沈んでいった。

太陽って日中は白だけど、夕焼けは赤だよね。……赤面してるみたい。とすると、太陽の恋人……やっぱ海かなぁ。

我ながら訳の分からない思考。

でもやめたところで何かする当てがあるわけでもないので、そのまま意味のない思考に身を任せる。

…………そんなことをしているうちに。

家が発するのは薄く赤いオーラだけ――太陽はすでに沈んでしまっていた。

あー、夕ご飯どうしようかなぁ。

そんなことを考えつつ、あたしはのそのそとベッドに戻った。

そうして、こう、布団をかぶってしまえば、要塞化完了だ。

……いつも夕ご飯作り始める時間までに、出られるかな。

はぁーー、と息を吐き出し、再び吸い込む。

肺に満たされる空気が冷え切っているのは、まだ時期じゃないからとエアコンをつけるのを我慢してしまったからだ。

別の言い方をすると、エアコンのリモコンを取りに動くのが面倒だった、とも言う。

もう一度、吐いて、大きく吸う。

酸素が脳に流れ込んでくるこの感じに、無駄に脳が活性化する。

雑念が浮かび始めるのが感じ取れる。

――はぁ……イノリと遊びたかったなー。

最初に浮かんだのは、それだった。

別になにをしようとか思ってたわけじゃないけど……むしろ何にもしなくてもいいかも。

……って、それじゃ今日の過ごし方と変わんないじゃん。でも、なんだろ……この感じ……。

モヤモヤと晴れない気分は、白、と言うよりは黒い霧。

自分の心なのに、真っ暗で何もわからない。

そんなことをぐるぐると考えているうちに、あたしの意識も徐々に暗闇へと沈んでいった。


  占い屋・2日目   10月 26日 23:34
宣言通り、2回目の開催よ。
初めての人も、2回目の人も、今日はありがとう。
小さく一回開催しただけだったのに、占い屋のことが広まっていて嬉しいわ。
というか、このブログが割と読んでもらえてることに気づいちゃったせいで、この文章も少し緊張気味だわ。
それでも、今まであまり表に出るようなことはしてこなかったけど、案外楽しいものね。
いくつか貰い物もしてしまったのだけど……そこまで私なんかにする必要はないわよ? もちろん、嬉しいは嬉しいけれど。
第3回はまた明日……と言いたいところだけど、ヒトモシを休ませてあげたいから一日お休みの予定よ。
金曜日にはやると思うから、またよろしくお願いするわ。


「ランプラー、火炎放射!」

女性トレーナーの指示で、ランプラーが体を回転させる。

発せられた燃え盛る炎は、フィールドを一直線に分断していく。

「右よ! 右に避けて、デデンネ!」

あたしが叫ぶと、デデンネはちょこまかと走り出す。

直後、デデンネがいた場所は真っ赤に焼き尽くされた。

しかし、一度避けてしまえば隙ができるためそこで攻撃できる。

このランプラーが体を回転させた後、若干左寄りに顔を向けることを見抜いていたあたしは、その死角を突きやすいようにデデンネを右に回らせたのだ。

「10万ボルト!」

デデンネは高く跳躍し、体を丸めて、頬袋から大量の電気を放出する。

その矛先である、ランプラーの頭部一点めがけて眩い光が空間を切り裂いた。

一瞬苦しんだランプラーだったが、しかしすぐに体勢を立て直されてしまう。

仕方のないことだ。デデンネは一発の威力よりは速さと手数で押すタイプだから、特に問題ではない。

実際、ランプラーにもダメージは確実に蓄積しているはずだ。

「ナイトヘッドよ」

少し冷静になった、相手の声。

その声に、あたしは一瞬心を奪われた。

もちろん、惚れたとかそういう意味ではなくて。

なんとなく、その落ち着いた声音がイノリのそれに似ている気がした。

……最近、イノリ忙しそうだよね。

しょうがないのは分かってるけど、それでも心のどこかで納得出来てない。


――占いなんてやめちゃえばいいのに……。

一瞬そんな思考が脳裏をよぎった。

その想いは、単なるあたしのわがままでしかない。

イノリが何かやる気になっているのは珍しいことだし、それが何回も開催できるほど有名になっているなら、誇らしいことだ。……その、はずだ。

だから、あたしも嬉しいはずなのに。

どす黒い嫌悪感があたしの心を覆い尽くす。

イノリへ申し訳ない気持ちと、自分の不満が激しくぶつかり合って、板挟みのあたしのメンタルを砕いていく。

どうすればいいのか分からなくて、どうしようもなくて、あたしはただただ立ち尽くす――

「でねんねーーーっ!」

聞こえたのは、デデンネの悲鳴。

それを聞いて、今はバトル中だったことを思い出す。

目はしっかり開いていたのに、脳は情報をシャットアウトしたみたいに周りを見るのを忘れていた。

ジムトレーナーだというのに、情けない。

――バトル中に何やってるんだあたしは! うー、デデンネ、ごめん!

尻尾に炎がついて慌て気味のデデンネだが、あたしの指示なしに1人で必死に攻撃を避けてくれていたらしい。

このナイスフォローのおかげで、バトルはまだ劣勢にはなっていない。

「デデンネ、尻尾を振り回して! 風で消せる?」

あたしの声を聞き取ったデデンネは、一瞬立ち止まって尻尾を水平に高速回転。

火を消し去って、ランプラーの次の攻撃をまた避ける。

「デデンネ、ごめんね! 反撃するよ!」

「んねねー!」と元気よく、デデンネはランプラーに向かって走り出した。


ランプラーとのバトルに辛くも勝利すると、あたしに声がかかった。

「キリカちゃーん、大丈夫ー?」

「あ、シオネさん。大丈夫、ってどういうことですか?」

自分でもなんとなく察しはつくが、一応聞いてみた。

「いや、なんかボーッとしてるところあったでしょ? どうしたのかなって」

やはりと言うか、当然というか、予想通りだった。

ちゃんと集中しなきゃな、と改めて反省して、「別に何もないですよ、大丈夫です!」と答えようと口を開く。

しかし、「あと……」と続いたシオネさんの言葉に阻まれる。

「そのボーッとしてた辺りで、ちょっと怖い顔してたけど」

「え……」

あたしの動きを止めたその感情は、何だったのだろうか。

驚愕? 狼狽? 困惑? 不安? どれも、少しずつ似ているけれど違う気がした。

「キリカちゃん、最近何かあった?」

続けて問われ、あたしはつい考え込んだ。

――なんかあったっけ? ……ううん、なにもない。

怖い顔……どんな顔だろ。嫌そうな顔とかかな……。

嫌なこと…………いや。それは――

「ほらまた怖い顔してるじゃない。ホントに、どうしたの?」

「えっ……あっ……?」

また、そんな顔をしていたらしい。自分では全然気付けないのに。

「よくわかんないけど、相談くらいなら乗るからね? いつでも頼って」

「は、はい……ありがとうございます」

にこりと淑やかに微笑んでシオネさんはクルリと向きを反転、優雅に去っていく。

その背中は、こんな表現はアレだけどとても頼り甲斐があった。

あんな先輩になれたらカッコいいよね~。


「……ん?」

何事だろうか。

シオネさんがいきなり慌てた顔でこちらへ走ってくるのだ。

「さ、最初の目的忘れてたよ~!」

……最後で台無しだぁ。

「あ、そういえば。なんであたしのとこにきてたんですか?」

「うんうん! えっとね、ジム今日も早めに切り上げるみたいだよって伝えにきたのよ。すっかり忘れてた。ごめんね」

「いえ、大丈夫です!」

忘れる原因を作ったのはあたしなので、謝られるとむしろ申し訳なかった。

今度こそ戻っていくシオネさんを見送りつつ、あたしは少し嬉しい気分になる。

正直今日はバトルにあまり集中できる気がしなかったので、とても好都合だ。

帰ってから何をしよう。時間が空いているだけで楽しくなるのはやっぱり子供でも大人でも変わらない。

そうだ、昨日行けてないし、イノリの家に行っちゃおう。

確か今日は普通に空いていたはず。

そうこう考えているうちに、次の挑戦者がワープパネルを踏んで来た。

今度こそ、バトルに集中しなくちゃ。


仕事が終わったあと、ダッシュであたしは家に帰った。

電話を手にとって掛ける先は、もちろんイノリ。

プルルr

『どうしたのよ?』

「んー、今から遊びに行こうかなって」

『私のところに? 別にいいけれど……』

「ほんと! じゃ、すぐ行くね! 切るよー」

『あっ、』

ぷつん。

行けるとなれば話は早い。

適当な私服をぱっと手にとって、急いで振袖から着替える。

携帯と鍵だけは手に持って、あとは特に持ち物もなし。

あたしはすぐさま家を出た。


イノリの家はとても近いので、暇になるとすぐに遊びに行けてとても便利だ。

ぴんぽーん、と案外普通なドアホンを鳴らすと、ドアの向こうで騒がしい音がした。

続いて、ガチャっ、ガチャリ、音が2回聞こえ、ドアが開かれる。

「……薄着ね」

「近いから大丈夫だよ」

「私が早く出なかったらどうするつもりよ。……入りましょう」

玄関をくぐって、いつものリビングへ。

あたしは中央に年中置かれているコタツへ潜り込んだ。

流石にまだ秋なのでコタツに電気は通っていなかった。

「中も普通に冷たいわね……」

反対側に入ったイノリも呻いた。

「もう少し入ってればあったかくなるんじゃない?」

さて何をしようか。特にやることもなく、見慣れた光景を改めて見回す。

一面に妖しげなグッズが並んでいる様子は、見慣れてなければ少し怖いだろう。

間違い探しのように何回も見ていると、その中にいつもは見ない物が置かれているのに気づいた。

「イノリー、あのカードっぽいのどうしたの?」

「タロットよ。占いをやろうって言われて一番最初に思いついたやつだったのだけど、あんまり上手くいかなかったから放置してあるわね」

……ん?

「占いって結構種類あるよね」

「そりゃそうよ。古代から行われてきたことだもの」

…………なんだろう。

「一番古いのとかって知ってたりする?」

「星の動きで、とかじゃなかったかしら」

…………やっぱり。


パソコンの操作音の合間に聞こえるイノリの声が、いつもより素っ気ない。

あたしの被害妄想かもしれないし、そもそも素っ気なかったからなんだという話ではある。

イノリはいつもあまり喋らない。

今までだってこんな感じにあたしが喋ってることが多かったし、特に変わっていない気もする。

それに、あたしたちはもう言葉遣いなんかいちいち気にしないくらいには心を許しあっている。

だから、これはごくごく自然なこと。

……けれど、一度疑問を感じてしまうとその悩みの種は解決されるまでじっと心に居座り続けていた。

「…………んぅ~~」

あたしは腕を組んで天板に突っ伏した。

「どうかしたの?」

「ん、別に、何も……暇だなって」

「じゃあ何しに来たのよ……って目的は特にないんでしょうけど」

突っ伏したまま見上げると、正面のイノリの顔は、ノートパソコンが大きいのと猫背気味なのとで完全に隠れてしまっている。

なんとなくコタツの中の足をバタバタと動かしてみた。

が、いつもはあるはずのイノリの足には当たらない。

こうなれば、最終手段。

あたしは寒いのを承知でコタツから脚を引き抜いた。

行く先は、もちろんイノリの隣。

少しスペースは狭かったが、無理やり体をねじ込んだ。

「いきなりどうしたのよ……狭いじゃない」

「まぁまぁ。いいじゃん♪」

打鍵音がさっきから多いと思ってはいたが、ブログの更新中だったらしい。

閃き躍る指に合わせて、画面に次々と文字が入力されていく。


……と思うと、パソコンは入力画面からブラウザの画面に切り替わってしまった。

「あ、なんで変えちゃうの?」

「……見られるの、少し恥ずかしいじゃない」

「でもあたしいっつも見てるよ?」

「書いてるすぐ横で見られるとまた違うじゃない!」

「ん、それはなんとなくわかるかも……」

再びコタツから出て立ち上がるあたし。

行く先は、玄関だ。

「あら、もう帰るの? まだ何もしてないじゃない」

「ん、ちょっとやること思い出したから」

急に思い出せるようなやることなんて、そんなに都合よくあるわけがない。

あるのは、あたしがここにいてもイノリには邪魔なだけ、という状況。

「……そう。なら仕方ないわね。またいつでも来て」

もしかしたら引き止められるかも、なんてただの都合のいい妄想。

「うん、じゃあね」

それだけ返事をして、あたしは足早にイノリの家を出た。


「はぁ……」

ついたため息は、すぐ目の前の枕に吸収されて響きもしない。

あたしは今ベッドの上、着替えもせずに寝転がっている。

着替えるのすら面倒なくらい、あたしは気力を失っていた。

「…………はぁ」

再度のため息。

その度に体の熱が逃げて行く気がした。

気だるい腕を動かして周囲をまさぐり、布団を引き寄せる。

「……寒」

布団をかぶっても、口に出してみても、やはり寒いのは変わらなかった。

――邪魔だったの、今回だけ? …………もしかしたら、今週ずっと、そうなのかな。

あたし、悪いことしたっけ? どうなんだろ……。多分、してないと思うんだけど。

今までもこんな感じだったけど……急に嫌になった、とか? ……ないない。

でも、やっぱりちょっとおかしいよね。

…………日曜日に親友がどうとか言ったばっかりだったと思うけど。

ぐちぐちと考え始めると、思考は堂々巡りのるてんのわだち。

そんな状況を作った原因は、この正体不明のモヤモヤ感。

疎外感、のような気もするし、やるせないような気もするし、心細い感じでもある気がする。

自分でも、わけがわからない。

辛うじて認識できるのは、あまりいい方面の感情ではない、ということ。

こんなあたしがいて、イノリもさぞ迷惑だろう。

――胸の深いところが、ぎゅっと締め付けられるように苦しくなる。

それを放置したまま延々と意味もなく思考をさまよわせているうちに、いつのまにかあたしのまぶたは閉じていたのだった。


  自分を占う   10月 27日 21:52
昨日、一昨日の二日間で何回か聞かれたことなのだけど。
今日は自分を占うことはしないのか、ということについて書こうかしら。
私もその手のブログだのインタビューだのは漁っているから、絶対にダメだっていう人の意見から積極的にやれっていう意見まで、一応知ってはいるわ。その上で、私の意見は「あまりやらない」よ。
理由はひとつだけ、「未来は知らないほうが楽しいから」。未来なんて知っても、機械的に最善は目指せるかもしれないけれど、楽しくなんてないと思うわ。

突然だけど、やっぱり外に出ないっていいわね。
一日中外にいるっていうだけでほとんどないのにそれが一週間に3回もあると、改めて思わざるを得ないわ。
それはそうとして。
ヒトモシも元気になったみたいだから、明日もフウジョタウンで占いをやるわ。
外出したくないなんて話をした直後に矛盾しているかもしれないけれど、大丈夫。
明日やったら、あとは週一回とかそのくらいのペースにする予定よ。


「マリルリ、じゃれつく!」

マリルリはすでに息を荒げながらも、一瞬で目の前のスターミーとの距離を縮める。

その青い手がスターミーに降りかかる直前。

スターミーはするりとマリルリの脇を抜けてしまう。

「っ……また外しかぁ……」

バトルを始めた時の、実に6分の1かもっと小さいくらいの大きさまで縮小したスターミー。

スルスルと避けられて、さっきからなかなか技が当たらないのだ。

「スターミー、熱湯」

スターミーが中央のコアからモウモウと蒸気を発する液体を発射した。

技を出した直後のマリルリに、それを避ける術はない。

ここまでの持久戦でいい加減消耗していたマリルリは、遂にダウンしてしまった。

試合終了、あたしの負けだ。

まずはマリルリへモンスターボールをかざし、マリルリをボールの中へ戻す。

「……マリルリ、お疲れ様」

ボールをひとなで、労った。

「……お強いですね! では次のワープゾーンへどうぞ!」

進んでくる青年に道を譲ると、無口な人なのか、青年は軽く腕を上げるだけで横を通り過ぎていった。

「…………っ」

1人になったフィールド。

その中央であたしは一瞬手にあるボールを叩きつけたい衝動に駆られた。

もちろん理性が押さえ込んでくれはしたが、それでもトレーナーとしてあるまじき考えだ。

元から内側にくすぶっていた苛立ちが、自罰的な感情も加わって更に燃え盛る。


「キリカ、だいじょぶ?」

不意打ちで背中を触れられ、あたしは弾かれるように飛びすさる。

「わっ……って、カレンかぁ」

「人の顔見て残念そうに! ひどくない!?」

ぷくぷく怒るカレンの肩をおどけるようにぽんぽん叩く。

「残念そうになんかしてないよ~。それで、どうしたの?」

「ん、ペロリーム回復するついでに通って見ただけ。一緒に行こ~」

回復装置を目指して、カレンとあたしは並んで部屋を出る。

本来は急いで戻らなければいけないのだが、今はあまり急ぐ気分にはなれなかった。

話すタネもなかったので、さっきのバトルについて話題を振ってみる。

「ね、さっきのバトルどこから見てた?」

「えっと、スターミーがめいっぱいまで小さくなったとこあたりかな」

「結構見てるね……サボってていいの?」

「いーのいーの。それより、さっきのバトルがどしたの?」

「いや、あのバトル……酷くない?」

「酷い?」

いつもは頼んでもないのに察するカレンだが、肝心な時に察しが悪い。

「小さくなって避け続けるとかただの運じゃない。なんていうか、実力以外で勝ってない?」

カレンは「んん~~……」と眉をひそめる。

「……私はそれ違うと思うな」

まさか否定されるとは思ってもみなかった。


無意識のうちに、少し語勢が強くなる。

「えっ……な、なんで!? だって、どんな相手にも同じことするだけって実力じゃなくない!?」

「う~ん……でも、同じことって言っても実際は毎回ちょっとずつ違うんじゃないかなぁ。それを擦り合わせて同じ行動を取ることが出来るっていうのは実力だと思うんだけど」

「小さくなって技打つだけでしょ? 同じじゃん! それに、試合長引かせるのはマナー違反だよ!」

「う、確かにマナー違反かも。……でも、バトルで勝ちたいっていうのは普通だから少しはしょうがないよ」

「……そんなに言うならカレンも戦ってみればいいじゃん! どうせ経験しなきゃ分かんないんでしょ!!」

一向に分かってくれないカレンに痺れを切らし、あたしはとうとう怒鳴ってしまった。

「うあぅ……ご、ごめん……」

カレンはあたしから目線を外し、俯いた。

はっ、と我に返ったところで、苛立ちに任せてカレンに言葉をぶつけた過去は戻らない。

カレンの前髪の間から見える眉は思いっきりハの字で、困惑しているのが見て取れる。

それが、更にあたしの罪悪感を大きく育てていく。

「……ご、ごめんね?」

「なんでカレンが謝るの……。カレンは合ってること言ってたのに、あたし、どなっちゃった。ほんとに、ごめん……」

「ううん、キリカが言ってたことも、あれがイライラするのも分かるもん」

――あたしのイライラは、カレンには分からない。

一瞬、そんなことを思った。

なんで思ったのかも分からないし、そもそもあたしが謝ってるのをカバーしてくれてるのにそんなことを思うなんて、最低だ。

「……ごめん、カレン」

「べつに、謝んなくても大丈夫だいじょーぶ! イライラするの普通だって!」

二重の意味を、カレンは分かっているのだろうか。

分かっていないならいいけれど、分かっていてそれでもこんなに優しくしてくれているのだとしたら、あたしはもう、申し開きできない。

「ほら、早くポケモン回復しにいこ!」

「わ、待ってよ~!」

無理やり腕を引っ張られて、あたしはそれ以上考える間も無く部屋を飛び出した。


玄関を開け、家の中に入って、扉を閉める。

たったそれだけのことが、ひどく億劫だった。

バッグを定位置に掛け、あたしはそのまま靴も脱がずに玄関マットに倒れ込む。

あの後、カレンのおかげで一時の苛立ちは治ったものの、結局一日中イライラしながら過ごしていた。

いつもならなんでもないようなちょっとしたことが、いちいち目についてしまうのだ。

別にその日というわけでもないし、理由が分からない。

「……あ、そうだ」

ふと思い立って、あたしは倒れた状態のままバッグへと手を伸ばした。

バッグハンガーに掛かって浮いていて、ギリギリ距離が足りないのを、無理やり手を伸ばして取った瞬間。

「わ、うわぁっ!」

ガッシャーン、と金属質の騒々しい音を立てて、バッグハンガーは倒れてしまう。

不安定な格好が原因で、バッグ自体を引っ張ってしまったのだから、ヒモが掛かっているバッグハンガーも一緒に倒れて当然だ。

慌てて飛び起き、バッグハンガーを立て直す。

あたしにぶつからなかったのは幸いだが、結局起き上がっているなら最初から起き上がっていれば良かった。

はぁ……、とため息を吐きつつ、携帯を起動する。

片手で着替えを持ちつつたたたっ、と指を滑らせ、かける先はやっぱり一つだけ。

プルr

『もしもし? 何か用かしら』

「ん、そっち行ってもいい?」

『……ごめんなさい。準備で忙しいものだから。明日の夜なら大丈夫なのだけれど』

「……わかった。おやすみ」

『おやすみなs

ぷーっ、ぷーっ、ぷーっ……。

うるさく通話が切れた音を鳴らす携帯を半ば投げ捨てるように机に置いた。

服を脱いで片付けるところまではしっかりと、しかしその後は自分自身を乱暴に、下着一式だけをまとった体をベッドに放り込む。


「……いつでも来てって、言ってたのに」

最初の呟きは、突っ伏した枕に吸収されてほとんど聞こえなかった。

「……ずるいじゃん……うそつき……っ!」

つ、の部分が鋭く響いて耳朶をえぐった。

「ひどいよ……自己中、ひとでなし……ッ!」

それは、大がついてもおかしくない親友への、初めての罵倒の言葉。

そんな言葉が出てきたことに、自分でも驚いた。

今あたしはものすごく腹が立っているんだ、とそう気づいた。

初めての、イノリへの怒り。

それは、制御もされずにどんどん暴走していく。

「……そもそも、おかしいじゃんッ! カレンがちょっと言っただけのこと、真に受けてさ! いっつもあたしの話は聞いてるか聞いてないかもわかんないのに…………暇人のくせに、忙しいなんて言って……ッ! 遊んでるだけじゃんッ!!!」

憤りが抑え切れなくなって、あたしはそばにあった布団を羽交い締めするように、二本の腕で思いっきり締め付ける。

ギュウウウッ、と目一杯の力を込めて、それから疲れて一気に脱力する。

「…………はぁ……」

いくつもの恨み言がグルグルと頭の中を巡る。

それらはあたしのの心という鍋に投入されて、グツグツと、まるで魔女が作っている毒薬のように煮られるのだ。

毒薬の異臭が部屋に充満するみたいに、あたしの心からはどんどん黒くて赤い感情が湧き出してくる。

モワモワと真っ赤な霧が、あたしの本心を隠して惑わせる。

「……っ……ッ……!」

うつ伏せになって枕に顔を押し付けて、両方の拳を痛いほどに握りしめる。

本当は八つ当たりでもなんでもしたい気分だったが、それだけは最後の理性がとどめてくれた。


ひゅおお、と窓の小さな隙間から風が鳴った。

不意にあたしの剥き出しのお腹や脚が冷気に撫でられる。

「さ、寒……」

そそくさと布団をかぶる。

……が、その布団さえもまだあたしの体温は伝わっていなくて、やっぱり冷たかった。

枕にあごを乗せて、目をつむる。

すると、ジワジワとまぶたの裏が熱を帯び始めた。

その熱はどんどん溢れて、目の外にまで飛び出した。

つー、と頬を雫がたどるのが、くすぐったくて不快だった。

顔を乱暴に枕へ擦り付けて、無理やりに涙を拭い取る。

がしがしとまぶたが摩擦で痛くなるくらいに激しく枕に頭を擦り付け、やっと涙が止まる。

怒って、泣いて、それすらも無くなって、残っているのは胸が焼けただれているような、やるせない気持ちだけ。

もう考えるのも嫌になって、あたしは冷たい枕に再び顔をうずめた。


  無題   10月28日 23:49
やっぱり外出は毒ね。何故って、疲れるもの。
私の疲労具合から見ても、精神的にすごく悪いわ。
タイトルを考えるも億劫だったから、今日は無題で勘弁してちょうだい。

それはそうと、ここ一週間はなるべく多めに占いをやってみたわ。どうだったかしら。
これからは週に1回くらいの定期イベントになると思うから、もし来てくれる方がいるのだとしたら、よろしくお願いするわ。

調べ物をしていたせいで日付変更ギリギリになってしまったけれど、セーフね。
あまり長く書いていると0時になってしまうから、今日は少なめよ。


高く澄んだヤヤコマの鳴き声が聞こえた。

数秒してやっと自分が起きたのだと自覚し、目を開く。

太陽は秋にしてはこれでもかと眩しく暖かい光を部屋に投げ込んでいる。

絵に描いたような、理想的な気持ちの良い朝だ。

鳥ポケモンたちと太陽の活気溢れる様子に、あたしは密かにげんなりとする。

両頬には一筋ずつ、涙がそのまま乾いた時の、こびりつくような感触が残っていた。

お腹も減っていないし、と二度寝しようとしたあたしの体を、携帯の通知音がうるさく鳴って引き止めた。

動くのが面倒臭い気持ちと寝させて欲しくて苛立つ気持ちの負の感情だけが混ぜ合わさって、眉間が歪んだ。

それでも、返信しないわけにはいかないので携帯を手に取った。

「……ぁ……なっ……!?」

一瞬、何が書いてあるのか、脳が理解するのを拒んだ。

何度瞬きして目を疑って見ても、目の前の文字列は変化しない。

――いつでも来てとは言ったけれど、ごめんなさい。今日は無理なの。明日は一日空けておくから……。

たった2文の、短い言葉だった。

しかし、そのたった2文で怒りが鬱積したあたしの心の風船は勢いよく爆発した。

内からマグマのように熱い怒りが噴火して、全身の神経を真っ赤に焼き、心をススで覆っていく。

八つ当たりの代わりに、思いっきり自分の頭をかきむしっても、今回ばかりはその程度で収まる怒りではなかった。

「……イノリ、めぇ……ッ!!」

ひっくり返しかねない勢いでタンスを開けて、考える間も無くサッと直感で服を取り、着替える。

幸い元から下着しか着ていなかったので脱ぐ手間はない。

外に出られる状態になったあたしは、全てを忘れて家を飛び出した。


走って、走って、走って。

全速力で走り続けたせいで脚も肺も既に限界が近づく中、イノリの家が視界に現れる。

理性の制動も無視して、あたしはより一層加速した。

家の目の前につくと、あたしは2回に分けてスピードを落とした。

ドアホンを押して、出るまで待って……、これからの行動を考えながら、玄関を視界に入れた時だった。

「……ぁ」

「っ!? ……な、なんで……」

お互い呟く声は、葉っぱから落ちる水の雫のように静かで小さい。

イノリは一瞬目を見開いて、するりとあたしから目線を逃す。

あたしの方を見つつも、微妙にあたしの顔は見ていない。そんな行動を取りながら、イノリは絞り出すようにまた言葉をこぼした。

「……今日は、空いてないって、言ったじゃない。なんで……来たのよ?」

ちくり、と胸の奥が痛んだ

……やっぱり、来て欲しくなかったのかな。

そう思うと余計に辛くなった。

だから。

「だって、イノリ……いつでも来ていいって。言ったじゃん!」

だから、あたしは八つ当たりするようにイノリに怒鳴りつけた。

「それはそうだけれど……でも断りは入れたじゃない。別に忘れたわけじゃないわよ」

「昨日の夜だって、来るなって……」

「それも今日と同じ用件なの。これだけは許してちょうだい」

少しイノリの語気は強かった。

いきなり怒鳴られれば誰だって苛立ちはするだろうのに、今のあたしにはそれを考える心の余裕がなかった。

深く考えることもせず、思ったことの全てをぶちまけてしまう。

「やだ! イノリの嘘つきッ! この前の日曜日は親友とか言ってたのにさ、なんか突然忙しそうにしちゃうしさ……! そもそも占いのお店出してみてって言ったの、カレンじゃん! そっちばっか話聞いて、あたしのこと無視してて!」

「…………」

目の前がぐにゃりと歪んで、視界全体が薄く光り始める。

そして、両頬を一筋ずつ、熱いものがなぞっていった。

「あたし何かした!? してなかったなら、なんで無視するの!!? こんなの、おかしいじゃん……ッ!」

「…………っ」

瞬きをするたびに、感情の塊が溢れて伝う。

2滴、3滴、とあたしの服に落ちて、シミが作られる。

「電話したの、ほとんど全部断ってさ……行った時もずっとパソコン打ってるし、なんか見せてくれないし……あたしのこと嫌いになったなら、言ってくれれば、別に、それでも……さ……」

「…………っく」

滂沱と流れる涙に押し流され、あたしの言葉はフェードアウトしていった。

イノリの表情が一瞬だけ、本当に一瞬だけくしゃりと歪む。

動揺しているその目はうろうろと泳ぎ回った後、あたしの後ろに当てられた。

「……とりあえず、家の中に入ってもらえるかしら?」

イノリは通行人の目を気にしているらしい。

なおも勝手に溢れ出す涙を手の甲で拭って、あたしは頷いた。


一昨日と同じこたつの、同じ場所にあたしは座っていた。

薄着で出てきてしまったせいで冷え切っていた体は、こたつが発する熱と、横に並んでくっついてくるイノリにもらった熱で十分に温まっている。

しかし、イノリがくれるのは熱だけで、言葉はまだ発せられていない。

藍色がかかった黒の瞳は、底がないみたいに光を吸収して、相変わらず何を考えているのかさっぱり分からなかった。

話題がつかめないせいで、居心地の悪い無言の空間が抜け出せない。

……いや、それは言い訳にも過ぎない。現実から目をそらしているだけ。

少し頭が冷えたせいで、怒鳴りつけたことも、その内容も幼稚で身勝手極まりないことを今のあたしはもう認識しているのだ。

謝らなきゃいけないのは分かっていても、なかなか言い出せなかった。

話題を探して見たものの、他に思いつかなくてあたしはついに口を開いた。

「……イノリ」「……ねぇ」

「「あっ……」」

タイミングが悪いのか、息が合いすぎなのか、同時に喋りかけてしまった。

とりあえず、先を譲って置く。

「ご、ごめん。イノリ先に言って」

「わかった。……その、ごめんなさい」

イノリはあたしのすぐ真横で、呟くように一言そう言った。

吐息が頬をかすめる。

あたしの心臓が熱くなった理由は、分からない。

「な、なんでイノリが謝るの? ……自分勝手なことばっか言ってるのはあたしなのに」

「なんでも何も、悪かったのは私じゃない。親友だからって適当にしていていいわけがないって考えられなかったんだもの」

「し、しんゆっ……えと、ありがと……」

改めてそんな言葉にされると、なんとも言えない照れ臭さであたしは身悶えした。

「でも、私もキリカのこと考えてなかった訳じゃないわよ?」

「んー? どういうこと?」

「一昨日ここから出て行っちゃった時、忙しくしてる私を邪魔しないように帰ったのかと思って、ちょっと申し訳なかったから。昨日調べてたのも、さっき行こうとしてたのも、お詫びにお菓子でも買ってあげようかって考えてたのよ」

「え……それほんとに?」

だとしたら、余計にあたしのほうがバカだったことになってしまう。

イノリはちゃんとあたしのことも考えていたのに、あたしは自分のことしか考えてなくて勝手に被害妄想して逆上していたなんて、どう考えてもあたしが悪い。

「もちろんよ。パソコンの履歴見せてあげましょうか?」

「いや、それはいらないけど……あたしの方こそ、ごめん」

「別にいいわよ。それより、キリカが今来ちゃったせいで私まだお菓子買いに行けてないけど、いいの?」

「お菓子で釣ろうとしたってそうはいかないよ?」

「……ごめんなさい。そんな意図じゃなかったのだけれど」

「わ、冗談だってば!」

割と本気で謝ろうとしているイノリを、慌ててたしなめる。

ギュッといつも通りイノリの腕に抱きついて。

「そ、そう……よかった」

「あ、でもお菓子はいらないよ? そんなんなくてもイノリのこと好きだし」

「…………そう」

イノリはあたしと反対の方向を向いて、短く呟いた。


その後、せっかくだから何かやろうという話にはなったのだが、コタツに入ってやることなんて一つしかない。

パソコンだの携帯だのテレビだのを見ながら無為にグダグダし続けて、時刻は14時頃。

今はテレビの番組表を眺めていてたまたま発見したアニメを鑑賞中だ。

テレビの画面は、学校の校舎裏に制服姿で立つ青年と少女を映し出していた。



『……先輩! あの、県外の高校に行くために引っ越すって、本当なんですか?』

『情報、早いんだね。本当だよ」

微笑みを浮かべる青年に、ついに少女が切り出した。

『……あのっ、その……今更こんなこと言われても困るかもしれないんですけど…………わ、わたし、先輩のことが好きですっ!』

青年はその言葉を、変わらない微笑みで受け止める。

『ありがとう。すごく嬉しいよ』

『ほ、ほんとですか!? じゃ、じゃあ……』

ばっ、と顔を上げる少女の姿が映し出され――しかしすぐに目の部分を髪に隠して暗くした青年の顔がローアングルで現れる。

『でも、この後はどうするつもり? 俺はすぐにこの街から出てっちゃって、そうしたら、離れ離れ』

『そ、それは……』

『遠距離恋愛、なんてそうそう上手く続くもんじゃないしね』

『……っぅ…………』

少女は涙を目に溜めて俯く。

その時、青年がサッと顔を上げた。

『だから、君に2つ選択肢をあげるよ。1つは、君が何かしらちゃんと別の理由を作って、俺を追いかけてくること。もう一つは――』

青年が少女の頬へ手を伸ばした。

優しく一撫でしてその手は下がっていき、少女の顎にあてがわれる。

クッ、と少女の顔が無理やりに上を向かされた。

頬を赤らめる少女にゆっくりと青年の顔が近づいて――

画面が暗転する。


そんな中、声だけがテレビのスピーカーから流れ出す。

『君が、全力で俺を引き止めること。…………俺も、君が好きなんだ』


「……ふあ~……」

大きな欠伸が出て、視界に涙がにじんだ。

さっきから感情移入しながら見てしまっていたせいで、気分は空中に浮かんでいるようにふわふわと安定しない。

無性に何かを抱きしめたくなって、手近にあったイノリの腕に寄りかかるようにして抱きついた。

「ちょっと、周りにクッションがないからって私に顔を埋められても、困るじゃない」

イノリは少し怒ったようにあたしの名前を呼びながら、顎を押し上げ無理やりあたしの顔を上げさせた。

明るくなった視界のすぐ先には、イノリの素材はとても整っている顔。

――って、この格好、さっきやってたシーンにそっくり……?

「何よ、キリカ……顔真っ赤じゃない。熱でもあるの? はベタすぎるわね。流石にそれは――」

ふと、イノリの言葉が途切れる。

「んー……どしたの?」

「あなた、ちょっと震えてるじゃない! 本当に熱あるんじゃないでしょうね」

「うー……? あ……」

指摘されてやっと自分の状況に気がついた。

こたつのおかげで寒さが緩和されて分からなかったが、体の芯が少し震えているような、そんな感覚が確かにある。

とはいえ、ほかは異変らしい異変もなく元気だ。

「私のベッド使っていいから、寝てなさいよ」

「大丈夫だよ~。体調悪いわけじゃないし、市販薬飲んでれば治るって」

「もしかしたら微熱かもしれないけど、熱出してるのは立派な体調不良よ?」

「えー、でもこれまだ見途中じゃん」

「パソコンでも見られるから寝てても見られるわよ」

「わかったよ……」

イノリの猛攻に押し切られて、あたしは渋々イノリのベッドまで歩いて倒れこんだ。


天井を見上げて、ぼーっとする頭でどうでもいい思考を彷徨わせる。

パソコンで~、なんて言っておきながら、結局イノリは何もせずに部屋から出て行ったので暇なのだ。

(……あ、そういえばイノリどこにいるんだろ。家の中にいるのは知ってるけど)

耳をすませてみたところで、イヤホン難聴が進みつつある耳では小さい音なんて聞こえない。

仕方なしに、あたしは隠れるように布団の中に鼻まで潜った。

ふわり、と布団が花の蜜のような香りを撒いた。

イノリの髪と同じ、とても落ち着いてリラックスできる香り。

おしゃれとか全く興味がないくせに、こういうところは意外ときっちりやっていて驚くことが多々ある。

「……はぁ~」

思わず気が抜けて、だんだん意識に靄がかかり始める。

無意識のうちに、あたしは布団の下に入っていた二つ目の布団を抱きしめた。

もやが濃くなってきてだんだんとまぶたが下降してきた、ちょうどその時。

「キリカ、大丈夫? まだあまり調子が悪そうでもなかったから、普通のご飯にしちゃったけれど……」

「ふや? ……あ、うん! 大丈夫大丈夫! 食べる食べる!」

若干寝ぼけかけていたせいで変な声が出てしまったが、あまり気にはしない。

ご飯が置いてあるコタツまで歩こうとベッドからのそのそ這い出る。

一瞬頭がフラッとして、自分の体調の悪さを自覚せざるを得なかった。


あまり食欲も湧いてこなくて、ちょぼちょぼと少しずつ食べ進める。

すると、見かねた様子でイノリがこちらを見た。

「あなた、昨日何か風邪を引くようなことしたの?」

「え、特に何も…………あ」

一瞬思いつかなかったが。そういえば思いっきり風邪を引きそうなことをしたのだった。

「ちょっと着替えるの面倒で、服着ないで寝たかも」

「絶対にそれが原因じゃない! 何してるのよ」

イノリが身を乗り出してこちらに顔を突き出してくる。

「うー、そんなこと言われても」

すん、と鼻をすすりつつ答えると、イノリは更に口調を鋭くした。

「キリカはそういうところ頭が回らなすぎなのよ。あんまり心配させないでちょうだい……」

眉間を押さえてやれやれとイノリは首を振る。

そんな様子を見て、風邪気味であまり頭が回っていない(あくまで風邪気味で!)あたしは思ったことをそのまま口に出した。

「……ふふ、イノリ、優しいよね」

「な、なによ……嫌だった?」

「そんなわけないじゃん。逆逆。そういうとこ、好きなんだよね~」

「……そう。ありがとう」

困るとすぐに前髪で目を隠すみたいに横下を向いて、「そう」と素っ気なさをアピールしようとするイノリも、もちろん嫌いじゃない。

イノリには悪いけど、とても微笑ましかった。


頭がふわふわと浮ついて、思考もおぼつかない。

まとめようとする側から散っていく思考を無理やりかき集め、あたしは今の状況を整理した。

――外、暗いじゃん。さっきまで昼じゃなかったっけ? ……寝ちゃったのかな。

記憶は、昼ごはんを食べ終わって、ベッドからイノリのパソコンでアニメの続きを見ていたところで途切れている。

イノリがコタツをベッド前まで引っ張ってきてパソコンでアニメを見ようとしたから、コタツって案外軽いんだなと思ったところまでは鮮明なのだが。

記憶にある状況と変わらず点いているパソコンの画面の端には20:21、と端的なデジタル時計が表示されていた。

うわぁ、結構寝ちゃったなぁ。夜寝れるといいけど。

とその時、不意に喉の奥がむず痒くなってきた。

粉を気管支に吸ってしまった時のような不快感に、反射的にあたしは咳き込んでしまう。

それを聞いてパソコンを眺めていたイノリが振り返った。

「起きたの。よく寝てたじゃない」

ふふっ、とイノリの微笑みは、やっぱり下手っぴで少し不気味のまま。

「うん……うぅ、鼻詰まってるや」

喉から出た自分の声はくぐもった鼻声だ。

息苦しいが、面倒な鼻水があんまりないのは救いかもしれない。

起き上がると、じーっ、とイノリがこちらを見ていた。

「……ど、どしたの? あたしの顔なんか変になってる?」

「そんなことはないわ。いつも通り可愛い顔」

「か、かわっ!?」

不意に、詰まった鼻とは別で息が苦しくなる。

肺が絞られるような、そんな感覚にあたしの息は知らず速くなる。


「な、何照れてるのよ。ちょっと言ってみたかっただけだから気にしないで」

「そ、そっか……びっくりした」

びっくりしたのは、イノリが突然変なことを言い出したからではない。

いや、もちろんそれも驚きはしたが、何より自分の反応にあたしは驚いているのだった。

だって、まるでこれでは彼氏に可愛いと言われて赤面する純情な女の子みたいだ。

「……あ、じゃあついでにアレもやってみようかしら」

「え、なになに?」

「……寝顔も可愛かったわよ? 子供みたいで、すごく気持ち良さそうだった」

「っっ~~~……!!?」

きゅうう、と心臓から、肺までもが真綿で締め付けられるように苦しくなる。

全身が布団で篭った熱に包まれ、上半身全体が心臓になったかのように脈打ち始める。

如何ともしがたい恥ずかしさに襲われて、あたしは手のひらで自分の顔を覆った。

顔が真っ赤になっていることは、手のひらに伝わる熱さからも明白だった。

「じょ、冗談よ? 分かってる?」

ちら、と指の間から覗いたイノリは慌てるようにあたしに目を向けた。

「わ、分かってるよ! よくもそんな恥ずかしいセリフ言えるよね……!」

「っ……う、うるさいわね! ちょっとした思いつきなだけなんだから、気にしないでちょうだい……」

あたしたちは2人揃って、暗い空を切り取る外の窓へと目をそらした。

ガラスに映った俯き加減の2つの顔は、同じくらいに赤かった。


いくらか時間をおいてやっと火照りが冷めたあたしたちは、コタツをまたいで向かい合わせに座り、2人で療養食の定番であるおかゆを突っついていた。

2人で突っつくとは言っても、もちろん風邪がうつらないように器はわけてだが。

「ねぇ、この後はどうするつもりなの?」

イノリが聞いてきて、あたしも気がついた。この後の予定なんて全く立てていないのだ。

まぁどうせ、帰ってお風呂に入ったらすぐ寝るだけだ。深く考えるほどのことでもないだろう。

「帰るよ。そんなに長く迷惑かけられないしね」

「提案なのだけど、もう今日はそのまま泊まっていったらどうかしら?」

「と、泊まってく? どこに……って、まさかここに?」

「ここ以外どこがあるのよ? ……嫌なら別に強制なんてしないわ」

「あ、嫌じゃないけど……風邪、うつっちゃうよ?」

「そんなの今更じゃない、1日同じ部屋に居たんだから。それに、風邪を引いても引かなくても結局家にいるもの」

「でも……」

「急に悪くなったらどうするつもり? 私は気にしなくていいから、あなたが決めればいいの」

「……じゃ、じゃあ、お願いします」

イノリが強気に迫ってくるせいで、思わずかしこまってしまった。

しかし、それと同時に心の中にポッ、と火が灯るような感触もした。

何かは分からないが、何か新しいものが生まれたような、そんな気がした。


おかゆを食べ終わって、お風呂には入れないので体を拭いて。

まだ時刻は午後9時にもならないが、早く治すべくあたしは寝ることにした。

「イノリー、寝る布団どこにあるの?」

寝られる場所がベッド以外にもう一個あるのだろう、とあたしはイノリに聞いた。

すると、当たり前のような口調で予想外の答えが返ってくる。

「そんなのないわよ。そのベッドは広めだから2人で使っても問題ないでしょう」

「え、えぇ~!? そ、そんな近くで寝たら……絶対に風邪うつっちゃうじゃん。申し訳ないよ……」

何故だろうか。

さっきから、心臓の鼓動がうるさいくらいに早い。

緊張はしてないし、運動もしてないし……。

「風邪は今更だって言ってるじゃない。それに、子供の頃はよくやったことじゃない」

よくやった、なんて言ってもたった2回か3回だけどね。

でも、それを思い出すと「別にいいかな」という気もしてきた。

「わかった。じゃあ、借りるね?」

「私が入るスペース空けてくれれば好きにして」

布団を一旦どけて、真ん中より壁側に寄った位置に寝転ぶ。

かちゃ、とスイッチ音の後に電気が消されて、視界はほとんど真っ暗に。

目が慣れず、まだなにも見えない状態だけど、すぐ横に寝転がるイノリには気づけた。

「布団上げるわよ?」

「うん。お願い」

ちょうど首元まで柔らかい布団が被さって、すぐに心地よい暖かさに体が覆われる。

人が2倍なので、布団内部が温まる速度も2倍だ。


「本当に、久しぶりよね」

「うん……むしろ懐かしいかも」

「あの頃は……夜中までずっと暗い中お喋りしてたのよね」

「そうそう。寝る時間遅かったせいで次の朝起きるのがすごい遅くなったんだよね」

「……確か、こうやってしながら寝ていた気がするわ」

布団の下でもぞもぞと何かが動き始める。

それは段々あたしに近づいてきて――

「ひゃっ!?」

あたしの手は暖かくて柔らかい物に包まれた。

「……別に驚くとこじゃないでしょう?」

「そ、そうなんだけど……そうそう、こうやって寝たよね」

心臓が一気に大きく動き始める。

しかし、対照的にあたしの心はとても落ち着いていた。

甘くて、少し酸っぱい、胸が締め付けられる、なのに不思議と落ち着けるこの感じ。

「あ……」

一応こんなでも彼氏もいたあたしは、その正体が分かった。

感づいてしまったのだ。

あたしの運命が変わるのだとすれば、間違いなくこのタイミングだった。


「どうしたの? 変な声もらして」

「あー……ねぇ、あたしに背中向けてくれない?」

「何をするの? 別に、いいけれど……」

イノリは少し怪しむような声を出しつつも素直に従ってくれた。

露わになる細い背中。

その背中にあたしは、腕をイノリの脇へ通して抱きついた。

「ひゃあっ……!? な、何をしているの!?」

イノリが慌てた悲鳴をあげるが、あたしは無視してイノリの背中に顔を押し付けた。

「うー……イノリぃ……」

「だから、どうしたのってば!?」

こんなに慌てているイノリは初めてだ。

いつもは冷静なのに、これがギャップ萌えってやつなのかな。

「ねぇ、イノリ……」

「だから、急にどうしたのよ」

焦るイノリに対して、風邪気味でよく働かない脳みそは、無駄にマイペースで、無駄に正直だった。



「あのね、あたし……イノリのこと…………好き、だな」



「なっ、あっ……えっ?」

イノリは気が動転しているような声を出して硬直した。

気分は自分が現実世界にいるかも曖昧なくらいふわふわしている。

心に思い浮かぶことの一つ一つが、少し子供っぽくなっている、と冷静に分析する自分もいた。

けれどそいつは表には出てこなかった。

「……ふふ、likeじゃ……ないよ?」

「ふふ、じゃ……ないでしょう? ……正気? 風邪のせい?」

「ち、違うもん……えへへ、この前二人で行った占い、すごい当たってたんだね」

「キリカ……本当に大丈夫? 熱はない?」

あたしが何回も聞いているのに、イノリは一向に答えを返してはくれない。

正直すぎる脳みそは、痺れを切らすのも早かった。

「もう、あたしの話聞いてよ!」

「ご、ごめんなさい……占いって、あの、運命の人が隣に……ってやつかしら?」

「そう! あの時は何言ってるのって思ったけど、今はすごく分かっちゃう」

「……そうね。私も、その気持ち……すごく分かるわ」

「ね、イノリはさ。どうなの?」

「どうって……今言ったじゃない」

「え~? 言ってないよ。ちゃんと言ってくれなくちゃ」

「……しょ、しょうがないわね…………」

抱きしめる力を強くすると、イノリはぼそり、呟いた。

――私も、好きよ。

普通だったら聞こえたかも分からない大きさだったけど、今のあたしには大ききすぎるくらいに聞き取れた。

意識してもないのに、勝手に口元が緩んで止まらない。

「……ありがと」

再度顔をイノリの背中に押し付けると、ふわりとシャンプーの匂いが鼻に舞い込んでくる。

安らかな心地のまま、スッとあたしの意識は深層に落ちていった。


体が左右に揺れている。

まず意識が急浮上して、それから眠くて動かなかった体も徐々に自由を取り戻していく。

目を開けると、すぐ目の前にイノリがいた。

「おはよう。寝過ぎも良くないかと思って起こしたのだけれど……」

「寝過ぎって? 今何時?」

「もうすぐ12時よ」

思わず愕然としてあいまった。

別に休日も早くに起きているわけではないけれど、ここまで遅くに起きたことはない。

「じゅ、12時!? 起こしてくれてありがと。イノリ今まで何してたの?」

「あなたを見てたわ」

何気なく聞いただけだったが、予想外の答えが返ってくる。

「……えっ?」

「だから、あなたを見てたわよ?」

「それってあたしが寝てる時でしょ?」

「えぇ。実を言うとちょっと撫でたけれど、別にいいわよね?」

「いいけど、よくない……」

寝顔を見られていたというだけでもう恥ずかしい。

しかも撫でられていたというのが余計に、嬉しいような、恥ずかしいような、微妙な感情を作り出す。


「それで、体調はどうなの?」

「体調は……どうだろ。悪くはないけど良くはない、のかな。なんか動きたくない」

「そう。じゃあこのまま適当にテレビでも見てましょうか」

イノリがテレビをつけ、番組表をスクロールし始めるが、どれも見たことのある名前ばかり。

あらかた見尽くしてしまったようだ。

「それもいいけど……なんかゲームとかないかな。見るだけのは飽きちゃったし」

「いいわね。……あ、今やってるバトル実況の番組あったわよ?」

「ほんと!? じゃあそっちで!」

これでもあたしはジムトレーナー。

バトルとなれば、手のひら返しはむしろ当然だ。

そんなわけで画面に映ったのは、体が平均に比べてふた回りは大きいズルズキンに、バチュルのように小さいシャンデラ。

「積み合いしてるのかな。これどこのバトルなんだろ」

「イッシュリーグ予選、って書いてあるわね」

「そっか。まぁ予選なんてどこでもあんまり変わらないけどね」

今さっき自分で動きたくないと言ったのも忘れ、あたしはベッドから降りた。

「動きたくないんじゃなかったの?」

「気にしない気にしない」

車のシートベルトのように手を一周させ、イノリの背中にぴったりとくっついて寄りかかる。

かすかに聞こえる定期的な音は、その間隔を少しずつ短くしていった。

「……もう。しょうがない子」

イノリは呆れた声音で言って、リモコンを置いた。

それが心なしか嬉しそうに聞こえたあたしは耳が腐っているのだろうか。

テレビ越しの実況の叫び声で、やっとあたしはイノリから顔だけは離したのだった。


3時間に及ぶトーナメントの優勝は、見知らぬ少年のものとなった。

いや、見知っている参加者が一人もいなかっただけなのだが。

バトル番組が終わると、今度はよくわからない討論番組が始まった。

ポケモン同士の野生の食物連鎖で絶滅がどうのと専門家たちが血気盛んに叫び合っている。

……が、そんなものは正直興味もなかったのでテレビは消させてもらった。

イノリの脚に自分の脚を絡ませつつ、あたしはこの後何をしようか考えた。

しかし特に思いつくものもなくて、暇つぶしにとりあえず携帯を触ってみる。

カレンから連絡が入っていた。

内容は、昨日やっていないバトルの練習をどうするのかだ。

毎週土曜日はカレンと、特訓と言うほどでもないがバトルの練習をしている。

お互い連絡を取り合ってから家を出る、と言う方式を採っていたおかげであたしが来ないままカレンが外で待っていると言う状況は避けられたが、その分心配をかけてしまったようだ。

「イノリ、悪いけど今日は帰るね」

「急にどうしたの? 体調も悪いんだし、もう少し動かない方が……」

「あたしもここにいたいんだけど……一応これも仕事だから、バトルの練習しときたいんだ」

「……そう。誰かと?」

「ん、カレンとだよ?」

「……別に、いいわ。あなたの仕事は強くなることだものね」

コタツから出るには凄まじい気力が消費されたが、なんとか脱出。

本当にずっとイノリといたいけれど、ジムトレーナーになってしまった以上これは仕方のない事なのだ。

背中に刺さるイノリの視線に、後ろ髪を引かれる思いというのを痛感しながらあたしはイノリの家を出た。


バトルの練習をしているといつも「後もう少し」と思ってしまって、長引いてしまう。

今日もその例に漏れずに、帰って来たのは8時ごろ。

汗を流すためお風呂に入った後は、いつもより遅めの晩御飯。

作るのは面倒だったので、今机に並んでいるのはスーパーで野菜中心にお惣菜だ。

ご飯は申し訳程度のダイエット中ということで少なめに、しゃもじでひとすくい。

テレビでも見ながら食べようか、とテレビをつけ、そこであたしは目を見開いた。

流れていたのは、LGBT特集。

「…………ぁ」

喉から、細い声が漏れた。

一般人のインタビューは批判も数多く、辛辣なものだった。

インタビューが終わると、なんだかよくわからない討論が始まった。

意見が飛び交う中で、ひとりの専門家が叫ぶ。



『LGBTはねぇ! 生物学的に間違ってr



震えてロクに言うことを聞かない手で、リモコンの電源ボタン押した。

プツン、と暗転した画面以上に、あたしの心は沈んでいた。

今まで、自分視点――イノリが好きだ、と言う感情――しか持っていなかった。

だから、普通に比べて変でも、幸せならいいと思えた。

しかし、今のインタビューで第三者の視点を与えられた。

おかしいというのは承知済みだったくせに、ショックは大きかった。

不安で頭が埋め尽くされる。

自分に対しての世間の目を考えるのが、怖い。

あたしはご飯にラップをかけて、惣菜と一緒に冷蔵庫へしまった。

もう、何も喉を通らなかった。


電気を消すと、自分が見えなくなったからか少し落ち着いた。

携帯を取り出して、やっぱり少し寂しい連絡先一覧を開く。

掛ける先は、もちろんイノリのところ。

ぷるr

『もしもし? 流石にこの時間から遊びに来るのはダメよ?」

「それはないって。その、寝る前に話したいなって思っただけ」

『そう。でも、私、井戸端会議とかなんてできない人なのだけれど』

そういえば前に、自分から話のネタを作る方法がわからないとか言ってたっけ。

「いいのいいの。声聞きたかっただけだし」

『それって、もう電話を切るの?』

「あ、待ってよ。……ねぇ、あたしって変なのかな? おかしいのかな?」

『おかしいに決まってるじゃない。私なんかとずっと友達続けてた時点で普通じゃないわよ』

変わらないように聞こえて実はちょっとふざけている声で、イノリはそう言った。

多分それは、イノリなりに少しでも気分を軽くさせて、励まそうとしたのだと思う。

「そうじゃなくて! イノリが好きだって言ってるのって、やっぱりおかしいのかな」

『それを肯定すると私も世間から見ておかしいってことになるわよ。ひどいわね』

さっきと変わらない、おどけた口調。

でも、さっきとは明確に何かが違った。


「……イノリも、同じってこと?」

『当たり前じゃない、何を今更言っているの』

「そっか……。ありがと」

『逆に私から聞くわ。私のこと、本当に好き?』

顔が瞬時に熱くなるのを感じた。

――恥ずかしい。……でも、言わないと。

「うん……。イノリのこと、好きだよ。すっごく」

『もしだけど、一緒になろうって言ったら、なる?』

「うん。なると思う」

よく分からない質問だったけれど、あたしは即答した。

イノリと一緒ならなんでもいい気がした。

『そう……。そうね。じゃあ、やっぱり…………それが、一番いいのかも』

「どうしたのイノリ? なんの話か分からないんだけど……」

『あ、私が一人で納得してるだけだから、気にしないで』

「わ、わかった。……そろそろ、寝るね。おやすみ」

『えぇ。おやすみなさい……』


ふわふわ、浮くような気分。

ここはどこだろう。

頭が回らなくて、状況がよく分からない。

(……あ、ここは)

(……前に映画で見た、花の楽園)

その時、空から人が宙を漂うみたいに降りてきた。

「……い、イノリ? どうしたの?」

聞いても、イノリは口を開きすらしない。

「どうしたのってば」

やっぱり口は開かずに、イノリはあたしの腕を引っ張った。

予想外の力強さに、あたしは成すすべなくどこかへ連れて行かれる。

歩くごとに、花の濃密な甘い匂いが漂って、景色もどんどん色褪せていく。

とても、綺麗だ。


ふんわりと緩やかに、意識が階段を上る。

何故だか分からないけれど、今日は寝起きの気分がとてもいい。

スパッと起き上がって、テキパキと仕事へ行く準備を始める。

ご飯を作って食べ、振袖の代わりの仮装に着替え終わった直後だった。

ぴんぽーん、とドアホンが鳴る。

――こんな時間に? 誰、だろう。

開けた先で、あたしは硬直した。



「トリック・オア・トリート……」

「えっ……!?」



今日は、10月の31日。

一般世間でもよく聞くその言葉で現れたのは、イノリだった。

イノリがいた、そこはまだ驚くことではなくて。

イノリが、その手に、持っているもの。

ギラギラと血に飢えた獣のような、危うい光を発しているそれは。

(――包、丁……!?)

しかし、その目にも声にも、殺気は少しも感じられなかった。

「……な、何しに、来たの……?」

「あぁ、ごめんなさい。包丁なんか持ってたら怖いわよね。……ちょっと、やりたいことがあるの」

イノリは玄関までサッと入ってきて、後ろ手に扉を閉める。

ちょうど扉を塞がれた格好だ。

あたしの恐怖心がどんどん膨れ上がる。


「まず、お話を聞いて欲しいのだけど。いいかしら」

元から恐怖で思考はほとんど停止状態。

ロクな言葉を喋ることができなかった。

「う、うん……いいよ」

「私、昨日、私たちの前世について占っていたの。そしたら、前世の私たちも、女同士、恋仲だった」

「そ、そうだったんだ……」

「……でね、前世の私たちの死因も分かったの。死因は――」

イノリが、何かを怖がるように身震いした。

「――死因は、同性愛を理由とした、迫害。その末のひどい暴行よ」

「……ぃ……ひぃ……」

喉は砂漠のように乾ききって、声も出なかった。

「このままだと、今世でも、こうなるわ。肉体的暴行でこそないかもしれないけれど、物理的じゃなく人を殺す方法なんていくらでもある」

「…………ぁ……っ」

恐怖心は、さらに膨れ上がっていく。

しかし、それはもうイノリへ向けてではなかった。

遠いか近いかも分からない未来に訪れるであろう生き地獄への、恐怖。

「だから……だから。……一緒に、なりません、か?」

最後の方は、濡れて掠れた、涙声だった。

喋っていたイノリ自身も辛かったのだろう、苦しかったのだろう。

好きな人と一緒にいることすら許されないなんて、こんな現実を見せられて、早々耐えられるものではない。

あたしだって、さっきから視界が歪んで、光って、仕方がない。

朝の気分の良さなんて、最初からなかったみたいに消し飛んでいた。

あたしの心を支配するのは、辛くて、苦しくて、黒くて、重いものだけ。

重圧を振り切るように、あたしは口を開き、動こうとしない声帯を無理やり動かした。

「……いい、よ。一緒に、なろ」

「……本当に……?」

「…………うん。あたしは、イノリが好きなんだもん。だから……どうせやるなら、永遠に幸せになったほうがいい」

「…………あり、がとう……」

イノリがあたしに抱きついて来て、声を上げて泣き始めた。

「泣かない泣かない。持って来たもので何かやるんだよね? 早く……やろ」


少し泣いて、すぐいつものように平静を取り戻したイノリは、バッグからいくつかものを取り出した。

「儀式を行うの」

「なんの?」

「霊界からヨノワールを呼ぶ儀式。迷える魂を天国へ送り届けるのが彼らの役目だから」

そういうと、イノリは何やら紫の布を、あたしのテーブルに被せた。

「……これは、霊界の布っていうの。ゴーストタイプを呼び寄せるエネルギーが詰まっている……」

イノリが包丁を両手で握った。

ガギン、と音がして、包丁が布を貫通して机に突き刺される。

次に用意したのは、バーベキューなんかでよく使う七輪。

炭を入れると、もくもくと黒い煙が出始める。

「この包丁と、煙が目印。……さぁ、あとは、眠るだけ」

イノリが手渡して来たのは、睡眠薬だ。

これを飲めば最後、この世界にはいられない。

でも、後悔はなかった。

――あ、メールだけでも、送っておかなきゃ

ありったけの連絡先に、一つのメールを送った。

題名はなし、内容は、「今までありがとう、ごめんなさい」と、それだけで。

案外安らかで何も考えない、ものなんだなと思った。

「……行くわよ」

イノリと一緒に、薬を飲み込む。

あたしたちは、ベッドに倒れこんで、両手を繋いだ。

イノリの手は、少し冷たい。

でも、心は、とても暖かかった。

すぅっ、と意識が落ちて行く。

最後に視界に映ったのは、イノリの幸せそうな笑顔だった。



――あぁ、好きだ。幸せだなぁ。




「もうめくられることのないカレンダー」


「もう開かれることのないクローゼット」


「もう座られることのないクッション」


「もう点くことのないテレビ」


「もう鳴ることのない電話」


「もう踏まれることのない床」


「もう開けられることのない扉」


「もう変えられることのない花瓶の花」



「キキョウ……スターチス……マルベリー……」






「寄り添う2つの微笑み」